放送事故ではありません。   作:宇宙きのこ(ヴァーチャル)

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気晴らしにオリジナル話を書いてみました。
こういう切り口も面白いかなと思った。


このお話は実在の人物、団体とは一切関係のないフィクションです。


所属タレント配信中音声異常事案 その1

 

 

vtuber。

 

 

それは時代の変化と共に現れた電子のアイドルだった。

 

アニメのキャラクターのような華やかさと、生の人間が持つ反応の柔らかさ。

失敗した時の可笑しさ、ふとした沈黙に滲む体温のようなものを併せ持つ、ネットの花形。

 

 

画面の向こうにいるのは一枚の絵であり、同時に確かに誰かの声。

視聴者はその曖昧な境界に夢中になった。

多くの人々が彼女たち、あるいは彼らに惹かれたことは、不思議でも何でもなかった。

 

 

 

名前を呼ばれれば嬉しくなり、コメントを拾われれば一日が少し明るくなる。

好きな人に名前や自分の意見を読んでほしくて“おひねり”……現代らしくいえば投げ銭をするのも当たり前の時代だ。

 

 

 

記念配信の夜には画面の中の笑顔を祝福するため、見知らぬ人間同士が同じ時間に集まる。

そこには現代の祭りに似た熱があり、光があり、軽やかな信仰にも似た親しみがあった。

人々はこの新しい現代の偶像に夢中となり、熱狂していた。

 

 

 

毎日新しいvtuberがデビューし、毎日どこかしらで面白いニュースや炎上の話題がネットを賑わす。

良くも悪くもこれはネット世界を象徴する存在だった。

 

 

 

 

ただ、その輝きは、時には人とは呼べないものまで惹きつけてしまう。

 

 

 

株式会社〇〇〇〇に所属する大物配信者、ロボボ。

 

 

登録者数200万を超える女性ライバーである彼女は高性能アンドロイドを自称する銀色の髪の少女として知られていた。

大型ヘッドセットに機械翼めいた装飾、胸元に走る青白いライン。

感情に合わせて細かく動く瞳のエフェクトは演者の感情を正確に読み取り感情という彩を電子の世界に正確に投影していた。

 

 

 

正に3Dモデリング技術とトラッキング技術の粋を集めた存在だ。

だが見た目は未来的だが、しかし中身は妙に人懐こい。

ゲームで失敗すれば甲高く叫び、雑談ではどうでもいい日用品の話を延々と膨らませ、漢字の読み間違いひとつで五分は笑いを取れる。

 

 

 

 

彼女は配信者として本当に上手だった。

 

 

うまくいった時の華やかさよりうまくいかなかった時の転がし方が抜群にうまい。

ホラーゲームで悲鳴を上げたあと、すぐに「今のは戦術的撤退です」と胸を張り

リズムゲームで大失敗すれば「この譜面、私の未来技術と相性が悪い」と言い張る。

 

 

視聴者はそれを待っており、彼女自身もその期待をよく理解していた。

その夜も、配信は盛況だった。

 

 

 

新作の協力ゲームを三時間ほど遊び、後半はスーパーチャット読みと雑談に移った。

画面の右側を色とりどりのコメントが流れ、時折、赤や紫の高額スパチャが弾けるように表示される。

 

 

ロボボは一つずつ名前を読み、笑い、茶化し、ときには少しだけ声を柔らかくして礼を述べた。

その声に応じるように、コメント欄はさらに加速していく。

 

 

 

『今日も面白かった!』

『ロボボちゃん最高』

『二百万人の女、強すぎる』

『高性能とは』

『失敗までかわいい』

『おつロボ!』

 

 

 

 

画面の中のロボボは、配信終了の挨拶に入る頃には少し声を枯らしていたが、それすら彼女の愛嬌になっていた。

最後にいつもの決めポーズを取り、片目を閉じて、機械仕掛けのウィンクを飛ばす。

 

 

「それじゃあみんな、今日もいっぱいありがとー! 

 明日はたぶん、たぶん、ちゃんとした時間に起きられたら朝活します』

 

 

『起きられなかったら

 それは私のスリープモードが優秀すぎたってことで許してください。おつロボー!」

 

 

 

幾つか流れるコメント。

どうせ起きれないとか、前は4時間遅刻していたやら、今度ましろんとコラボするって本当? 星宮ちゃんとのコラボ楽しみ、等というコメントだ。

それらを拾い上げロボボは苦笑しながら答えた。

 

 

 

『明日の朝活はねー、たぶんねー、いや起きるよ? 

