放送事故ではありません。   作:宇宙きのこ(ヴァーチャル)

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ちょっと納得いかなかったので色々とやっていたら更新が遅くなりました。






外部タレント心霊企画後異常 その3

 

 

数字だけを見ればそれは間違いなく成功だった。

 

 

 

夜坂ハルトの心霊スポット企画は、公開から日数を経てもなお勢いを落とさなかった。

再生数は伸び続け、登録者数は悲願の50万を超えた。

切り抜きは短い悲鳴や軽口だけでなく、例の音声を増幅した検証動画にまで枝分かれしている。

 

 

 

SNSでは「本当に声が入っているのか」「ハルトは何かを連れて帰ったのか」「あの部屋はどこなのか」という言葉が広がり続けている。

半分は冗談、半分は本気、もはやこれは娯楽として拡散している。

 

 

 

 

 

▲▲▲▲社の会議室でも、その数字と状況は当然のように共有されていた。

 

 

大型のモニターには再生数、登録者増加数、切り抜き経由の流入、関連ワードの検索推移が並んでいる。

どれも普段の企画ではなかなか出ない伸び方だった。

夏前のホラー企画としては理想的で、炎上と呼べるほどの悪評もない。

 

 

 

繰り返すが今回の件はデータだけ見れば成功だ。

場所特定を煽るコメントは一部にあったが、それも管理側が削除要請を出せば収まる範囲で済んでいる。

そもそもそういう所の具体名を書かないというのはネットにおけるリテラシーであり、滅多に実名は出ない。

 

 

 

「初動としては、今年一番ですね」

 

 

企画担当の一人が、少しだけ声を弾ませてそう言った。

隠しきれない安堵と興奮が混ざった声だった。

ここまでの良い意味でのバズりは滅多になく、関りをもててうれしいと思うのは当たり前かもしれない。

 

 

もちろん彼に悪意があるわけではない。

担当した企画が伸びて、タレントの登録者数も増えているのだ。

会社員として喜ぶのは当然だった。

 

 

 

「切り抜きもかなり回っています。再生数は100万を超えている。大成功ですよ!」

 

 

別のスタッフが続ける。

会議室の空気は慎重さを保とうとしながらも、どこか浮いていた。

誰も露骨に笑いはしないが、数字が好調であることは全員が知っている。

 

 

配信業界において、数字は現実だった。

それを誰もが追い求めているのは実際にある現実だ。

再生されるということは見られているということで、見られるということは、その配信者が次の機会を得るということでもある。

 

 

多くの配信者はこの無情な数字をどうやって増やそうかと試行錯誤し、中には道を踏み外すものだっているのだ。

 

 

 

 

だが。

ただ一人、ハルトの担当マネージャーだけは資料から視線を上げたまま黙っていた。

彼女の指先は、膝の上で固く組まれている。

爪が手の甲に食い込むほどではないが、無意識に力が入っていた。

 

 

 

目の前の数字が成功を示すたびに、彼女の中では別の映像がよみがえる。

全ての発端で、今にして思えば成功/失敗の始まりだったあの光景が。

 

 

 

暗い宿泊棟の廊下。勝手に開いた扉。

ライトを向けても奥だけが沈んでいた部屋。

そして、ハルトがいつもの調子で笑いながら名乗った瞬間。

 

 

口は災いの元。

ソレは今も昔も変わらない。

ただその範囲は人と人の付き合いだけではなかったということだ。 

 

 

 

――自分、▲▲▲▲社の夜坂ハルトと申しまーす!

 

 

 

あれは軽口だった。

撮れ高のためのネタであり、ホラー企画の空気を重くしすぎないための彼なりの処理だった。

 

 

だが、あの瞬間から彼女は廊下の空気が変わったように感じていた。

音が消えたり温度が下がったのでもない。

ただ、あの場所で奥に沈んでいたナニカが、こちらを向いたような気がした。

 

 

その直後に入った小さな音を今は何万人もの人間が増幅し、反転し、意味を探しているのを思うにやはりアレが失敗だったのだろう。

 

 

 

「担当として、提案があります」

 

 

 

彼女が口を開くと、会議室の空気がわずかに落ち着いた。

上層部の一人が顔を向ける。

彼女は手元の資料を閉じて数字ではなく、そこにいる人間たちを見た。

 

 

 

「一度、ハルトさんをこの話題から離した方がいいです。

 心霊スポット動画も、せめて一時的に限定公開へ戻してください」

 

 

「切り抜きも、問題箇所を扱ったものは止めた方がいいと思います」

 

 

 

 

言葉は静かだったが、会議室に居る面々の顔に戸惑いが浮かんだ。

彼らとて昨今の彼の配信にまつわる噂は知っている。

だが、それはあくまでも少し疲れているなと思う程度だ。

 

 

 

「そこまでするほどか?」

 

 

 

最初に返したのは上層部の一人だった。

責める口調ではない。

だが、その声にはやはりというべきか明らかな困惑があった。

 

 

「炎上しているわけではない。

 本人も雑談で笑いながら触れているし、視聴者も心配半分にそれでも楽しんでいる空気だろう」

 

 

 

「彼は疲弊しています。今はネタとして何とかやり過ごしているだけなんです」

 

 

彼女はすぐに返した。

 

 

「確かに配信の中では笑っています。でも……あれはいつもの怖がり芸じゃありません。

 

 

 

ハルトは本気で追い詰められていると彼女は知っている。

幽霊だの影なんだのは横に置いといて、そこだけは事実だから彼女はそこを追求する。

 

 

 

「彼は不眠症になりかけています。一度医者に見せるべきだと私は考えています」

 

 

「……それなら体調面で休ませるのは分かる。だが動画を止める理由には弱い」

 

 

 

別のスタッフが言った。

彼もまた、現実的なことを言っているだけだった。

 

 

この世界では勢いが大事だ。

ここまで波が来ているのにそれを自分で止めるのか? と。

 

 

「下手にこっちが火消しに動けば逆に何かあったように見えるのでは?」

 

 

「それこそ視聴者は余計に騒ぐかもしれない。

 こういう時は自然に次の話題へ流す方がいい。1か月もすれば違う話題が主になっているだろう」

 

 

 

彼女は、その理屈が間違っていないことを理解していた。

ネットの話題は、強く止めようとすると逆に強く燃えることがある。

 

 

隠そうとすれば、隠した理由を探される。

俗にいう「消すと増える」だ。

 

 

だから、対策として穏やかに何もせずに流す。

数字が落ち着くまで次の通常企画を重ねて忍耐する。

配信事務所としては何処までも堅実な判断だった。

 

 

 

けれど、彼女の脳裏にはあの廊下の雰囲気が残っている。

 

 

 

「強がっているだけです」

 

 

彼女は、少しだけ声を強めた。

 

 

「私は現場にいました。

 あの部屋の前で、ハルトさんが名乗った時の空気を覚えています」

 

 

 

「あれをネタとして扱っている間は……きっと彼は安心できません」

 

 

 

「空気、か」

 

 

 

その言葉に会議室の誰かが少し困った顔をした。

彼女自身もそれが業務会議で使うには弱すぎる言葉だと分かっていた。

 

 

空気が悪かった。嫌な感じがした。

撮れ高のためだった。

 

 

どれも報告書には書きづらい感情的な言葉だ。

数字に対抗できる単語ではなく、現実的に考えても会社はソレだけでは動けない。

 

 

タレントを守るためにも、売上を守るためにも判断には現実的な理由が必要だった。

 

 

 

 

結局、その会議で決まったのは彼女が望んだ全面停止ではなかった。

 

 

 

夜坂ハルトには数日の休養を提案する。

 

次回配信からは心霊スポットの話題を控える。

切り抜きについては場所特定につながるもの、過度に不安を煽るものだけ個別に対応する。

 

 

 

動画本編は当面そのまま公開を続ける。

これが精一杯、現実的な落としどころだった。

 

 

 

会議室を出た後、彼女は廊下でしばらく立ち止まった。

ガラス越しに見えるオフィスではスタッフたちが通常通り働いている。

イベント案件の打ち合わせ、グッズ納期の確認、別の所属タレントの配信予定。

 

 

 

誰もが忙しく、誰もが会社を回している。

その「普通」が今はひどく遠く感じられた。

 

 

 

数字は伸びている。

だから誰も、止める理由を見つけられない。

数字とは=で利益だ。故にそれを捨てることは難しいのだ。

 

 

 

彼女は社用端末を開き、ハルトの直近の配信ログをもう一度確認した。

コメント欄には心配と好奇心が混ざった言葉が残っている。

 

