魔法少女管理なはと☆マギカ   作:危橋たけ

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第3話・序 もう何も恐くない

 精液と愛液が混ざり合って乾いた、生々しい匂いにむせ返る。早朝に目を覚ました僕は、まだ隣で眠る巴を起こさないように、忍んで衣服を着てそのまま部屋を出た。

 

 日が昇って間もない時間帯であった。寒暖を感じることができるこの身体に冷たい風が暴力的に染みるが、先ほどまで湿った生温い空間にいたせいだろうか。この寒さもあまり嫌なものではない。

「お」

「あ」

 温かい飲み物でも買って住処に戻ろうと思ったその時、眼の前を美樹さやか通った。白地に水色のラインが入った、活発的なジャージ姿。

「おはようございまっす、なはとさん! いやー、意外なところで会いますなー」

「おはよう、美樹。何してるんだ?」

「もちろん、ランニングですよ! 魔法少女を目指す者として、それなりの体力は付けとかないと!」

「そうか、偉いな」

「えへへー」

「まあ、体力なんか魔法で補えるけどな」

「マジで!?」

 

 消沈した美樹を慰めるわけではないが、僕はホットコーヒーなんかを奢ってやって、適当なベンチに腰掛けた。

「ふー、あったかい。ごちそうさまです」

 僕の外見について今更言及するのも馬鹿馬鹿しいが、少なくとも彼女達中学生よりは上である。高校生か、大学生くらいには見えるだろうか。信頼を演出するために背も高めになっているため、こういう時にお金を出してやるのは当たり前だ。

「そういえばなはとさんって、普段何してる人なんですか?」

「大概は本を読んで暇を潰しているが――あ、仕事とか?」

「うんうん。ちょっと気になるっていうか。あ、もちろん嫌なら教えてくれなくてもいいんですけどね?」

 何を勘繰っているのだろう。こいつ、一対一になると途端にテンションが下がったように見えるんだよな。

「夜、安い酒を高い値段で女に飲ませながら、媚を売る仕事」

「……おお」

 察してくれたような。「なるほどなるほど」、と不思議な相槌を打つ。

「そんな、嫌な言い方しなくたっていいのに」

「嫌な仕事だよ。人様に媚へつらって――まるで詐欺師だ。収入がいいし、短期的だからやってるんだけどな。まあ、仕事というなら僕にとって、魔法少女の管理が一番なんだ」

「へえ――でもそれ、収入は?」

「笑顔」

「おお……」

 冗句だって分かっているだろうに、美樹は感動したように声を漏らした。きっとこういうのが、彼女の好きなスタイルなのだろう。偽りでも、綺麗事でも、明言できる強さ。願いを決められない彼女たちにとって、何よりも染みる言葉である。

「ところで僕からも訊きたいことがあるんだけどさ、美樹」

 温い缶コーヒーを口に入れる。食事は摂取する必要が無いので好きではないが、水分に関してはむしろ好んで飲む方だ。味が付いているのならば尚更――とは言っても、味覚が希薄なのでコーヒーなんか何を飲んでも同じ味に思うのだが。