『まだ』 私は高性能だからね?』

 

 

 

 

配信画面がエンディングに切り替わり、明るい電子音楽とともに、ロボボのロゴがゆっくり回転する。

コメント欄には終了後も大量の感想が流れ続け、名残惜しさと満足感が混じった熱が画面の上に残っていた。

その中に、いくつか、違和感を訴えるコメントが混じっていた。

 

 

 

『さっき誰か喋った?』

『え、ロボボ以外の声したよね?』

『終わり際、女の人の声入ってなかった?』

『いやスタッフじゃない?』

『今の「まだ」って聞こえた』

『怖いこと言うな』

『アーカイブで確認するわ』

『最後のウィンク、目が変じゃなかった?』

 

 

 

流速の速いコメント欄では、それらはすぐに押し流された。

視聴者の大半は気づかず、気づいた者も半分は冗談として受け取り、残り半分は面白い切り抜きの種を見つけたように騒いだ。

 

 

夜のネットはそういう小さな異物を好む。

ほんの少し怖く、ほんの少し笑えて、誰かに共有したくなるものなら火種としては十分だった。

人はこういう何時もとちょっと違う違和に目ざとく、そして話題として好きなのだ。

 

 

 

 

だが、株式会社〇〇〇〇の社内システムは、それをただの盛り上がりとして見逃さなかった。

 

 

翌朝、午前八時十七分。

アーカイブ管理室の端末に、一本の確認依頼が届いた。

 

 

件名はこうだった。

 

 

 

『ロボボ昨夜配信/終盤の音声違和感について確認お願いします』

 

 

 

その文面を見た男は、まだ半分ほど残っている缶コーヒーを机に置いた。

年齢は三十代半ばほど。派手な服装ではなく、黒いカーディガンに無地のシャツ。

疲れを隠しきれない目元をした、どこにでもいる裏方の社員だった。

 

 

名前は「鳥越怜司」という。

社内では、編集が速く、音の確認に強く、面倒な案件を淡々と片づける人間として扱われている。

実際その評価は間違っていなかった。

 

 

彼は映像編集も音声修正もできる。

アーカイブの権利チェック、炎上しそうな発言の切り取り、字幕の補正。

配信トラブルの検証、モデル挙動の不具合調査まで、一通りこなす。

 

 

 

派手な成果を出す部署ではないが、彼らが手を抜けば、翌日には切り抜きと憶測と悪意が会社の外で勝手に形を取り始める。

 

 

だからこそ、怜司はまず疑う。

面倒な方ではなく単なる機材関係のトラブルを。

 

マイクの混線、通知音の誤認、BGMの圧縮崩れ。

ゲーム内ボイス、コメント欄の集団錯覚、ライバー本人の息遣い、スタッフの入り込み、音声フィルターの不具合。

 

 

世に出回る「変な声が入った動画」の大半は、そういうもので説明がつく。

人間の耳は、意味を欲しがる器官だ。何もないノイズの中にも、名前や言葉を見つけてしまう。

 

 

そうであってほしい、と彼は毎回思う。

少なくともそっちであれば対処はとても簡単だ。

機材の設定を弄ったりすればいいだけけなのだら。

 

 

 

怜司は依頼を開き、タイムスタンプを確認した。

配信終了三分前、スーパーチャット読みの終盤。

 

 

該当箇所はすでに社内ツールで切り出されており、視聴者コメントの抜粋も添えられている。

彼はヘッドホンを装着し、波形を拡大してから、一度だけ再生した。

 

 

 

ロボボの明るい声が流れる。

 

 

『明日の朝活はねー、たぶんねー、いや起きるよ? 

