教会内の祭壇の裏手、赤いカーテンで覆われたアーチ型の門がある。
その先には螺旋階段があり、昇った踊り場では頂上の鐘を鳴らすための紐が垂れ下がっている。
ここにも門があり、抜けた先には3、4人程度がいられるこじんまりとした場所、そこにハクとハルはいた。
「わぁ~…、近くで見るとすごい迫力…」
香の薫りが淡く漂う中、燭台の大きさに目を丸くするハル。
持っていたと言うよりは、抱え込んでいたと言った方が正しいくらい巨大な蝋燭を床に下ろす。
「…ではハルさん、儀式のために台の受け皿をお掃除なさってくださいな」
同じく蝋燭を下ろし、木製の刷子と桶をハルに手渡すハク。
「はい、お姉様 でもかなり暗くなってきたから急がないと…」
よそ見した途端に掃いた蝋をごっそりと床に落としてしまうハル。
「…ほほほ、慌てなくても大丈夫ですわよ」
丘からの帰り道がてら、ハクにそろそろ新たな教会の務めを行ってみないかと誘われたハル。
是非もと承知したところ、子供たちも見たい見たいと強引に着いてきた。
「姉様、がんばってー!」
階下には姉に向かって手を振るコハル、眠たそうに目をこするミク。共に花冠を乗せている。
「うんっ!、見ててちょうだい、コハル!」
細い手摺りに手を掛け応えるハル。作業を見守る神父とまたも目が合ったとき、口をへの字に曲げる。
「…下から、覗かないでよね…」
「おいっ!?」
ぷいっと奥へ引っ込むハル、渋っ面の神父。
「…ったく、俺は神父なんだぜ」
ケタケタと笑うミクとコハルを聖堂の椅子に座らせ、ぽんぽんと二人の頭を叩く。
「まぁよく見ているんだ、お前たち」
何が始まるのだろうと期待に胸を躍らせるミク、コハル。
「蝋燭はいくつ、お姉様?」
「今日は穏やかな日でしたし、4本でよろしいかもしれませんわ」
「えぇ~、せっかく6本持ってきたのに!」
「…まぁ、ならばそういたしましょう 貴女にとって初めてのことでもありますので…」
台座を布巾で丁寧に磨いた後、よいしょよいしょと蝋燭を受け皿に挿し込むハル。
全て終えると、装飾の一部である長い銀製の棒を取り外し、ランプよりその先に火を灯す。
いそいそと鐘の紐を手に取るハク、ハルに目で合図を送る。
ひとつひとつ間を置いて明かりが蝋燭に灯され、その都度ごとに荘厳に鳴る鐘の音。
金色の燭台が徐々にその輝きを増しゆき、ステンドグラスには色鮮やかに浮かび上がる聖母マリアの御姿。
そして鐘の音色が幾重にも折り重なり響き渡り、聖堂内に極めて神々しい雰囲気を醸し出す。
「…上出来だ」
静かに手を叩く神父と、大はしゃぎで何度も何度も拍手する子供たち。
(もしこれが無かったら、俺もどうなっていたことか…)
これは灯火の儀式。
鬱蒼とした森に迷い、行方知れずになる者が跡を絶たないこの地を憂いたジョゼフ神父が、
その私財のほとんどを教会の改築に費やし、夕暮れ時に行い始めた営みである。
日の入りから明け方近くまで煌々と輝き続ける聖母の御姿は、旅人や商人たちの道標となり
今や森のほとりの教会は、村の象徴とも呼べる存在になっていた。
「…すごい!、すごいわ!、外から見ていた時とはぜんぜん違うの!」
かつて経験したことのない感動に打ち震えるハル。
いつの間にか隣に佇んでいたハク、十字架を携え優雅に言葉を紡ぎ出す。
"Holy, holy, holy, is the Lord God, the Almighty, who was and who is and who is to come"
「…聖ヨハネ様の…?」
「そうです、さすがはハルさん 神父様も、下で同じく詠じられたはずですわ」
「確か、神様の玉座をご覧になられた時の…」
「はい、天上の御座のお傍では、眷属たる方々が燦然と輝きを放ちながら、
先ほどの称賛の詩を、絶え間なく謳い続けていると言い伝えられています…」
「…みんなで行けたらいいな、…そんなところに…」
うっとりとしながら語るハル。
まばゆい光と芳しい香の薫りに包まれながら、しばし静寂の時に身を任せる。
「……けれども…」
不意に呟くハク。
「…いのちの書に、我が名は……」
