中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
ポケモンセンターの自動ドアが背後で閉まり、私としずくさん、そしてイワンコは、並んで歩いていました。
しずくさんの腕の中には、ジョーイさんの治療ですっかり体力を取り戻したヨーテリーが収まっています。
時折、安心させるようにしずくさんの胸元に顔を埋めるその姿は、先ほどの殺伐とした光景が嘘のようでした。
しかし、しずくさんの足取りはどこか重く、その横顔には、ただ安心しただけではない、複雑な葛藤の影が落ちていました。
しばらく無言のまま歩いていましたが、先ほどの公園の入り口に差し掛かったところで、しずくさんは不意に足を止めました。
「ねぇ、せつ菜ちゃん!」
少し震える、けれど芯の通った声が私を呼びました。
「何ですか? しずくさん」
私が立ち止まって振り返ると、しずくさんはヨーテリーを抱きしめる手に力を込め、真っ直ぐに私の目を見つめ返してきました。その大きな瞳には、決意とも祈りとも取れる強い光が宿っていました。
「せつ菜ちゃん。 私に…、もっといろんなポケモンのことを教えて! 私、ちゃんと学びたいの!」
「え……?」
唐突な申し出に、私は少しだけ驚きました。
しずくさんはお構いなしに。溢れ出しそうな感情を一つずつ確かめるように、噛み締めるように話を続けた。
「ポケモンのバトルのこと。ポケモンの正しい育て方。それに…、相手も自分も、誰も傷つけないための戦い方も勉強したい。 今日…、私が何も知らなくて、ちゃんと指示してあげられなかったから、ヨーテリーがあんなに痛くて怖い目に遭っちゃった……。 私がもっとしっかりしていれば、あんなことには……」
「しずくさん……」
彼女の肩が微かに震えています。
それは悔しさというよりも、大好きなヨーテリーへの深い愛情ゆえの自己嫌悪でした。
私には、その責任感の重さが痛いほど分かりました。かつて生徒会で、自分の不手際が誰かに迷惑をかけてしまった時に感じた、あの胸を刺すような痛み。
「だから私、ヨーテリーともっと強くなりたい! さっきのせつ菜ちゃんのバトルを見て、イワンコと一緒に立ち向かう姿を見て、私…本当にそう思ったの。せつ菜ちゃんみたいに、大切な人を守れるようになりたいの!」
私はその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じました。
でも私は、今の自分の未熟さも理解していますよ。
「いえ、そんな! 私だって、さっきは勢いに任せて飛び出してしまっただけです。図鑑の知識を繋ぎ合わせただけで、あれが本当に正しいポケモンの導き方だったのか、正直なところ、私にも分かりません」
しずくさんは、私の否定的な言葉に少しだけしゅんとした表情を見せました。
ですが、私は言葉を止めるつもりはありませんでした。むしろ、ここからが本題です。
「だから! ……一緒に学びませんか? ポケモンのことをもっと。一人では気づけないことも、しずくさんと一緒なら、きっと深く理解できるはずです!」
私の言葉に、今度はしずくさんの顔がぱっと明るく、希望に満ちたものへと変わりました。
足元のイワンコが「ワンワン!」と賛成するように鳴き、ヨーテリーも「キャンキャン!」としずくさんの腕の中で力強く声を上げます。
「うん…! ありがとう、せつ菜ちゃん!」
私はこの前、誠一さんから聞いた話を思い出しました。
この世界は、ポケモントレーナーになるためのスクールがあり、ほとんど街の子たちは、小学生になると、そこに入学するのが普通なのだとか。
「そうだ! しずくさん。私たちがもう少し大きくなったら、一緒の『トレーナーズスクール』に通いませんか?」
「トレーナーズスクール……?」
「はい。そこにはプロの先生がいて、ポケモンの生態や、バトルの戦術を専門的に教えてくれるそうです。 私も、しずくさん同じくらい、もっとポケモンのことを知りたいんです!」
ポケモン…。
私にとってはまだ未知で、理解の及ばない生き物です……。
けれど、今日のように誰かを守るための力になるのなら、私はその全てを覚えてみたい。
全力で、向き合ってみたいです!
しずくさんを守り、イワンコと心を通わせたこの4年間で、この不思議な動物たちへの純粋な興味が、情熱となって、私の胸の中で渦巻いていました。
しずくさんは、私のその熱意に当てるように、満開の笑顔を咲かせました。
「うん! じゃあ、大きくなったら一緒に行こうね! 私たちの、約束だよ!」
「はい! もちろんです!」
私たちは自然と、どちらからともなく小指を差し出していました。
「「指切りげんまん、嘘ついたら、ピカチュウ10まんボルト! 指切った!」」
幼稚園で先生が、大切なお約束をする時にいつも歌ってくれるおまじない。
前世の記憶にある「針千本飲ます」ではありません。
この世界では、嘘の代償はピカチュウの放電なのです。
10まんボルトですか……。
図鑑によれば雷に匹敵する衝撃。それは絶対に嫌ですね……。
絶対に、この約束は守らなければなりません!
ピカチュウの凄まじい威力を想像して、私は少しだけ身震いしましたが、隣で笑うしずくさんの顔を見て、すぐに柔らかな微笑みへと戻りました。
中川菜々としてではなく、優木せつ菜として。
守るべき友ができ、目指すべき道が見えた。
異世界転生という運命がもたらしたこの一歩は、これからの私の人生を大きく変えていくに違いない。
――そう確信しながら、私たちはそれぞれの温かな家へと歩き続けました。
分かれ道、しずくさんは笑顔で、私に大きく手を振ってきました。
「せつ菜ちゃ~ん! また明後日、幼稚園でね~!」
「はい、お疲れ様した!」
「キャン!」
「ワンッ!」
………優木せつ菜…。 せつ菜ちゃん……。
この名前で呼ばれる日常も、案外悪くないかもしれませんね…。
イワンコの頭を撫でながら、私は心の中で、静かにそう呟くのでした。