霞む世界の先に見えるもの   作:雪白

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崩壊編-1

 

秋嵐が仕留めた“隻眼”は秋一家に莫大な富をもたらした。

 

胆嚢は高く売れ、肉や毛皮も秋嵐の活躍と無事に感動した、馴染みの店が通常の倍の値段で取り引きしてくれたのだ。

 

一家は無事に冬を越すだけではなく、暮らし向きを立て直すこともできたのだった。

 

 

 

「んしょ、と……」

 

村長の家で奉公をする少女“燕”(えん)は背中で眠る赤子を起こさないように、慎重に重い洗濯桶を運ぶ。

 

すると、ヒョイと洗濯桶が取り上げられる。

 

驚いて前を見ると、大きな荷物を背負った同じ年頃の少年が桶を抱えて、微笑んでいた。

 

 

「手伝うよ」

 

「!秋嵐様……」

 

「相変わらず真面目だな〜。秋嵐でいいっていつも言ってるだろ?」

 

「…っ」

 

燕は頬がカアアッと熱くなるのを感じる。

 

秋嵐は何かと腫れ物扱いされることも多い自分に、他の子供達と変わらず接してくれる数少ない人物の一人だった。

 

 

「それじゃ。仕事頑張って」

 

秋嵐は洗濯場に桶を置くと、踵を返そうとする。

 

「あ、あの…!」

 

「?」

 

「秋嵐様は町に行かれるんですか……?」

 

「うん」

 

「そ、そうなのですね…。お気をつけて行ってらっしゃいませ…!」

 

秋嵐は僅かに目を見開くが、「おう!いってきます!」と手を振って、今度こそ行ってしまった。

 

 

(やっぱり、素敵だなぁ…秋嵐様は…)

 

秋嵐が去っていった方向をボーっと見つめる燕。

 

その瞳は完全に恋する少女のそれだった。

 

 

(……けど、私なんかじゃ絶対無理だよね……)

 

 

奉公人と秋族の子息。

 

決して叶わぬ恋に燕はがっくりと肩を落としたのだった。

 

 

 

険しい獣道を丸一日かけて下り、秋嵐はようやく町にたどり着いた。

 

 

(……?いつもより警備が厳重だ……)

 

城門の前では荷車が列を作っており、やけに念入りに検められている。兵士の数も以前に比べ明らかに多い。

 

秋嵐は列をすり抜け、顔見知りの衛士の元へと歩み寄る。

 

 

「おう、坊主。また、山から下りたのか」

 

「うん。……今日もよろしく頼むよ」

 

 

秋嵐は周囲を警戒しながら、衛士の手の中に小さな包みを滑り込ませる。

 

衛士は手慣れた様子でそれを懐へ収めると、「行っていいぞ」と顎をしゃくった。

 

 

「…ねえ、何かあったの?」

 

「……それがな、函谷関方面に上の連中が血相変えて兵を移動させてるんだよ」

 

 

衛士は周囲を見回しながら、コソッと耳打ちする。

 

 

「でも今は春だろ。何で農繁期に戦なんか……」

 

「だろ? だから異常なんだよ。何でも魏の信陵君があちこちの国に声をかけて、とんでもない数の軍勢がこっちの国境に向かってるって噂だ」

 

「この時期にやらなきゃいけないなんて余程だ。……今年の秋は間違いなく大量の血が流れることになるぞ。お前も妙な連中を見かけたら絶対に関わるなよ」

 

「……うん。おじさんも気をつけて」

 

 

 

城門を通り抜けた秋嵐はいつものように色々な馴染みの店や商人達に、毛皮や肉、着物や装飾品を売り捌く。

 

そうして得た報酬で自身も生活用品や食料、家族への土産を購入し、最後に市場の奥にある一軒の店の前で足を止めた。

 

 

「こんにちは」

 

「おお、秋嵐か。待ってたぞ」

 

 

薬屋の店主の老爺は秋嵐の姿を見ると目元を細め、「待ってろ」と奥へ引っ込む。

 

