井上順奈にひと目惚れした同級生の話   作:日向陰陽

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第2話 「兵、走る」

―――朝、順奈さんに挨拶する。

 

順奈「いい音出してたね! 海兵隊以外にも何か吹いてなかった?」

 

「こちらです。」と楽譜を渡した。

 

順奈「『il vento d’oro』…? 何語?」

 

鷲武弥「イタリア語です。元々がイタリアが舞台のアニメに使われた曲なので。」

 

順奈「どれどれ…あ、もう検索候補に出てきた。人気なんだね、知らなかった。」

 

鷲武弥「原作は漫画ですけどそこまで社会的知名度があるかと言われると『うーん…?』ってなっちゃいますからね。まあ知る人ぞ知るって感じではないでしょうか。」

 

順奈「でも良い曲だね。これが吹きたくてサックスにしたの?」

 

鷲武弥「まだまだありますよ。カラオケで歌う曲とか。歌いたいけど俺の声帯では歌えないような曲とかたくさんあります。」

 

順奈「へぇ…意外と言ったら失礼かもしれないけど鷲武弥くんもカラオケ行くんだ。どんな歌うたうの?」

 

鷲武弥「1980年から90年代の曲が多いですね。不思議とその年代に好きな曲が集中します。」

 

順奈「私たちが生まれる前だよね…。シブい選曲してるね…。」

 

鷲武弥「本当ですよね、どうしてでしょうね。」

 

そんな会話をしながら部活に励みパート練習で音合わせもいくようになった。褒められた。嬉しかった。翌日も朝練に励もうと職員室へ向かった。

 

鷲武弥「おはようございます。お疲れ様です。滝先生。音楽室の鍵を受け取りに参りました。」

 

滝「練習熱心ですね。はい、どうぞ。」

 

鷲武弥「初心者のド素人ですので早く滝先生の求めるクオリティに上達したいです。失礼します。」

 

一礼して音楽室へ行き海兵隊を吹きまくった。それから『il vento d’oro』に移った。吹いてる内に次第に譜面を覚えてきたのでスラスラ吹けるようになった。エレキギターパートやコーラスパートにピアノソロもサックス風にアレンジして吹いた。夢中になっていたら朝練の時間も終わりに近づいてしまった。走って職員室へ向かう。滝先生に鍵を返した。

 

滝「昨日吹いていた曲は相変わらずいい音でしたが少し調子が違いましたね。何か変えましたか?」

 

鷲武弥「原曲はエレキギターパートやコーラスパートにピアノソロもあるのですがそこもサックス風にアレンジして吹きました。」

 

滝「……もう1度楽譜を見せていただけませんか?」

 

滝先生が楽譜に目を通す。

 

滝「……これを貴方ひとりで吹いたのですか?」

 

鷲武弥「ええと…はい、そういうことになると思います。」

 

滝「……それから私の求めるクオリティに上達したいとのことですが既に達していますよ。」

 

鷲武弥「え⁉ ほ、本当ですか…⁉」

 

滝「ええ、ですから初心者のド素人などと仰らず自信を持ってください。」

 

鷲武弥「滝先生にそう仰られて本当に歓喜の極みでございます⁉ ありがとうございます⁉ ありがとうございます⁉」

 

何度もお辞儀をして職員室を出る。嬉しかった。先輩に褒められるのも嬉しかったがその何倍も嬉しかった。教室に入る。順奈さんに挨拶する。

 

順奈「おはよう! 鷲武弥くん! 何だか嬉しそうだね。」

 

鷲武弥「滝先生に褒められました! 『私の求めるクオリティに上達したいとのことですが既に達していますよ。』って。あと『ですから初心者のド素人などと仰らず自信を持ってください。』とも言われました!」

 

順奈「そう! 良かった! 毎朝と居残り練習も頑張ってるもんね! そりゃあそうだよ!」

 

鷲武弥「先輩にはお世話になっておりますが何倍も嬉しかったです。」

 

順奈「入部する前に『後は努力で何とかします。』って言ってたけど本当にどうにかしちゃったね。」

 

鷲武弥「でも楽器は違いますが目標はあの…トランペットの1年生の女子です! 名前は知りません!」

 

順奈「ああ…もしかして高坂さん? 黒髪ロングで美人の?」

 

鷲武弥「順奈さんだって美人ですよ。」

 

順奈「び⁉ じゃなくって⁉ いやどう見ても彼女の方が美人でしょ⁉」

 

鷲武弥「個人の好みの問題じゃないですか? どちらが優れているというわけではないですが順奈さんは美人ですよ。」

 

