「あたしはさ、まあいっかって思ってるんだ」
ファミリーレストランの一席で。
鉄板の上で音を立てて熱せられる、牛の肉を頬張りながら佐倉杏子はようやく口を開いた。当然、僕は食事なんか摂取せずにドリンクバーをひたすら網羅する。
「こういう身体の方が便利だし――そりゃもちろん、こんな気味の悪いゾンビになっちゃって、嫌っちゃ嫌だけどさ。これで帳尻は合ってる気はするんだわ。何つうか――食材?」
「字が違わないか」
たぶん、贖罪だ。
「人を越えたからこその罰っていうかさ。それじゃなくても、あたしには後ろめたい罪がある。一番大切だった筈のものを壊した、『罪』がさ」
「だから、納得できるというのか。現状に」
佐倉は苦笑を以てして応えた。鉄板の肉を平らげると、再びメニュー表を手に取る。
「兄貴、もうちょっと頼んでいい?」
「いいよ。好きなだけ食べな」
さしずめこれが僕の贖罪だ。注文からほどなくして、アイスクリームの乗ったアップルパイが運ばれてきた。佐倉は小さく歓声を上げてアップルパイにフォークを立てる。よく食べ、よく笑う。一見して荒々しくも見えるが、食事の時はなかなかどうして、所作が丁寧だ。僕も不勉強な方だが、テーブルマナーは出来ている、ように見える。
「でもさあ、佐倉。それは妥協だろ?」
「……まあ、そうかな。妥協だな」
「それじゃ嘘と同じだ。嘘の気持ちを向き合えるのか? それほど器用じゃないだろ、人間は。『気持ち』というものに関しては正直でないと、身を滅ぼすぜ」
抑圧に、潰される。
「嘘……ね。まあでも、もう妥協するしかないんじゃねえのー? 魔法少女を人間に戻す術なんて、どうせ無いんだろうしさ。だったら『まあいっか』しかないだろ。それとも兄貴は、ここであたしが駄々をこねて暴れてくれれば嬉しいのかい?」
「困る」
「だろ? それに少なくともあたしには、妥協できる条件があるしな」
口元にパイの食べかすを付けたまま、佐倉は快活な笑みを向ける。
「兄貴がいる」
「………………」
「人間じゃないけど、死体みたいなもんだけど、この世に兄貴がいてくれる内はどうにかなるさ。たまに飯奢ってくれて、修行の面倒も見てくれるしさ。それだけで十分、あたしは幸せ者さ」
「それは――僕がいなくなっても同じことを言えるのか?」
以前、巴マミにこれを告げたことで『別れ』は始まったんだっけ。僕は魔法少女を管理する者。長々と同じ土地に留まるわけにはいかない。それに、一人の魔法少女に贔屓してもならない。
「言える。分かってるよ、兄貴はそろそろ移動しなきゃだろ」
「ついてくるとか言うなよ」
「あはは、言わねえって。ついてっていいならそうするけどさ、それじゃ兄貴困るだろ。あたし、兄貴に余計な迷惑だけは掛けたくねえんだ。大事だからな」
「……佐倉」
いやいやいやいや。
きみ、出会ったら攻撃的なハグをしてくるじゃないか。
匂いを嗅いだり噛んだりしてくるじゃないか。
迷惑だよ。
「兄貴ー、あーんして」
「言った傍から……」
佐倉は僕にフォーク渡す。
「あ、僕がするのか」
「だって兄貴、食いもん苦手だろ? あーん」
「えい」
鼻に入れてやった。
「食い物を粗末にするんじゃねえ! 殺すぞ!」
怒られてしまった。
そして佐倉はしっかりと、自分の鼻を経由したアップルパイを咀嚼する。感服するほど凄まじい、食に対する根性。やはり佐倉の志は、他の魔法少女とは一線を画している。
「依存するつもりはねえよ。たまに会ってバトってくれればそれで満足さ」
「無欲なんだな」
「贅沢さ」
嘘ばかりだ。佐倉杏子には『望む力』が欠如している。それは自らが望んだが故に、家族を亡くしたことに起因しているのだろう。行き場を失った欲望は食欲に誘われる。
誰よりも哀れなのは、佐倉なのかもしれない。
――否、もっと凄いのがいるか。
「暁美と仲良くなったんだよな」
「まあ、なったな。でも約束破っちまったから、ちょっと険悪だけどさ」
「次は美樹と友達になれるか?」
佐倉はアップルパイを平らげた。ドリンクバーのジュースを飲んで、満たされたように一息吐く。それはまるで、溜息のようだった。
「いいよ」
そして、頷く。
「気は進まねえけど、今の気分なら歩み寄るのも悪くない」
同気相求――人間は孤独にならないようにできているようで、自らの共通点を持つ相手には心を許す。許そうとする。きっと佐倉は、美樹に昔の自分を重ねているのだろう。誰かの為に祈り、やがてすべてを失った自分に。
「あいつがあたしの食い物を受け取ってくれるのなら、その時は友達になってやるさ」