 『まだ』 私は高性能だからね?』

 

 

 

 

 

かすかに音が揺れた。

 

声がした。

 

若い女の声だった。

ロボボの声より少し低く、息を含まず、しかし耳の奥に直接置かれるような妙な近さで、ひとことだけ呟いていた。

 

 

『まだ』

 

 

怜司は再生を止めた。

表情は大きく変わらなかったが、ヘッドホンの側面に添えていた指先だけが、わずかに固まった。

彼は波形をさらに拡大し、該当部分を視覚的に確認する。

 

 

普通の声なら、発声の前後に呼吸や口腔音の小さな乱れがある。

人であるなら間違いなく発生する生者の音だ。

混線なら、帯域に通信由来の潰れが出る。

 

 

圧縮ノイズなら、周囲の音と連動しているのだが。

 

 

 

だが、その波形は整いすぎていた。

音声として存在しているのに、音が発生した場所の痕跡がない。

人ならば必ず混入する音の乱れを始めとした痕跡がないというべきか。

 

 

誰かがマイクの前で喋ったのではない。録音済み素材が混じったのでもない。

もっと嫌な言い方をするなら、動画の中にある「声が入る余地」だけを利用して、あとから言葉の輪郭を置いたような音だった。

怜司は小さく息を吐いた。

 

 

「……()()()かぁ」

 

 

誰にも聞こえない声でそう言い、彼はもう一度、今度は映像と同期させて再生した。

 

 

ロボボは笑っていた。

画面の中の彼女はいつも通りで、視聴者のコメントに反応しながら、わざとらしく胸を張っている。

問題の声が入った瞬間も、本人は何も気づいていない。表情トラッキングに乱れはなく、口の動きも自然だった。

 

 

 

ただ、目がおかしい。

さすがは最新鋭のトラッキング技術というべきか。

 

 

素晴らしい精度だ。

何せ恐らくはロボボの近くにいたであろう望まれない隣人の顔さえ捉えたのだから。

 

 

 

ほんの僅かなフレーム。

通常なら誰も気にしない程度の瞬きの途中で、ロボボの瞳のハイライトが左右でずれた。

モデルの不具合として処理できる範囲ではあり、実際、報告書にはそう書けるだろう。

 

 

 

だが怜司は、そのわずかなずれの奥に、アバターがカメラではないものを写し取った時の反応を見つけていた。

彼は音声だけを切り出し、逆再生はしなかった。

 

 

まだ、という単語の前後にも何か言っているのだ。

まるで古典的な反転式の暗号だ。

 

 

だが、それをしてはいけないと知っていた。

 

 

意味のない音を逆再生して面白がる程度ならいい。

だが、明らかに意図を持って差し込まれた声を、興味本位で反転させるのは危ない。

 

 

古いものは、呼び方を変えれば別の側面を確定させてしまう。

名前を呼ばれたもの、返事を待っているもの、聞かれたことをきっかけに近づいてくるもの。

そういう面倒な理屈を、怜司は子供の頃から家で叩き込まれていた。

 

 

 

簡単に言えば彼の実家は「そういうこと」のプロの一族だった。

彼は次男であるが一応全て会得している。

 

 

もっとも、彼はそれを社内で話したことはない。

話したところで、ろくなことにならないからだ。

 

 

信じない人間には笑われる。

信じる人間には縋られる。

中途半端に外へ漏れれば、怪しい番組や配信企画に呼ばれ、眉間に皺を寄せたタレントに「本物ですか?」などと聞かれる羽目になる。

 

 

 

そういう面倒は、怜司にとって怪異や幽霊そのものより厄介だった。

「そういう存在」や「そういう世界」は面白半分で題材にしていいものではないのだ。

だから彼は、社内で問われればいつも同じように答える。

 

 

よくわかんないです。

 

 

そう言っておけば、大抵の人間はそれ以上踏み込んでこない。

腕のいい編集者が専門外のことを避けているだけに見えるし、会社員としても角が立たない。

霊だの祓いだのという言葉を使わなくても、現代の職場では報告書と編集データがあれば十分なのだ。

 

 

怜司は通常の社内チャットに返信を打った。

 

 

『確認しました。おそらく音声圧縮時のノイズか、BGM由来の誤認です。

 アーカイブ公開前にこちらで軽く処理します』

 

 

 

それから、別の非公開チャンネルを開く。

参加者は三人だけだった。

社長である久我、直属の上司である槙野、そして怜司だ。

 

 

チャンネル名は何の面白みもない「特殊確認用」だが、そこに流れる案件は普通の品質管理とは少し違っていた。

 

 

 

怜司はしばらく指を止めてから、短く入力した。

 

『ロボボさんの昨夜配信、該当箇所は通常処理だけでは残ります。

 本人には聞かせないでください』

 

 

『コメントログは削除せず保存。切り抜きは早めに抑えてください』

 

 

数十秒後、槙野から返信が来た。

 

 

『また例の?』

 

 

怜司は画面を見つめ、少しだけ肩を落とした。

 

