だからどうというわけでもないですが。
よろしく!
それは名状し難い、異形の物体。
幾重にも重なり、回転する歯車。逆様にぶら下がった嗤う女。曇天に浮遊する混沌。空を裂くような巨大な力の物体は、ここでは『魔女』と呼ばれている。
果たして果敢か無謀か、髪が長く線の細い少女が、魔女に突撃した。魔女は敵意を感じ取って――否、敵意など関係ない。その魔女はただ壊すだけ。壊し易そうなものから、手当たり次第に壊すだけ。だから魔女が飛来する少女に向けて高層ビルを放ったのは、『仕方がない』ことなのだ。
建造物と衝突する瞬間、少女は一瞬その姿を消し回避する。続けざまに放たれる火の矢も躱し、防御する。しかし巨大な質量と火力を誇る魔女の前には、防戦一方という言葉も長くは用いられない。やがて少女は、突撃する逆の方向により速いスピードで弾き返されることになった。残骸に叩きつけられ、コンクリートに力なく横たわる。
少女は、叫ぶ。
痛みや恐怖に起因する、悲鳴でも雄叫びでもない。魔女から目線を外し、とあるビルの屋上で惨劇を見つめる、一人の少女に向けての懇願の叫びであった。
「諦めたらそれまでだ」
インキュベーターは。
「でも、君なら運命を変えられる」
白いけだものの姿をした彼は、屋上の少女に呼びかける。
「避けようのない滅びも、嘆きも、すべて君が覆せばいい。そのための力が、君には備わっているんだから」
「本当なの?」
髪の長い少女が、力無く垂直に落下する。
「わたしなんかでも、本当に何かできるの? こんな結末を変えられるの?」
何度でも。
「もちろんさ。だから――」
何度でも繰り返される。
「僕と契約して、魔法少女になってよ」
何度でもこの地獄は繰り返される。何度でも世界はこの少女に蹂躙される。
だから、僕は決めたのだ。鹿目まどかがこのとき頷いたように、僕もまた、一つの想いを決断した。
こんな結末を変えるために、何かをしようと思ったのだ。
願い、戦い、そして死んでいった魔法少女たちのように。
理を壊す、願いを抱いた。
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木漏れ日、という表現が似つかわしいのだと思う。
僕はベンチに腰を掛けて、昨日図書館でレンタルした長編小説を捲っていた。読書は嫌いではないのだが、なかなか内容に集中できないのが悩みである。とりわけ小説なんか、いちいち登場人物の把握や感情なんかを考えていては、ろくにページが進まない。正直なところ、指南書や辞書の方が好ましい。よっぽど執筆者の意図が理解できる。
午前七時五十分。中学校への通学路となっている木漏れ日の道では、今日もベージュの学生服を揃って纏った少年少女が歩いて行く。笑い、はしゃぎ、僕は彼らのそんな天真爛漫な姿を、最近ではまるで何かを取り繕うようだと感じている。
「――でね、ラブレターでなく直で告白できるようでなきゃダメだって」
川を挟んだ対岸の舗装路で、僕は鹿目まどかを発見した。彼女も他の中学生と同じく、美樹さやかと子供の様にじゃれ合い、笑う。ただ他と違うのは、彼女の笑顔には誤魔化しや虚偽が秘められているようではなく、心から現状を楽しんでいるような印象を感じたということだ。
だから、恐ろしいのだ。
純粋だからこそ、あそこまでの才能を持っているのだろう。その人間を形成するのは生きてきた環境だと聞いたことがある。僕は自嘲気味に鼻を鳴らす。ならば『彼女』は、どこまで時間軸を遡ればいいのだろうか。幼い鹿目まどかの優しい家庭を弄び、鹿目が純真さを持つことがないまでに破綻させれば、その素質を殺すことができるだろうか。
「――ふん、それこそ本末転倒だが」
『彼女』が望んでいるのは、あくまでも無垢で優しい鹿目まどかだ。そうでない鹿目など、『彼女』にしてみれば無意味な人間に成り下がる。
適当に文章を呼んでページを捲ったところで、通りかかった黒髪の少女に気が付いた。思い浮かべたところで、早速である。
「よう、暁美」
僕の挨拶に、しかし『彼女』――暁美ほむらは冷ややかな視線で応答した。
「おはよう。いい天気だな」
「……また、あなたがいるのね」
作り上げたフランクさはすっかり見透かされている。会話が噛み合わないのは悲しいので、こちらから彼女に合わせることにした。
「まあ、な。きみがリセットしたから当たり前だろ。ページの先では死んでいる人間も、ページを返せばまだ生きている。巴も、美樹も、佐倉も、きみもな」
