霞む世界の先に見えるもの 作:雪白
黒卑村の地下道を抜け、崖の下へ降りた信・嬴政・河了貂の三人は鬱蒼とした森の奥へと進んでいた。
その様子を、木の上から音もなく見下ろす者がいる。
「……」
秋嵐だった。
秋嵐は枝の上から三人を見下ろしながら、胡山からの依頼を反芻する。
『七日後、黒卑村を抜けた先の西の谷合で、大王様たちと落ち合え。彼らをさらに西の山中にある最終合流地までお連れし、殿達との合流を果たすのだ。……追手の足止めも頼む』
『……西の山中? 大雑把すぎるだろ。目的地はどこだ』
『…私も明かされていない。大王様ご自身が貴様に伝えるはずだ』
それにしても、だ。
(……こんな状態で、よく今まで逃げてこられたな)
眼下を行くのは傷だらけの少年。奇妙な蓑を被った子供。そして……。
秋嵐の瞳は彼らの先頭を歩く、高貴な雰囲気を纏った少年に吸い寄せられていた。
(あれが秦王……)
絶望的な逃避行の中にあっても、背筋は真っ直ぐに伸び、微塵も折れる気配がない。
それだけは素直に認めよう。……だが、それだけだ。
(さっさと合流して目的地へ送り届ける。それでこの仕事は終わりだ)
深く関わるつもりはなかった。
秋嵐は枝を蹴った。
次の瞬間、三人の行く手を遮るように、音もなく木の影から白い影が舞い降りた。
「……ッ!!」
信は即座に剣の柄に手を伸ばし、秋嵐を鋭く睨みつける。
「刺客か!?」
「待て」
今にも斬りかからんばかりの信を、嬴政が静かに制する。
嬴政の瞳が秋嵐を捉える。背負われた弓、腰に下がった湾曲した剣、山刀、殺気のない自然な佇まい。
「……刺客ではないな」
「何言ってんだ!こんな森のど真ん中にいきなり現れやがって……」
信の言葉には応えず、秋嵐は懐から木片を取り出すと嬴政へと軽く放った。
昌文君から予め渡されていた割符の片割れであり、ぴたりと合わさるそれを確認すると、嬴政は静かに口を開いた。
「昌文君が万が一に備えて雇った護衛か」
「ああ。昌文君の使いの胡山という男から、ここから先の先導と護衛を任された。……もっとも最終的にどこへ連れて行けばいいかまでは聞いてないがな。」
「そうか。…十分だ。よろしく頼む」
嬴政の素直な言葉に秋嵐は毒気を抜かれ、一瞬目を瞬かせる。
だが、すぐに視線を隣に立つ信に向ける。
「……随分とボロボロじゃないか。少し休んでいくか?」
「ふざけんな。誰が休むかよ」
信はふらつきそうになる足に力を込め、秋嵐を睨みつける。
貂は信の後ろでそっと様子を伺っていたが、秋嵐の冷え切った目を見た瞬間、思わず身を竦ませた。
「…フン。着いて来れなくても、オレは助けないぞ」
秋嵐は辛辣に言い捨て、背を向けて走り出す。
だがその足取りは、手負いの状態の信でもどうにかついてこれるだけの絶妙な速さに抑えられていた。
しばらく無言のまま森の中を走る。木々の間を縫うように駆け抜けながら、秋嵐は周囲の気配を探り続けていた。
風の流れ。葉の揺れ方。鳥が飛び立つ方向。
(今のところ追手の気配はない。だが……)
森を抜けるまで決して油断はできない状況だ。
「…お前、名は何という」
背後から嬴政の声がかかる。
「……秋嵐だ」
「そうか」
それだけだった。余計な言葉はない。
秋嵐は前を向いたまま、僅かに目を細める。
(……護るに値するかはわからんな)
仕事は仕事だ。それ以上でも以下でもない。
「急ぐぞ。まだ先は長い」
短く告げると、秋嵐は獣のような身のこなしで先を進む。
木立の中を四つの影が走り出した。
*