 

『わかんないです』

 

 

すぐに、槙野からため息が見えるような返信が返ってくる。

 

 

 

『了解。久我社長にも回す。今日中に処理できるか?』

 

 

怜司は問題のフレームをもう一度見た。

ロボボの瞳の奥、たった一瞬だけ混じった別の視線。

 

 

その輪郭はまだ薄い。

配信者本人に執着しているというより、コメント欄の騒ぎに引かれ、アバターという器の隙間へ指をかけた程度だろう。

 

 

今なら編集でかなり薄められる。必要なら、軽い払いで済む。

面倒だが、最悪ではない。

簡単に言えば雑魚だ。

 

 

 

『今夜やります。公開は明日の昼まで待ってください』

 

 

 

送信してから、怜司は椅子にもたれた。

モニターの中では、ロボボがまだ笑っている。

何も知らず、昨日の成功した配信の熱だけをまとい視聴者への感謝を繰り返している。

 

 

その笑顔は作られた表情であり、モデルデータであり、同時に二百万人に愛された顔でもあった。

 

 

まるで星の様に彼女は輝いていた。

その眩しさはとても美しくて、だから呼び込んでしまうのだ。

 

 

 

怜司は机の引き出しを開けた。

そこには予備のケーブルやメモリカード、古いUSBメモリの奥に、小さな布袋がしまわれている。

中身は、鈴と、折り畳まれた白い紙と、実家から持たされた古い守り札。

 

 

 

ちょっとばかり時代錯誤ではあるが誰が見ても家族からの贈り物か、程度にしか思われないちょっと趣味のグッズの様なもの達。

 

 

 

 

彼は誰にも見られないように布袋を指先で押し戻し、引き出しを静かに閉めた。

 

 

まずは編集で済ませる。

これで終るならば良し。

この仕事には「終了済み」というハンコを押せる。

 

 

それが駄目なら、夜にやる。

怜司はヘッドホンを外し、もう一度、通常業務用の顔に戻った。

社内チャットには別案件の催促が流れ、隣の席では後輩がサムネイル用の画像を確認している。

 

 

 

外から見れば、ただの朝のオフィスだった。

誰も、昨夜の配信に混じった声のことを本気で怖がってはいない。

それどころか知っている人も余り多くないだろう。

 

 

 

 

それでいい、と怜司は思った。

怖がる人数が増えるほど、ああいうものは形を持つ。

だから、彼の仕事はいつも同じだった。

 

 

彼のやることは怪異を暴くことではない。

派手に漫画の様に立ち回り戦うのでもない。

まずはとにかく怪異に名前や居場所をを与えないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼過ぎ、休憩の後に怜司は仕事を続けていた。

 

 

奇妙な声をなかったことにする、という言い方は正確ではない。

怜司は問題の箇所をただ切り取り、音を潰し、映像を差し替えて終わりにすることを好まなかった。

 

 

完全な削除は、時にかえって輪郭を作る。

そこに何かがあったから消されたのだと、人間は勝手に想像し物語性を見出してしまう。

想像は意味を生み、意味は名前を呼び、名前を呼ばれたものは存在が補強される。

 

 

 

だから必要なのは空白ではなく、表向きの理由だった。

彼は編集ソフトのタイムライン上で該当箇所を拡大する。

問題の声が浮かび上がる数秒前から、BGMの帯域をわずかに調整した。

 

 

 

ロボボの声の後ろに薄く走っていた電子音を少しだけ前へ出し、ノイズリダクションの処理痕をあえて残す。

きれいに消すのではなく、機材側の不調士して見えるようにするためだった。

 

 

 

映像も同じだ。

僅かなフレームだけずれた瞳のハイライトは、無理に修正すれば不自然になる。

だから怜司は、その直前のモデル挙動にごく小さなトラッキングブレを足した。

 

 

フェイストラッキングの誤検知。照明反射。

まばたき認識の遅延。

そう説明できる余地を映像そのものに付け足していく。

 

嘘ではない。

少なくとも、表向きにはそう言える。

彼は報告書の備考欄に淡々と文章を打ち込んだ。

 

 

 

『終盤の音声違和感については

 BGM帯域と配信者音声の圧縮処理が重なったことによる誤認の可能性が高い』

 

 

『該当箇所は音声バランスを再調整済み。

 映像上の瞬き違和感については、トラッキング処理の一時的な誤検知と判断』

 

