霞む世界の先に見えるもの   作:雪白

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過去編-2

 

紀元前248年

 

月日は流れ、秋嵐は十二の齢を過ぎた。

 

成長期を迎え背丈も日に日に伸び、父の肩と並ぶほどにまでになった。

 

あどけなかった顔立ちも精悍な顔つきへと変化しつつあり、近頃では村の娘達が噂するほどだった。

 

 

「にいさま!おかえりなさい!」

 

秋嵐が山から戻ると、妹の秋霞(しゅうか)がとてとてと駆け寄ってくる。

 

 

「すごーい!キツネさんだー!」

 

秋嵐が狩ってきた獲物を見て、秋霞ははしゃいだ声をあげる。

 

十を過ぎる頃から秋嵐自身も狩りに出るようになり、今では鹿や猪といった大物も仕留められるまでになっていた。

 

 

「そんな泥だらけになって……。また、山の奥まで入ったのね」

 

母親の才は泥にまみれた息子の姿と地面に並べられた狐や兎等の獲物を見て眉根を寄せる。

 

秋雨が狩りの最中に大怪我を負ったことをきっかけに、元々の心配症に拍車がかかっていた。

 

一方で秋雨は妻を宥めながら、秋嵐が仕留めた狐を見て感心したように呟く。

 

「まあまあ。良いじゃないか。それにしても立派な狐だ。よくやったな」

 

「へへ…。もうすぐ冬になるからさ。これだけあれば、余った分で霞の帽子と襟巻かなんかも作れるだろ」

 

そういって笑う息子の家族を気遣う優しさと大黒柱としての片鱗に、才は目を潤ませる。

 

秋雨は妻の肩を抱き寄せ、珍しく晴れ渡った秋空を見上げながら、天の上にいるであろう父に語りかける。

 

(見ているか、親父殿。……嵐は近いうちに立派な戦士になるぞ)

 

 

 

その頃、秋家では不幸が立て続けに起こっていた。

 

年の初めに、長年一族をまとめ上げ、息子に家督を譲った後も皆の精神的支柱だった秋雷が流行病により身罷った。

 

豪快な人物で、酒好きではあったが困っている者は放っておけず、村人達からの信望も厚かった。

 

……だからこそ、その死はあまりにも突然だった。

 

秋雷の死は秋家だけではなく、村全体が悲しみに包まれた。

 

その悲しみがようやく癒えてきた頃、今度は秋雨が仲間を庇い熊に襲われるという事件が起きる。

 

幸いにも命は取り留めたが、昔のようには弓を引くことはできなくなった。足も不自由になり、今までのように山を駆け回ることは不可能だった。

 

手先が器用な才の機織りと刺繍の腕と、秋嵐が狩ってくる獲物。

 

そして、今まで世話になった恩返しだとばかりに、秋家を支えてくれる周囲の人々たちのお陰で、秋家は何とか食い繋ぐことができていた。

 

そんな中で猟師として、長兄として、腕を上げ日々成長する秋嵐とすくすく健やかに育つ秋霞は一家にとってまさに光明だった。

 

 

「にいさまは、村で一番のりょうしさまだもの。いつか秦で一番のりょうしさまになってクマさんやオオカミさんもいっぱい狩るのよ」

 

秋霞の純粋無垢な愛らしい言葉に、一家の顔が綻ぶ。

 

「はは、そりゃ大したもんだ」

 

「ふふっ、霞ったら…」

 

さっきまで心配そうに眉根を寄せていた才もくすりと笑う。

 

「……大げさだよ」

 

当の本人は照れ臭そうに顔を背ける。

その顔は恥ずかしさと妹から褒められた嬉しさでほんのりと赤く染ていた。

 

その様子が可笑しくて、穏やかな笑い声が広がる。

 

生活に余裕はない。

 

……それでも、秋家から笑い声が消えることはなかった。

 

 

 

冷たい風が吹き付ける晩秋。相変わらず、秋嵐は山に入って、獲物を追いかけていた。

 

本格的な冬の到来を目前にしても、秋家の蓄えは心許なかった。

 

 

「秋嵐!」

 

「仙爺(せんじい)」

 

「何じゃ。今から狩りに行くのか」

 

「うん。そうだけど……」

 

「ならば悪いことは言わん。今すぐ山を降りろ」

 

秋雷の幼馴染であり、山について熟知した木樵の仙(せん)の有無を言わせない様子に秋嵐は何かが起きたことを察知する。

 

「……あいつが、“()()()”が、出たぞ」

 

 

“隻眼”___かつて、6人もの村人を喰い殺し、父を瀕死の重傷にまで追い込み、猟師生命を絶った憎き“獣“

 

脳裏には全身血塗れで運ばれてきた父の姿が浮かぶ。

 

頭の骨が見え、肩は砕け、足は裂け……。

 

泣き崩れる母。医者も村人の誰もが助からないと思った。

 

 

「…ありがとう。仙爺」

 

「!…お前、まさか…」

 

仙が言葉の意図を理解するのと同時に秋嵐は地面を蹴る。

 

「馬鹿タレ!戻ってこんか!!」

 

仙の叫びが林の中に虚しく木霊する。

 

秋嵐が消えていった方向を見つめながら、仙は大変なことになったと村への道を急いだ。

 

_______________

___________

 

 

(あった……!!)