心ここに在らずといった様子で、どこか物憂げに、されど食い入るように、聖母の御姿を見つめ続ける。
「どうしたの?、ハクお姉様?」
ふと我に返るハク。
「…お疲れなの?」
ハルが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「い、いいえ、平気ですわ さぁ、みなさんがお待ちですから早く降りましょう」
背を向けながら、せかせかと片付けを始めるハク。
いつもならこんな時、にっこりと笑って冗談のひとつでも言ってくれそうなのに今に限ってはそれもない。
「…ごめんなさい、お姉様」
「えっ?」
驚きながら振り返るハク、ハルが申し訳なさそうに頭を下げていた。
「私、見習いのくせに生意気なこと言ってしまって…、
そんな私がいきなり神様の御許へなんて行けるわけがないもの…」
戸惑いながらも、ハルが何を言わんとしているのか少しずつ理解し始める。
「そ、そんなことありませんわ、先ほどのお務めは実にご立派なものでした…」
「…本当!?」
ぱあっと顔を輝かせるハル。
「…えぇ、私もしばらく見入ってしまいましたの ご心配お掛けしてしまったようで…」
嬉しそうに微笑むハル。抱えていた銀製の棒を台座へ戻し、片付け終わった桶を持つ。
「ううん、でもありがとう さぁ降りましょ!」
螺旋階段を先頭に行くハル、俄かに振り向くと気恥ずかしそうに言った。
「あのね…、私、お姉様のことが目標なの! いつかお姉様のようになりたいの!」
はつらつとした笑顔。
「ハルさん…、そんな…」
「…でもお酒はやめて、ね」
屈託のない笑顔。
毒気を抜かれて茫然と立ちすくむハクを尻目に、そそくさと階段を降りて行く。
「……あーっ!!」
門のカーテン越しからハルの大声が。
「よぅ、遅かったな あまりシスターに迷惑掛けるんじゃねえぞ」
階下に降りて目に入ったのは、椅子に踏ん反り返りながらパイプに満悦至極な神父の姿。
「ここが神様の御前だってわかってるの!? それに、コハルたちもいるのに!」
「それなんだがな…」
ちょいちょいと親指で下を差す神父。
ハルとハクが視線を下ろすと、神父にもたれかかってすやすやと眠る子供達が。
「チビ姫様方、すっかりお休みだぜ?」
「ちょ、ちょっとコハル!?、これから帰らなきゃいけないのにぃ!」
ハクに桶を手渡すと、大慌てで神父らへ駆け寄るハル。
「どうして起こしておいてくれなかったのよ!」
「眠そうな子羊を無理に起こすなど、いと哀れなことだろうが 全く、非道いヤツだ」
「何言ってんのよっ!、どうせ面倒くさいとか思ってたくせにっ!!」
「おう ……って何だお前、俺の考えてることが分かるのか? 全く、怖ろしいヤツだ」
「もぉーーーーーっっっ!!!」
いつも通りの有り様、いつも通りのやり取りに笑みをこぼすハク、だが
『…私、お姉様のことが目標なの!』
ハルの笑顔と言葉が、心にずきりと突き刺さる。
(お赦しくださいまし ハルさん、私は……)
夜の帳も下りきった頃。村の中央の道、村長宅の近く。
「ありがとう、ここまで来たらもう近いから」
あれから起きる事ができなかったコハルをおぶさるハル。
「…ですが私ったら、貴女たちが早く帰るように言われていたことをすっかり忘れてしまっていて…
村長様に私からご説明いたしましょうか?」
ランタンを構えながら心配そうに語るハク。
「そうしてもらった方がいいんじゃないか?」
賛同する神父、寝息を立てるミクを背負っている。
「ううん、教会で新しいお仕事を教わったって言えばきっと大丈夫 でも…」
コハルをゆさゆさと揺するハル。
「コハルぅ~、起きてよ~、お夕飯食べられないと私もお母様に怒られちゃう~」
「…うーん、母様ぁ…、お腹いっぱいですぅ…」
がっくりと肩を落とすハル。
「あらまぁ…」「どんな夢を見ているんだか…」
後ろへ向き直り、ミクの頬をぺしぺしとはたく神父。
「…兄様ぁ、パンもっと~…」
「お、おほほ…」「こちらはもっと手に負えんな…」
「あ、あはは…、でも平気! なんだかんだでお父様もお母様も、コハルには甘いから…」
苦笑いで気丈に振る舞うハル。
「…それよりもね、ミクちゃんがお花の腕輪が欲しいって言ってたの!」
