霞む世界の先に見えるもの   作:雪白

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少年編

 

月日は流れ、秋嵐は十の齢を迎えようとしていた。

 

 

一昨年、秋家では秋嵐に続く第二子が生まれ、家の中はこれまでになく賑やかになっていた。

 

「じいちゃ!」

 

小さな孫娘が抱きつくと、秋雷は目尻を下げ、「おお、霞よ」と甘い声になる。

 

……その様子は先程まで秋嵐に木剣を打ち込んでいたのと同一人物とは思えなかった。

 

 

初の「女子」の誕生に秋家は喜びに沸いた。

 

秋嵐もまた、初めてできた妹を慈しみ、よく面倒を見た。小さな手を引いて歩く頼もしい姿を家族はいつも微笑ましく見守っていた。

 

ただ、かつて父が自分にしてくれたように、妹を背負って山へ入った時は流石に母から大目玉を喰らうことになったが。

 

 

 

「俺たちが先に使ってたんだぞ!」

「使いたかったら当ててみろよ!」

 

秋嵐が妹の秋霞(しゅうか)の子守りをしていると、村の広場が騒がしかった。子供達が集まり弓の的当てを競っているところだった。

 

周囲を山に囲まれたこの村では、子供達は皆、幼い頃から弓を引く練習をして育つ。

 

言い争いの中心にいるのは、秋嵐と同世代の少年達と悪ガキとして知られる年上の少年とその取り巻きだった。どうやら的当ての場所を巡って、揉めているらしい。

 

少年は秋嵐の姿を見るなり、救世主が来たとばかりに駆け寄ってくる。

 

 

「秋嵐〜!」

「お前なぁ……。たまには自分達で勝ってみせろよ」

「あんなん無理だって!!」

 

少年が指差す的は、通常練習で用いる的の倍の距離がある。子供用の弓では少々心許ない距離だった。

 

とはいえ、今は子守りの最中である。

 

断ろうと口を開きかけた時、近くにいた顔馴染みの少女が、にっこりと微笑みながら秋霞へ手を伸ばした。

 

「秋霞ちゃん、こっちおいで」

「ねぇー!」

 

少女に抱き上げられた秋霞はキャッキャッと嬉しそうに声を上げる。そんな妹の姿を見てしまえば、秋嵐ももう何も言えなかった。

 

 

「はぁ…。仕方ないなぁ」

 

秋嵐はため息をつくと弓を握り、所定の場所へ向かう。

 

「よっしゃ!秋嵐がやってくれるぞ!」

「よっ!秋嵐様〜!」

「なっ!秋嵐はズルいだろう!!」

 

勝利を確信して歓声を上げる子供達と、先程とは一転して慌てふためく少年達。秋嵐の弓の腕前は年上の子供達を凌駕すると村でも有名だった。

 

 

皆の視線を浴びながら、秋嵐はスッと一歩前に出る。

 

弓を構え、秋嵐は的を鋭く見据える。

 

狙うのは遠くに据えられた的。子供用の弓で真っ直ぐ狙ったのでは、途中で矢が失速して落ちてしまう。

 

だが、秋嵐は焦ることなく、矢を番え弓を引き絞る。

 

狙うのは的ではなく、少しだけ場所をずらした何もない空間。

 

トンッと放たれた一矢は放物線を描き、次の瞬間、横風に流されるようにして軌道を変えた。

 

_____ドスッ

 

矢は的に吸い込まれるようにして、的の真ん中に刺さり、子供達からは歓声が上がる。

 

それを悔しそうに見る悪ガキ連中。リーダー格の少年は拳を握りしめ、取り巻き達を呼び寄せた。

 

 

「オイ!お前ら耳を貸せ!」

 

少年の言葉に、取り巻きは一瞬耳を疑う。しかし、秋嵐をぎゃふんと言わせたいと思ったのは同じらしく、ニヤリと笑った。

 

見事に的を打ち抜いた秋嵐に、子供達は目を輝かせ、興奮冷めやらぬ様子で話しかける。

 

「やっぱすげぇよ!秋嵐!」

「今度、教えておくれよ!」

「私も!」

 

「また今度な」

 

勝負を終えた秋嵐は足早に群れを抜け、顔馴染みの少女の元へ戻ろうとする。しかし、その行手を阻むように数人の影が立ち塞がった。

 

 

「…何?今忙しいんだけど」

 

秋嵐が心底面倒くさそうに眉を顰めるとリーダー格の少年は口元を引き攣らせるが、無理矢理口角を吊り上げる。

 

「さ、さっきのはたまたまだろ!」

「そ、そうそう!たまたま風が吹いて、運良く当たっただけだろ」

 

少年達はどうしても勝負の結果を認めたくないらしい。長引きそうな気配に、秋嵐は露骨にうんざりした表情を浮かべる。

 

「だから、次はあれで勝負だ!」

 

少年が指差したのは広場の外れにある木だった。枝の先では3つの果実が風によって不規則に揺れていた。

 