 

『本当に連れて帰ってない?』

『後ろ見て』

『例のやついる?』

『準レギュラー化してるじゃん』

『名前つけようぜ』

 

 

 

胸の奥が重くなる。

その時、業界内の共有連絡網に新しい文書が流れてきた。

彼女の同業の友人が「こんなのあった」と送ってきてくれたのだ。

 

 

元は、株式会社〇〇〇〇の代表名義だった。

件名はひどく事務的だった。

 

 

 

『配信中の音声・映像違和感発生時の対応メモ』

 

 

 

ソレはかつてロボボが見せられた書類だった。

 

 

 

彼女は、最初それをよくある安全管理資料だと思った。

大きな事務所ほど、こういう文書を業界内へ流すことがある。

深夜配信での体調管理、切り抜き許諾、権利物の扱い、コメント欄の荒れ対策などの共有だ。

 

 

 

どれも珍しいものではない。

この世界は広いようでまだまだ発展途上で狭い。

vとして大物であっても表の世界ではまだまだなことなど多々ある。

 

 

だからこそ一定の秩序が求められる。

その為の秩序とリテラシーの規格統一が必要なのだ。

 

 

 

それを開いた数秒後、彼女の指が止まった。

文面はあくまでも淡々としていた。

 

 

 

 

異常音声、映像上の不審な揺れ、モデル挙動の不自然な変化を確認した場合。

その場合は配信者本人が即座に恐怖を煽る表現を行わないよう注意すること。

 

 

視聴者に対し、該当箇所の検証、反復再生、逆再生、音声増幅、場所特定、再現行為を促さないこと。

問題箇所を含むアーカイブは、公開前に社内管理担当者が確認すること。

必要に応じて一時非公開、限定公開、該当部分の編集、コメント欄制限を行うこと。

 

 

配信者本人が不安や違和感を訴えた場合。

配信終了後に一人でアーカイブや録画を確認させず、マネージャーまたは管理担当者へ報告させること。

 

 

 

切り抜き、ショート動画、検証動画化されそうな場合は該当箇所の扱いを事前確認すること。

及び名称化、タグ化、シリーズ化、定番ネタ化は避けること。

 

 

 

心霊企画、現地収録、曰く付き素材、出所不明音声を扱う場合は配信安全管理上の追加確認を行うこと。

 

 

 

淡々とした文書だった。

怪異という言葉はなく霊障や、呪いや、取り憑きといった単語もない。

けれど、そこに書かれているものは今まさに夜坂ハルトの周囲で起きていることだった。

 

 

 

 

反復再生。逆再生。

音声増幅。名称化。タグ化。

配信終了後に一人で確認させないこと。

 

 

 

彼女は、ハルトが自分の切り抜きや検証動画を何度も見ていることを知っている。

怖いと言いながら、どうしても確認してしまう。

自分の背後に影があると言われれば巻き戻し、声が聞こえると言われればイヤホンをつけている。

 

 

 

誰かが「何か返事してる」と書けば、その箇所を何度も再生してしまう。

 

 

彼は配信者だからだ。

自分がどう見えているのか、どこが切り抜かれ、どう拡散されているのかを見ないわけにはいかない。

 

 

 

けれど、この文書は、それをするなと言っていた。

まるで預言書の様に全てを言い当てている。

 

 

 

 

名称化、タグ化、シリーズ化は避けること。

 

 

 

彼女はその一文を見つめた。

コメント欄で流れた言葉が頭の中に戻ってくる。

 

 

 

例のやつ。

背後さん。

準レギュラー。

名前つけようぜ。

 

 

それらはどれも冗談だった。

笑いの一部であり、ホラーを安全な距離へ戻すための軽口だった。

だが、この文書を読んだ後ではすべてが別の意味を帯びて見える。

 

 

 

一般論に見えてまるで今の夜坂ハルトのために書かれたようだった。

 

 

彼女はしばらく端末を握ったまま動けなかった。

やがて、本文の末尾にあった連絡先を確認し、久我誠一の名前を見つける。

 

 

 

連作先も書いてある。

彼女は迷った。

 

 

いま、ここで連絡していいものだろうか。

当たり前の話だが▲▲▲▲社と久我の会社は同業他社だ。

自分は夜坂ハルトのマネージャーとしての責任と▲▲▲▲社の一員としての責任がある。

 

 

そんな自分が勝手な事をして他の会社に連絡を取るのは……絶対に良くはない。

最悪の場合は責任や情報の流出の有無を問われ、懲戒も十分にありうる。

 

 

 

簡単な話だ。

ここで彼を見捨てればなかったことに出来る。

少なくともこれ以上のリスクは背負わなくてもいい。

 

 

だって自分は既に上にリスクの報告はあげており、再三にわたって警告はしていた。

それにもしもアレが本当にそういうものであるならば、仮に何かあっても犯罪として立証するのは難しいだろう。

 

 

出しゃばりすぎだと彼女の中の冷静な部分が囁いていた。

夜坂ハルトは配信者で自分はマネージャー。

仕事だけの関係で、恋人でも何でもない。

 

 

しかも相手は生身の犯罪者ならともかくいるかもどうか判らないナニカだ。

全部夜坂ハルトが精神的に不安定で幻覚を見ている可能性だって十分にある。

 

 

つまり彼女の悩みはこういうことになる。

人生を賭けてまで彼を助ける必要なんてあるのだろうか、と。

 

 

 

「…………」

 

 

迷いは長くなかった。

 

 

 

 

彼女はそこに短い文章を打った。

夜坂ハルトの担当であること、心霊スポット企画後に本人の状態が悪化していること。

共有された対応メモの内容と自分たちの状況が一致しているように見えることなどを手早くまとめて送る。

 

 

 

 

文面はできるだけ冷静に整えたが、送信する直前、指先がわずかに震えた。

あぁ、これで私の人生も終わりかも知れないとさえ思った。

 

 

 

 

返事は思ったより早く来た。

久我は直接的なことを書かなかった。

ただ、簡潔にこう返してきた。

 

 

 

 

『もし本当に困っているなら、弊社の配信管理に詳しい者と話す場を作れます』

 

 

その一文を見た時、彼女は自分がようやくどこかへ繋がったような気がした。

出口が見えないトンネルをさまよっていたら、ようやく光が微かに見えたような。

ソレが本当に外に繋がっているかは判らないし、もしかしたら大失敗への一歩かもしれない。

 

 

何にせよ救われたというにはまだ早い。

何が起きているのかも分からない。

だが少なくとも、あの気味の悪さを「気のせい」だけで終わらせない人間が向こうにはいる。

 

 

 

 

 

 

後日、彼女は株式会社〇〇〇〇を訪れた。

表向きは有給という名目で会社を休んだ上でだ。

 

 

 

案内されたのは特別な部屋ではなかった。

ごく普通の小会議室で白い壁、長方形のテーブル、四脚の椅子、壁際にはモニターがある。

会社同士の簡易打ち合わせに使われるどこにでもあるような部屋だった。

 

 

 

そこに座っていた男も特別な外見ではなかった。

 

 

 

鳥越怜司。

配信管理に詳しい者として紹介されたその男は三十代半ばほどに見えた。

 

 

 

派手な服装ではなく表情も薄い。

霊能者にも、危機管理コンサルタントにも、ましてや芸能関係者にも見えない。

ただ、疲れの残った目元だけが妙に印象に残る男だった。

 

 

 

彼女は、持参した資料をテーブルに並べた。

心霊スポット動画の該当箇所、検証切り抜きの一覧。

ハルトの配信ログ、直近の体調メモ、コメント欄で増えている言葉。

 

 

 

「必要なら、動画を――」

 

 

 

「再生はしなくていいです」

 

 

 

怜司は彼女の言葉を静かに遮った。

声は冷たくはないが、迷いもなかった。

 

 

 

「検証しに来たわけではありませんよね」

 

 

その瞬間、彼女はこの男が普通の配信リスク担当ではないと悟った。

怜司は映像を怖がって避けているのではない。

見るという行為そのものを必要以上に増やさないようにしている。

 

 

 

彼女は資料から手を離した。

 

 

 

「ハルトさんは、危ないんですか」

 

 

もっと順を追った質問をするつもりだった。

だが、口から出たのはそれだった。

ここ数日、ずっと胸の奥に沈んでいた問いだった。

 

 

まるで医者に話を伺う親族の気分だ。

怜司は、少しの間も置かなかった。

 

  

 

「危ないです」

 

 

 

その断言は、会議室の空気を一段沈めた。

彼女は膝の上で手を握る。

 