「見てたろ」

「……何がですか?」

「みなまで言わせてくれるな。きみは巴の部屋から出てくる僕を、ばっちり見てたじゃないか」

 美樹は気まずそうに、少しだけ笑みをこぼして俯いた。甘めの缶コーヒーを大事そうに握り締めている。

「きみの考えている通りだよ。僕と巴は、つまりそういう関係だ」

「そうなんですか――あはは、びっくりしたな」

「無理矢理笑うんじゃない。今は鹿目もいないんだ。きみの好きなように、やりたいように喋ればいい」

 しばらくの沈黙の後、溜息が聞こえる。美樹の口元からは笑みが消え、代わりにその瞳には涙のようなものが浮かんでいた。

「幸せ馬鹿、なんですよ。私たちは」

「……ふうん」

「命と引き換えにできる願いを見つけることができない、その程度しか不幸を知らない、恵まれた馬鹿なんですよ。――どうして私たちなんだろう」

 美樹がどうしていつも笑顔を浮かべているのか、無理をしているのか、それは僕には理解できない。その『愚か』っぽさを取り払ってしまえば、こうやってまともに見えるのに。

「意外と考えてるんだな」

「い、意外って何ですかあ」

「意外だよ――でも良かった、ちゃんと考えてるみたいで」

 太陽はやがて、街を照らすまでの位置に来ていた。少しばかり気温が上がり、美樹もいくらか楽そうに見える。

「自分の為じゃなきゃ、いけないわけでもない」

「え?」

「誰かの為に願うのも、また一つの『やり方』だ。もちろん、それが上手くいく例が稀なんだけどな。たとえば佐倉なんか……いや、まあこの話はいいか。とにかく、選択の幅は今きみが悩んでいるよりも、ずっと広い。その上でよく考えろ。『何でもできる』その力を何の為に使うのか」

「誰かの為――か。目から鱗って感じっす」

「巴にもちゃんと相談しておけ。あいつは僕より、よっぽど親身になって聞いてくれるだろう」

 見ると、自然と彼女の口には笑みが戻っていた。偽りではない、心からの笑顔だ。

「ありがとう、なはとさん! あたし、なんか分かった気がします」

 美樹は勢いよく立ち上がり、缶コーヒーを飲み干してゴミ箱に投入した。

「それじゃ、もうひとっ走り行ってきます!」

「いや、だから走ったって……」

「あ、マミさんとのことは応援してますから! 泣かせたりしたら、許しませんよ? それでは!」

 僕の制止に耳を傾けることなく、重りを外したかのようなスピードで美樹は走り去っていった。

「応援って……何か勘違いしてないか?」

 嘆息して、僕はしばらくベンチで曙の街を眺めることにした。

 ちなみにこの件については後に、美樹から相談された巴から更に相談を受けることになる。自分で自分の首を絞めるとは、つまりこのことなのだ。

 

 仕込みは上手くできたと思うんだけど。

 

 --------------------

 

「自分より強い相手は邪魔者ってわけ? いじめられっ子の発想ね」

 

 そういうわけで、修羅場に通りかかってしまった。

 夜も更けて――街灯に群がる羽虫の下で、暁美ほむらと巴マミが対峙している。互いに敵意をぶつけ合った、張り詰めた空気。離れた場所で全力で気配を消している僕をしても、緊張が伝わって来る。

「あなたとは戦いたくないのだけれど」

 沈黙を破ったのは暁美だった。

「なら二度と会うことの無いよう努力して」

 そしてやはり、既に暁美を敵と見なしている巴は挑発を以てして応える。

「話し合いだけで事が済むのは、きっと今夜で最後だろうから」

 その言葉を最後に、巴は踵を返して去って行く。どうやら魔法少女同士の衝突は防がれたようだ。残された暁美は、忌々し気に闇夜の空を見上げた。僕は、そんな暁美に……暁美の……

 

「ほーむらちゅわーん」

「ぅひゃあぁっ!?」

 

 背後から脇腹をくすぐってやった。反射的に蹴り出された彼女の脚が腹に直撃して、戯れが終わる。

「うっ……お前……何てことをしてくれる」

「こっちの台詞よ! 何してるのよ! どういうテンションなの!? 馬鹿なの!?」

 振り向き、後ずさりする暁美は階段に躓く、そのまま転がり落ちてしまうではないかと焦燥に駆られたが、暁美ほむらに心配など必要ない。躓くと同時に彼女は跳躍し、宙返り。目を奪われてしまいそうな華麗な動作で、階段下に着地した。

「……ハラショ」

「あら、心配でもしてくれたのかしら。生憎と、変身前でもこのくらいはできるのよ」

「うんこ踏んでるぞ」

「っ!?」

「嘘だよ」

 激昂した彼女からのラッシュ攻撃を全て避けて、ようやく落ち着いたのは更に二十分後だった。

「巴マミのところに行かなくていいの?」

「……何だよ、それじゃまるで、僕がきみのことを慰めてやってるみたいじゃないか」

「分かってるわよ、あなたは優しさを表面的に求める人間にしか、優しさを与えない」

「そう、だから素直じゃないきみには優しくしてあげない」

「私はそんなものを求めていないわ。うろつかれても迷惑よ、このストーカー。とっとと巴マミの家にでも押しかけて、あの女を抱いて慰めてあげなさい。この間、そうしたようにね」