「卑怯だぞ!そんなの当たるわけないじゃないか!」

「大人だって無理だろ!」

「ていうか、的小さっ!」

 

子供達は抗議の声をあげる。だが、秋嵐は風に揺られる果実、そして枝葉をじっと見ると、静かに口を開いた。

 

「あれを落とせばいいの?」

「お、おう……」

 

 

秋嵐は果実を見据えながら、弓を構える。

 

少し湿気を帯びて重い空気。地表の風は上空に行くにつれてうねるように強くなっている。

 

スッと目を閉じると遠くの林から梢が擦れる音が聞こえた。風のうねりが波のようにこちらへ近づいてくる。

 

肌を撫でる湿気と遠くの梢が擦れる音。目には見えない風のうねり、風の強さ、空気の重さ。それらすべての要素が、秋嵐の頭の中で瞬時に計算され、ピタリと一本の道筋に変わる。

 

 

「…ここだ」

 

その一瞬を秋嵐は逃さなかった。

 

放たれた一矢は、放物線を描いて真っ直ぐに上空へ吸い込まれ……。

 

____パァン!

 

空中で静止した木の実の一つを、寸分の狂いもなく撃ち抜いた。

 

秋嵐は一本目を放った直後、続けて二本目を引き抜き、番え、手を放す。

 

_____パァン!

 

二本目の矢が、二つ目の実を的確に捉える。

 

 

「う、嘘だろ……」

 

誰かがポツリと呟く。

 

そして、間髪入れずに三本目。

 

残った最後の一つは、矢の衝撃で枝が跳ね上がり、最も捉えにくい動きをしていた。

 

集まった人々が固唾を飲んで見つめる中、秋嵐はフゥと細く息を吐きながら、最後の一矢を放った。矢は、まるで逃げる実を追いかけるかのように絶妙な軌道を描き______

 

 

ゴンッ____

 

「痛ってぇ!」

 

見事に果実の細い枝を射抜き、落下した実はリーダー格の少年の頭に直撃した。

 

子供たちは一瞬呆気に取られるが、堪えきれないといったように吹き出す。

 

一方で十やそこらの子供が、風に揺られる果実の小さな枝のみを射抜くという絶技をやってのけたことに周囲の大人達はどよめく。

 

「見たか?今の…」

「ああ…。あんなに若いのに…末恐ろしいな」

「秋嵐は“風”の子やもしれんなぁ…」

 

勝負を見守っていた老爺が感嘆したように呟く。

 

「ただ風を読んでいるのではない。あの子の目には、我らにも見えぬ

「風の道筋」が、はっきりと見えておるのだ」

 

 

大人達の戦慄をよそに三つの果実を見事に打ち終えた秋嵐は「あ…」と声をあげる。

 

「しまった。全部、当てなきゃいけないんだっけ?」

 

首を傾げた時だった。背後から聞き覚えのある低い声が聞こえた。

 

「よくやった。嵐」

「父様!」

 

振り返ると、そこには立派な角を持った鹿を担いだ秋雨の姿があった。

 

「見事な腕前だったぞ。腕を上げたな」

「えへへ…」

 

父に褒められ、秋嵐は照れ臭そうに頭を掻く。

 

誰もが一目置く、村一番の猟師である秋雨の一言により勝敗は決した。

 

 

 

 

その夜、秋雨は今日狩ったばかりの牡鹿の角を削っていた。昼の息子の勇姿と圧倒的な弓の才を思い出し、フと笑みを浮かべる。

 

「あら?あなた、それは…」

 

夫の手元を覗き込んだ、秋嵐と秋霞の母親、彩(さい)は目を丸くする。

 

「ああ。…そろそろ、頃合いだと思ってな」

「!…そうですか」

 

夫の言葉の意図を読んだ彩は深い喜びと共に口角を上げる。

 

二人の穏やかな視線の先には、寄り添うようにして眠る息子と娘の姿があった。

 

ふと秋雨は角を削る手を止める。

 

山の向こうから馬のいななきが聞こえた気がした。

 

 

「あなた……?」

「いや、何でもない。……最近、街道の方が慌ただしいと聞くが__」

 

彩は「ああ…」と呟く。

 

「……王が変わったからでしょうか」

 

長く秦を治めていた昭王が崩御し、孝文王が即位したもののわずか三日で崩御。荘襄王が即位したという話は王都から遠く離れた山間の田舎村にも届いていた。

 

「それだけなら良いんだが……」

 

王が変われば、政治も、国の在り方も変わる。

 

そして、その波は税として、あるいは別の形で辺境の田舎村にも及ぶことすらある。

 

 

「……近々、戦が起きるかもしれんな」

 

若かりし頃、霧の民の戦士として数々の敵将を屠った秋雨はポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 この数日後、十を迎えた秋嵐に秋雨から牡鹿の角をあしらった立派な弓が授けられる。

 

 そして、それは後に数々の敵将を射抜き戦場に名を轟かせる、将軍・秋嵐の伝説の幕開けとも言える弓だった。

 

 

 

 

 

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