 

 

「彼は現地から連れ帰っています。

 しかし、問題はそれだけではありません」

 

 

 

怜司は夜坂ハルトのことだけを話す。

時間はあまりない。

前置きだの社交辞令だのはこの際なしだ。

 

 

 

「持って帰ったものを、育ててしまった。そして今や名前がつけられそうになっている」

 

 

「……名前、ですか」

 

 

「はい」

 

 

怜司は資料の端に添えられていたコメント抜粋を指で軽く押さえた。

そこには、彼女が見たくなかった言葉が並んでいる。

 

 

 

『例のやつ』

『ハルトの背後さん』

『名前つけようぜ』

 

 

 

「名前がつくと人々に共有され、探されやすくなります」

 

 

昔はこういうものの名を探すには書物を探し、辞書を引き、口伝で知っている人物を探し回る必要があった。

ソレが今や端末で入力するだけで見つけることができる。

相手からしても一度それを得てしまえば後はボタン一つで見つけてもらえる。

 

 

そして見つけた人が増えれば増える程に強くなる。

正しく最悪の組み合わせだ。

 

 

 

「探しやすくなると、それを多くの人が知ります。

 そういった人間が増えるほどにこういうものは強くなります」

 

 

 

皮肉にもこれはvtuberの本質に近いものがある。

知名度を得れば得る程にvは大きくなっていく。

チャンネルの登録者が多ければ多い程に雪だるま式に認知は広がりvは成長する。

 

 

 

あちらの存在も同じだ。

vにとってのチャンネル登録とは、向こうからしたら知ってもらう事、興味を持ってもらう事なのだ。

 

 

 

 

あまりにも事務的な説明だった。

だがその内容は、彼女が現場で感じたものよりもずっと冷たく、ずっと具体的だった。

 

 

 

「一番まずかったのは彼の謝罪です。一人の時ならばともかく、配信上で謝るのはまずい」

 

 

 

彼女は顔を上げた。

 

 

「謝る?」

 

 

 

「謝罪は相手を上に置く行為です。許す側と、許される側の関係を作る。

 本人が一人で泣いているだけなら、まだ閉じた場所の出来事で済みます。

 ですがそれを視聴者の前でやると、見届け人ができます」

 

 

謝罪をする/受け入れる二つの存在と見届け人。

数万人が「あの人は怪異に負けた。下だ」と認識される。

これも一種の契約だ。

 

 

 

怜司の言葉が彼女の胸の奥に重く沈んだ。

ハルトは言ってしまったのだ。

そしてその言葉は確かに配信に乗り、コメント欄に拾われていた。

 

 

 

『今謝った?』

『何に?』

『例のやつ怒ってる?』

 

 

 

彼女は、喉の奥が乾くのを感じた。

取り返しのつかないところまで進んでいるかもしれないと思った。

 

 

 

「もし、次に謝ったら」

 

 

「かなりまずいです」

 

 

 

 

 

怜司の答えは短かった。

さすがに最期とは言わない。

だが、彼の眼は本気だった。

 

 

 

彼女は視線を落とした。

ここまで来ると、もう「気味が悪い」では済まなかった。

 

 

 

「どうすればいいですか」

 

 

 

声は思ったより小さかった。

怜司は淡々と答えた。

まるで病気が見つかった患者に専門の病院に行けと言わんばかりに。

 

 

 

「お祓いに行かせてください」

 

 

 

その言葉だけが奇妙に古かった。

 

 

彼女は一瞬、意味を飲み込めなかった。

お祓い。安全祈願。神社。寺。

確かに芸能関係ではまったく縁遠い言葉ではない。

 

 

舞台の成功祈願、スタジオのお清め、新番組前の神事。

そういうものはむしろ業界の中に普通にある。

 

 

 

けれど今、怜司が言ったそれは縁起担ぎではなかった。

もっと実務的で現実に即したような態度だ。

 

 

 

「表向きは安全祈願で構いません。

 現地収録後の心理的負荷を区切るため。そう説明すればいい」

 

 

 

「行けば……解決しますか?」

 

 

彼女が問うと怜司は断言しなかった。

 

 

 

「行ければ」

 

 

その言い方に彼女の肩がわずかに強張る。

怜司は構わず続けた。

 

 

「彼はおそらく行きません」

 

 

会議室が静かになった。

廊下の遠くで、誰かの足音が薄く聞こえた。

 

 

 

「どうして、そう言えるんですか」

 

 

 

「彼からアレが離れたがらないからです」

 

 

 

怜司は、何かの怪談を語るようには言わなかった。

社内手順を説明する時と同じ声で淡々と続ける。

 

 

 

 

「発熱、吐き気、寝坊、急な恐怖、連絡不通。

 形は何でもいい。本人は自分の意思で行かないと思うでしょう」

 

 

 

「ですが、彼はもう自分だけで決めている状態ではない」

 

 

 

ハッキリという。

もうハルトは自我さえ無意識に誘導されていると。

その言葉に彼女は言葉を失った。

 

 

ハルトが行きたくないと思うことは想像できる。

怖いものを本当に怖いと認めるのは、彼にとってもきついだろう。

いま話題になっている流れを止めたくない気持ちも分かる。

 

 

 

だが怜司の言い方は、その程度の心理的抵抗を指していなかった。

 

 

 

もう本人だけで決めている状態ではない。

その言葉が耳の奥で何度も反響する。

 

 

 

 

「とにかくお祓いの予定は入れてください」

 

 

「今すぐに、この会談が終わったら速攻で。

 彼が何と言おうと無視してください。それは彼の意思ではありません」

 

 

怜司は続けた。

 

 

「その上で彼が来なかった場合を前提にしてください」

 

 

「次に彼が配信をしたら直ぐにでも部屋に突入して配信を切断し

 画面から引きはがせるように待機するのです」

 

 

「そこまで、必要ですか」

 

 

 

彼女は尋ねた。

怜司は目を逸らさなかった。

 

 

 

「次に一人で配信を始めたら、それが最期だと私は思っています」

 

 

 

それ以上の説明はなかった。

だが、彼女には十分だった。

 

 

 

 

その日、▲▲▲▲社へ戻った彼女は、すぐに動いた。

 

 

 

 

上層部には、お祓いという言葉をそのまま出さなかった。

安全祈願。現地収録後の心理的負荷を区切るための外出。

本人の体調管理とメンタルケア。

 

 

 

どれも現実的な言葉で、社内稟議に載せられる表現だった。

最近疲れているみたいだし、色々あったからとりあえず区切りとしてやっておこうというノリだ。

 

 

それでも反応は渋かった。

 

 

 

「そこまで必要か」

 

 

「本人が嫌がるだろう」

 

 

「宗教色が出ると面倒では」

 

 

「今は登録者の伸びが大きい。無理に休ませるのは」

 

 

 

彼女は今度は引かなかった。

 

 

「これはお願いではなく、担当判断です」

 

 

 

声が少し震えそうになったが、彼女は唇に力を込めて押さえた。

 

 

「一区切りをつけて彼を安心させてあげたいのです。これから頑張ってもらうために」

 

 

 

「それに、もし許可を頂けて撮影できれば、これも面白いネタになると思います」

 

 

 

 

今の幽霊騒動を誰もが見れるお祓いという形で終わらせる。

それならばまぁ、企画としても面白いかと上層部は納得するのだった。

 

 

 

最終的に、一日の外出予定が組まれた。

表向きは安全祈願と休養。移動はマネージャー同行。

配信予定は入れず、SNS更新も最小限となった。

 

 

 

ハルト本人には、その日の夕方に伝えた。

画面越しの打ち合わせで、彼は最初はいつものように軽く笑った。

 

 

 

「いや、そこまでしなくても」

 

 

声の調子は普段に近い。

だが、目元には疲れが残っていた。

アバター越しでも、判る程に彼は疲弊していた。

 

 

そして彼女はそれを見逃さなかった。

 

 

 

「明日に行きます。配信予定は入れません」

 

 

 

 

「俺、別に信じてないわけじゃないですけど……。

 いや、信じてるかって言われると分からないんですけど」

 

 

 

「信じるかどうかの話ではありません」

 

 

彼女は、できるだけ穏やかに言った。

叱りつけても逆効果だ。だが、譲る気もなかった。

 

 

 

「これは仕事です。現地収録後の体調管理と、安全祈願。そういう形になっています」

 

 

「今止まると、ちょっと流れが……」

 

 

 

ハルトは言いかけてから自分で口を閉じた。

その顔に彼女は胸を衝かれた。

 

