中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
その日の夜。
優木家の晩ご飯の食卓には、七海さんが腕によりをかけた「モーモーミルクをたっぷり使ったホワイトシチュー」。サイコソーダの微炭酸を活かして、果物の鮮度を際立たせた「フルーツサラダ」と、香ばしく焼き上げられたバゲットが並んでいました。
シチューから立ち上る湯気は白く濃密で、ミルクの優しい甘みが鼻腔をくすぐります。
足元では、イワンコとフシギソウが専用のポケモンフーズを小気味よい音を立てて食べています。
私はシチューを一口運び、その温かさが胃に落ちるのを待ってから、正面に座る「ジムリーダー」へと視線を向けました。
「あの、誠一さん」
「ん~? 何だ、せつ菜」
誠一さんはバゲットをシチューに浸しながら、実にご機嫌な様子で応じました。
「一つ、お願いがあるのですが。よろしいでしょうか?」
「ダメだw」
満面の笑みで、即答ですか…。
「あなた! せっかくせつ菜が話しかけてくれたのに、なんて言い草なの!」
七海さんがすかさず抗議の声を上げてくれましたが、誠一さんは肩をすくめて苦笑いを浮かべました。
「いや、だって七海。あのせつ菜がわざわざ前置きまでして切り出すんだぞ。ジムリーダーの直感でわかる。 きっととんでもないお願い事が飛んでくるぞ」
「私を一体なんだと思っているのですか?」
私はジト目で誠一さんを見つめました。
前世でも生徒会予算の交渉などで大人と渡り合ってきましたが、この人は、時として私の計算を上回る直感を見せるので油断がなりません。
「せつ菜、大丈夫よ。気にせず言ってごらんなさい。このお父さんがいっぱい、何でも聞いてくれるわよ」
七海さんが優しく微笑みながら私の背中を押してくれます。
「何でもは困るんだけどな……。まぁ、聞くだけなら聞いてやろう」
「…実は今日、公園でしずくさんと遊んでいたところ、野生のピチューが近づいてきました。 感情表現が豊かで、少々放電癖はありますが、非常に聡明な子です。 ですがどうもその子は、一匹で行動しているようで、寂しげな様子も見せていました。 なので、そのピチューを我が家の一員として迎え入れたいのです」
私の提案に、誠一さんはシチューを飲み込み、一瞬だけ真面目な顔をしました。
「ほぉ~、ピチューをねぇ~。可愛らしいし、せつ菜には似合っているかもしれないな。……だが、ダメだ」
今度の「ダメ」は、先ほどの冗談めかしたものとは違いました。
静かで、決定的な拒絶。
隣の七海さんも、悲しそうに視線を落としました。
「はい? なぜです? 理由を論理的に説明してください」
「論理的って……。 せつ菜、お前はまだ5歳だ。図鑑を愛読しているお前なら知っているはずだが、正式にポケモンをゲットして、トレーナーになれるのは、原則として10歳からと決まってる。 しずくちゃんのヨーテリーも、たけしくんのビードルだって、あの子たちが連れ歩けているのは、それぞれの親がゲットして、パートナーとして預けているからだろう。 お前にとってのイワンコと同じ扱いだ」
誠一さんの言葉は正論でした。
この世界の法律、というか慣習として、10歳以下の子供がポケモンの所有することは認められていません。
イワンコも正確に言えば、管理者は誠一さんなのです。
「なるほど……。 ならば、『キープ』というのはいかがでしょう?」
「えっ? キープだと?」
私はバゲットを一口齧り、交渉の最終案を提示した。
「そのピチューは、誠一さんが私の代わりにゲットしてください。 そして、私が10歳になる誕生日の際、正式に譲渡していただきたいです。 いわば5年越しの『契約』です。 それまでの間、私が責任を持って、その子の教育とお世話を担当します。 誠一さんのポケモンとして登録されるなら、法的な問題もクリアできるはずですが?」
「け、契約って……。お前、自分がいくつだか分かって言ってるのか?」
誠一さんは呆れを通り越して、戦慄すら覚えているような顔で私を見つめました。
「……5歳ですが? それが何か?」
「中身が50歳の間違いなんじゃないのか……?」
失礼ですね、私はこれでも花の女子高生ですよ。
誠一さんの独り言を無視し、私はシチューの最後の一口を飲み干しました。
私にとって、ピチューをゲットすることは単なる「ペットが欲しい」という子供の我儘ではありません。
あの電撃の洗礼を受けた時から、私はあの小さな命に対して、ある種の責任と、未知なる力への探究心を感じていたのです。
「それで、どうでしょうか、誠一さん。 明日、そのピチューが約束の場所に来ていたなら、この契約、成立させていただけますか?」
誠一さんは腕を組み、唸り声を上げました。
ジムリーダーとしての厳しい目と、娘の早熟すぎる知性に戸惑う父親の目が交錯します。
沈黙を破ったのは、七海さんの柔らかな声でした。
「いいじゃない、あなた。 せつ菜が自分から何かに興味を持って、そこまで深く考えているのよ。これも立派な英才教育の一つだわ」
「……はぁ。分かったよ。明日、もしそのピチューがお前の前に現れて、自ら望んでこちらに来るというのなら、俺が代わりにゲットしてやろう」
「ありがとうございます!」
私は椅子から降り、深々と一礼しました。
心臓が少しだけ、高鳴っているのを感じました。
これが前世では味わえなかった、ポケモンと共にある人生。
ピチュー。明日、あなたが来てくれるのを、信じていますよ。