僕が思うに、インキュベーターという奴は狡い。
我々で言う食事(栄養、肉体及び精神の保持とは無関係)は、絶望に希望を混ぜるという特殊状況下でしか産み落とされない『ダーティソウルジェム』を喰らうしかないのだが、奴らは違う。魔法少女に酷使され、絶望に満たされた『グリーフシード』――それを喰らい、味わうことが出来るのだ。さぞかし野暮ったい味なのだろうが、稀少価値としては目に見えて低い。つまり、手軽に食事を楽しむことが出来るのだ。
妬ましい。
羨ましい。
とはいえ、インキュベーターになりたいのかと訊かれれば答えは当然、ノーである。宇宙の端末の更に末端。魔法少女を製造するだけの消耗品に成り下がるなど、想像するだけで怖気が走る。そういう意味では僕は『キュゥべえ』に同情しているのだが、好ましいとは思わない。僕は上司だが、インキュベーターのことが嫌いなのである。
「ん? 何見てんの兄貴。あたしの顔に何かついてるかい?」
「目と鼻と口、眉毛とキャラメルコーンの食べかすだ」
「おっと」
佐倉は舌を伸ばして、そのまま口元を拭った。やはり一番狡いのは人類だ。彼女たちには、楽しめる食事が、娯楽が、あまりにも多すぎる。
「さーてそんじゃ、やるか。今日こそあんたをのしてやるぜ」
魔法少女に変身した佐倉杏子は、大振りの鎗を構える。
「そういえば佐倉、暁美ほむらは――どうだった?」
僕も同じように、鎗を携えて彼女に向けた。
「ん? まあ、いい奴だったぜ」
どちらかともなく駆け出し、衝突する。魔法の部屋に、金属音が響き渡った。
「兄貴と同じで、あたしのこと魔法少女として相応しいとか褒めてくれたしさ。『ワルプルギスの夜』のこととか教えて――あ、『ワルプルギスの夜』が来るんだってさ。あと二週間もしたら」
「ふうん、そうかそうか。きみはけっこうちょろいな」
数回穂先をぶつけ合った後、火花を避けるように僕らは一度、距離を取った。ここからは遠距離戦だ。
「何にしても、友達になれそうで何よりだよ」
「あはは、何言ってんだ兄貴、あたしらはポッキーを分け合った仲だぜ。四捨五入したら友達だっての」
「わざわざ四捨五入しなきゃ、友達じゃないのかよ……」
縛鎖結界――僕の周囲を、赤く鋭い鎖が覆う。やがて鎖たちは意思を持っているかのように、極めて変則的に屈折しながら襲い掛かった。
「ていうかあいつ、ポッキー食べたんだ……まあ、これから仲良くなっていけばいいさ。ところで美樹はどうだ、あっちとは仲良くなれそうか?」
「全然!」
身を捩って鎖の波を回避する。時折鎗で捌くと、勢いがあるせいか衝撃でバランスを崩してしまうが、どうにか捕縛は免れた。
「あの甘ちゃん馬鹿とはたとえ世界人口があたしとあいつ二人きりになっても、仲良くできないな! まったくこれだからアマチュアは……魔法の力は自分の為に使ってこそ価値があるんだよ! 竜頭蛇尾な!」
鎖の奔流を躱す中で、佐倉杏子は突貫した。僕がその対処で手一杯になっているところを狙って、彼女は自らの鎖をかいくぐって攻撃を仕掛ける。
「竜頭蛇尾じゃ使いこなせてないだろ……正しくは、『徹頭徹尾』だ」
「あ、そっかそっか。えへへ、憶えとこっと」
敵意というか、魔力というか――僕が察知できる佐倉の気配は、ほとんど鎖のものと同一だった。器用なものだ、自らの魔力の放出量を鎖と一致させているのだ。おかげで僕は佐倉の接近に一瞬、虚を突かれたが、それだけだ。この身体は突かせない。再び僕と佐倉の鎗が衝突した。
「あたしと同じ気持ちなのかねえ。暁美ほむらは美樹さやかのこと、『自分に任せろ』だってさ」
「へえ、それはきみからしたら面白くないだろうな」
「えへへ、やっぱり兄貴はあたしのことよく分かってるな!」
ただしここからが佐倉の策の本番だった。彼女が気配を混じらせて近づいたのは、鎗の一撃を見舞うためではない。鎖の一本を静かに這い寄らせ、僕の脚を絡め取るためだったのだ。
突かれたのは、隙だった。
「美樹さやかはあたしが殺す」
画して僕は、ハングドマンよろしく宙に吊り上げられてしまった。酷いデジャヴだ。確か、そうだ。巴マミと言ったかな、あの少女は。彼女から『ダーティソウルジェム』を取り上げる際に魔女体とやり合った時にも、こんな風にさかさまになったっけ。
「とは言っても、どうだろう。ひょっとしたら今頃あいつは冷静になって、頭に血を上らせてきみと戦ったことを悔いているかもしれない。正義の魔法少女としての自分を恥じているかもしれない。そうだったとしたら、もうきみとは戦わないだろうぜ」
「そこなんだよなー、あいつが賢い奴なら、少なくともあたしみたいな格上の相手とまともにやり合おうなんて思わないだろうしさ」
「そこで、あいつの『正義』を利用するんだよ。正義の敵は悪――きみが悪になってしまえば、きっと美樹は戦ってくれるさ」