 

 

 

 

彼は怖がっている。

だが、それ以上に、止まりたくないのだ。

 

 

 

 

 

数字はかつてない程に伸びている。

登録者は念願の50万人を超えてなおも増えている。

 

 

自分の名前があちこちで出ている。

ネットの世界で有名人になる感覚は彼を麻痺させていた。

 

 

怖いのに、確認したい。

自分がどう見られているのか、どこまで話題になっているのか、どんな切り抜きが作られているのか、見ずにはいられない。

 

 

 

 

 

それは配信者としての習性だった。

けれど今は、その習性そのものが彼を画面へ繋ぎ止めているように見えた。

 

 

 

 

 

「ハルトさん」

 

 

 

 

 

彼女が呼ぶと、ハルトは少し遅れて顔を上げた。

 

 

 

 

「明日、行きます。これは決定です」

 

 

 

「……はい」

 

 

返事はした。

しかしその瞬間、彼の表情の奥に言葉にしづらい拒否が揺れた。

 

 

 

行きたくない。

いや、行ってはいけない。

離れてはいけない。

画面から離れてはいけない。

 

 

 

それはハルト自身の不安にも見えた。

だが彼女には、もうそれが本人のものだけとは思えなかった。

 

 

翌朝、ハルトから連絡が来たのは予定時刻の一時間前だった。

 

 

 

『すみません。熱が出ました。今日は無理そうです』

 

 

文章は短く普段の彼の文体より少し硬かった。

彼女は、その文面を見ても驚かなかった。

 

 

怜司が言っていた通りだからだ。

発熱、吐き気、寝坊、急な恐怖、連絡不通。形は何でもいい、と。

 

 

 

 

彼女はすぐに通話をかけた。

数コールで繋がる。

ハルトの声は本当にかすれていた。

 

 

 

『すみません、マジで熱っぽくて。三十七度八分くらいなんですけど、外出はちょっと……』

 

 

 

三十七度八分。

高熱ではない。

だが、外出をやめるには十分な数字だった。

 

 

昨今は沈静化したとはいえコロナはまだ燻っているのだから。

彼女は責めなかった。

責めても意味がないことは、もう分かっていた。

 

 

むしろ確信した。

あぁ、やっぱり、いるんだなと。

 

 

「わかりました。今日は休んでください」

 

 

 

『すみません。明日とかに――』

 

 

 

「ただし、配信はしないでください」

 

 

 

通話の向こうでハルトが黙った。

 

 

「絶対に配信しないでください。しっかり治してくださいね」 

 

 

 

『さすがにしませんよ。寝ます』

 

 

ハルトは少しだけ笑った。

嘘をついている声ではなかった。

本人は本気でそう思っている。

 

 

少なくとも、この瞬間は。

 

 

だが、その意思がどこまで本人のものなのか、彼女にはもう分からなかった。

通話を切ったあと、彼女は怜司へ報告した。

 

 

返信は短かった。

 

 

 

『判りました。次に備えてください』

 

 

 

それだけだった。

彼女はその日から監視体制を作った。

 

 

夜坂ハルトの配信通知をすべてオンにする。

個人端末、社用端末、予備端末。

 

 

配信管理担当には、予定外の枠が立ったら即座に連絡するよう頼んだ。

上層部には「体調不良時の突発配信防止」と説明した。

合鍵の使用条件を確認し、緊急入室時の承認ルートを洗い直す。

 

 

救急連絡先、会社上層部、配信停止権限を持つ担当者、すべてを一つのメモにまとめた。

まるでストーカーだなと思いつつもやることをやっていく。

 

 

 

こんなことをしている自分が、どこかおかしく見える瞬間もあった。

 

 

彼女は霊能者ではない。怪異の専門家でもない。

配信者のスケジュールを組み、体調を見て、企画を調整し、トラブル時には会社と本人の間に立つただのマネージャーだった。

 

 

 

けれど、あの現地収録で自分は止めきれなかった。

 

 

 

扉の前で、もう十分ですと言えなかった。

あの部屋に向かって名乗るハルトを止められなかった。

撮れ高と安全の間で一瞬だけ判断を譲ってしまった。

 

 

 

だから、次は言わなければならない。

彼女を動かすのは責任感と罪悪感だった。

それとほんの少しだけ、この世の裏側に触れた高揚か。

 

 

 

数日が過ぎた。

 

 

 

ハルトは約束通りに休んでいた。

SNSも最低限で、配信予定も入れていない。

 

 

 

だが彼女は安心できなかった。

端末の通知音が鳴るたびに心臓が跳ね、夜になると何度もアプリを開いてしまう。

 

 

 

怜司からは、さらに短い指示が来ていた。

 

 

 

『彼は必ず配信します』

 

 

『本人が一人でいることに耐えられずに、逃げるために配信するのは間違いありません』

 

 

 

その文章を読んだ時、彼女はスマホを握ったまましばらく動けなかった。

 

 

 

配信へ逃げる。

その言葉はひどく残酷で、同時に正確だった。

 

 

 

ハルトにとって、配信は仕事であり、居場所でもある。

画面の向こうに視聴者がいて、コメント欄が流れ、自分の言葉に反応が返ってくる。

そこにいる間だけは一人ではない。

 

 

そういった繋がりが好きで配信者をやる人も数多くいることだろう。

彼もその中の一人だった。

 

 

けれど、その視線があるからこそあれは強くなる。

彼女はその矛盾を考えないようにしていた。

考えすぎると、指先が震えるからだ。

 

 

 

そして数日後の深夜にスマホが震えた。

 

 

 

 

通知は、明るい音で鳴った。

ファンならば喜ぶ音だった。

所属タレントが予定外の配信枠を立てたことを知らせる通知だった。

 

 

 

 

だが、彼女には警報に聞こえた。

夜坂ハルトが新しい配信枠を立てている。

まだ予約段階だが、既に待機人数は四桁を超えていた。

 

 

 

タイトルは。

 

 

『ちょっとだけ話す』

 

 

彼女はその文字をしばらく見つめた。

 

 

 

よくある見慣れたタイトルだった。

普段なら、寝る前の短い雑談に見えるだろう。

ファンなら「無理しないで」と言いながらも喜ぶ。

 

 

 

同僚なら体調不良明けに少しだけ顔を見せるつもりなのだと思うかもしれない。

けれど彼女には、それが助けを求める声よりも悪いものに見えた。

 

 

 

 

 

彼女はすぐに怜司へ連絡した。

 

 

 

 

『始まりました』

 

 

返信はほとんど間を置かずに来た。

 

 

 

『向かってください。配信前に電話をしてあげてください。

 それで止められるなら良し。止まらなければ、部屋へ』

 

 

 

彼女は上着を掴んだ。

社用端末、車の鍵、合鍵の確認。

同時に配信管理担当へ緊急連絡を入れる。

 

 

 

廊下へ出ると、夜の会社は静かだった。

誰もいないフロアの照明だけが、彼女の足元を白く照らしている。

エレベーターの扉が開くまでの数秒がひどく長く感じられた。

 

 

 

長い一夜が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女はすぐにハルトへ電話をかけた。

 

 

 

コール音が一つ、二つ、三つ。

繋がるまでのわずかな時間が、異様に長く感じられた。

彼が出なければ、その時点で部屋へ向かうしかない。

 

 

 

彼が出ても止められる保証はない。

喉の奥が乾きハンドルに置いた指先が冷える。

 

 

 

 

 

四つ目のコールの途中で通話が繋がった。

 

 

 

 

『……もしもし』

 

 

ハルトの声は思ったよりも普通だった。

少し掠れてはいる。寝起きのような濁りもある。

だが、会話ができないほど崩れてはいない。

 

 

そのことに一瞬だけ安堵しかけ、彼女はすぐに自分を叱りつけた。

普通に聞こえることと、普通であることは違うのだから。

 

 

 

 

「配信を始めないでください」

 

 

彼女は余計な前置きを捨てた。

 

 

 

「枠を閉じてください。今すぐです」

 

 

 

通話の向こうで、ハルトが小さく笑った。

いつもの軽口に近い笑い方だったが、息の抜け方が少しだけ浅い。

 

 

 

『いや、本当にちょっとだけです。

 大丈夫ですって。むしろ、ちょっと話した方が落ち着くんで』

 

 

 

「落ち着くなら、私と通話してください」

 

 

 

彼女は車のドアを閉めながら言った。

社用端末は助手席に置き、個人端末をスピーカーに切り替える。

上着のポケットには合鍵。鞄の中には社用の認証端末。

 

 