 

『アーカイブ版では軽微な補正を実施』

 

 

読み返しても、何の面白みもない文章だった。

おおよそ人がオカルトに期待しているものとは真逆の文の羅列だ。

 

 

 

だがそれでいい。

物語を与えないのが大事だ。

 

 

面白い文章はこういう時には邪魔になる。

怖がらせる必要も、納得させすぎる必要もない。

担当者が確認し、機材由来の不具合として処理し、アーカイブは通常通り公開される。

 

 

関係者がそう受け取れば、それ以上の話にはなりにくい。

ロボボ本人への説明も、同じ筋で通すことになった。

 

 

 

夕方、配信前の短い確認ミーティングでロボボの中の人は少し申し訳なさそうに通話へ入ってきた。

画面には顔を出さず、事務所用のアイコンだけが表示されている。

普段の配信では高性能アンドロイドとして軽快に喋る彼女も、裏では案外落ち着いた声をしていた。

 

 

ロボボ──羽柴透子は少しだけおどおどした様子で口を開いた。

 

 

「昨日のやつ、やっぱり何かありました? コメントでちょっと騒がれてたので」

 

 

その声には仕事として心配している緊張と、個人として気味悪がっている揺れが薄く混ざっていた。

怜司は資料を開いたまま、いつもの平坦な声で答える。

 

 

 

「機材側の誤検知ですね。

 終盤、BGMと声の帯域が少し重なって

 視聴者側では別の声みたいに聞こえた可能性があります。

 映像の瞬きも、トラッキングが一瞬だけ拾い損ねた感じです」

 

 

「あ、じゃあ幽霊とかじゃないんですね」

 

 

彼女は笑おうとしたが、声の端が少しだけ硬かった。

怜司はその硬さを聞き取りながら、あえて間を空けずに言葉を重ねる。

 

 

「そういうふうに言ってしまうと余計に広がります。

 切り抜きのタイトルにも使われますし、次の配信でリスナーがその話ばかりします。

 なので、聞かれたら“機材くんが寝ぼけたらしい”くらいで流してください」

 

 

「機材くんが寝ぼけた」

 

 

自分が以前にやった機材の問題などを思い出し彼女は微妙な顔をする。

トラッキングが変な挙動をして体が跳ねまわったり、カメラの前で転倒して物凄い速度で絶叫しながら画面からフェードアウトしたことが彼女にはある。

それに比べれば今回の挙動など可愛いものだ。

 

 

「ロボボさんなら、その方がネタにしやすいと思います」

 

 

通話の向こうで、彼女が少し息を抜いた気配がした。

肩の力が落ちる時、人の声はほんの少し低くなる。

怜司はその変化に、ひとまず安堵する。

 

 

 

「了解です。じゃあ、変に怖がらない感じでいきます。

 私が怖がると、みんな面白がって余計に言いますもんね」

 

 

「はい。二重の意味で、あまり得がありません」

 

 

「二重?」

 

 

問い返されて怜司は一瞬だけ黙った。

説明しても意味がない。意味がないどころか、害がある。

 

 

 

幽霊だの、ヤバいだの、本物だのと口にすれば、それは本人の恐怖になる。

本人が恐怖を持てば、配信中の声や反応に滲む。

視聴者はそれを拾い、喜び、騒ぎ、拡散する。

 

 

そうしてただの違和感だったものに物語が与えられ、物語に題名がつき、やがて名前に近いものが生まれる。

その先は、面倒では済まない。新しい怪物の誕生だ。

 

 

「配信上のリスクと、メンタル面のリスクです」

 

 

 

怜司は結局、そう答えた。

通話の向こうのロボボは、それで納得したようだった。

彼女は少し明るい声で礼を言い、今日の配信準備へ戻っていく。

 

 

怜司は通話を切ったあと、しばらく無音になった画面を見ていた。

 

 

 

vtuberとこの手の存在の相性は最悪だ。

人間側から見れば、これほど危うい組み合わせもない。

けれど向こう側からすれば、おそらく最高に近い環境なのだろう。

 

 

かつて怪異が広まるためには、噂話が必要だった。

井戸端会議、学校の廊下、週刊誌、深夜番組、口コミ、都市伝説。

誰かが語り、誰かが怯え、誰かが面白がって次へ渡す。その速度には限界があり、土地や世代や媒体の壁もあった。

 

 

 