冷たい目線を外し、彼女は深く溜息を吐く。たぶん暁美は、僕が鬱陶しいのだ。時間を操作する彼女の魔法で、僕だけがそれを認識できる異端だから、この存在が厄介でしょうがないのだろう。
「まあ、本と違って先は決まってないようだがな。この時間軸できみは何をしでかしてくれるのか、ほとほと読めないぜ」
「……インキュベーターを探しているわ」
「――ふうん。殺すのか?」
「そうよ。まどかと接触する前に」
無表情のまま、暁美は長い黒髪をかき分ける。まるでカーテンのようだ。なるほど、記憶を辿るに以前よりは『慣れた』感じがある。
「無駄だと思うがね。奴は何体もの代替品を持っている。何度殺せば、死んでくれるだろうな」
「何度だって関係ない。限りはあるわ」
ここまで来ると、意地を通り越して生き様にも見える。やれやれ、と小さく僕は嘆息してみせた。
「ねえ、あなた言ったわよね」
「……何て?」
「『今とは違う自分になればいい。そうすれば全てを失うことができる。きみは暁美ほむらのままでいなくたっていい。今からは、これからは』」
そうだっただろうか。この時間軸では僕と彼女は初対面の筈だから、きっと前の時間軸での話だろう。さすがの僕も別の時間軸での発言をはっきりと記憶することは出来ないので、言ったかどうかなんて知るわけがない。
「どうせ憶えてないのでしょうけど――私の答えは変わらない。私は違う自分になんてならない。まどかを失うつもりはない。私は暁美ほむら。今まで通り、これからも」
再び彼女は歩みを進める。僕に背を向けて――意趣返し、なんて性格の悪い発想だろうか。僕は彼女の背中に、もう一度だけ声を掛けた。
「ああ、憶えているよ。確かに僕は、きみにそう言った」
瞬間。
まるで暁美は玩具を見つけた子供のように、驚愕と歓喜が混ざった表情でこちらを振り返った。無表情も冷たい視線も、すべてその場で落としてしまったように。
「嘘だよ」
そういう顔が、見たかったんだ。僕は「べっ」と舌を出す。
「お前は甘いな、ほむら。そうやってぶら下がった餌に飛びつくようだから、失敗するんだ。今まで通り、これからも」
「……あなたから始末してもいいのよ」
冷たい印象も無表情も取り戻してくれなかった。反対に、暁美は激情に不愉快の極まった表情を向けて僕を睨みつける。片手に黒い宝石を携えて。
「やめとけ。あのインキュベーターと同じだと思ったら大間違いだぜ。きみならそれを、痛いほどよく分かっている筈だ」
「……やっぱり憶えているじゃない」
「今のは出任せ。なるほど、やはりきみはいずれかの時間軸で僕と衝突し、敗北を喫したというわけだな」
「安い挑発ね」
「まったくだ。でもそれで反応してくれる子がいるんだもんな」
「………………」
まるで深呼吸のように、暁美は深く溜息を吐く。冷静さを取り戻してくれたようで、その手に握った黒い宝石を少し乱暴ではあるが、懐に収めた。
「相も変わらず、反りが合わないな」
「あなたの態度に問題があるのよ。人の神経を逆撫ですることに関しては天才ね」
「僕が意地悪をするのはきみだけさ。そういう、年相応の可愛らしい顔が見たくてね」
不愉快そうな暁美の表情は、有象無象な中学生よりもよほど正直であった。そんな僕の感想に何を抱いたかは知らないが、彼女の頬が紅潮する。呼吸でも止めたのだろうか。
「……そういう、のを、逆撫ですると、言っている、のよ」
「具合が悪いのか?」
よほど激昂しているのか――可愛いと言った件に関しては嘘だったのだが、打ち明けるタイミングを失ってしまった。僕の危機察知能力も時間を巡った感覚で強化されているのだろうか。口に出さない方が吉な気がした。
「ほら、早く行かないと遅れるぞ。転校生が遅刻じゃ印象最悪だろう。勉強もスポーツもしっかりやりな」
「呼び止めたのはあなたよ。それに、授業に関しては何の用心も不要だわ。私がどれだけ同じ内容を繰り返したと思っているの――どれだけ、同じことを繰り返してきたと思っているの」
最後は少し悲しそうな声色になったと思うと、今度こそ暁美は速足で去って行った。
「ふん。前の時間軸の僕は、よほど優しかったのかもな――さて、今度は上手くやれるかね」
何から何まで覚えていないと言うと嘘になる。酷く断片的に、表現できないほどにぶつ切りだが微かに記憶が残っている。もちろん、僕が彼女に向けた言葉なんて1ピースくらいしかないのだが。
まるで夢だ。
微睡の中に脳に浮かぶ、記憶を合わせた奇妙な寸劇。