配信管理担当への通話も、別回線で繋げる準備はできていた。

幸い管理担当の者と彼女は友人だったから、最近は無茶を言って付き合ってもらっていた。

 

 

 

「一人が怖いなら話し相手になります。だから配信だけはやめてください」 

 

 

 

ハルトは黙った。

 

その沈黙は奇妙だった。まるで自分ではない何者かに伺いを立てているような奇妙な間がある。

反論される方がまだよかった。冗談に逃げる方がまだ分かりやすかった。

 

 

やがて、彼は小さく言った。

 

 

 

『でも、配信じゃないと……見てる人がいないんで』

 

 

 

 

彼女は、そこで初めて胸の奥が冷たく沈むのを感じた。

誰かと繋がりたいのではない。

誰かに見られていたいのだ。

 

 

 

その感情だけは向こうと同じで、だからこそここまで深く繋がってしまったのかもしれない。

 

 

ハルトにとって、配信は仕事であり、居場所であり、視聴の前で成立する自分そのものだった。

コメント欄が流れ、名前を呼ばれ、心配され、笑われ、そして反応が返ってくる。

その間だけは一人ではない。彼はそこへ逃げている。

 

 

 

けれど、その視線こそが、今はいちばん危ない。

 

 

 

「ハルトさん」

 

 

彼女は声を低くした。

 

 

 

「その“見ている人”が増えるほど、危険は大きくなります。早く枠を閉じてください」

 

 

 

『大丈夫です』

 

 

 

ハルトはまた笑った。

今の笑いは、まるで空っぽだった。

 

 

 

『ちょっとだけ話して、寝ます』

 

 

 

「ハルトさん、待って――」

 

 

 

通話は切れた。

次の瞬間、配信開始通知が跳ねた。

 

 

 

 

彼女は一秒だけ目を閉じ、すぐにエンジンをかけた。

車が夜の駐車場を滑り出す。

片手で社用端末を開き、配信管理担当に緊急通話を飛ばす。

 

 

もう一つのプライベートの端末では怜司へ短い連絡を送った。

 

 

 

『始まりました。止められませんでした』

 

 

 

返信は早かった。

 

 

 

『まずは新規リスナーの流入を止めてください。その上で配信を落とせるなら落として』

 

 

 

『もしも落ちなければ、とにかく見ている人数を減らす方に切り替えてください』

 

 

 

彼女は胸の奥で何かが切り替わるのを感じた。

ここまで来てしまったらもうやるしかない。

 

 

 

配信を止める。

止まらなければ、彼の配信をとにかく誰にも見せない事に尽力する。

今までマネージャーとしてやってきたことの真逆をしなくてはならないのだ。

 

 

それが、今の彼女の役割だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画面の中の夜坂ハルトはいつもの部屋にいた。

 

 

 

背景は見慣れた配信用の部屋だった。

棚にはゲームソフトと小物が並び、壁際には間接照明が置かれている。

普段の配信では、ほどよく落ち着いた雰囲気に見える背景だ。

 

 

 

だがその夜は、部屋全体が不自然に明るかった。

彼は過剰なまでに照明を増やして部屋を照らしていた。

 

 

 

しかし、そのせいで棚の裏やモニターの横、カーテンの端に落ちた影がかえって黒く沈んで見えた。

 

 

 

ハルトのアバターは笑っていた。

だがどうにもその動きは精彩を欠いていた。

中の人間が疲れきっている時、トラッキングはそれを妙に正直に拾うものだ。

 

 

 

『こんな時間に?』

『寝てろ』

『無理しないで』

『例の件?』

『少しだけ助かる』

『後ろ大丈夫?』

 

 

コメント欄は開始直後から跳ねていた。

いま話題の幽霊騒動の中心がこうして戻ってきたのだから、誰もが気になり目線を向けている。

 

 

「えー、こんな時間にすみません。ちょっとだけ、ほんとにちょっとだけです」

 

 

ハルトは軽く言った。

普段なら、そこで「ちょっとだけ詐欺」と突っ込まれ、彼が笑い、そうやって雑談に流れる。

ソレが彼の放送の定番だった。

 

 

だがこの夜のコメント欄は、最初から別の熱を帯びていた。

 

 

『あれから寝れてる?』

『例のやつ大丈夫?』

『肩まだ重い?』

『後ろ見て』

『今日は音しない?』

『無理なら休んで』

『でも顔見れて安心した』

 

 

 

ハルトの視線がコメント欄の途中で止まった。

彼女はそれを車内の端末で見ていた。

配信管理担当の声がイヤホン越しに響いた。

 

 

 

やる事は単純だ。

彼らは管理者としてハルトのチャンネルのパスワードなどを知っている。

その権限を用いて遠隔操作で配信を落とそうとしていた。

 

 

 

『管理画面入りました。配信枠確認しています。

 状態は通常公開、チャットオン、収益化オン、年齢制限等なし』

 

 

「終了操作は?」

 

 

『やってみます』

 

 

 

遠隔で落とされかけていることも知らずに、画面の中でハルトが笑おうとしていた。

 

 

「いや、大丈夫。大丈夫なんだけど……いや、実は俺、ちょっと変かもしれない」

 

 

期待していた言葉にコメント欄が跳ねた。

 

 

「寝てはいる。寝てはいるんだよ。だけど、途中で起きちゃうんだよね。何か……音がして」

 

 

 

音、幽霊、やっぱり心霊だと皆が食いつく。

もっと話をしてくれと同接数が伸びていく。

 

 

 

前の配信から続く話題性はまだ続いていた。

深夜の突発枠というだけでリスナーは何かあったかもしれないと好奇心を抱く。

体調不良はやはり心霊スポット企画のせいなんだと誰もが納得していく。

 

 

 

状況は悪い。

同時接続数は既に数万になり、まだ上がっていく。

おすすめ欄に乗り、通知から流れ込み、SNSで「ハルトが急に配信してる」と広がり始めれば数はさらに増える。

 

 

 

彼女はアクセルを踏みながら、通話先へ言った。

この管理者も元はあのロケに参加した人物で、今回の件に罪悪感を抱いていた者だった。

だからこうして危ない橋を渡って協力してくれている。

 

 

「第一に配信の終了。駄目ならすぐ公開範囲を落としてください」

 

 

 

普通ならば意味が判らない指示だろう。

マネージャーが勝手に配信を妨害するのもそうだが、そもそも「ダメなら」という前提がおかしい。

権利者が配信を停止させれば配信は終わるのは絶対なのに。

 

 

 

 

『了解。ライブ管理画面から終了を押します』

 

 

 

数秒の沈黙。

カチ、カチという音が響く。

普通ならばこれで終りだ。

 

 

 

『終了確認出ました。押します』

 

 

 

さらに数秒。

 

 

 

『……処理済みになりました』

 

 

「画面は?」

 

 

 

彼女は、端末へ視線を落とした。

 

 

……ハルトはまだ喋っていた。

あり得ないことが起きている。

落としたはずの配信が終わっていないのだ。

 

 

「なんかさ、笑い話にしてたけど、ほんとはずっと怖かったんだと思う。

 俺、こういうの得意な方だと思ってたんだけど――」

 

 

 

配信は続いている。

 

  

 

『ライブ状態、消えません』

 

 

 

管理担当の声が震えている。

あり得ないモノを見てしまったせいだった。

何度疑おうと現実としてソレは目の前にある。

 

 

 

『終了操作……履歴上は通っています。何で』

 

 

 

「もう一度」

 

 

『やっています。終了ボタンは……押せます。

 押せるんですが、また処理済みになって戻ります。ステータスだけがライブのままです』

 

 

 

彼女は喉の奥が冷えるのを感じた。

普通ならここで技術トラブルとして別の担当を呼ぶ。

 

 

配信プラットフォーム側の障害を疑うだろう。

配信ソフトの不具合、認証の齟齬、管理権限の問題。

現実的な原因はいくらでもある。

 

 

 

だが今夜は、そのどれでもないことを、彼女はもう知っていた。

 

 

怜司へ通話を繋ぐ。

彼はすぐに出た。

 

 

 

 

『状況は』

 

 

 

「終了操作が通りません。処理済みになるのにライブは続いています」

 

 

 

 

怜司はほとんど間を置かなかった。

よくあることだと言わんばかりに淡々と動く。

 

 

 

『では、落とすことにこだわらないでください。

 今は見られる人数を減らすことを優先しましょう』

 

 

 

その声は静かだった。

だからこそ、彼女の頭は冷えた。

 

 

 

「公開範囲を落とします」

 

 