今は違う。

たった一人の放送に、ほんの一秒、ほんの一音だけ割り込めばいい。

 

 

それだけで数万人が同時に気づく。

気づかなかった者も、コメント欄の反応で振り返る。

アーカイブが残り、切り抜きが生まれ、検証動画が作られ、SNSで短い文字列が拡散する。

 

誰かが音量を上げ、誰かが逆再生し、誰かが波形を見せ、誰かが「名前」を考える。

 

 

 

 

畏怖は信仰に似ている。

恐怖もまた供物になる。

 

もしあの声に、誰かがわかりやすい名前をつけたら。

もしそれが面白半分に広まり、「ロボボの配信に出る女の声」として認識され続けたら。

 

 

次は別の配信に出るかもしれない。

コラボ先に混じるかもしれない。視聴者の端末に残るかもしれない。

推しの名前を呼ぶために集まった無数の視線がそのまま別のものを形作るかもしれない。

 

 

 

そうして噂は拡散しSNSを飛び出し現実の人々の間に感染していく。

そうなったらもう最悪としか言いようがない。

昔の口裂け女のように、噂だけで社会が揺れることはある。

 

 

 

あれは古い話ではないし終わった話でもない。

何なら今の方が危険だ。

 

媒体が変わっただけだ。

学校の帰り道で囁かれていたものが、今はクリップ動画とコメント欄とおすすめ欄に乗って走る。

噂は足を持たなくなったかわりに、回線を持った。

 

 

それはかつてよりずっと早い。

人が怖がるより先に広まり、人が飽きるより先に別の意味を取り込み、騒ぎが落ち着く頃には、もう十分に肥えている。

 

 

 

怜司の仕事は、そういう楽な稼ぎをさせないことだった。

怪異を祓うよりも先に稼がせない。

 

 

認知度を与えない。

名前を与えない。

考察の余地を与えすぎない。

 

 

 

視聴者が笑って流せる程度の説明を置き、ライバー本人が不安を育てないようする。

そして会社が余計な宣伝材料として扱わないように釘を刺す。

必要なら切り抜き申請を止め、サムネイルの文言を変えさせ、コメント欄の特定ワードを一時的に伏せる。

 

 

 

 

地味で、面倒で、誰にも褒められない仕事だった。

だがそれを怠れば、画面の中の小さな異物はあっという間に社会の内側で名前を得る。

 

 

怜司は夜まで待ち、社員の少なくなったアーカイブ管理室で、ロボボの配信データをもう一度開いた。

蛍光灯は半分だけ落とされ、窓の外には隣のビルの明かりが四角く並んでいる。

 

 

 

日中はただの編集室だった場所が、夜になると少しだけ違う顔をする。

機材の待機音、空調の低い唸り、遠くで鳴るエレベーターの到着音。そういう何でもない音の隙間に、余計なものは入り込みやすい。

 

 

 

机の上には、白い紙が一枚。

その横には安い日本酒の小瓶と、小さな鈴。

 

 

派手な祭壇など作らない。

そんなものを会社で広げれば、自分の首を絞めるだけだ。

必要なのは形式ではなく、筋道だった。

 

 

どこから来たのか。何に触れたのか。何を欲しがっているのか。何を与えてはいけないのか。

怜司は該当箇所を音量ゼロで再生した。

 

 

ロボボが笑う。

コメントが流れる。

画面の中の時間は、昨日の夜に固定されたまま進んでいく。

問題のフレームが近づくにつれて、モニターの色温度がわずかに冷えたように見えた。

 

 

気のせい、ということにしておく。

怜司はいつもそう決めている。

気のせいにできるものは、気のせいにした方がいい。

 

 

すべてを霊だと認める者は、そのうち何もかもに意味を見出し発狂してしまうだろう。

けれど、画面の中でロボボの瞳がずれた瞬間、机の上の鈴が、触れていないのに小さく鳴った。

 

 

ちりん、と。

澄んだ音は一度きりで止まった。

怜司は目を細め、白い紙の端を指で押さえる。

 

 

紙には何も書かれていない。書いてはいけない。名前を与えないための紙だ。

お前に名前はない。存在しない。故に在ってはならない。

 

 

「存在しない」

 

 

 

彼は低く言った。

誰に向けた言葉でもない。

ならばこれは独り言だ。

 

 

存在しないものに声などかける必要はない。

 

 