順奈「もういい⁉ もういいから⁉ 何だか恥ずかしくなってきた⁉ この話はおしまい⁉」

 

そんな会話をしながら部活へ行った。今日は合奏練習をするそうだ。初めてなので足を引っ張らないようにと覚悟を決めた。そこに3年生の先輩が部長に耳打ちする。明らかに動揺している。嫌な予感がした。部長が音楽室を出る。まさか今から滝先生を呼ぼうとしているのだろうか?ロクに合奏練習していないのに?音もタイミングのズレも修正していない段階でやるのは無謀だと思った。朝は褒められたがここで滝先生をガッカリさせないために気合いを入れて吹こうと思った。

 

滝先生が入ってくる。壇上に立つ。先生の合図で演奏が始まる。始めっからタイミングがズレた。どこがどうとはわからないが不協和音と言っていいだろう。物凄く耳障りな音が聞こえる。こんなもので滝先生が納得するはずがない、そう思った。滝先生の反応は予想通りだった。

 

滝「なんですか、これ? 部長、私言いましたよね。合奏できるクオリティになったら集まってくださいって。」

 

晴香「はい…。」

 

滝「その結果がこれですか?」

 

晴香「すみません…。」

 

滝「みなさん、合奏って何だと思います? 藺上くん。」

 

俺が指名された。

 

鷲武弥「はい! 団体で音を合わせて演奏することだと思います!」

 

滝「元気のいい返答をありがとうございます。」

 

鷲武弥「恐縮です!」

 

滝「そうですね、各パートあまりに欠陥が多すぎて合奏になりません。皆さんパート練習やっていたんですか?」

 

ショックだった。滝先生の求めるクオリティに達していたと言われて慢心していた自分を恥じた。

 

「やってました!みんなやってました。毎日パート練習やって最後も合奏もして…。」

 

「っていうかどこが悪かったのか具体的に言ってもらえないとわかりません。」

 

「ただ駄目だ駄目だって…。」

 

先輩たちが反論する。トロンボーンパートが指名されて実演することになった。メトロノームのリズムに合わせて演奏する。聴いたが先輩方には申し訳ないがこれはマズいだろうと思った。滝先生が良いと思った、良くないと思った、どちらかに挙手をするよう求められた。トロンボーンの方々に内心詫びながら良くない方に挙手をした。

 

滝「私はトロンボーンだけじゃなく他のパートも同じだと思いました。パート単体でも聴くに堪えないものばかりと、でもそれでは困るのです。貴方たちは全国へ行くと決めたんです。だったら最低基準の演奏はパート練習の間にクリアしてもらいたい。この演奏では指導以前の問題です。私の時間を無駄にしないでいただきたい。部長、今日はこれまでにして来週に再度合奏の時間をとります。以上です。」

 

滝先生が退出してから先生への陰口が飛び交う。自分たちの技量不足を棚に上げてこんな風になるのは良くないんじゃないかなぁと思った。俺はそれからも海兵隊を練習し続けた。居残り練習も続けた。恥ずかしくて情けなくて…悔しかった。

 

「鷲武弥くん。」

 

鷲武弥「順奈さん。」

 

順奈「もう暗くなるよ。その辺にしといたら?」

 

鷲武弥「でも俺…悔しいよ。『各パートあまりに欠陥が多すぎて合奏になりません。』って滝先生に言われて本当に悔しい…。」

 

順奈「でも鷲武弥くんが名指しされたわけじゃないでしょ? もう鷲武弥くんは充分上手くなってるよ。」

 

鷲武弥「うーん…順奈さんがそこまで言うなら…。」

 

俺は練習を切り上げて順奈さんと一緒に帰った。

 

鷲武弥「でも本当に悔しかったなぁ…。朝練では褒められたのに嬉しがった自分が馬鹿みたいだよ。」

 

順奈「確かに演奏は酷かったけど鷲武弥くんはよくやったと思うよ。ひとりでどうにかなるものじゃないでしょ。」

 

鷲武弥「確かにそうだけど…どうすればいいんだろう。」

 

順奈「ま、そこは合奏練習あるのみね。」

 

翌日、三者面談が行われた。

 

「御両親には連絡したのか?」

 

鷲武弥「いいえ。」

 

「どうしてだ?」

 

鷲武弥「しても無駄だと思いましたので。」

 

「……仲が悪いのか?」

 

鷲武弥「はい。」

 

「和解する気はないのか?」

 

鷲武弥「一生ありません。」

 