「腕輪…ですか?」
「うん、冠だと歌を歌うとき落っこちちゃうから、って」
「それは構いませんが、またお花を摘みに行かないと…」
うーんと考えを巡らせるハル。その様子に嫌な予感のする神父。
「それなら明後日の集いはみんなで丘に行きましょ 私、お花の編み方を教わりたいわ!」
「…私は構いませんが、男の子たちもですの?」
「男の子たちは神父にまかせ…」「断る」
突然に横槍を入れる神父。
「…何よ、人の話も聞かないで!」
「断ると言ったら断る。何故俺がわざわざお前の勝手気ままに付き合わなきゃならん?」
「まぁまぁお二人とも、夜分ですからお静かに…」
またもや始まりそうな言い争い、間に割って入るハク。
「それに、考えてみればとても良い催しかもしれませんわ 去年から集いに参加した子には、
またとない貴重な思い出になると思いますの」
「フン、確かに習い事だけが集いの目的ではなかったな…」
集いとは、これもまたジョゼフ神父が行い始めた営みである。
10歳位までの子供たちを週に二度ほど教会に集め、聖書の朗読や詩の書写を主としていたが、
時には野外へ赴き、神の造られた万物の名を教わったり
時には簡単な野良仕事に汗を流すなど、村への奉仕も積極的に行っていた。
おかげでこの村には、読み書きに不自由で、親の手伝いをしようとしない子供は皆無であった。
「決まりね!、私、明日みんなに知らせておくから!」
「ほほほ、では私は神父様のパン作りのお手伝いをいたしましょう」
「…だからお前ら、俺に断りも無く話を進めるんじゃ…」
「あはは、期待してるから! おやすみなさい、神父にお姉様!」
家へと歩き出すハル、振り返りながら二人へ手を振る。
「お休みなさいまし、良い夢を…」
姉妹へ祈りを捧げるハク。
ため息をつくも、軽く黒い帽子を掲げる神父。
「…さて、ミクさんの家へ参りましょう」
ハルたちが我が家へ辿り着くの確認すると、ランタンをミクの家の方角へ向けるハク。
「…あのな、シスター」
「はい、何ですの?」
「先、帰ってていいぜ…」
帽子を被り直しながら、何となく歯切れの悪い神父。
「まぁ、夜道に明かりが無かったら危ないですわよ?」
「…あのな、シスター」
「何度も、何ですの?」
怪訝そうな顔色のハク。
「ミクの家は宿屋だよな?」
「えぇ、もちろん存じておりますわ 雑貨屋も兼ねておられます」
「あと、何があった…?」
「酒場がございますわ」
さも当たり前といった風に言い切るハク。
「先、帰っててもいいんだぜ…」
「まぁ、私にはミクさんがちゃんと送り届けられるかを確かめる義務がありますわ!」
キリっと眉を上げ、仰々しくもっともらしいことを語るハク。
「あのな、俺は神父なんだぜ…?」
「えぇ、もう何年も存じあげておりますわ」
「…んじゃ、…行くか」
もはや何を言っても無駄と悟り、重い足取りで歩き出す神父。
「変な神父様ですのね」
ころころと笑い声をあげ、鼻歌交じりに並んで歩くハクであった。
壁掛け時計が夜の7時を告げる。
ここは村の宿屋、2階には旅人たちが疲れを癒す客室が並び
1階の大半はスタンド形式のパブが、残りは生活必需品を売る雑貨屋と、ミクの家族が暮らす私室があった。
稀に教会産のパンが置かれることもある雑貨屋、今は明かりは落ちている。
「…持ち合わせはあるが程々にしとけよ じゃなきゃ、またあの跳ねっ返りにキィキィ言われるぜ?」
古い酒樽を利用したテーブルに、行儀悪く肘を着く神父。
「あら、ハルさんはとっても素晴らしい方でしてよ?」
神父の隣にはハク、さらりと悪態をかわす。
「…さあどぅだか それに、俺は一応忠告したからな!」
やがて奥の間からずしずしと重い足音が響き始め、髭面の太った大男が現れた。
「…待たせたな、神父にシスター 何だケンカか?、珍しい」
茶化し半分に笑いながら厨房に入り込む大男は宿屋の主人、そしてミクの父親である。
「おほほ、大抵いつもこんな調子ですのよ まったく困ったものですわ」
「…困っているのは俺の方だが、なっ!」
抱えていたせいで軽く型崩れした帽子を整える神父。やにわに掛け声をあげ投げ放たれたそれは
