巴マミ。見滝原中学校三年生。
そして、インキュベーター通称『キュゥべえ』と契約した魔法少女。ソウルジェムのカラーはオレンジ。武器はマスケット銃。必殺技は「ティロ・フィナーレ」。願い事は、命。
夕焼けの浮かぶ時間帯に、僕は彼女の部屋を訪れた。
「あ! 昨日の!」
巴の作った洋菓子を楽しんでいた美樹は、僕を見るや否や無礼に指差した。彼女はどの世界でも相変わらずだ。性格というか、性質が。
「あら、知り合いだったの?」
巴は僕の分の紅茶をカップに注ぎながら首を傾げる。「まあな」とおざなりに応えた。
「えっと、昨日は、どうもすいませんでした」
「謝らなくていいよ、鹿目。それに美樹も、そう警戒することはない」
二人の少女は顔を見合わせる。恐らく疑問は四つ。どうして自分たちの名前を知っているのか、どうして巴マミの部屋に参上したのか、そして昨日とは人格というか、様子が違うことと、そもそも何者か。
「彼は、なはとさん。私たち魔法少女の管理人で、魔法の使い方や戦い方を教えてくれる人よ。私もお世話になったものだわ」
「過去形だな、巴。今は大丈夫だとでも? 無駄な動作が多いのは頂けない」
「もう、やめてよ。後輩の前で」
紅茶とケーキが出される。僕はどうも人間の食べ物が苦手なのだが、そのことは彼女には伏せている。熱い紅茶を口に含んで、まだ混乱している鹿目と美樹に向き直った。
「謝るのはこっちの方だ。すまない、二人とも。魔法少女に『なれそうな』きみたちにコンタクトを取りたかっただけなんだ」
「え? じゃあ、関係者ってことなんですか? えと、魔法少女の」
「あ、なーんだそうだったのか。あはは、すっかり騙されちゃったね」
今の説明で本当に警戒心を解いてしまったのか、美樹は明るく笑った。巴はどんな優しい説明をしたのだろうか。それとも対価に出来る「願い」に関心が持って行かれてしまったのか? 彼女はどこか楽天的で、これでは『使えるか』どうかも微妙である。
「私からもごめんなさい。なはとさんはこういうところがあるから」
何故か巴も頭を下げた。
「でも、二人を助けるように私に指示をくれたのは、なはとさんなのよ」
「え、本当ですか?」
下らないことを教えやがって。必要以上の信用を抱かせるわけにはいかないのだが――しょうがないので、僕は「まあ」なんておざなりに応えた。
「うわ、じゃあ命の恩人だ。このご恩は一生忘れません!」
「もう、さやかちゃん……でも本当にありがとうございます。わたしたち、あのままだったらどうなってたことか……」
どうなってたことか、ね。
それをもっと明確に想像できれば上等だ。
「死んでただろうな」
一瞬、沈黙が訪れる。
「比喩でも誇張でもない。魔女は、人間を殺すぞ。だから願いに釣られて生半可な覚悟でなるようなものじゃない」
テーブルの傍らの『キュゥべえ』を一瞥する。彼はとぼけるように尻尾を振った。
「だから、マミさんの魔女退治に、同行すべきってことですか?」
その話を聞いているのならば、話は早い。
「ああ、そうだ。決断が出来たら、僕のところに来るといい。一端にはしてやるさ」
「そうだね」
白いけだものはそのまま話に入ってくる。
「彼はどんな魔法も熟知している。君たちでいうところの『師匠』となってくれる存在だろうね」
彼はわざわざ彼女達に合わせるように、「にっこり」と気持ちの悪い笑みを浮かべた。作り笑いを他者がしているのを見ると、こんなに胸糞悪いものなのか。
「何せ彼は、すべての魔法を使えるのだから」
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ちなみに『キュゥべえ』はその後を観察するために鹿目の下で生活するらしい。巴の部屋を出る際、彼女は僕の袖を掴んだ。
「……なはとさん」
「今日はよく頑張ったな、巴」
大人びた余裕のある微笑を放棄して、彼女は上目遣いで、甘える愛玩動物のような目で僕を見る。嫌悪感を隠して、僕は彼女の巻かれた髪を軽く撫で、頭に手を置いた。
「きっと仲間になってくれるさ。それまでちゃんと、先輩でいてやってくれ」
「うん、分かってる。分かってるから――」
「それじゃあな」
軽く彼女の手を振り払って、僕は巴に背を向けた。
振り返らなかった。
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喫茶店でコーヒーを飲んでいる最中、窓の外に奇妙な人間を見かけた。