 

しばらく走ると痕跡を見つけた。

 

だが、次の瞬間、背筋に寒気が走る。

 

普通の熊の倍はあろうかという巨大な手のひら。

爪も短剣の如く鋭く大きい。

 

……本当に狩れるのか。そもそも生きて帰れるのか。

 

でも、上手くいったら……

 

 

(…父様の薬が買える。母様だって毎日夜なべする必要はない。霞に暖かい着物を買ってやることが出来る。それに……)

 

脳裏に浮かぶのは、腹いっぱい飯を食い、笑い合う家族の姿。

 

「……諦めるわけにはいかないよな」

 

木立の奥を睨みつける瞳は、飢えた肉食獣の如く獰猛な光を宿していた……。

 

 

 

秋嵐は痕跡を追って木立のさらに奥を目指して走り抜ける。

 

奥に進むにつれて徐々に霧が濃くなり始める。

 

気がつけばいつもの狩場よりも奥の、山深くの渓流にたどり着いた。

 

 

(ここに来るの、初めてだ)

 

山深い上に野盗や人攫いの類も出るからと近づくのを禁じられていた場所。

 

「!」

 

ふと視線を落とし、秋嵐は息を呑む。

 

大きな糞。しかも新しい。

 

足跡も近くにある。

 

 

(この近くにいる…ッ!!)

 

弓を握る手に力が籠る。

 

 

「グルル…」

 

空気を震わせる低い唸り声。

 

次第に大きくなる砂利を踏みしめる音。

 

 

白い霧の向こうから巨大な黒い影がぬっと姿を現した。

 

見上げるほどの巨躯と父の渾身の一射により無残に潰れた片目。

 

そして、口の周りには赤黒い血が滴っている。先ほどまで何かの肉を貪り食っていたのは明白だった。

 

 

(間違いない……。あれが隻眼……)

 

秋嵐の背筋にかつてないほどの悪寒が走る。

 

村一番と言われた秋雨や熟練の猟師たちですら仕留められなかった化け物熊……。

 

 

熊は秋嵐に気づくと咆哮を上げながら、突進してくる。

 

震える足を必死で踏ん張り、続け様に矢を二射打ち込む。

 

 

バキィッ_________

ガキィッ_____

 

 

だが、分厚い毛皮と固い骨に阻まれ、矢は呆気なく弾かれてしまう。

 

どこを狙うのがいいのか。秋嵐は必死に考える。

 

 

《…いいか嵐。どんな獲物だって絶対に致命的な弱点はある》

 

脳裏に蘇る父の声。

 

「…!!」

(あそこなら……!)

 

秋嵐の目が隻眼の潰れた片目に吸い寄せられる。

 

 

(ここだ…っ!)

 

目を閉じ、全神経を『潰れた右目の傷跡』に集中させる。

 

風向き、気流の流れ、肌に感じる湿気…。

 

トンッ_________

 

 

そうして放たれた矢は真っ直ぐに『右目』へと吸い込まれていく。

 

「ギャアアアッ!」

 

矢は右目を深く貫通し、隻眼は動きを止めるかと思われた……。

 

 

「!?」

 

だが、隻眼は倒れなかった。

 

「ウオオアアアアアア!」

 

それどころか毛を逆立てさせ、空気をビリビリと振るわせるような重低音が轟く。

 

文字通り、化け物熊の()()()()()、逆鱗に触れたのだ。

 

 

ドドドッ_____

 

隻眼は唸り声を上げながら秋嵐の方へと突進してくる。

 

避ける間も矢を番る間もなく、黒い巨大な影が地鳴りと共に秋嵐に迫る。

 

 

(爺様…!力を貸して……!!)

 

腰の短剣を引き抜き、大地を蹴る。

 

牙がまさに喉元に届こうとした時、フッと秋嵐の姿がブレた。

 

変幻自在な歩法によって、秋嵐は一気に『腹』の下へと滑り込む。

 

 

(今だ……っ!)

 

勢い全てを乗せ、短剣を熊の腹に突き立てる。

 

ズブゥッ____

 

「ガアアアアア…ッ!」

 

隻眼はこれまでになく苦悶の叫びを上げる。

 

だが、強靭な生命力と肉体を持った巨体が倒れることはない。

それどころか秋嵐を引き摺り出そうと暴れ回る。

 

「ぐっ……!」

 

徐々に剣を握る手に力が入らなくなってくる。

 

もし振り落とされれば、待っているのは“死”だ。

 

 

(諦めるもんか……)

 

脳裏に浮かぶのは愛する家族の姿。

 

(俺が死んだら、誰が家族(みんな)を守るんだ……ッ!!)

