中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
優木せつ菜ちゃんは、林鼓子さん
でどうぞw
1章「正義の代償」
東京、お台場。潮風が吹き抜けるこの街にそびえ立つ虹ヶ咲学園。
私はここの二年生で、生徒会長を務めています。名前は中川菜々。
『みんなに楽しい学校生活を!』
これが、私が生徒会長として掲げているスローガンです。
校則を遵守し、誰もが安心して学べる環境を作ること。それは時に厳格さを求められますが、生徒の皆さんや先生方から寄せられる信頼の声が、何よりの支えになっていました。
「ふぅ……。今日の分は、これで全部ですね」
放課後の静まり返った生徒会室。最後に残った書類に目を通し、印を押し終えたところで、私は大きく一つ息を吐きました。眼鏡を指先で押し上げ、凝り固まった肩を回します。
その時でした。
「菜々ちゃん、終わった? 一緒に帰ろう!」
扉が開くと同時に、弾むような明るい声が室内に響きました。
そこに立っていたのは、私の幼馴染であり、かけがえのない大親友の上原歩夢さんです。
彼女の柔らかな笑顔を見ると、仕事の疲れもどこかへ吹き飛んでいくような気がします。
「歩夢さん! はい、ちょうど今終わったところですよ」
私は急いでカバンをまとめ、彼女のもとへ駆け寄りました。
校門を出て、夕日に照らされたお台場の街を二人で歩きます。
海沿いの独特な香りと、家路を急ぐ人々の喧騒。日常の何気ないこの時間が、私にとってはとても大切なものでした。
「菜々ちゃん、今日の夕飯どうする? 私の家、来る?」
歩夢さんが首を傾げて尋ねてきました。
「そうですね~…。今日はお父様もお母様も帰りが遅いみたいですし、お言葉に甘えてもいいですか?」
私の父は警察官で、母は小学校の教師をしています。
二人とも立派な職業ですが、その分、仕事で家を空けることが多く、私は一人で留守番をすることが日常茶飯事でした。
「いいよいいよ! お父さんとお母さんも『いつでもおいで』って言ってるし。ご近所同士、持ちつ持たれつだよ」
「ありがとうございます。歩夢さんのご家族には、いつも感謝してもしきれません」
同じマンションに住み、幼い頃から家族ぐるみで付き合いのある歩夢さん。彼女の家で囲む食卓の温かさは、一人きりの寂しさをいつも埋めてくれました。
そんな他愛もない会話をしながら、私たちは近所の公園の角まで差し掛かりました。
その時です。
「あっ……!」
公園から一人の男の子がボールを追いかけて、車道へと飛び出したのです。
「っ!?」
同時に、角を曲がってきた大きなトラックが視界に入りました。
運転手は急ブレーキを踏もうとしていますが、この距離では間に合わない。男の子は恐怖に身をすくませ、足が止まってしまっています。
「危ない!!」
歩夢さんの悲鳴が聞こえました。
考えるより先に、私の体は動いていました。
目の前の小さな命を見捨てることなんて、私にはできません。
私は全力でアスファルトを蹴り、男の子のもとへ飛び込み、その背中に手をかけ、渾身の力で歩道側へ突き飛ばしました。
転がっていく男の子の姿が見え、私は心の底から安堵しました。
(……よかった。あの子は無事ですね)
そう思って微笑みを浮かべた、次の瞬間でした。
――衝撃。
鈍い音と共に、私の視界は激しく回転しました。
体が宙を舞い、冷たいアスファルトに叩きつけられます。
焼けるような熱さと、その後を追うようにやってきた強烈な激痛。
「――っ、が、あぁ……っ!!」
声になりません。視界が急速に赤く染まっていきます。
「っ!! 菜々ちゃん!! 菜々ちゃん!!!」
遠くで歩夢さんの叫び声が聞こえます。
やがて辺りが騒がしくなり、誰かが警察や救急車に連絡しているのが分かります。
「……ぁ、……ぁ……」
指先一つ動かせません。
ただ、遠くから聞こえてくる救急車のサイレンの音が、私の意識を現実へと繋ぎ止めていました。
『江東第七公園で、女子高生がトラックに跳ねられ、意識不明の重体。大量の出血を伴っている模様。なおトラックの運転手は――』
警察の無線機から漏れる冷たい声が、自分の状況を残酷に物語っています。
「菜々ちゃん! 菜々ちゃん、しっかりして!」
泣きじゃくる歩夢さんの顔が、歪んだ視界の中に映りました。
その横では、助かった男の子がお母さんに抱きしめられながら、震えています。
(……あの男の子が無事で、本当によかったです……)
私は最後まで、それだけを願っていました。
遠のく意識
救急隊員の方々の怒鳴り声のような呼びかけ。
ガタガタと揺れるストレッチャー。
真っ白な天井が流れていく病院の廊下。
「ここがどこだかわかりますか!? 目を開けてください!」
お医者様たちの必死な声が響き、体にいくつもの管が繋がれていくのが分かります。
規則的な心電図の音が、今の私の命の刻み。
けれど、それすらも次第に遠くなっていきます。
(あぁ……なんだか無性に眠いです……)
全身を襲っていた痛みすらも、麻痺したように感じなくなっていきました。
瞼が重い。意識が深い闇の底へと沈んでいく。
(歩夢さん……。お父様……。お母様……)
意識の断崖から突き落とされたような感覚でした。
「菜々ちゃん! ねぇ! 目を開けてよ! 菜々ちゃ~~ん!!」
鼓膜を震わせ、魂を揺さぶるような歩夢さんの叫び。それが私の耳に届いた最後の音でした。
……ごめんなさい、歩夢さん。
最後に心の中で親友の名前を呼び、私は静かに意識を手放しました。