くるくると緩やかな放物線を描いた後、すとんと店の隅にある上着掛けの天辺へ収まった。
ひゅうっ、と口笛を吹く主人、小さく拍手するハク。
「お見事!、…そうだな、ミクを送ってくれた礼に何かご馳走しよう しばらく待っておくれ、お二人さん」
とんとんと主人の自慢の包丁の音が響き始める。
「あら、お構いなく クリフさん」
「…よっく言うぜ、したり顔で着いて来たくせによ…」
待ってましたと言わんばかりの笑顔溢れるハクに、辟易とした顔の神父。
「なにかおっしゃいまして…?」
やけに片眉だけつり上がるハク。
「な、何でもねえよ…」
「…さすがの神父様も、シスターだけには頭が上がらんらしいな」
痛いところを突かれたか、主人を睨み付ける神父。
「がっはっは…」「ほほほ…」
陽気に笑う二人、無言で居心地悪そうに頭を掻く神父。
「まあ何だ、10年前に村を訪れた頃はまるで子供のようだったシスターが、今じゃこんな別嬪さんになるとは、驚きしかねぇぜ!」
「…まぁ、お上手 何処ぞの神父様にも見習っていただきたいものですわっ」
「見え透いた世辞に、いちいち喜んでんじゃねぇよ…」
主人がくいくいと肘を私室の方へ向ける。
「…それにしてもミクのやつ、俺がベッドに放り込んでもぐっすりだ あの様子じゃ昼間よっぽど外を駆け回ったようだな
せめて、コハルお嬢さんまでとは言わんが、少しは奥ゆかしさってものを覚えてくれればいいんだが…」
諦めたかのような笑みで肩をすくめる主人。
「あら、今日はコハルさんも疲れて眠ってしまいましたのよ」
「あぁ、ついさっきまで俺たちが送ってきたばかりだ」
仰天する主人、調理の手が止まる。
「本当か!? 何てこった…、相当周りに迷惑掛けちまったようで…、明日村長に何を言われるやら…」
人差し指を横に振るシスター。
「そんなことは決してありませんわ。ミクさんの天真爛漫さと、歳を増されますごとにお上手になるお歌には
何と言いますか、私を含めまして皆、元気を分けて頂いておりますわ…」
「そうは言ってもな、シスター。あいつは母親の顔を知らずに育ってしまった…。俺もあまり構ってやれなくて、女の子らしいことを何一つ教えてやることができず、かなり不憫な思いをさせてしまった…」
ミクの母は大凶作の翌年に流行り病に臥し、まだ一歳にも満たない乳飲み子を残したまま、看病の甲斐も無くこの世を去った。
「昔のミクはな、外に遊びに行っても泣いて帰ってくることがよくあった…
その度に俺に言うんだ、『母さんはいつ帰ってくるの?』ってな…」
伏し目がちに語り始める主人。包丁の音が再度響き始める。
「ただな、子供のおしゃべりによくあるだろう?
昨日の夜は母親が旨い料理を作ってくれたとか、寝る前にベッドの脇でおとぎ話を聞かせてくれたとか
そんな他愛もない話を聞くことがとても忍びなかったようでな…」
主人は包丁を置くと大皿に小さく焼かれたパンを並べ始めた。
「俺もこんな性格だからな、つい怒鳴っちまうのさ 『何だミク、父さんが作ったメシじゃダメなのか!?』ってな…
いかんことだとわかっていても、ついつい言っちまうんだ…、そしてミクはまた泣き出しちまうんだ…」
「クリフさん…」
切なげなハクの呼びかけ。
「…おっといけねえ、辛気臭くさせちまったな」
申し訳なさげに面を上げる主人。最後の仕上げをてきぱきと終え足早に厨房を出ると、
神父らのテーブルに、どんと皿一杯に盛り付けられた厚切りのチーズとハーブの刻みを乗せたオードブルの山を置く。
「旨ぇぞ、チーズは冬開け一番に羊飼いが納めてくれたもんで、ハーブは今朝ミクが摘んできてくれたばかりのやつだ。」
「そんなに食えるかよ…」
見ただけで腹いっぱいといった表情を浮かべる神父。
「がっはっは! 余れば余ったで全てミクがたいらげてくれるさ、胃袋の頑丈さだけは俺に似てしまったようだし、な!」
「でも、そのタイムの葉は確か森に生える物では?それをミクさんは、お一人で…?」
ハクの問いに少し気まずそうな顔を見せる主人。
「そうなんだがな、シスター 何でか知らんが、ミクは森のほとりで遊ぶのを好む