美樹さやか。ここがきっと、きみの分岐点だ。佐倉杏子を受け容れるか否かで、きみを生かすか殺すかが決まる。
「ありがとな、佐倉」
「止せよ、照れるぜ」
だけどいつだって物語は、悪い方へと傾く。
疫病神の正体は――僕か、暁美か。
「あ、フライドポテト頼んでいい?」
「まだ喰うか」
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今頃、美樹と佐倉は二人で腹を割って歓談しているのだろうか。そんな戯言めいた想像をしていると、僕は鹿目まどかを見つけてしまった。
夕暮れの河川敷。
死体が遺棄されているのかと思った。それほどまでに彼女には生気がなく、つまり誰の目にも明らかなほどに意気消沈していたのだ。この僕をしても、声を掛けることが憚れるくらいに。
「……ふん」
当たり前だ。特に、僕が易々と声を掛けていいものじゃない。彼女からしてみれば、『彼女たち』からしてみれば、僕なんか『キュゥべえ』と一緒に自分たちを騙していた悪の使者なのだから。今更、どの面提げて「よう」なんて声を掛ければいいのだ。
「よう、鹿目」
掛けるよな、まあ。
「あ――なはとさん」
「何をしているんだ、こんなところで。もう日が落ちるぞ」
「……ちょっと考え事を」
「ふうん」
わざと図々しく、鹿目の隣に腰を下ろした。そこまで近い距離ではなかったが、彼女は肩を震わせて恐れた。以前にも言っていた、『男性慣れ』していないからだろうか。否、これはやはり……。
「なはとさんは……知ってたんですよね」
「そりゃあな」
「………………」
「責めていいよ」
言うと、鹿目は言葉を詰まらせた。狡かっただろうか、糾弾を許せば途端に人は沈黙する。そういうものだと、知っているのだ。
「何で、こんなことするんですか?」
「感情のエネルギーを集める為だ。宇宙に喰わせるために、な。それくらいは『キュゥべえ』から聞いているだろう?」
「でも――だからって」
「効率がいいってことだ。低コストで高エネルギーを大量に収集できる――そりゃ、立場上被害者であるきみたちはたまったもんじゃないだろうけどさ。もっと広い目で見れば、その犠牲も『仕方ない』だろう」
「……なはとさんは、理解しているんですね」
うん?
理解?
「わたしたちの葛藤を、憤りや悲しさを、理解してるんですね。『キュゥべえ』と違って」
「そりゃ、あいつより高尚なつもりだからな。奴らは――そう、機械みたいなものだ。だから感情を求めるなんて絶望的だし、あくまでも行動理由は『仕事』でしかない」
本来、僕だってそうである筈なのだけれど。
「だからあんな奴と論争したって時間の無駄……」
「わたし」
何かが破れたように。
うっかり引き金が作用してしまったように、鹿目は口に出してしまった。
「なはとさんの方が、恐いです」
「………………」
「理解しているのに、それでもお仕事を続けるなんて……『仕方ない』だなんて、そんなのキュゥべえより酷いよ。マミさんもさやかちゃんも、なはとさんのことをあんなに信頼していたのに……まるで裏切りじゃないですか」
随分、はっきりと物を言ってくれる。そうだ、失念していた。鹿目まどかはただの臆病者ではない。誰よりも正義。誰よりも純粋。だからこんな風に、ついに面と向かって糾弾をしてしまえるのだ。正しく美しい主張を。
「暁美にも同じことを言われた」
「ほむらちゃんが?」
「ああ、きみらは分類は違うけど似てるよな。何というか……『感じ』が」
思わず『甘い』とか『世間知らず』なんて口走りそうになったのを抑える。この少女は魔法少女ではない。僕の弟子でも、手駒でもない。この時点において、ただの人間なのだ。
まだ。
「……どれ、せっかくだ鹿目。お兄さんと少し、お話をしようじゃないか」
「おはなし?」
む、胡散臭い台詞回しだったろうか。まあいいや。
「僕は魔法、全部使える。だから、こういうこともできるんだ」
優しく、唐突にならないように、緩慢にならないように、極めて自然さを心掛けて彼女の肩に手を置いた。
瞬間移動をした。
「――え!? あの、ここって……」
「ここならゆっくり話せるだろう。大事な話もな」
巴マミの部屋だった。
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魔法少女として死亡した巴マミは、現実の世界では行方不明者として目下捜索されて『いない』。僕にできるのは精々、そうやって事実をあやふやに誤魔化すことぐらいだ。あとは、彼女の部屋を綺麗に、さながらモデルルームのように掃除することだろうか。