以前熊の肝を売ったところ、都の大商人様が高値で買って下さったとかで、以来、秋嵐に対して贔屓してくれるようになった。

 

しばらくすると老爺は小さな包みを二つほど持って店頭へ現れた。

 

 

「親父さんの具合はどうさね」

 

「うーん。やっぱり、痛むみたいです。夜は特に酷いみたいです」

 

「うむ……。山は底冷えするからな……堪えるんだろう」

 

 

父の体には隻眼との死闘で負った傷跡がいくつも残っている。

 

激痛により夜も眠れずに呻く父の姿は、秋嵐や家族にとっても辛いものだった。

 

 

「……なあ、お前さん達は町で暮らす気はないか。山よりずっと暮らしやすいだろう」

 

真面目で利発な秋嵐なら町でも問題なくやっていけるはずだ。

 

家や仕事の心配があるなら自分が口利きしてやっていいとすら、老爺は本気で思っていた。

 

 

「……」

 

秋嵐は老爺の申し出に言葉を詰まらせる。

 

申し出自体は非常にありがたいものだった。

 

だが、その温かさが秋嵐の胸をひどく締め付ける。

 

 

(…無理だ)

 

(俺たちはあの山で()()生きられない……)

 

 

秋嵐は深い息と共に本音を腹の底へ飲み込んだ。

 

一拍置いてから顔を上げた時、彼の口元には人懐っこい笑顔が貼り付けられていた。

 

 

「……。ありがたいです」

 

「……でも、父も母も皆、あの山で生まれ育ちましたから」

 

 

老爺は秋嵐の言葉に耳を傾ける。

 

 

「俺もあの山が好きなんです」

 

 

脳裏に浮かぶのは、霧に包まれた山々。

 

皆が身を寄せ合うようにして、お互いに助け合いながら暮らす平和な村。

 

 

「確かに不便だけど……あそこが俺たちの家だから」

 

 

 

 

 

用事を済ませた秋嵐はいつもの店で昼食をとっていた。

 

ふぅふぅと湯気の立つ鳥粥を啜りながら、先ほどの薬屋の店主の言葉を反芻する。

 

 

「町で暮らす……か」

 

(……いや、そんなの無理だ。できっこない)

 

 

自分達が町で暮らす上で絶対に超えられない根本的な問題……。

 

 

(……俺達には戸籍がない)

 

今日だって“袖の下”を渡さなければ、城の中に入ることすらできなかった。

 

薬屋の店主は「町で暮らせ」と言ってくれた。だが、国に属さない自分たちが、この陽の当たる場所で真っ当に生きる術はないのだ。

 

 

《嵐よ。よく覚えておけ》

 

ふと、死んだ祖父の言葉が蘇る。

 

《この村にいるのは、我らのような祖国を滅ぼされた“霧の民”だけではない。戦から逃げた兵、国を捨てた難民……法の下から弾き出された者たちだ。だがな、だからこそ、皆この平和を何よりも大切にしている》

 

深い霧と絶壁の谷に隠された訳ありの者たちの隠れ里。

 

平地の者から見れば、決して存在してはならない不法者達の集落かもしれない。

 

だが、秋嵐にとってはそこが唯一の故郷であり、愛する家族の待つ家なのだ。

 

 

 

 

勘定を済ませると、朝来たばかりの城門を再び潜る。

 

振り返ると、そこには分厚く高い壁を持つ巨大な城郭が聳えていた。

 

 

(……何かあったとしても、俺たちはここに逃げ込むことはできない)

 

もし本当に大戦が起きて、この辺りまで戦火が広がったとしても、国は自分たちを守ってはくれないのだ。

 

 

町から離れ、再び険しい山道へと足を踏み入れる。

 

徐々に周囲の空気はひんやりと冷たくなり、やがて白い霧が視界を覆い始めた。

 

この深く冷たい霧の底に俺の帰る場所がある。

 

 

(どんな嵐が来ようと……俺が、家族を、……皆を守るんだ)

 

 

 

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