 

『通常公開から限定公開へ。

 検索、関連、おすすめ、登録フィードから外してください。新規流入を止めるのが先です』

 

 

 

彼女は管理担当へそのまま伝えた。

 

 

 

「公開状態を通常公開から限定公開へ。今すぐ」

 

 

 

『ライブ詳細の編集に入ります。

 公開設定……あります。Public から Unlisted へ切り替えます』

 

 

 

「変更前に確認画面が出るはずです。迷わず通して」

 

 

 

『はい』

 

 

 

端末越しに管理担当のマウス操作音が再び聞こえた気がした。

実際には通話の向こうの小さなノイズにすぎない。

だが彼女には、その一クリックが、ハルトの部屋へ伸びている無数の細い糸を断つハサミの音のように聞こえた。

 

 

 

『保存します』

 

 

 

 

数秒。

同接グラフの上昇がぴたりと止まった。

それまではじわじわと右肩上がりだった線が、水平に近くなる。

 

 

新規の流入はひとまず止まった。

検索結果から外れ、おすすめ欄から消え、登録者への一覧にも出にくくなったのだろう。

 

 

 

彼女は短く息を吐いた。

だが、安心はできない。

 

 

 

すでに見ている人間は残っている。

リンクを知っている者も見られる。

誰かがSNSに貼れば、そこから入ってくる者もいる。

 

 

そしてコメント欄には、すぐに異変が反映された。

 

 

 

『あれ? 通知から入れないって言ってる人いる』

『検索から消えた?』

『限定になった?』

『ガチで何かあった?』

『運営動いた?』

『これ演出?』

 

 

 

怜司が言った。

 

 

 

 

 

『次。年齢制限を』

 

 

 

 

 

「年齢制限?」

 

 

 

『未ログイン、年齢未確認、未成年、ライト層を弾けます。

 迷わないでください。今は母数を削る方が先です』

 

 

 

 

 

彼女は一瞬だけ躊躇した。

年齢制限をかければ、後で説明が必要になる。夜坂ハルトの通常配信に突然年齢制限が入るなど明らかに不自然だ。

 

 

ファンは邪推して騒ぐだろう。

もちろん掲示板もSNSもざわつく。

こんなことは会社の対応としては異常だからだ。

 

 

 

 

 

だが、画面の中でハルトがまたコメント欄を見た。

 

 

 

「後ろ? いや、後ろは何も……」

 

 

彼の目線が動く。

画面右側のコメントではなく、配信画面の奥、部屋の影の方へ。

 

 

 

 

彼女は言った。

間髪入れずに、相手に立て直す猶予など与えないと言わんばかりに。

 

 

「次は年齢制限を入れてください」

 

 

『了解。詳細設定に入ります』

 

 

 

その時だった。

管理担当の声が止まった。

 

 

 

『……あれ』

 

 

 

「どうしました」

 

 

 

『表示が、変です』

 

 

「表示?」

 

 

『選択肢が……いや、すみません。見間違いかもしれません』

 

 

 

怜司の声がそこで鋭く入った。

 

 

『それを読まないでください』

 

 

管理担当が黙った。

 

  

『画面の文字が変に見えても無視してください。いつも通りでお願いします』

 

 

 

彼女はハンドルを握る手に力を込めた。

 

 

管理画面の選択肢。

通常ならそこには視聴制限や年齢設定の項目が並んでいるはずだった。

子ども向けかどうか、年齢制限を適用するかどうか、公開範囲、収益化やチャット設定を操作するボタンだ。

 

 

配信者と管理者が何度も見てきた、何の変哲もない項目だ。

だが、管理担当の沈黙は、そこに別の何かが混ざったことを示していた。

 

 

 

てけすた てけすた てけすた てけすた てけすた

 

 

『年齢制限の項目が……一瞬、別の文字に見えました』

 

 

「何を?」

 

 

彼女が聞きかけた瞬間、怜司が遮った。

 

 

 

『聞かないでください。貴女も言わない』

 

 

 

通話の向こうで、紙の擦れる音がした。

怜司がどこで何をしているのか、彼女には見えない。ただ、彼の声のすぐそばで、鈴のような小さな音が一度だけ鳴った。

 

 

 

操作権限はそちらにあります。

 管理画面を見ているのはあなた方です。

 向こうではありません。

 表示が歪んでも項目の位置は変わりません

 

 

 

年齢制限。適用。保存

 

 

 

管理担当が息を飲む。

ふっと体が軽くなったような気がしたからだ。

怜司が言い聞かせるように淡々と呟いた後、明らかにナニカが切り替わったのを感じたのかもしれない。

 

 

『……押します』

 

  

 

「お願いします」

 

 

 

彼女もまた、祈るように言った。

数秒後に管理画面の数字が動いた。

 

 

同接数がここまでやってようやく目に見えて落ちてきた。

 

 

未ログインの視聴者や年齢確認が済んでいないアカウント。

更には偶然入っていたライト層が一気に弾かれたのだろう。

増え続けていた数字が、初めて数千単位で削れていく。

 

 

 

画面上ではただの数字の変動だった。

けれど彼女には、その一つ一つが、小さな糸の様に見えていた。

ハサミは淡々と糸を切り落としていく。 

 

 

 

 

しかし異変に気付いたコメント欄がまた騒ぐ。

 

 

 

『年齢制限かかった?』

『何これ』

『見れなくなった人いる』

『運営何してる?』

『演出にしては変じゃない?』

『ハルトくん大丈夫?』

 

 

 

 

ハルトは、それを見ていないようで、見ていた。

目線がコメント欄の流れを追い、何かを読み、口元がわずかに歪む。

アバターの「ハルト」の口が勝手に動き出し、それの後を追う様に彼は無意識に言葉を紡ぎ出した。

 

 

 

「ごめん」

 

 

それは再度の謝罪だった。

相手に生殺与奪を渡す宣言だ。 

その一言で、彼女の背中が冷たくなった。

 

 

 

怜司が即座に言う。

ジジジジと手元にある紙に猛烈な勢いでナニカが書き込まれだし、それは蛇の様に蠢いている。

 

 

 

『マズい』

 

 

ハルトは続ける。

 

 

 

「ごめん。ほんとにさ、俺、こういうのネタにしすぎたのかもしれない」

 

 

 

「ハルトさん、ダメっ!」

 

 

 

彼女は端末越しに思わず言ったが、その声は配信には届かない。

彼はもう、自分の部屋の中の誰かへ向かって話しているようだった。

 

 

 

 

「いや、俺、悪気はなかったんだけど。

 撮れ高とか、そういうのじゃなくて……いや、撮れ高にしてたのか。ごめん」

 

 

 

コメント欄が跳ねた。

やった、やった、こういうのを観たかったんだと言わんばかりに。

 

 

 

『謝ってる?』

『何に?』

『やばい』

『泣きそう』

『例のやつ?』

『ハルトくん、誰に謝ってるの』

『後ろ見ないで』

『肩』

 

 

ハルトの右肩のあたりが暗く沈んだ。

アバターとしての彼と、リアルの彼の右肩、そのどちらもが同時に。

 

 

はっきりした手ではない。顔でもない。

黒い影というほど分かりやすくもない。

 

 

だが、彼の右肩だけが不自然に重く見えた。

アバター越しであるはずなのに、そこだけ沈んでいるように見える。

見ている者が「何かある」と思えば、いくらでも形を補ってしまう程度の曖昧さだった。

 

 

ハルトは自分の右肩に重みを感じ、目線を一瞬だけ向ければそこにある白い指を見てしまい……涙を流した。

悲鳴は出ない。

あぁ、もう、終わりなんだという諦めがあった。

 

 

 

更にコメント欄が……何万という人間が「そこナニカいる」という認識を補強していく。

 

 

『肩』

『いる』

『見えてる』

『肩になんかいる』

『逃げて』

『ハルトくん、謝らないで』

 

 

 

怜司の声が低くなった。

 

 

 

『チャットを閉じてください。今すぐです』

 

 

彼女は叫ぶように管理担当へ言った。

 

 

 

「チャット停止! ライブチャットを切ってください!! 