宙吊りになったその瞬間に、佐倉は冷静に正確無比に、鎗を投擲する。砲弾のような速度で迫る刃。僕は『自切の魔法』を使い、鎖の絡んだ脚を切断した。痛い。焼けるようだ。ただし痛みも引かぬうちに、着地する頃には傷口は再生しきっていた。新しい脚はどこか馴染まない。
「挑発――ってわけか?」
「正解だ、お利口さん」
当然、その程度で怯む佐倉杏子ではない。きっと僕が離脱することを知っていたのだろう。しっかりと、ちゃっかりと、ガンダムが握ればフィットしそうなほどの超巨大な鎗が、小さな小さな魔法少女の腕に携えられていた。
「お利口なんて褒めんじゃねえよー。えへへー、虫歯になるぜー」
「あれだけ菓子を喰ってるきみが、僕の言葉一つで歯を壊すかよ」
膝を着きつつも、僕は両手にサーベルを構える。美樹さやかと同じ武器を使うのは、佐倉に対する嫌がらせのようなものだ。
「上条恭介って奴がいてな――まあ、あとで教えてやるよ。美樹が喜び勇んできみに飛び掛かってくるような、飛び切りあくどい挑発をな」
「おー、兄貴ったら悪者だねえ。いいね、悪者。けっこう好きだぜ。何せあたしは、兄貴が大好きだからな」
巨大鎗が撃ち出される。
刃に『何でも切断できる魔法』をかけて、鉄の塊に特攻した。穂の切っ先に刃を宛がう。そして斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。斬る。
「悪いだなんて言うなよ、僕はただ魔法少女というものが正しく機能してほしいだけなんだ。『悪』なんて言ったけどさ、でも正しい魔法少女であるきみは悪くない」
穂も、口金も、銅金も、太刀打ちも、持ち手まで、真っ二つに切断する。それはまるで仲睦まじい姉妹が、一つの菓子を分け合うように。努めて綺麗に、『ぱっくり』と。
「佐倉、誰が何と言おうときみは絶対正しいよ。正しいから、そのままでいてくれ。そのまま自分の思うがままに戦ってくれ」
彼女の細い首筋に、サーベルの刃を突き付ける。その頬を汗の一滴が伝ったと思うと、佐倉はどこか清々しそうに溜息を吐いた。
「兄貴に太鼓判を貰えると嬉しいね。よし、じゃああたしはあんたを信じて、好きなように美樹を殺させてもらうさ」
また、僕の勝ちだった。
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「稽古をつけてください」
夕方、僕を呼び出した美樹さやかは開口一番に要求した。
「約束は明日だろう、美樹。あまり根を詰めても疲労するだけだ。魔力じゃなくて、精神力がさ」
「構いません。私、今すぐにでも強くなりたいんです。お願いします、なはとさん」
いつも通りならば、彼女は『パトロール』に行く時間だ。確かに『スピリットアンドタイムズルーム』は時間を無視する便利な部屋だが――だからといって依存すると、それこそ時間間隔が狂って精神を壊しかねない。
「歩きながら話そう。おいで」
だからこそ時間をかけて。
ちょっとだけ時間をかけて、ここでしっかりと美樹と話しておくことにした。
「どうだ、強かったろ。佐倉はさ」
「……佐倉杏子。確かに今の私じゃ敵いっこない。それは分かってる――でもだからって、悠長に強くなるのを待ってられない。今、あいつをどうにかしなきゃ、魔女の犠牲になる人が増えるだけよ」
「『どうにか』って?」
睨むような視線を向けてみる。
「どうすれば『どうにか』なんだ? きみはそれがどういうことなのか、理解して口に出してるのか?」
「っ、それは……」
「奴はきみを殺すそうだ」
伏せもせず、隠しもせず、匂わせもせず、はっきりと伝えてやった。
「きみが『邪魔』だから殺すんだそうだ。そういう覚悟が、狂いっぷりが佐倉の魔法少女としての強さだよ。きみはどうなんだ、美樹さやか。佐倉を殺せるか?」
「……殺すしか、ないんですか?」
「そうしないように加減して戦えるほど、きみに力はない。それが出来たとしても、不意な弾みで殺してしまったとしたら? 『メメントモリ』ではないが、『人を殺すかもしれない』ってことも覚悟しておいてほしいものだな、力を持つ者として」
生半可な説得では、きっと彼女は感情的に食い下がってくる。こういったはっきりとした物言いの方がよほど考え易いだろう。考えて、その上で口に出す。それが考える葦――人間としての義務だ。
「じゃあ」
ただ、この問いは美樹の『考える力』の許容量を、残念ながら凌駕していたらしい。彼女は僕の袖を掴み、苦しそうに吐露した。
「どうすればいいの……!」
「……何にしても、まずは落ち着きなさい。自分の置かれている状況を再確認するんだ、美樹」
導いてやらなければならないのなら、それをやるのが僕の務めだ。魔法少女を管理する者として、野望は抜きにしての義務だ。