俺も森の奥には絶対に入るなときつく言いつけてあるし、何より、楽しみを奪ってしまうのも、な…」
「…シスターっ!」
神父の咎める声。
「も、申し訳ございません、出すぎた物言いを…」
跪いてまで許しを請おうとするハク。
「いや、やめてくれシスター! ミクを思って言ってくれたんだろう?」
慌ててハクの腕を取る主人。
「それに本当にいかんのは、いつも傍にいてやらなきゃならんはずの俺だ
…何分にも、ミクは俺が目を覚ます前に家を飛び出していってまうもんでなぁ
や、本当に情けない父親だぁ…、へへへ…」
主人の目の前に人差し指を振る神父。
「あぁ、全くなってねぇ親父様なこった」
そのまま拳を作り、主人の前へ向ける。
「…こいつめ、言いやがったな!」
照れ笑いする主人。まるで岩のようにごつごつとした拳をがちん、と突き当てる。
「ぐぁ!、手加減知らねえのかっ!?」
「がっはっは 鍛え方が足りないんじゃないか神父?、男は拳で語るもんだぞ!」
雑貨屋の棚へ歩み寄る主人。ふふふと微笑むハク。
「ほっとけ、俺は聖書より重い物は持たん主義なんだよ…」
ぼやく神父、まだじんじんと痛む片手をさする。
恨み節を気にも止めず雑貨屋の棚を物色する主人、まぁまぁと神父をなだめかすハク。
「どこに置いたっけかな… お、あったあった」
にやりとする主人。
「ほらよっ!、神父」
突然、木箱を投げつけ、咄嗟に受け止める神父。
箱に焼き付けられた銘と封印を見ると目を丸くする神父、己の知る限り最上級のパイプの葉であった。
「いいのか?、こいつはとんだ上物じゃねぇか」
「あぁもちろん この春にやっと入った物だし、お礼の内だ …シスターにはこちらでいいかな?」
厨房に戻り、新たにワインのボトルとグラス3つ取り出してくる主人。
「まぁ、よろしいんですの!?」
待ってましたと言わんばかりに、ぱあっと顔を輝かせるハク。
「神の血だったかな?、随分と強い血だが、な。さぁ飲ってくれ!」
3杯分注がれたグラス、笑顔の2人と浮かない顔をした1人は乾杯を交わした。
「晩餐の始まりに、乾杯…」
幾分か経った頃、軽く酔いの回った主人が神父に語り掛ける。
「…つまりだな 俺の何代かくらい前のご先祖様は、何も無いこの地に目を付けて宿屋を建てた
そこから徐々に人が集まり始めて村が出来上がった 言ってみればここが村の開祖ってわけだ!」
「…その話はもう聞き飽きたぜ」
同じく酔いが回り、ぶっきらぼうに答える神父。
「そうだったか??。済まねぇ、がっはっは! じゃあ別の話をするか…」
くいっとグラスを傾ける主人。
「あれは2年くらい前だったかな コハルお嬢さんは病気がちで、外に出ることを固く禁じられていたんだ いつもうらやましそうに窓から外を眺めていたらしい…
だがある日のこと、姉上のお下がりを着たコハルお嬢さんが村長と共にここを訪れた お嬢さんの雑貨をいろいろと買うためにな」
「…ふむ」
グラスを傾け、くるくるとかき回す神父。
「すると、おどおどと辺りをを見回していたお嬢さんに、部屋の隅っこにいたミクが目を付けた そしてお嬢さんの隣までやってきて、こう言ったんだ」
『こんにちはっ♪、あたしの名前はミク! あなたのお名前はなぁに?』
『……えっ?、…わ、わたしの名前は、…コ…ハ…ル』
『コハルちゃんね! はいっ、あくしゅ!』
「そうして二人は手を繋いだんだ さらにミクはこう続けた」
『ふふふ、これで今日からあたしたちはお友達!』
『…おともだち?…』
『そぅ、お友達! ねぇ2階に行って一緒に遊びましょっ!』
「コハルお嬢さんの顔に笑顔が浮かんだ そして、な…」
『…うんっ、おともだち! わたしもミク、ちゃんと遊びたい!』
「共に笑顔で手を繋いで上がっていった光景は、今でも覚えている」
『こらっ、ミク! 何か宿の物を壊しやがったら承知しねぇからな!』
『いーっだ! 父さんのケチっ、あたしはそんなことしないもーん』
「…と、まぁ二人の出逢いはこんな感じだったんだよ 決して忘れやしねぇ」
「そんなことがあったのか…」
くいっとグラスを傾ける神父。酔いと共にほのかな温かさが胸の内に広がる。