 メンバー限定でも低速でもなく、閉鎖です!!」

 

 

 

『やります。ライブ管理のカスタマイズから……』

 

 

管理担当の声が途切れた。

またあり得ないことが起きて涙が浮かんできたような声だった。

 

 

『閉じません』

 

 

 

「何で」

 

 

『設定画面が戻されます。

 保存を押しても、チャットオンに戻ります!』

 

 

管理者の声が徐々に震えていく。

なまじある程度の知識があるからこそこの今の異変が判ってしまう。

殆どパニックになりそうになりながら操作を繰り返すが、やはりだめだった。

 

 

『どうして!!』

 

 

「もう一度」

 

 

 

『……やってます。駄目です。ボタンが……勝手に!』

 

 

彼女は信号待ちで車を止め、社用端末を膝の上へ置いた。

赤信号の光がフロントガラスに滲む。管理担当に任せるだけでは間に合わない。

彼女自身もチャンネル管理権限を持っている。

 

 

事前に確認していたのもあり彼女ならばハルトの配信枠へ入れる。

 

  

「私も枠に入ります」

 

 

 

『危険です』

 

 

怜司が言った。

マネージャーは一呼吸入れてから返答する。

 

 

「でも、スイッチを押せる人間は多い方がいい」

 

 

 

一瞬だけ怜司の声が止まった。

僅かな沈黙の後に彼は指示を出す。

 

 

 

『……絶対に画面に出るものを読まないでください。

 表示がおかしくても、配置だけ見て操作してください』

 

 

 

「分かりました」

 

 

 

彼女は赤信号の間に管理画面へログインした。

二段階認証。社用端末の認証通知。指紋認証。チャンネル選択。

 

 

そしてライブ管理。選択するのは現在の配信。

 

 

 

実在の配信管理画面は、ホラー映画のような見た目などしていない。

白と灰色を基調にした、整った業務画面だ。

 

 

左にはメニュー。中央にプレビュー。右にチャットや分析。

上部に状態表示、公開設定、詳細、カスタマイズ。

他には収益化などなど管理者なら何度も見たことがある項目が並んでいる。

 

 

 

ねぇ

おい

こっち

おーい

たすけ

あそぼ

ねぇ

ねぇ

おい

 

 

チラチラトと視界の端に映るそれらを彼女は全力無視した。 

どうにかチャット設定を開いた時、チェックボックスの横の文字が揺れた。

 

 

いるよ

 

 

ライブチャットを有効にする。☑

ライブチャットのリプレイを有効にする。☑

 

 

メッセージ待機時間。

参加者モード。

 

 

その文字列の端が粘るように伸びていく。

更には何故か文字の入力が左上で始まる。

 

 

 

 

 

 

 

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

ooooooooooooooooooooooooooooooo───────────ooooooooooooooooooooooooooooooooooooo。

 

 

 

 

o̸̳̬͍͙͍̖͔̩̒̔̓̔͆͢͝o҉̧̩̯̾́͑͐̇͆̐̏͞ơ̷̡͖̰̤̬̘̖̱̎̂̓̚o̵̡͓̰͍̭͉͐̈͛͠o҈̖͓͙̝͎͈̌̀̈́̚͜͝ỏ̵̧̰͍͗͛́̊̽͡o̸̫̦̞͇̤҇̔͛͑̇̾̉̚͜o̵̧̮͔̪̙͇̥͓͕͗̅̉̚͞o҈̲̲̾̌͋̚͜͞o̸̧̲͈̰͋̒͠o̵͕̪̔̆́̌̆̀͂̐͢͝ọ̴̫̜̾͛͋͐̇̏̂̊̕͢o҈̡̥̜͆̽͡o҉̨͕̣͚̠̗͚҇̋̂o҈̢̦͖̳͚̳̤̪̇̋̂̓̊̃̉̚͠ŏ̴̪͚̟̲̩̬͋͢͞o҉̡̛̤̗͇́͛́o҉̢͔͈͉̖͆̓̒͠ö̶̡̬̪̲̣͔̘̩̿̂͑̀̀̈̕ơ̴̡̗̤̫͖̥̟̮͉̈́̉o̶̧̩͎̗̪҇́̀̏̌͋̑̐o҉̡̙̝̟̪̗͍̩̘́̐͛̈́̔͞o̴̧̘̟̗̥̜̙̜̒́͞o̵̱̘̥͚̦͉̯̾̑̿̈́̒͋̄̌͜͝ŏ̴͙͖̩̮͚̲͆̎̏̏͢͠o̷̡͇̗̿͗̋͝o̶͇̯͍̜̖̣̬͊̍̽͆͒̕͜ó̶̧͓̗̥̚͠o҉̢̘̤̀̓̃̎̐͒̕o̸̧͍̞͓̟̟҇̊͊̄̓͌̅͆͆ȯ̷̡̗̯͕͍̩̗͓̔̿͠─̸̡̙̯̱̪̜͉̞̠҇̉̐̆─̴̡̤͓̣҇̀̓͋─̶̨͚̲̮͕̤̯͇̉̐̀̀̕─҉̞̤͈̦҇̓͛͐̇̌́̃̅͢─̴̧̜͎̜҇̄̈─̷̧̛͙͕̽̇͑̌̃̈́̀́─̴̢͈̤̪͉͗̐͗͂̃͠─̴̨̟̘̯͕̱͒̌͗͠─̷̡̙͓͎̥͔̗̟̔̽̀͑̕─҉̧̞͍̮̙͒̑̐̄̑̓̕̚─҉̡͍̟̲͈͉͚̠̔͑͒̏̿͝ͅo̶͈̙̲̝̬͔̟͖̓̀͗̾̂͑̚͢͝ǫ̸̲̩͇͌͗̉̃̍̍̕̚ͅo҉̡̳̮̩̱͈̎̌͆̃̐͛͊͊͞ȏ̷̡̖̠͈͕̎͞o̷̡͖͎͖̙͑̀̈́͑̏͛̔͠o̸̜̘̞̽̄̇̾̀̆͆̅͜͡o҉̛̳̱͍͆͋̆͂̽͢o̵̢̩̠҇̍̂o҈̛̙͎̗̪͊̆̆̈͋͜o҉̡̩̮͔̯̈́̒̓̐͋̉̽͡o҉̡̛̰̰̲͓͋̌̓̑o̷̢̘̩̰̥̳̳̔̌̂͂͡ơ̷̠̜̋͋̓͌̔͌̿͢o҈̨̫̬̊̑̕o̴̢͕̤͎͔̞̬̭̔̉̾̕o̷̝̣͋̏̒͒̋͆͗̋͢͞ͅo҉̨̱͕̣̙͂̍͋́̕o҈̢̠̝̟̙͓̗҇́͐̐̓́̑͋̔ơ̵̧͇̜̞͔̾͗̌͆ö̸̡̮̘͉̊́̈́̅̂̾͝ṑ̵̳̩̤̋͗̚͢͞ớ̷̥̗̰͉͉̪͇̗̏̔͜o̴̢̭̪̘̘̪͎̮͋̇͊̓̆̕o҉̡͖̬̯͍͍̙̫̊͂̌́̋̓͛͝o҈̡̟̫͔́̀͞o̷̢͙͇̳͈̖͎͙͑̀͛͞ǫ̴̥̮̪͇̰̤҇̅̍͊̽̈́̂̃͗o҈̩͓͖҇̍͆̆̂̐͑̊͜ǫ̶̟͇̠̩̬͖͎̳̈͂̂͆̄́͂̐̕ō̸̧͖̲͆́̾͛̒͝ơ̶͙̮̆͌̾͛̂̏͢ͅǒ̴̡͉̪͉͈̮͋́̅͠ǫ̷͉͙҇͋͛̑̒͂́ǫ̴̩̮̱̬̌̏̈̎̋̂̌͡ơ̷̜̩͔͓͈̅̍̃͢o̴̢͙̤̥̠͇҇́̿̓͗͋́o̴̢̖̯҇͐͆͐͆̊̔̒。̸̡͚̭͚̮̦͚̳͙̈̉̾̓̒̒͗̉͠《̵̨̫͕̗̠̲̳͈̂̓̒͊̋̾͝/̵̡̜̤̾͛͠

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彼女は歯を食いしばった。

 

 

何も読まない。これに意味を見出さない。

ただの表示崩れでただの錯覚。

ただのノイズで、バグでしかない。

 

 

 

彼女はカーソルを合わせライブチャットの有効化を外した。保存。

 

 

確認画面が出る。

そこに表示された文章が一瞬だけ別の形を取ろうとした。

 

 

 

 

か҉̯͙͒̅̐̿̑͐̃̇͢͞ͅえ҉͓̘̆̍͜͝る҈̪͓͔̠̟̗͈̫̌̈́͜͝ 

 

 

彼女は見なかった。

読まなかったことにした。

祈りながら確定を押す。

 

 

 

同時に怜司の側で鈴が鳴った。

イヤホン越しの小さな音だった。

だが、その音が鳴った瞬間、画面の引っかかりが抜けた。

 

