「上条」
歩行訓練のリハビリテーションに挑む少年は、僕の声に少し間をおいて振り返る。
「なはとさん。こんにち――わあ!?」
「おっと」
バランスを崩した上条恭介を片腕で支える。彼は礼を言って、恥ずかしそうに笑った。
「すいません。まだちょっと、歩くのも難しくて……」
「こっちこそ悪かったな、気を奪っちまって」
僕と上条恭介が知り合ったのは、病院内でのちょっとした事故からであった。事故と言ってもそれは上条が階段から落ちそうになったのを支えただけの、あくまでも偶発的なものであったのだが。
ていうか、エレベータ使えよ。
しばらく上条のリハビリに付き合った。もちろん僕に出来ることなんて、時折倒れそうになる彼を支えるくらいで、あとはただ傍観しているだけだ。ここで『頑張れ』とでも声をかけてやった方がいくらかマシかもしれないが、頑張っている人間に『頑張れ』なんて、考えてみれば残酷な要求である。
「今日はありがとうございます、なはとさん」
小一時間ほどのリハビリテーションを終えて、僕は上条の病室を訪れた。豪勢な個室。どうやら彼の家は、随分な資産家らしい。
「いいよ。ちょっとした暇潰しさ」
「あんまり暇に見えませんよ。何ていうか、なはとさんの眼は『やらなければならないことがある』人の眼です。――って、単なる直感ですけど」
やらなければならないこと、ね。
確かにその通りだ。なかなかいい勘をしてるじゃないか。
「どうなんだ、調子は」
「変わらずですよ。――ひょっとしたらもう、ヴァイオリンなんて絶望的かもしれないですね」
「そうか、残念だよ。せっかくだから僕は、きみの演奏を一度拝聴したかったんだが」
上条は僕の言葉に目を見開いたが、別段怒ることもせず、何を思ったのか不意に失笑した。
「ごめんなさい、こういうネガティブなことを言うと、慰めてくれる子がいるから――僕、甘えてますね。こんなんじゃ駄目だな」
「ああ、慰めりゃよかったのか。悪いな、僕は人の気持ちが分からん。――しかし、きみは彼女がいたんだな」
「え――どうして女の子だって?」
やばい、口が滑った。
「慰めてくれる『子』と言っただろ。仮に男だったら『奴』と呼ぶ。もちろんこんなものは一般論だし、例外もあるだろうけどな。予想しただけさ――違ったか?」
「いえ、その通りです。凄いな、なはとさんは。まるで魔法使いだ」
本当に鋭いな、こいつ。『その通りです』はこちらの台詞だ。
「……別に、彼女じゃないですよ。昔から面倒を見てくれている親友です。あの子からしてみれば、僕なんか手のかかる弟のようなものですけどね。三日に一度は必ずお見舞いに来てくれるし、その度に面白い曲なんかを見つけて僕を励ましてくれる。本当、さやかには感謝しかありません」
「さやかというのか。綺麗な名前だ」
こうやって白を切る辺り、まるでインキュベーターみたいじゃないか。
不愉快なことに、似たようなものだけれど。
「きみは好きなんだろ」
「えっと……まあ」
「健全なことだ。さすが年頃の男の子」
冷やかす僕の言葉に上条は苦笑する。笑いながらも、寂しそうな眼をしていた。
「彼女の優しさが辛いってところか」
指摘すると、ゆっくりと彼は頷いた。
「……僕の指は治りません。それでもさやかはまた演奏を聴きたいって言ってくれて――それが、辛いんです。僕はさやかに何も返すことができない。こんなに救われたのに、状況は何も変わらないんだ」
強く、上条は掛布団の端を握り締める。
「どうしてさやかなんだろう。僕の身体はもう駄目なのに、誰よりも奇跡を望んでくれる人間が、どうしてさやかなんだろう。もし他の誰かだったら、こんなに苦しくないのに」
少年と少女は、擦れ違っている。
擦れて、違っている。
「……宗教なんてものじゃないんだが、奇跡を祈るだけでも救われるもんだぜ」
今度は、慰めてみた。
「彼女を思うなら、彼女のために祈るといい。彼女の望みが叶いますように、ってな」