「そういう意味では、僕と暁美は夢の中で逢っていた、ということか……」
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「あっ」
夕日も沈んでしまった街で、僕と少女の肩がぶつかった。ベージュ色の制服の少女は少しよろめいて、反射的に、むしろ攻撃的なほどのスピードでこちらに頭を下げる。
「す、すすっ、すいません!」
「いや、いいんだ。こっちこそすまない、余所見をしていて――大丈夫だったか?」
穏和な声を作って少女の肩に手を置く。少し驚いたようだが、申し訳なさそうに鹿目まどかは顔を上げた。
「は、はい。私は大丈夫です」
「あーあー、何やってんだよまどか。すいません、この子こういう可愛いところありまして……」
鹿目と共に歩いていた少女、美樹さやかは強制的に場を和ませるつもりか、快活に笑って鹿目をフォローしていた。
「もう、さやかちゃん!」
鹿目は口を尖らせ、そしてまた僕に「本当にすいません」と謝った。
「いいって。お互い怪我をしたわけでもないし。――きみたち、中学生かな」
「あ、はい」
まだ十九時にもなっていないが、一応「夜遊び」に分類される時間帯だ。二人は少しバツが悪そうな表情を浮かべたが、今回はそれを注意するような独善的な人間を演じるつもりはない。努めて柔らかく笑う。
「大人になんかなっちまう前に、たくさん遊んでおきなよ。それじゃ」
踵を返して手を振る。仕込みは上々。人間は自らを肯定する人間を好み、印象に残す。まさか僕の存在を記憶させるのが目的ではない。鹿目はもちろん、美樹も魔法少女として望ましい候補だが、それとこれとは関係ない。彼女たちを魔法少女にするのは『あいつ』の仕事である。
近くの街灯の柱に寄りかかって、振り返り二人に目を向ける。鹿目と美樹はCDショップに入って行った。時計を確認すると間もなく待ち合わせの時間である。あと少しは待つことになるだろうと本を取り出そうとした時、彼は現れた。
「はぁ――はぁっ」
白いけだものの姿をした、小さな生命体。インキュベーター、この地球では『キュゥべえ』なんて呼ばれている彼は、全身を傷だらけにして待ち合わせ場所に参上したのである。
「いい格好だな」
僕の軽口に彼が不快を抱くことはない。感情という面では僕よりも希薄で、無表情という面では暁美を遥かに凌駕するのが彼らの特徴だ。
「事情を知っているのかい、あなたは」
辺りを警戒しながら『キュゥべえ』は僕に問う。
「お前を追い立てているのが『暁美ほむら』という少女だと言うことは、少なくとも知っているよ」
「暁美ほむら――彼女が何者かは知っているのかい?」
「お前に言う義理は無い。とっとと助けを求めて、誰かに守ってもらうといい。幸い、ここらには『あの』鹿目まどかがいることだしな。あそこの店だ」
なるほど、と彼は頷く。『キュゥべえ』は狡猾と評せるほどに賢いのだが、さすがに知る者と知らぬ者とでは僕の方が上手だ。上下関係も手伝って、だが。
「彼女が僕を助ける確証があるというのは、本当なのかな」
「そういう風に仕込んだ。鹿目は今、機嫌がいいからな。ちょっとくらい無茶したり、冒険してもいいくらいに。お前ももっと人間を勉強するべきだよ、『キュゥべえ』。ミスリードなんて詐欺手法を使わずに、さ」
「あなたほどに人間を理解している方が異常だと思うけどね。十分、人間でも通じるよ」
言ってくれる。僕は『キュゥべえ』を睨み付けるが、彼は首を傾げて躱す。
「いいさ――テレパシーも使い様だ。ほら、早く逃げろよ。暁美が来る」
「了解だよ。アドバイスをありがとう、なはと」
感謝の欠片もこもっていない言葉を残して、白いけだものは去って行った。とりあえず、これが第一段階。彼が鹿目まどかの善意に乗っかり「助けて」と懇願すれば、鹿目は魔法少女への――そして上手く事が運べば、あの場所に巣食う魔女への接触も可能だろう。少なくとも手下くらいには引っ掛かってくれなければ。
そしてあいつが助ければ、作戦成功である。僕は携帯電話を取り出し、アドレス帳から電話を掛けた。耳にあてて3コール。彼女の応答はいつだって早い。
「もしもし、巴。助けてくれ」
きみならきっと、良い先輩になってくれるだろう。
『もちろん。すぐに行くわ、なはとさん』
きっと、良い先輩を演じてくれるだろう。
情けないことを言うようですが、変なところがあったら指摘してくださいね。
何せ初めてなので、けっこう不安です。
面白かったらよかったな。