 糾弾しているつもりだろうか。当人の僕としては、『この間』のことを知っているお前こそストーカーじゃないか、と突っ込むのを押さえるのに精いっぱいである。

「まあ、そう嫌味を言うなよ。巴に関しちゃここらが潮時なんだ」

「どういうこと? あなた、まさか……」

「きみの考えるような、恐ろしいことじゃねえよ」

 それとも、いつかの時間軸で僕はそれをやったのだろうか。暁美の考える、恐ろしい処分方法を。

「ここには美樹や、鹿目がいる。もう僕がわざわざ巴を慰めてやる必要はないのさ。あいつは結局、孤独でなければ何でもいいんだ。僕は戦い傷ついたあいつを癒やしたが、美樹か鹿目か、どちらかが魔法少女になれば戦いそのものが緩和される。傷の舐め合い、なんて佐倉あたりなら笑いそうだが――僕も、『キュゥべえ』も、一つの場所にいつまでも留まるわけにはいかない。しばらくしたら、きみとも別れることになるだろう」

「……まどかを魔法少女にはさせないわ」

「またそれか」

 思わず、僕は嘆息した。

「どうしてそこまで必死になる? 確かに鹿目の力は桁違いだ。この世界をどうにでもできるし、下手打てば惑星そのものが終わりかねない。だがきみの執着は――まるで、愛じゃないか」

 暁美は沈黙している。なので、僕は続ける。

「友愛。親愛。素晴らしいことだ。友とは宝であるっつうのは、よく聞く名言だな――だが、当の鹿目はお前のことなんか、お前の努力なんか、奮闘なんか、何も知らないんだぜ? だから感謝もしてくれないんだ。目もくれないんだ。今でこそ敵対してるようなスタンスだが、そうでなければ『他人』に過ぎない」

 暁美は沈黙している。なので、僕は続ける。

「他人の為にどうしてそこまでやる? 行動理由も責任も、他人なんかに任せたって空しいもんさ。お前はきっと、今の願いが叶った時に絶望するほどの喪失感を味わう。分かるかい、暁美ほむら。お前は今、絶望するために頑張ってるんだよ」

 絶望すればどうなるか、それを知らないわけでもあるまい。

「関係ないわ」

 ようやく、暁美は口を開いた。かき上げられた髪が眩しいくらいに月に映える。

「終わった時の自分のことなんて、その時に考えればいい。もっと言えば、私なんかどうなったって構わない。まどかが幸せになればそれでいいの」

「……自己満足にもなってないぞ」

 暁美は僕を俯瞰して、不敵に笑った。強いとか、弱いとか、そんな言葉はもはや彼女に当てはまらない。

「喪失感も絶望も関係ない。私は私の願いの為に、ただ障害を片付けるだけよ――もちろん、あなただって例外じゃない」

 暁美ほむらは、化物だ。

 時を巡る度に人間性を擦り減らし、怪物性を精錬させた、人の形をした化物だ。

 

「まどかを救うためなら、もう何も怖くない」

 

 ――いや。

 

 そもそも魔法少女自体、化物なのだ。

 

 人の形をした、悲しく愛らしい、化物なのだ。

 

 --------------------

 

「よう、鹿目」

 昨日の今日で何だが、僕は鹿目まどかに接触することにした。

「なはとさん! こんにちは、今日はどうしたんですか?」

 この日、彼女が僕に危惧しているような視線を向けた理由は他でもない。僕がおかしいわけでも、鹿目がおかしいわけでもなく、ただ場所が病院であった――それだけだ。

 清潔で広大な病院の待合室。僕と鹿目が鉢合わせたのは、そういう変わった場所であった。

「なに、ちょっとした検査さ。どこか悪いってわけじゃないんだけどな」

 そう応えると、どこか安心したように鹿目は頷いた。相変わらず優しい奴だ。そういうところが、癇に障る。

「やあ、なはと。お勤めご苦労様」

 もちろん、彼女の隣には『キュゥべえ』が座している。こいつは愛玩動物よろしく、現在は鹿目に保護されているのだ。

「そちらこそ――で、鹿目はどうした? 誰かのお見舞いか?」

「はい。ていうか、お見舞いの――付添い? クラスメイトの上条恭介くんが入院してるんです。さやかちゃんと仲が良くって――えへへ、だからわたしはあんまり病室まで行かないんですけど」