 

 

「うおおおおおお……っ!」

 

必死に短剣の柄に縋りつき、隻眼の体にしがみつく。

 

凄まじい力によって振り回されそうになりながらも、絶対に柄から手を離さない。自らの体重をかけ、分厚い刃をさらに奥へとねじ込み、横に動かす。

 

「グアアアア…!」

 

温かく生臭い獣の血が秋嵐の全身を赤く染める。

 

最後の力を振り絞り、隻眼が秋嵐もろとも地面に叩きつけようとした、その瞬間________

 

 

『ウゥゥ…ワンッ!ワンッ!』

 

霧の向こうから犬の吠える声が聞こえる。それも一匹や二匹ではなく複数匹。

 

 

(……犬!?)

 

ヒュンッ____

ドスッ______

 

「ガァッ…!」

 

ついに隻眼の体が秋嵐の上に崩れ落ち、ボタボタと流れる血が着物を染める。

 

(やったのか……?)

 

巨体の隙間から顔を出して秋嵐は空を仰ぐ。

 

 

「おい、秋嵐!無事か!!」

 

「返事をしろ!!」

 

知り合いの猟師達が隻眼の元へと駆け寄る。

 

先ほどの矢は彼らが放ったものだった。

 

秋嵐が隻眼を仕留めに森の奥へ向かった後、仙が村に危機を知らせたのだった。

 

 

「…大丈夫だよ。叔父さんたち…」

 

秋嵐を引っ張り出した猟師たちは思わず絶句する。

 

「……お前、まさか一人で……?」

 

 

村人を恐怖に陥れた化け物熊の腹には狩り用の短剣が深々と突き刺さっていた……。

 

 

秋嵐が隻眼を一人で仕留めに行ったことは秋家にも伝わっていた。

 

 

「ううっ…嵐…!ああっ!」

 

「……」

(嵐……!)

 

 

秋雨は泣き崩れる妻の背を撫でながら、狩場がある山を睨みつける。

 

足が動くなら本当は飛んで行きたかった。

 

息子の無事を祈りながら待つことしかできないのが、悔しく腹ただしかった。

 

 

「あ!にいさま!」

 

隣家の奥方にあやされていた秋霞が山の方を指差す。

 

ハッと顔を上げると、泥と血に塗れ疲れ切ってはいるが、誇らしげな満足げな表情を浮かべた息子の姿があった。

 

その後ろでは猟師たちによって、仇敵でもある巨大な熊が担がれている。

 

 

「嵐…!ああ、無事で良かった…!」

 

才は息子の無事に安堵し、着物が汚れるのも構わず抱きしめる。

 

秋雨も力が抜けそうになるが、命知らずの無謀な真似をした息子を叱ろうと歩み寄った。

 

 

「父様……」

 

雷を落とそうとした秋雨の言葉は、息子を探しに行った猟師達の興奮した声によって遮られる。

 

「おい秋雨!聞いてくれよ!秋嵐の奴、隻眼を一人で仕留めちまいやがった!!」

 

「大したもんだよ!懐に飛び込んで剣を突き立てるなんて…。もうコイツは“戦士”だよ」

 

「何だと……」

 

 

秋嵐の父を見つめるその目は静かだが、その奥には燃えるような闘志が宿っていた。

 

 

(ああ……この子はもう……)

 

この子はもう子供ではない。

 

立派な、誇り高き“霧の民”の戦士だ。

 

そして、死ぬ前に父が語っていた言葉が蘇る。

 

 

《雨よ。嵐は誰よりも強く、気高き戦士になる》

 

《彼奴は誇り高き我らの血を誰よりも濃く受け継いでおる》

 

 

(……親父殿。貴方が言っていたことは正しかった……)

 

 

天を仰ぎ。そして決意する。

 

来年、秋嵐が十三を迎えた時、族長の剣を引き継がせることを。

 

見上げた空は天高く青く澄み渡っていた。

 

 

 

 

秋嵐の偉業は瞬く間に村に広がった。

 

…同時に山を愛しながらも、遠ざかった一人の男の闘志に火をつけた。

 

 

早春、秋雨は村の若い衆に付き添われながら、久方ぶりに山に入っていた。

 

かつてのように駆け登ることは不可能だが、杖をつきながら足を引きずるようにして岩場を超えていく。

 

 

「すまないな。お前たち」

 

「いえいえ!秋雨さんには世話になってますんで」

 

 

ゆっくり、ゆっくりと上に向かって歩みを進める。

 

そして、ようやく頂に辿りつく。

 

 

「!」

 

頂からの懐かしい光景に目を細めたのも束の間。

 

猛禽のような瞳は鋭く細められ、口元も引結ばれる。

 

 

「秋雨さん?」

 

「お前たち、あれが見えるか?」

 

若い衆は秋雨が指差した方向を見て、首を傾げる。

 

秋雨の卓越した視力と聴力は遥か彼方に上がる土煙と軍馬のいななきを捉えていた。

 

「……嵐(あらし)が来るぞ」

 

「え?」

 

「……近いうちに(いくさ)が起きるぞ。それもとびきり、大きい…な」

 

 

 

後に五カ国が手を結び、秦へ侵攻する。

 

外界から隔てられた彼らの箱庭もまた、動乱の嵐へと巻き込まれていく。

 

……それは、秋家と秋嵐の運命を変える、大戦の始まりだった。

 

 

 

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