「今、この町には魔法少女が三人いる。美樹さやか。佐倉杏子。そして――」
「暁美ほむら?」
「そうだ。覚えておいてほしいのが、現在きみ以外の魔法少女二名。佐倉と暁美はすべてきみの敵だということだ」
暁美と巴がいがみ合っていた時よりも。
随分と難儀な状況である。
「どういうこと……? あの二人が私を狙ってるってわけ?」
「それもあるだろうがな。重要なのが、きみ自身が奴らを『敵』だと認識することだ。特に暁美はな」
ここからが、『まどか・マギカ』。僕の野望――
「巴を殺したのは、暁美ほむらだ」
「………………」
「巴が魔女にやられて、すぐに暁美が来ただろう? そして速攻かつ合理的なプロセスで魔女を倒した。不自然を感じなかったか? その都合のいい流れに」
「ちょっと、待って。なはとさん、もしかして……」
ごめんな、巴。この期に及んで、僕はきみを利用する。
許してくれるよな。だってきみはあんなに、僕を好きだと叫んだじゃないか。
「暁美ほむらは、マミさんが死ぬのを待っていたってこと?」
静かに、僕は頷いた。空の色が朱く染まり始める。そして美樹さやかの表情も、絶望に――絶望的な、憎悪に染まり始める。
「そんな……グリーフシードの為に、手柄の為にマミさんを見殺しにしたの!? そんなの絶対――」
「許せない、か? その気持ちを憶えておけ。僕も同じ気持ちだ」
はっ、と我に返ったように美樹は顔を上げる。そして僕の顔を覗き込む――どんな顔をしているのだろう。その瞳に映る僕は、ちゃんと『悲しそうな』顔をしているだろうか。
「僕は暁美ほむらが憎い」
「……なはとさん」
「あいつが憎くて憎くてたまらない。普通に殺すくらいじゃ事足りないくらいに憎たらしい。だけど僕には報復することができない。仕事だから? 使命だから? いやいや、宿命だからさ。僕は魔法少女を殺すことが出来ないんだ。そう言う風に、『出来ている』」
まさか、こんな形で利用するとはな。
美樹さやか。きみの『勘違い』を活かすことにする。
「そっか……そうだよね。ごめんなさい、失念してました。マミさんがいなくなって、一番辛いのはなはとさんなのに……」
「別に――そうでもない」
強がって見せる、振りをする。
「なあ、美樹。巴のことを抜きにしても、暁美は僕にとって可愛い弟子だよ。だけどあいつは道を踏み外した。何があったかは知らないが、どこかで間違ってしまったんだ。これはきっと、僕の責任だ――なあ、美樹。こんなことを頼むのは情けないし、お門違いかもしれないけどさ」
ぴん、と指を立ててみる。次の瞬間、僕らは『スピリットアンドタイムズルーム』に移動していた。
「……聞きます」
「暁美を止めてくれ」
「いいんですか? 私は弱いですよ」
「そうだな、きみは弱い。しかも愚かだし、単純だ」
「え!? 何でこの状況で私、罵倒されてるの!?」
狼狽える美樹に、苦笑を向けた。少しからかってみるのもたまには面白いものだ。
「だけど正しい。きみは絶対正しいよ。脆弱で愚直でも、正義だ。正義の味方だ。佐倉と暁美はきみを愚か者と罵るし、不愉快だと潰しに来るだろう。だけど負けるな。僕が鍛えてやるから、その正しさを曲げるな」
戦え、魔法少女。
自分の欲望のままに、殺したい奴を殺してしまえ。
「――分かりました、師匠!」
「だからそれは止めろって」
正義という心地良い評価に酔いしれて。
好きに暴れて、死になさい。
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「もしもし? あ、なはとさん。
はい、今さっきまで弾いてましたよ。やっぱり自分でヴァイオリンを演奏すると違いますね。あ、昨日メールした通り、どうにか退院できました。
ありがとうございます。え、いえいえ。お祝いなんて止してください。むしろ僕の方が感謝してるんです。こうやって腕を動かせるのは、きっとなはとさんのお陰ですから。まるで魔法使いですね。
え? さやか? さやかがどうかしたんですか?
確かに何度か来てくれましたけど……うん、月に一回くらいかな?
なはとさんなんか、三日に一回は顔を出してくれたじゃないですか。感謝の度合いは全然、違いますよ。
好きな人? どうしたんですか、急に。そんなのいませんよ。強いていうなら、今はヴァイオリン一筋ですね。あ、さやかはそういうのと違いますから。ただの仲の良い幼馴染です。
……? 『よしよし』って、何がですか?
今からお仕事なんですか? 大変ですね――そうそう、なはとさんにヴァイオリンを聞いてほしいんです。いつなら……コンサート? そんな、まだ決まってません。ずっと先になっちゃいますよ?
それまで待ってくれるんですか? ――分かりました、だったら早く復帰できるように練習します。
――はい、ありがとうございました。お仕事頑張ってくださいね。」