呆けたように歩く、黒髪のOLらしき女性。周囲の人間と肩がぶつかることも厭わない。そして彼女の首元には、真っ赤な『魔女の口づけ』が刻まれていた。
「……へえ」
果たして巴は彼女を救うことが出来るのか――まあ、『薔薇園の魔女』程度ならまともにやり合って負ける要素はない。先輩としての働きとしては、まずまずの相手になり得る筈だ。僕は手元の図鑑に目を戻した。
視線を感じたのは、それからまた十分ほど後のことだ。
「う」
窓越しの、かなりの近距離に暁美がいた。いつものような冷たい目で、僕を凝視している。
怖えよ。
だからきみは悪者扱いされるのだ。
入店してくる様子がないので、図鑑を閉じ、会計を済ませて喫茶店を出る。出入り口で暁美は待ち構えていた。だから、怖いって。
「入ってくればいいのに。コーヒーくらい奢ってやるぜ」
「今日、クラスメイトから喫茶店に誘われたわ。でも断った」
彼女は長い黒髪を、どこか気取ったようにかき分ける。どうして中学生というものはこうも必要以上に格好付けるのだろう。巴にしても。
「なのに他の人間と喫茶店に入るなんて、何とも不義理な話じゃないかしら」
「……そうだな。そうかもな」
僕が人間ではないということを、きっと彼女は失念している。僕は今まで巡って来た時間軸のことをほとんど覚えちゃいないけど。感覚としては、無意識にその経験は反映されているようだ。いつしか身に染みたこの人間性が、暁美から事実を失念させているのだろう。
「少し歩こうか」
暁美を横切って、僕は遅めに足を進める。反論は無いらしく、彼女は黙ってついてきてくれた。今日は素直だ。機嫌が良いのだろうか。
「まどかに接触したのね」
「ああ。美樹にもな」
「まどかを助けて」
美樹も、と付け加えた僕の配慮も空しく、やはり暁美は鹿目まどかしか見えていないようだ。僕は溜息を吐いて、足を止めて振り返る。
「まだ僕を頼るという発想があったとは、ほとほときみには驚かされるよ、ほむらちゃん」
暁美は反射的に眉間に皺を寄せた。そんないつもの表情を確認したところで、僕は再び前を向いて歩みを進める。
「あなたにはすべての魔法少女を屈服させられる力があるわ」
「だからどうした? それをきみなんかの為に使えと?」
「まどかのためよ」
「違うね、きみのためだ。それはきみの欲求だ」
見失うなよ、と声色を低くして声を掛ける。彼女が歯を喰いしばった、ような気がした。
「まどかを止めることは、あなた達にとってもメリットになるはずだわ。あれほどの魔力、インキュベーターの手には収まらないでしょう」
「ああ、その辺りは僕の管轄外だ。たとえこの太陽系が飽和して崩れ去ろうと、その責任は別の部署にある。逆に言えば、そいつらがしっかりしてれば大丈夫ってことだな」
「あなたは何もしないの? 何もしないままで平気なの?」
「もちろん」
橋の上に差し掛かった。下を流れる川の水面に、僕と暁美が映っている。暁美は何かに耐えるように、拳を握りしめて俯いていた。
「――確かに、僕には漫画の二次創作のオリジナル主人公みたいに『何でもできる』能力と、その権限が与えられている」
「……? 何の話?」
「いや、まあ、インターネットを勉強した時の話」
果たしてああいうサイトがマイナーなのか、それとも特定の人間しか楽しめない所為なのか。
「だけど僕は、そういうキャラクターみたいに優しい人間にはなれない。その上、欲望のままに行動できる人間でもない。もちろん、誰かに言われて愚直に動くような人間でもな」
愚直、という表現は言い過ぎだったかもしれない。ただここではっきりさせておきたいのが、僕は他人の言うことに従うことはない。だから利用することは出来ない、ということだ。
「だったら」
暁美は川に目を落とす。――目線を遣ったという意味で、眼球を落下させたというわけではない。
「だったら私は、どうすればいいの」
その震える声は、僕に縋るものではない。一つの可能性に見放され、思わず彼女の口から零れた、何よりも正直で悲痛な悲鳴だった。
「……色んな可能性を試したんだろう」
橋の欄干に寄り掛かる。
「色んな失敗をしてきたんだろう。だが、失敗程度でそのプランを棄てるのは、考えが足りないんじゃないのか? 集団が嫌いなのは分かるけど」
「――どういう意味よ」
「悪者ぶる必要があるのだろうか、と問いたい」
また怒りを孕んだ瞳で、暁美が僕を睨む。
「懐柔策なんて上手く行かないわ。既に試してある」
「何回?」
暁美は押し黙る。つまり、そういうことなのだろう。