「映ったわけでも、呼ばれたわけでも、招かれたわけでもない。

 聞き間違いで終わる場所だ。だから、居ない」

 

 

画面の中で、コメント欄が一瞬だけ乱れた。

再生済みのログであるはずなのに、文字列の端が薄く滲み、存在しないコメントが一行だけ混じる。

 

 

『まだ』

 

 

怜司は、それを読まなかった。

目に入っても、読んだことにしない。

読める文字であっても、意味を認めない。

 

 

 

彼は映像の該当部分に、あらかじめ用意していた音声補正を重ね、BGMの電子音をほんの少しだけ強くした。

ロボボの笑い声が前に出て、問題の隙間を埋める。

さらに映像側へ軽いブラーを入れ、瞬きのズレを、ただの処理落ちに見える範囲へ落とし込む。

 

 

 

画面の奥で、何かがわずかに引っかいたような気配がした。

怜司は鈴を鳴らした。今度は自分の手で。

 

ちりん、と音が落ちた瞬間、モニターの端に浮かんでいた滲みが薄れる。

消えたのではない。消したと言い切るほど、彼は傲慢ではなかった。

 

 

ただ、ここには居ない事にした。

認識される道を塞ぎ、騒がれる余地を薄め、名前になる前の輪郭を、もう一度ただのノイズに戻した。

 

 

 

それで十分だった。

怪異は、勝手に怪異になるわけではない。

 

 

 

人が見る。人が語る。人が怖がる。人が名前をつける。

その積み重ねで、曖昧なものは曖昧でなくなっていく。

ならば逆もできる。見たことにしない。語らせない。怖がらせない。名前を置かない。どれほど地味でも、それは立派な対策だった。

 

 

 

処理が終わった頃、時計は午前一時を少し過ぎていた。

怜司はアーカイブ版を書き出し公開予約を明日の昼に設定した。

久我と槙野のチャンネルには、短く報告だけを入れる。

 

 

 

『処理完了。通常公開で問題ありません。本人への説明は機材誤検知のままでお願いします』

 

 

 

送信してから、彼は椅子に沈むように背を預けた。

肩に疲れが重く乗っている。

目の奥が鈍く痛み、耳にはまだ鈴の余韻が残っていた。

 

 

しばらくして、槙野から返信が来た。

 

 

 

『助かった。明日は休むか?』

 

 

怜司は画面を見て、少しだけ口元を歪めた。

 

 

『午後は出ます。午前は……ちょっと休みたいですね』

 

 

返事を打ち終えると彼はモニターの電源を落とした。

黒くなった画面に、疲れた自分の顔が映る。

どこにでもいる会社員の顔だった。

 

 

霊能者でも、祓い屋でも、テレビに呼ばれるような怪しい専門家でもない。

ただの裏方。配信者の輝きが余計なものを呼ばないように、呼んでしまっても名前になる前に潰す、そういう仕事をしている男。

 

 

 

彼の名前は呼ばれない。

ただ「スタッフさん」とだけ演者からは呼ばれるだけだ。

 

 

それでよかった。

怜司は机の上の白い紙を丁寧に折り、何も書かれていないまま封筒へ入れた。

小瓶の酒は流しへ捨て、鈴は布袋に戻す。痕跡を残さないことも、手順の一部だった。

 

 

翌日の昼、ロボボのアーカイブは予定通り公開された。

そしてその夜、ロボボは新しい放送を開始した。

ちなみに朝活は失敗したらしい。

 

 

 

コメント欄には、前の違和感について触れる者もいた。

しかしロボボ本人が配信で「機材くんが寝ぼけてたらしいです。高性能アンドロイドの配信環境に反逆するとはいい度胸ですね」

と笑い飛ばしたことで、話題はすぐに別の方向へ流れていった。

 

 

 

視聴者は笑い、切り抜き師は別の名場面を拾いSNSではロボボの朝寝坊の方がよほど大きく拡散された。

 

 

 

それでいい。

何も起きなかった、という結果は何もしていないことと同じに見える。

怜司はロボボの切り抜き一覧を確認し、例の箇所が大きく扱われていないことを見届けた。

 

 

 

画面の中のロボボは、今日も笑っていた。

明るく、騒がしく、少し抜けていて、200万人に愛される電子のアイドルとして。

その輝きの端が何かを呼ぶとしても、呼ばれたものに楽な認知度稼ぎをさせる気はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




続きは明日投稿いたします。
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