「だが学校にも通わせてもらって独り暮らしもさせてもらってるんだろう? 感謝の気持ちはないのか?」

 

鷲武弥「世間体気にして学歴が中卒な息子を持つのをビビってるのは分かっていますし、俺を恐れて厄介払い同然で家から追い出したのも分かってるので感謝の気持ちなんてないですよ。払うもの払いたくなければ払わなくていいんですよ。そのまま辞めて働くだけです。」

 

「……将来はどんな職に就くつもりだ?」

 

鷲武弥「この体を活かして何かプロスポーツの打ち込みたいですね。」

 

「そうか、そのガタイならどうにかなるだろう。応援してるぞ。頑張れよ。」

 

鷲武弥「ありがとうございました。失礼します。」

 

教室を出た。順奈さんが待っていた。

 

順奈「先生は何て?」

 

鷲武弥「『御両親には連絡したのか?』って聞かれたんで『いいえ。』って答えて『どうしてだ?』って聞かれて『しても無駄だと思いましたので。』って答えて『仲が悪いのか?』って聞かれて『はい。』って答えて『和解する気はないのか?』って聞かれて『一生ないです。』って色々くだらないこと聞かれた。」

 

順奈「『くだらないこと』なんだ…。増々過去が気になるわね。」

 

鷲武弥「期待するだけ損ですよ。大したことじゃないですし。もう練習行きますね。」

 

順奈「あ、うん、いってらっしゃい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鷲武弥「はあぁ? 休みってなんですか?」

 

「各自自由練習でいいんじゃないかって話もあったんだけど…。」

 

晴香「それじゃ意味がないっていう人もいてね。パートリーダー会議が終わるまで練習は休みに入ることになって…本当にごめん!」

 

鷲武弥「滝先生は要するに『下手クソだから練習しろ』って言ったんですよね?それで『下手クソなのに練習しない』っていうのはどういう了見なんですか?論理的に説明出来ますか?3年生になると顧問より部員の方が偉ぇんですか?何様のつもりなんですか?」

 

「そ、それは…その通りだと思うんだけど…。お、落ち着いて…ねっ?」

 

鷲武弥「そもそも『練習休もう』なんて言い出したクソバカは誰なんですか? パートリーダーっていうものの中にいるんですか? まあいいですよ、パートリーダー会議ってのを襲撃して探しますから。それからまさか個人錬まで止めろなんて言い出すつもりじゃないでしょうね?」

 

晴香「あ、うん…。」

 

部長には世話になっているが到底容認できなかった。音楽室の隅で海兵隊と『il vento d’oro』を吹きまくった。憂さを晴らすように。怒りを鎮めるかのように。

 

「ねえ。」

 

正面に女子生徒が姿を現した。この子は確か…トランペットが上手い1年生だ。

 

「良い曲だね。君が吹くから良い曲に聞こえるのかも。楽譜見せてもらっていい?」

 

鷲武弥「あ、はい、どうぞ。」

 

楽譜を渡した。

 

「……この間まで初心者のド素人だったんだよね? それをこんなに吹けるようになるなんて凄いよ。」

 

鷲武弥「恐縮です。」

 

それからふたりで吹きまくった。部活が終わるまで続いた。先輩たちの視線が突き刺さったが知ったこっちゃなかった。一緒に帰ることになった。

 

「あ、自己紹介がまだだったね。私、高坂麗奈。」

 

「藺上鷲武弥と申します。今後ともよろしくお願いいたします。」

 

麗奈「確か…パーカッションにも『いのうえじゅんな』さんっていたよね? 鷲武弥くんって呼んでいい?」

 

鷲武弥「いいですよ。俺も麗奈さんとお呼びしてもよろしいでしょうか。」

 

麗奈「うん、いいよ。実は…部長たちとの会話聞いちゃったんだけど、本気でパートリーダー会議襲撃する気?」

 

鷲武弥「俺は本気ですよ。3年生のくせしてこんなくだらねえことで足引っ張りやがって何考えてるんですかね?」

 

麗奈「それには同意見だけど…鷲武弥くんの立場が悪くなりそうになったら止めに入るつもりだからそのつもりでいてね。」

 

鷲武弥「麗奈さんが来る前に襲撃してるかもしれませんよ。」

 

麗奈「それなら大丈夫。部活の時間になったら急いで抜け出すつもりだから。」

 

鷲武弥「麗奈さんの立場が悪くなっても知りませんよ。」

 

そんな会話をして彼女と別れた。

 