「同じ策でも回を重ねるごとに結果は違ってくる。練成、というのもあるが、運に左右されるものなんだろうな、こういうものは」
「……今更、私に歩み寄れと言うの。巴マミに、キュゥべえに」
「足りないところを補うと言うのならば、お前に必要なのは他者とのコミュニケーションだと思うぜ、ほむら」
僕は橋の上からも望める、人気のないとある廃屋を指差した。
「間に合うかもしれないな。魔女退治のお手伝い」
ふん、と鼻を鳴らして暁美は僕を追い越し、進む。
「上手くいくとは思えないわね。まあ、試してみないこともないけれど」
「それでいいさ。頑張れよ、弟子」
「ご指導をありがとう、先生」
そう言う暁美だが、やはり僕の態度に憤慨しているのかもしれない。何故なら彼女の頬は、夕焼けの色ではない赤に染まっていたからだ。そこまで、怒るのか。本当に彼女は僕が嫌いなのだな。
「……無理だけど」
暁美が廃屋へ向かって行った後、僕は溜息混じりに欄干から背を離した。
「魔女は既に倒しているだろうし、あいつが今更輪の中に入れる筈もない。自分がどれだけ敵視されているのか、改めて考えるべきだったな、ほむらちゃん」
ほとほと考えが甘い。『キュゥべえ』を仕留めることすら仕損じた自分に、魔法少女としての居場所があると思っているのだろうか。
「誓って言える。お前は独りだ。この時間でも、また独りだ」
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「あと一度くらいは使える筈よ。あなたにあげるわ――暁美ほむらさん」
結果としてはやはり、暁美の思い描いた理想は打ち砕かれることになる。
「それとも、人と分け合うんじゃ不服かしら」
「あなたの獲物よ。貴女だけのものにすればいい」
プライドの高い女が互いに譲歩することなんて、それこそ不可能なのだ。僕は何度目の世界で理解しただろうか。巴マミと暁美ほむらが、とにかく反りが合わない者同士であるということに。
「――っ、そう。それがあなたの答えね」
互いに「仲良くしよう」と思ったって、欲張りな人間は自分の意見を通そうとする。今回の件について巴はあまりにも一方的で、暁美はあまりにも寡黙であった。失敗した暁美は僕を見つけると、文句をのたまうことも、怒りの念をぶつけることもなく、ただ申し訳なさそうに目を伏せた。それだけであった。
とにかく今回も、僕の思惑は達成された。巴は先輩としての偉功を立て、鹿目と美樹は魔法少女の戦いを目の当たりにし、暁美の心を巴から離せた。
夜になって、巴からの電話が鳴った。
『会いたい』
彼女はそれしか言わなかった。
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「ちゃんと、出来たかな」
彼女の部屋の、白い柱に掛かった透明な時計の秒針の音が、嫌に響く。
「私、ちゃんと先輩だったかな」
「――ああ。きっとな」
肩にもたれかかった彼女の体温が鬱陶しい。
「きついか?」
「ちょっと、ね。でも我慢出来る。きっといつか、あの子たちは仲間になってくれるわよね。わたしの味方になってくれるわよね」
「もちろんさ。そうでなきゃ――」
「そうでなきゃ?」
「いや。そうでないなら、それはとても悲しいことだと思ったんだ。きみはこんなに頑張ってるんだ。報われないわけがない」
「ありがとう。でも私、大丈夫。なはとさんがこうやって慰めてくれるから、きっとどんなに辛いことがあっても大丈夫よ」
僕は巴の頬を撫でる。汚らわしいものに触れるような、そんな感覚がした。
「よくやったな、巴」
「……二人の時は名前で呼んでって、言ってるじゃない」
たとえば、僕は他の時間軸でも彼女と『こういう』堕落的な関係にあったのだろうか。まるで毛繕いをする獣の親だ。断片的な記憶を頼れば、いくつかの時間軸でも同じように僕は彼女を慰めていた。半分に割れば、恐らくそうでなかった時の方が少ない。
いつだって、巴マミは欠如した人間なのだ。
「よくやったな、マミ。偉いよ」
哀れなくらいに。
気持ちが悪いくらいに。
「好き。大好きなの。なはとさんが大好き。愛してる」
巴マミ。魔法少女、願わざるを得なかった、選択肢を与えられなかった少女。
そんな巴マミのことが、僕は吐き気がするくらいに嫌いだった。
彼女とはそろそろ、終わりにしよう。
肌を重ねたまま、夜が更けていく。
誓って、まどマギが嫌いなのではありません。ちゃんと大好きです。
ただ同じくらい、こういう酷い話も好きということで。