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「短い間だったけど、ありがとう。一緒にいて楽しかったよ、まどか」
『キュゥべえ』が美樹さやかと鹿目まどかの元から離れた。
それは『押して駄目なら』といった駆け引きだったかもしれないし、それか彼は本当に僕を信用して任せたのかもしれない。どちらにしたって一緒のことだ。僕は既に仕込みを終えて、更に次の仕込みにかかっていた。
「よう、鹿目」
「――なはとさん」
巴の部屋に入ろうと瞬間、逆に出て来た鹿目まどかを鉢合わせた。彼女の瞳は赤くなっている。泣いていたのだろうか、と思考したのも束の間。鹿目は僕の顔を見るや否や、再び涙を流した。
「っ……あ、あの、マミさんは……!」
「ああ。大丈夫だ、分かっている。分かっているから」
鹿目の頭に手を置くと、彼女は堰を切ったように嗚咽を激しくした。僕は鹿目の手を取って巴の部屋の扉を開ける。夕焼けの差し込む寂しい一室で、しばらく彼女は泣き続けた。僕は何もできないので、何もしてやれないので、何も言わずに小さな頭を撫でた。
「……ごめんなさい」
数分して、ようやく鹿目の涙は収まった。申し訳なさそうに頭を垂れる姿は、どこか微笑ましい。
「別にいいよ。悲しみと正常に感受することが、きみのいいところだ。もっと素直に言えば、優しいってことな」
「優しくたって――何もできないなら同じですよ」
鹿目は紅茶の入ったカップを始めとする、食器の残ったテーブルを示す。その上には表紙にイラストが描かれた大学ノートが置かれてあった。
「見てもいいのか」
鹿目は俯いて、無言で呟く。大学ノートを開けると、そこには魔法少女がいた。
正確には魔法少女の絵、デザインだ。鹿目が書いたものらしい。魔法少女になるための準備としては、いささか幼稚ながらもイマジネーションを掻き立てるためにはなかなか理に適っている。
たぶん、これを見るのは初めてじゃない。
いつかの時間でも、鹿目まどかは魔法少女に対してこういう『希望』を抱いていたのだろう。――そして同じように、絶望を知る。
「マミさんのことで、訊きたいことがあるんです」
「駄目だ」
「……え?」
「僕は所詮管理人だから指南にするべきなんだろうが、それでも今回きみの欲しい答えは与えられそうにない。それに、その質問を向けるには適役がいる」
魔法少女を知るのもまた、魔法少女。
「ほむらちゃん――ですか?」
「聞けば、彼女は何度もきみに警告をしたそうじゃないか。それは手柄の為の利己的なものだったかもしれないけど――『そうじゃない』かもしれない。どちらにせよ魔法少女にならなければ、きみの身の安全は今まで通りだ。今まで通り、安らかなものだ。暁美の警告には少なからず、そういう『優しさ』も含まれている筈だぜ」
真相は、まあ奴は鹿目のことしか頭にないんだけれど。
「ちゃんと、暁美と話せ。話して仲直りでもしちゃえよ。巴と暁美は仲悪かったけど、別にきみとは敵じゃないだろ」
「でも、いいんですか?」
「いいんです。きみも分かってる筈だよ、暁美は悪人じゃない。願いと覚悟を抱いて魔法少女になった、正義の味方だ。考えても見ろ。グリーフシードなんて報酬が無ければ、誰だって巴みたいに純粋な魔法少女であれただろう。暁美も同じさ。人間、根っこのところは正義で形成されてるものでな――たぶんあいつはあの時、巴のことだって助けてやりたかった筈だぜ」
「そっか……そうですよね。ほむらちゃんだってきっと……」
「そうだ。だから話は通じるし、質問にだって答えてくれる――さて、そろそろ行けよ。色々と整理したいこともあるしな」
わざとらしく、夕焼けの部屋を見渡してみる。不気味なくらいに生活感の漂う風景。まるでこの部屋は、主がいなくなってしまったことに気付いていないようだ。
「なはとさん――ごめんなさい。わたし、魔法少女になれなくて……弱くて」
「弱さじゃない。それは決断したきみの強さだ」