 なるほど。

 やはり、美樹はそうするのか。

「へえ、やるな。――ところで鹿目。こうして一対一で話すのは初めてだな」

「僕もいるよ、なはと」

 お前みたいな小賢しいけだもの、数に入れてやるものか。無視だ、無視。

「えっと、そうですね。ごめんなさい、本当はなはとさんとは、ちゃんと話さなきゃなと思ったんですけど……」

 居心地悪そうに、鹿目は手を合わせて笑う。無理して、笑う。

「男の人と話すの、慣れてなくて……お父さんくらいしか」

「――まあ、な。そんなもんさ。別にきみは話す必要はない。今日は、僕の話を聞いてくれ。それだけで、いい」

 彼女に断って、ベンチの隣に腰かける。その際に『キュゥべえ』を摘まんで追いやってやった。鹿目は咎めるわけでもなく、苦笑する。この行為を『悪』ととっていないのか、それとも口を出す勇気が無いだけか――

「今、この街には魔法少女が二人いる。暁美と、巴だ。で、その二人は真っ向から対立している。水と油って感じだ」

「そんなに……」

「そんなに、だよ。知らない内にまた険悪になりやがってさ、あの小娘ども……次に二人が顔を合わせれば、その時は衝突するだろう。そのレベルだ」

「衝突って――そんなのおかしいじゃないですか、同じ魔法少女なのに」

「ああ、おかしいよな。魔女を倒すっていう一つの目的は一致しているのに、プライドという大事な部分で対立しているからこそ、歩み寄ることも譲り合うこともできない」

「……何とかならないんですか?」

「勝敗がはっきり着いちまえば、それが一番早いだろうな。ただし、どちらかが死ぬことになるかもしれない」

『死ぬ』。

 その言葉は、鹿目を凍りつかせることにはあまりにも容易い言葉だった。

「きみは、どうする。鹿目まどか」

「………………」

 これは、確認だ。

 果たしてきみは、この世界においてでも『鹿目まどか』であるのだろうか。僕が世界を預けるに値する器だろうか。

「わたしが魔法少女になれば、二人を止めることはできますか」

 そしてこの確認は、どうやら不要だったようだ。

「……そうだな。きみの力なら、きっと」

「だったら、わたしはその為に魔法少女になっても構いません。今、ちゃんとした望みはありませんけど――もしそんな状況になってしまったら、二人の戦いを止めることがわたしの望みです」

 素晴らしい。それでこそ、きみだ。

「望みを重くとらえることはない。魔法少女になった後でも、今よりずっと好きなことができるようになる。モラルを差し引けば、僕は魔法ってのは自分の為に使うものだと思うんだ。魔女を倒す、以外にも」

 そうでないと、救われない。

「心配させるようで悪かったな。僕はもう行くよ。待ち合わせに遅れちまう」

 僕は立ち上がる。不安な瞳の鹿目を尻目に。

「あ、あの、なはとさん……」

「なあ、鹿目。きみが魔法少女になるべき瞬間があるとすれば、それは二人が『殺し合い』を始めたその時だ。単なる小競り合いや邪魔のし合いなら、黙って見てたっていい。あくまでも自分の力を使うその時を、見誤るなよ。――ていうか、今の話でこんなこと言うのは何だが。」

 最後に振り返って、出来るだけ優しい顔を、彼女に向ける。

 

 壊れないように。

 

 扱いは、丁重に。

 

「『魔法少女にならない』――そういう選択もありだぜ」

 

 その時、『キュゥべえ』の視線が僕を咎めていることには、確認するまでもなく気付いていた。

 

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