「そうして俺と村長はその場に取り残された その後なんだがな…」
『がっはっは!、ミクのやつ新しい友達ができて大はしゃぎだ
ん?、どうした村長?、いきなり肩震わせて…』
『…旧き友として聞いてくれ 私は我が子を籠の中の小鳥として扱ってしまうところであった』
『そ、村長!? 涙が…』
『…私は実に愚かな父親であった あぁ神よ、こんな私をお赦し頂き給え…』
「……」
何も答えずに、ただ沈黙を守る神父。
「…なぁ、神父 あんたが村長と不仲なのは村の大抵のもんが知っている
さっきも言ったが、俺はあいつのことを互いに子供の頃から知っている
前の村長だった兄貴が森で行方知れずになってしまってから、嫌々跡を継いだことも… 今年、川の上流に村産のエールの醸造所を建てようとしていることも…」
肩をすくめる神父。
「…だから何だ?、俺にはまったく関係ないことだ」
「…言うと思ったさ ただあいつは村のために一生懸命なんだ、面倒なことでも色々とやっている
奥方がミクの乳母を請け負ってくれたことも頭が上がらんし、な」
再度、肩をすくめる神父。
「…同じことを言わせるな、俺にはてんで関係ない」
「…俺は子供達の世話をしてくれているあんたのことが大好きだし、村から失いたくないと思っている
だから言わせてくれ、これ以上あまりことを荒げないでくれ、と」
滅多にない真面目な顔で懇願する主人。
「チッ!」
激しく舌を打つ神父。グラスの残りを飲み干し、2杯目のワインを注ごうとボトルに手を伸ばしたところ、ずっしりとした重みを感じる。
「シッ!、シスター!?」
ハクが空っぽになったボトルを両腕で抱え、その頭ををぐったりとテーブルに横たえていた。
「…おほほほほ~」
すっかり赤く染まった顔、かつ紅い目で低く笑い始めるハク。
「おい!、大丈夫か!?」
うろたえる神父。
「バカな!?、かなりキツいやつだぞこれは!」
叫ぶ主人。
「あらら?、わたくしでしたらまったくもんだいありませんでしてよ~」
「み、水を持ってきてくれ!、親父!」
呆然とする主人。
「だ~か~ら~、わたくしはなんともありませんで~す~わ~♪」
のんきに鼻歌まで歌い始める。
「…んなわけないだろがっ! おいっ、帰れるか!?、おいっ!」
ハクの頬を何度もはたく神父。
「とってもおいしいワインをごちそうさまですわ~ クリフひゃん♪」
胸元に、罰点の十字を何度も、何度も切り出し始める。
「女でここまで酔うやつぁ初めて見たぜぇ…」
乱れた姿に、思わず口走る主人。
「感心すんなっ!、水を持ってきてくれって言ってるだろがっ!」
「おいおい神父、そんなに怒んなよ 見ろよ、楽しそうじゃねぇか、なぁ?」
ニヤニヤと神父の肩をたたく主人。
「あらら、こまりましたですわ 神父様がおふたりいらっしゃいますわ~」
目を回しながら訴える。
「こうなるかもって思ってたんだ!、…ったく!」
「いったいわたくしはどちらの神父様に教えを乞えばよろしいのでしょう~??」
あげくの果てには、さめざめと泣き始め出す。
「がっはっはっ!、あんたぁ最高だシスター! もう一本行くか、ああン!?」
「冗談言ってねぇで、さっさと水持ってこいっつってんだろがぁぁぁぁぁ!!!」
そんな酒場の喧騒をよそに、ベッドですやすやと眠るミク。
「おかぁさぁん…」
幸せそうな夢を見続けていた。
「…俺は忠告しといたはずだぜ?、なぁ?」
教会への帰り道、ランタンを掲げる神父。何とか泥酔から解放され千鳥足で歩むハク、神父が肩を持ちながら、ふらつく足元を支えていた。
「え、えぇ、 この度は大変ご迷惑をお掛けいたしたようで申し訳ございません…」
「…あんだけやらかしときながら、さっぱりなんにも覚えていないのか まぁ済んだことだし、今度代わりに俺の口からも親父に謝罪しておこう…」
ため息深く吐く神父。
「…しかし、今日はいろいろな話を聞くことができたな 実りの多い一日だった」
川のせせらぎに耳を傾けながら、過去に思いを巡らせるハク。
「…ミクさんのお母様は流れの歌姫として、昔の神父様のように放浪の旅を続けられていました
それが宿屋にて恋に落ち、この村に定住なされました 実に素晴らしいお話でしたわ…」