鹿目が部屋を出て、僕は腰掛けて大学ノートを捲ってみた。何というか、何度見ても飽きない。僕は本が好きだ。図鑑のような目で認識できる簡潔なものが好きだ。
「歪だし、下らないけど――割と好感は持てるんだよな。こういう向き合い方」
だからといってどういうわけでもない。しばらく大学ノートを鑑賞した後、僕は食器を片付けたり部屋を整えたりをして、暗くなるまで主のいなくなったマンションの一室を掃除した。別に、この行為に関しては思惑も目的も無い。単に、ある種の礼のようなものだ。
この部屋で話をした。
この部屋で茶を飲んだ。
この部屋で巴を抱いた。
「――ああ、そういえばまだ言ってなかったな」
僕は彼女に、酷い言葉しか掛けていない。
それじゃきっと、駄目なんだ。
礼節が欠けている。
「さようなら。巴」
お世話になりました。
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美樹さやかが魔法少女になったと連絡が入ったのは、マンションを出てすぐのことだった。僕は速足で待ち合わせ場所へと向かい、美樹と『キュゥべえ』と落ち合う。白いけだものは僕と目が合うととぼけたように首を傾げる。勝ち誇っているのだ。心も無いくせに得意気になるな。
「いいのか、美樹」
「相談もせずに決めてごめんなさい」
謝る美樹だが、しかしその眼はまっすぐに僕を見据えていた。瞳に迷いや後悔の色は欠片も見えない。
「構わない。できるだけきみ自身に選んで、決断してほしかったんだ。勝手とも見えるかもしれないが、僕はこれでも十分に嬉しいぜ」
よく『なりたて』の魔法少女がやる表情だ。望みが叶ったこの時に、誰が迷ったり後悔したりするだろうか。地獄はまだ先に待ち構えている――残酷な真実が這い寄る音なんて今の美樹には聞こえないだろう。
「そう言ってもらうと嬉しいな。――私、結局誰かの為に望みを使っちゃいました。大切な友達に、またヴァイオリンを弾いてほしくて。自分の為に願うなんて、ちょっともったいないかもだけど、私はこれでいい。満足してる。なはとさん、キュゥべえ、そしてマミさんに出会えて良かった――奇跡も魔法も存在するっていうことを知れたから」
なるほど、つまり上条は『治った』のか。明日にでも見舞いに顔を出してみようか。
「満足してるんなら、それほど素晴らしいことはない――だが一つ言っておくぞ、美樹。魔法はあっても、奇跡はない」
「……どういう意味ですか?」
「きみは力を手に入れた。強大な力だ。それを扱うには大いなる責任と、動かし方を知る義務がある。中学生にはまだ早いかもしれないが、少なくとも我々大人はそうやって働いてるんだ。今回、きみには大人になってもらうぜ、美樹さやか。つまり奇跡や幸運に頼ることは許されない。割かし何でもできる魔法の力を武器として、魔法少女として、自分の力で生き抜いていくんだ」
「――はい」
真に理解したのか定かではないが、しかし確かに頷いた美樹を、信用してみることにした。そういうわけで、義務を課す。
「今しがた、魔女が出た。早速仕事を頼みたい――が、今のきみには無理だな」
「え、で、でも魔女の対処は……?」
「未来のきみに頼むよ」
魔法を発動させた。景色が停止する。この風景だけを切り取って、僕らは世界から切り離される。時空そのものを『避けておく』魔法。
「え!? え!? 何これ!?」
「名付けて『スピリットアンドタイムズルーム』。時間の止まった世界と考えればそれでいい。ここで何をするというのかと、まあ――」
僕は長いサーベルを握り、呆けた彼女に向ける。
「修行さ。丸一日分を消費して、魔女を倒せる程度に育ててやる。覚悟しておけよ。僕はきみに魔法少女になったことを後悔させるつもりでやるんだからな」
即席で魔法少女を育てるなんて、そう珍しいことじゃない。僕がどんな魔法でも使えるのは、こういうとんでもないチートを使うためだ。
「っ……後悔なんて、あるわけない!」
美樹は蒼く輝くソウルジェムを握った。
「よろしくお願いします、お師匠様!」