綺麗な部屋で、僕と鹿目はテーブルを挟んで向かい合っていた。
「……『どこでもドア』みたい」
「何だ、それ」
「知らないんですか?」
「教えなくていいからな。響きからして、どうでもいい話のような気がする」
夕焼けの差し込む部屋。本来、時を刻むべきものである壁時計は、その針を止めてしまっていた。この部屋の時が止まったように。
「『キュゥべえ』に感情は無い。ここまではいいな」
「はい。ちょっと信じられないですけど……」
そうだろうか。まあ、あいつは僕と同じで演技のようなものをしていたから、鹿目の認識もむべなるかな。
「そこは信じてもらわないと、捗らないなあ。僕にも心が無い、って話をするのに」
「え……?」
「無いよ。僕と『キュゥべえ』は分類的には同じものなんだ」
知的生命体がおよそ人間しかいないこの地球では理解しがたいだろうが、つまり上位種と下位種。上司と部下。主人と奴隷。たぶん、そのような関係性だ。
「だから僕にも心は無い。だが感受性までいかれているわけじゃないから、あいつみたいに『わけが分からない』なんて頭ごなしに否定ができるわけでも、ない。――だから勉強させてほしい、鹿目」
そもそも、ずっと前――別の時間軸においても、僕は鹿目まどかに対してそういう不信感を持っていたのだろう。鹿目まどかは『他』とは違う。一線を画している。歪だ。
「何できみが、傷ついてんの?」
歪で、神々しくて、気味が悪い。
「え――どういう意味ですか?」
「だから、美樹のことだよ。それとも暁美や佐倉の話? 巴でもいいな。とにかく、魔法少女の真実に関してだ」
魔法少女――もはや人と呼ぶことが難しい存在。魂をソウルジェムというちっぽけな器に移動させた戦う屍。
「何で、きみが傷ついてんだよ。当人じゃないだろ」
鹿目まどかは魔法少女ではない。
徹底して、どこからどう見たって人間だ。無力で真っ当な、人間だ。
「だ、だってさやかちゃんは友達で――」
「分かるよ。友達が『あんなん』になっちゃったら悲しいよな。だけどきみは違うだろ。『あんなん』になってないだろ。そりゃ、美樹のことを悲しむべきなのも大事なことだろうよ。だけどそれよりも先に、きみは考えるべきなんだ」
利己的であることは、決して悪いことではない。
生き物として至極真っ当な神経だ。
「『魔法少女にならなくて、良かった』ってな」
鹿目の顔が、まるで色を零したように蒼白に染まる。
気付いたのだ。気付いてしまったのだ。きっと心のどこかに転がっていたであろう、『その感情』に。
邪悪な安堵。気付いてしまったら、それはもう広がっていく。
「な、なはとさん。でも、それは――」
「それは当たり前の感情だ! そうだよなあ、なんなくて良かったよな! みんなみたいに望みが無くて良かった! 煮え切れずに渋っていて良かった! 危ない時もあったけど、代わりに魔法少女になってくれた人のおかげで助かった! ああ、良かった良かった! そうだろう、鹿目まどか!」
「ちがっ、違います! 違うの!」
悲鳴のような声が、寂しい空間に響く。彼女に詰め寄る僕は、脅迫するように凝視する僕は、外側から見れば立派な犯罪者だ。だがそんなことはどうでもいい。僕はどうしようもなく、加速していた。
「違う? そうでもないだろう。人間はみんな、自分が大事なんだ。きみも何ら変わらない」
「違う……違うよ……わたしは、わたしなんかより、さやかちゃんの方がずっと大事だもん! 昔からずっと親友だもん! 自分よりずっと優先できるよ!」
鹿目は涙さえ流し、訴える。今更、色の無い血液を見せつけられたくらいで動じる僕ではない。
「親友――か。きみはそいつが間違った時に正してやるのが親友だって、そう考えてるんじゃないだろうな」
「……さやかちゃんは、間違ってません。正しいよ。だからわたしが間違ってでも……」
「御託は要らない。ただな、そいつが間違った時に、一緒に間違ってやるのが親友だ」
知らないけれど。
きっと、それは単なる仲好しごっこではないのだ。ひたすらに味方であること。どんなことがあっても、世界が敵でもそいつの味方になってやることが、親友の条件ではないだろうか。心無い、僕の考えだが。
「だから鹿目。きみが本当に悲しいというのなら、美樹が大事だというのなら」
加速している。
暴走している。
もう、計画とか順序とかすっ飛ばして。
一気に押してしまおうか。
「魔法少女になっちゃえよ」