 

 

チャット欄が消えた。

 

 

配信画面の右側に流れていた言葉が一気に途切れる。

視聴者同士の恐怖が、互いの言葉で増幅される場が消える。

 

 

 

その中でハルトはまだ喋っていた。

裏で起きている全てを彼は何も知らないようだった。

ただ自分の隣にいる誰かに話しかけ続けている。

 

 

「もうやめて」

 

 

チャットはない。

だが、彼は誰かと話をしていた。

 

 

「許して」

 

 

彼女の指が震えた。

怜司が次の指示を出す。

チャットは消えたがまだ人がいなくなったわけではない。

 

 

ただ声をあげられなくなっただけだ。

もっと削らなくてはいけない。

 

 

『次。視聴権限をさらに絞ってください』

 

 

「メンバー限定ですか」

 

 

『最上位ティアへ。一般視聴者を弾いてください』

 

 

「それをやったら、後で相当――」

 

 

『今は後で彼に説明をするか、彼の遺族に説明するかの瀬戸際です』

 

 

その言葉で彼女の迷いは切れた。

 

 

「メンバー限定にします。最上位だけ」

 

 

管理担当が息を飲んだ。

それほどまでに彼女はとんでもないことを言っているのだ。

 

 

 

『……本気ですか? 後で絶対に騒ぎになりますよ』

 

 

恐る恐るといった様子で伺う。

一度だけ振り返るような布擦れの音をさせてから再び戻る。

 

 

本当は彼も判っているのだ。

今が異常で、これくらいやらないとダメなのだと。

 

 

「大丈夫、責任は私が取ります」

 

 

自分の声が驚くほど硬いことを彼女は自覚した。

責任を取ると言うのは簡単ではない。

だが、今この場で誰かが責任を取ると言わなければ話は進まないのだ。

 

 

彼女は設定画面へ入り、公開範囲ではなくメンバー向け配信の権限を選んだ。

通常なら公開ライブからメンバー限定へ切り替える時には確認が入り視聴者へカウントダウンや案内が出る。

 

 

どのメンバーシップレベル以上に許可するかも選べる。

彼女は、いちばん上のレベルだけを指定した。

それは昔ハルトが悪ふざけで作ったネタのランク。

 

 

月額1万円のコースだ。

こんなの誰も入らないというおふざけだったが、まさかここにきて役に立つとは。

 

 

 

また、画面の文字が滲む。

選択肢の一つが、ほんの一瞬だけ見慣れない言葉に変わる。

 

 

 

じ҉̥̣̘̫̩̝̪͂̅͂̃̍͌̈̓̎̚ゃ̸̥̘̯͉͙̥̝͚̝̱̾͌̋̋̔͛́̍̿̍̋ͅま̶̰͈̤͛̉͌͐̀͑̏̀̑̓̚ͅ

 

 

 

彼女は言われたとおりにこれも読まなかった。

しかし読まなかったが、瞼の奥に焼き付いてくる。

何となくそこに込められた意味は理解してしまった。

 

 

 

ふと、少しだけ彼女の口角が吊り上がった。

今までやられ放題だった存在に効いている事をしているという微かな達成感だった。

 

 

 

ほんの少しの、まるで抵抗するかの様なラグの後にチャンネルの設定が切り替わる。

最上位メンバーのみが見れるようになった。

一か月に1万円ハルトに払っても良い人のみが見れるように。

 

 

更に同時接続のグラフがどん底に落ちていく。

だがしかし0ではない。

これも一種のホラーだった。

 

 

 

『まだ0ではありません。油断はしないでください』

 

 

少しの間の後に場違いともいえる言葉が続く。 

 

 

『彼……凄く愛されてるんですね』

 

 

「えぇ。分かっています」

 

 

彼女は頷いた。

ここまでは順調に行っている。

とにかく視聴者を減らし続け、ふるい落としていく。

 

 

 

最初は数万人規模だった数字が数百へと落ちた。

さらに数十となり、やがて一桁の前半まで今は抑え込めている。

 

 

一般視聴者は弾かれた。チャットも閉じている。

検索にも出ない。おすすめにも出ない。

 

年齢制限もかかっており、普通の視聴者にとってはほとんど辿り着けない配信になった。

案の定というか外部では小規模な炎上が発生しているが中身は見れないのだからこれの始末は後でいい。

 

 

 

だが、ハルトはまだ喋っていた。

もう彼は何も見えていないのかもしれない。

 

 

「おれ、なんか……帰らないと」

 

 

彼女の背筋が凍った。

 

 

ハルトは自分の部屋にいる。

照明をつけた自宅の配信部屋にいる。

なのに、帰らないといけないと言っている。

 

 

どこへ。

何のために。

 

 

答えは、考えたくなかった。

 

 

怜司の声が低く入る。

 

 

 

『次は配信の画面そのものを遮断してください。

 落とせないならば休憩画面で覆ってください』

 

 

 

「休憩画面を入れます」

 

 

配信プラットフォームには、ライブ中に一時待機画面を挟む機能がある。

配信者が離席する時、あるいは技術確認中に視聴者へ見せるためのものだ。

通常なら数分の休憩表示や放送前の待機画像を出すだけの穏当な機能である。

 

 

 

今は違う。

これはそう、防火シャッターのようなものだ。

 

 

ハルトの顔を隠と肩を隠す。

部屋の奥もそうだが、とにかくあらゆる見えるものを減らす。

 

 

 

彼女はライブ管理画面の切り替えメニューへ入った。

手順は頭に入っている。

事務所側で用意している共通の待機画面があるのは知っている。

 

 

ロゴと「しばらくお待ちください」の文字だけが出る何の面白みもない画面。

 

 

それでいい。

面白みのなさこそが、今は必要だった。

だが、プレビュー画面が乱れた。

 

 

映ったのはハルトの部屋ではない。

彼の配信背景でもない。

 

 

 

 

暗い廊下が映った。

あの心霊スポットの廊下だった。

 

 

 

 

 

いや、正確には、あの動画に映っていた廊下とは少し違う。

画角やカメラの高さが違う。

誰かが立っている視線の高さに近い。

 

 

 

奥の扉がわずかに開いていて、そこから黒い影の中にあるモノがこちらを向いている。

人というよりは、人達というか、塊というか。

おおよそ人生で一度も見たことがないし、見てはいけないモノが。

 

 

 

彼女の指が止まりかけた。

 

 

見てはいけない。

だが目が離せない。

配信管理画面のただのプレビューにすぎないのに、そこに映る廊下が、こちらを待っているように見えた。

 

 

 

『見ないでください』

 

 

怜司の声が、耳元で強く響いた。

 

 

 

『その画面は確認しなくていい。今すぐに休憩画面を上から被せてください』

 

 

 

「でも、今――」

 

 

 

『言わない』

 

 

トン、と指先で机をたたく音が怜司の奥から聞こえる。

すると配信画面がブツンと切れて真っ暗になった。

 

 

 

彼女は唇を噛んだ。

言葉にしそうになったものを飲み込む。

 

 

廊下。扉。奥。誰かたち。

そういう単語が喉元まで出ていた。

 

 

しかし寸での所でそれを抑えた。

再三に渡り忠告されていたことを繰り返し唱えて抑えたのだ。

下手に言えば形になる。形を与えてはいけない、あんなものに。 

 

 

 

彼女は目を逸らしながら確定ボタンの位置だけを見た。

指先が震える。

車は路肩に寄せてある。

 

 

 

もうすぐハルトのマンションへ着くが、このままでは事故を起こしてしまいそうだからだ。

 

 

 

確定。

 

 

鈴が鳴る。

 

 

画面が切り替わった。

視聴者側には公式の待機画面が表示される。

白いロゴと、無機質な一文。

 

 

 

「しばらくお待ちください」

 

 

それだけだった。

 

 

ハルトの顔も肩の暗さも部屋の奥も消えた。

少なくとも視聴者には何も見えない。

 

 

同時に、ハルトの声も一瞬だけ途切れた。

だが完全に消えたわけではない。

待機画面の裏側から、圧縮されたような小さな音がまだ零れている

 

 

 

だが、言葉としては聞き取れない。

怜司が短く夢から覚ますように言う。

 

 

『今のうちに現場へ。そこから先は、管理画面だけでは足りません』

 

 

 

彼女端末を助手席へ置き車を再び走らせた。

 

 

 

ハルトのマンションまでは、もう遠くない。

 

 




実は最初に予算をケチらずに専門家をつけていればこの話は回避できていました。
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