「いや、その呼び方は止めような」
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結果として、修行は成功したし魔女退治も成功した。美樹は教えた戦法に則って『ハコの魔女』を討ち、鹿目まどかを救う。
「まあ、ぎりぎりセーフって感じだな」
散華する『ハコの魔女』。口づけを受けた人々が次々に解放されていく。彼らに関する『処理』も我々の仕事だ。まったく、とんだブラック企業である。
「戦闘の必勝法はスピードのある的確な処理。それさえ上手くハマれば一夜漬けの素人魔法少女だって圧勝さ――とはいえ、さすがに疲れたがな」
修行で疲れるのは、弟子より師匠なのだろうか。キャンデロロ戦で『ダーティグリーフシード』を頂いてなければ、音を上げていたのはこっちだったかもな。
「鹿目を予定通り巻き込めたのはいいにしても、ちょっと危ないところだったな。間に合わずに死んでしまったら元も子もない。次からは余裕を持って行動しないとな――しかし」
美樹さやか。
上条恭介の為に願うにしても、割と早急な決断であった。
「確かに上条の心の乱れも僕が調整したんだが――これは上手く行き過ぎだな。時間とか考えてやらないといけないのかな、ああ面倒だ」
しかし一度始めてしまった『計画』。暁美に宣戦布告までしてしまった以上、退くわけにはいくまい。今後は美樹の存在が大きな鍵になってくる。さて、いかにして壊してやろうか。
「――なあ、きみはどう思う?」
見上げると、そこには暁美ほむらが君臨していた。
「………………」
「どうしたってんだ。鹿目があんな目に遭ってたというのに、助け船を出さないなんて。もうあんな薄情な友達には飽きちまったか?」
「あなたはまどかを犠牲にして世界を終わらせると、そう言った。まさかこんなところでみすみすあの子を殺すという意味ではないでしょう。それに、美樹さやかの魔力は感じていた。あなたの魔力も」
「信じてくれたというわけか。嬉しいね」
わざとらしい軽口に、暁美は眉一つ動かさない。このくらいじゃ動じないか、心の持ちようはしっかりしてるわけだ。
「具体的に何をするのか、それを教えてくれるほど愚かではないでしょう。『まどか・マギカ』――それがどのようなものか現時点では見通しがつかない。だけどそれは恐らく、あと二週間後のあの日に関係している」
「……驚いたな」
そこまで知ってるのか。
さすがは時間遡行者、考えてみればどの日に何が起きるかなんて、手に取るように分かるのだ。魔法少女というよりまるで予言者だ。
「あなたの野望には驚かされたけれど、逆に考えれば『奴』が来るその日までは、まどかの安全は保障されているというわけね」
「うん。まあ、ぶっちゃけきみの言う通りだ。よく分かったな。馬鹿とか言って悪かった。ほむらちゃんは賢いな」
よほど不愉快だったのか、暁美は目を見開いて、後を向いてしまった。微かに怒りに震えている。
「どうせ力づくでは『魔法』使いのあなたには勝てないわ。準備期間は二週間、精々あなたを倒すための策を練らせてもらうわよ」
「おう、頑張れ。弟子に出し抜かれることは、師匠としてこれ以上ない僥倖だ」
「………………」
暁美は僕に向き直り、不思議そうに首を傾げた。僕からしてみれば何故そんな顔をするのか不思議である。
「何だよ、変なこと言ったか?」
「いえ、だってあなた僥倖とか――この間から違和感を覚えていたのだけれど」
それは。
正直言って、衝撃的で壊滅的な、痛みに悶えて失神するほどにあまりにも鋭利な、幾度となく同じ時間を繰り返し、幾度となく『僕』と出会ってきた、暁美ほむらにしか出来ない指摘だった。
「あなたにはもしかして、心があるの?」
ある筈がない。
僕は『魔法』をこの惑星に配布する、膨大かつ強大な宇宙の片鱗である。インキュベーターを従え宇宙延命の為にエネルギーを発生・収集させる、人ならざるモノである。
だから心なんてある筈がない。
ある、筈が、ない――