うっとりと昔話を語るハク。
「俺は会ったこと無いが、皆が口々に揃える 素晴らしい歌声であったと」
「えぇ、時にジョゼフ神父様に請われて教会でお歌をご披露なされた際といったらもう…
ですがとても線の細いお方であり、流行り病の年に亡くなられてしまいました 今も皆様はそのことを、とても悔やまられておられます…
時におとぎ話に語られる妖精と呼ばれる存在は、きっとのお方のような方を指し示すものだと思います、わ…」
「…だが、そうして遺された幼な子が他の幼な子達と、互いにかばい合い、互いに支え合う。実に健気な話だ」
神父が微笑みを浮かべる。それは持ち前の偏屈さや皮肉交じりの時に生じるにやけ笑いとは違い、心の奥底から浮かんだもの。
「…しんぷさ、ま?」
神父の思い掛けない言葉に思わず目を丸くする。
「どうした? 急に変な目をして」
「私たちも共に支え合い、村の方々の助けとなり続けましょうっ!」
突如、神父の片腕にがばりとしがみ付くハク。
「うわっ、危ねぇっ! すっ転ぶ前に離れろっ!」
ハクの予想だにしなかった振舞いに顔を歪める。
「醸造所の件も大賛成ですわっ 村の栄えのために私たちもご協力いたしましょうっ!」
「つ、都合のいいことだけ覚えていやがって!」
「うふふ、神父様ったらお顔がお天道様のように真っ赤ですわ」
神父の頬をそっと人差し指で小突くハク。
「まだ悪酔いしているのか!? 離れろったら離れろ!、川に突き飛ばすぞ、おいっ!」
「ご心配なさらずとも、お月様とお星様だけしか私たちのことをご覧になっておられませんわ、うふふふふ…」
まるで村娘のように笑い、はしゃぎ回るハク。
「…ふぅ 今日はとんでもねぇ厄日だぜぇ……」
二人が教会に辿り着いたのは日も回る直前の頃であった。
翌々日の集いの日。丘の場所では神父らと村の子供達の姿があった。
「お姉様、昨日はどうしたの? ずっと真っ赤な顔をしてお努めもままならないでいて…」
ハルが怪訝そうに尋ねる。
「…そ、それは…」「…放っておけ、どうせいつもの二日酔いだ」
どこかぎくしゃくと歯切れの悪いハク。
帽子を片手に掲げながら、面倒くさそうにボリボリと頭を掻く神父。
「…それだけじゃないと思うんだけど?」
釈然といかない面持ちのハルであった。
きらきらと暖かい日差しの降りそそぐ日。少女達はシスターから習った白詰草の腕輪を編み続け、少年達は仲の良い子、または意中の子らに花を届け続ける。それぞれが思い思いに集いを楽しんでいた。
「…この分だと俺の出番は無さそうだな 雑務を片付けるために教会へ戻る 皆んなゆっくり楽しめ」
立ち上がり、帽子を被り直す神父。
「神父兄様、帰っちゃうの? それじゃあこれをミクちゃんに届けてあげてください…」
コハルが自分のお手製の腕輪を差し出す。
昨日ミクは店の仕入れの手伝いが有るため、集いに参加できない旨を伝えていた。
「あぁ、分かった 約束しよう」
腕輪を受け取り、集いの間中ずっと寂しげにしていたコハルの頭を軽くぽんぽんと叩く。
「努めをするフリをして、サボって寝てるんじゃないわよ!」
ハルの厳しい言葉を軽く流し、ゆっくりと丘を降りていく神父であった。
村中央の道を歩む神父。宿屋の辺りまで辿り着くと、川岸の草むらから大きな洗濯籠を抱えたミクがひょっこりと現れた。
「こんにちは、神父兄様! 集いは終わったの!?」
神父に気付くと大きな声で挨拶をする。
「いや、俺は野暮用のために抜けてきたとこだ 仕入れの仕事はもう終わったのか?」
「うんっ! だから溜まったお洗濯ものをしていたの!」
「偉いぞ、ミク それよりもコハルからお前に贈り物がある」
ミクの頭を優しく撫でると、ポケットから白詰草の腕輪を取り出した。
「…わぁ、嬉しい! ねねね、お店に来て兄様。お客さんたちも来ているの!」
「あぁ、いいぞ まだ時間は有るからな」
ミクの洗濯籠と腕輪を交換し、共に宿屋の扉を開ける。
「よぉ、神父! お努めご苦労だな!」
厨房内から大きな声を掛ける主人。
「神父様、ご苦労なことですだ」「神父様、おら達に混ざりますか?」