翌日、髭と眉を剃り気合を入れた。例によって朝練に励んだ。昼休みに筋トレして時間を潰して部活の時間になるまで待った。音楽室へ向かった。途中の空き教室らしき場所で先輩…たちだろうか盗み聞きしている。麗奈さんは…いた。少し距離を置いて見守っている。バッグを廊下の隅に置いて扉に向き直る。怪訝な目で先輩たちが俺を見る。

 

鷲武弥「どいてくれます?」

 

先輩たちは動かない。丁度隙間にあたる中央部分に思いっきりサイドキックをブチ込んだ。綺麗に正面に倒れる。

 

鷲武弥「こんちわ。」

 

ひと声掛けて教室に入る。

 

晴香「藺上くん⁉ どうしたの⁉」

 

鷲武弥「『練習休もう』なんて言い出したクソバカを探すためにパートリーダー会議ってのを襲撃するって昨日申し上げたはずですが…それで? そのクソバカは誰です?」

 

周囲を見渡す。

 

鷲武弥「誰だって聞いてんだよ。さっさと名乗り出ろよ。」

 

「「「「「……。」」」」」

 

鷲武弥「聞  い  て  ん  の  か‼」

 

「何事だ⁉」

 

鷲武弥「あ、先生。何事もなにも昨日滝先生が言ったことを要約すると『下手クソだから練習しろ。』って言われたんですけど、だったら練習するのが当然だと思いませんか?」

 

松本「……ああ。」

 

鷲武弥「でも下手クソなのに『練習休もう』なんて言った奴がいるらしいんですよ。どう思います?」

 

松本「……練習するべきだと思う。」

 

鷲武弥「ですよね? こんなふざけたこと聞く部長も部長だと思いますがこの学校の部活ってのは顧問より部員の方が偉いんですか?」

 

松本「……そんなことはない。」

 

鷲武弥「それならどうして顧問が練習しろって言ってるのに練習しないんですか? てめえら聞いてんのか?」

 

「「「「「……。」」」」」

 

鷲武弥「聞  い  て  ん  の  か‼ 何度も言わせんな馬鹿野郎共が。噂で聞いた話では去年までは吹奏楽部とは到底呼べないだらけきった部だったらしいじゃないですか。そのクソ共とこいつらと何が違うっていうんですか?」

 

松本「もう少し待ってほしい。顧問が滝先生に代わって北宇治は変わると信じている。だからもう少し待ってくれ。」

 

鷲武弥「だってよ。てめえら先輩なら先輩らしく少しは尊敬されることしろよ。恥ずかしくねえのかよクソバカ野郎共が。俺は練習行きますサヨウナラ。」

 

八つ当たりにもうひとつの扉も蹴り飛ばした。音楽室へ入る。先輩たちの視線が突き刺さる。

 

鷲武弥「何見てんだよてめえら。」

 

睨み返した。先輩たちが目を逸らす。くだらなかった。心底くだらなかった。こんなくだらない存在に邪魔をされたかと思うと怒りがまた湧いてきた。海兵隊と『il vento d’oro』を吹きまくった。頭は冷えた。部員たちが集まりパートリーダー会議の内容が伝えられた。「じゃあさっさと練習しろよ馬鹿野郎。」と内心毒づいた。滝先生がやってきた。体操服に着替えて楽器を持ってグラウンドに集合と伝えられた。さっさと走った。走るのは得意中の得意だ。グラウンド1周して楽器を吹いた。海兵隊を吹くのも味気ないので『il vento d’oro』のソロパートを思いっきり吹いた。

 

滝「凄まじい脚力と肺活量ですね。全く音が乱れていない。普段から鍛えているのですか?」

 

鷲武弥「ええと…持病というか疾患を抱えておりまして…それを和らげるために昼休みに筋トレして部活が終わったら走って帰って頭がフラフラになるまで追い込んでます。」

 

滝「個人的事情に踏み込むようで恐縮ですが疾患とは何ですか?」

 

鷲武弥「鬱病と不眠症です。薬の副作用で放っておくとどんどん太るのでそれを防ぐためにも運動しまくっています。」

 

滝「……もしよろしければ相談に乗りますよ。これでも教師の端くれですので。」

 

鷲武弥「それなら松本先生にもご同席していただいてもよろしいでしょうか。これからご迷惑をおかけするかもしれないので知っている方は多い方が良いと思います。」

 

滝「わかりました。後日、お話を窺います。」

 

鷲武弥「ありがとうございます。」

 

一礼した。何だか少しだけ気分が楽になったような気がする。

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