酒場のテーブルに掛けているのは、この間懺悔にに訪れていた若者とその父親であった。
「野良仕事をサボってまでの酒場通いか いいご身分だな」
「いやいやいや、サムの爺様が腰を痛めちまいまして 今日の種蒔きはお休みですだ!」
神父達の会話に、ミクが心配そうな顔で歩み寄る。
「サムじいちゃん、ケガしたの…?」
「いや、歌姫さんよ 爺様にとってはこの季節にいつも起こるものさ
言ってみれば年に一度のお祭りのよぅなもんだ! ははは…」
「がっはっは、違いねぇ! ところで神父、火は要るか?」
いつもパイプを忍ばせている懐を指で差す神父。
「いや、いい 俺としたことが相棒を教会に置いてきちまったのさ」
同じ頃、村一番に意地の悪い老婆が雑貨屋を訪れようとしてきていた。店の扉を開いた時に中の騒ぎに顔をしかめ、唾を吐くとそのまま何処こかへと立ち去って行ってしまった。
「…ははは、今度の神父様はお若ぇだけあって、実にくだけていらっしゃる!」
「お待たせしましたぁ!兄様!」
いかにもご給仕といった様子でミクが木製のトレイに紅茶を載せてやってくる。
「あぁ、済まんな ちょうど喉が渇いていたところだ」
ティーカップを受け取り、ミクの頭を優しく撫でる。
「えへ……、それでは教会で習ったお歌を歌わせていただきまーす!」
白夢草の腕輪を着けたミクがトレイを後ろ手に、ちょこんと一礼をする。
(どんどんあいつに似ていきやがって…)
涙を拭わんとする主人。
ぱちぱちと拍手の音がする店内に、突然どぉんっと扉を開く音が鳴り響く。
「ご免つかまつるっ!!」
激怒の表情を浮かべた村長と、その背後には意地悪な老婆が嫌らしい笑みを浮かべながら立っていた。一瞬で場の雰囲気が重く静まる。
「教会の主たる者が真っ昼間から酒場で馬鹿騒ぎとは…、どういうつもりだ!」
ずかずかと空いたテーブルに歩み寄る村長。
「ま、待ってくれ、村長 これは俺が勝手にしたことで…」
弁明しようと、慌てて厨房から飛び出す主人。
被っていた帽子を高く掲げ、傍らのテーブルへ叩きつける村長。
その勢いに神父以外の者達が皆ひるむ。
「お前は黙っていろ!、この男の日頃の行いには目に余るものがある…」
トレイで顔を覆い、ぶるぶるとテーブルの陰で震え続けるミク。
「ジョゼフ神父の名誉と村の品位を落とすつもりか、この神の道ににあるまじき不逞の輩がっ!」
村長の罵りの言葉。
「そうだ、そうだ この大凶作を招き入れた人でなし!」
誤解も甚だしい老婆の言葉。
「…なんだと?」
それまでだんまりを決め込んでいた神父、怒りをあらわにし二人を睨みつける。
「神父!?…、いけねぇっ」
制しようとした主人の手を片手で跳ね退ける。
「いい加減にしやがれ…、俺はジョゼフ神父に頼まれたから、こんなマネをしているだけだ…」
はっと神父を見やるミク、主人。
「…それが貴様の本心か?」
冷ややかな顔で、人差し指を向ける村長。
「……」
黙ったまま深く頷く神父。村長が帽子被り直しながら言う。
「…見下げ果てた奴、…即刻にこの村から立ち去るがよい」
「…あぁ、早く代わりでも見つけることだ、…俺がここを去る前にな」
つかつかと酒場を出て行く村長、冷ややかに笑いながら村長に続く老婆。
少し遅れて後を追う主人。
「待ってくれ村長!、あんた一方的すぎるだろうが!」
「父さん…」
外から聞こえてくる怒声に、うろたえる残されたミクと村人二人。
壁に掛けていた帽子を無造作に掴む神父。
「…あっ、神父兄様!」
神父の腕へ涙ながらにすがりつくくミク、がらがらと音を立てながら転がるトレイ。
白詰草の腕輪が、びりっと音を立てて裂ける。
「…俺をその名前で呼ぶな…」
「やだ!、やだ!、…あたしのせいで、…ごめんなさいっ!、神父兄様ぁ」
「そ、そうだ神父様よぉ、あんたは何も悪くねぇでねえか」
「なぁ、辞めなさるんだなんて嘘なんだろう?」
ミクを引き離すと、同席していた村人へ託す神父。
「…俺をその名で呼ぶなと言っているだろうが…」
足早に、その場を立ち去る神父。
「やだぁ!、放してぇ!、ごめんなさいっ!、兄様ぁ!」
「一人にしておいてやるんだ、歌姫さんよ…」
「いかないでえぇ、にいさまぁぁぁぁぁ」