中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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29章「言ったところで」

その夜、自室。

 

机の上のスタンドライトだけが、開かれたノートと、厚みのある専門書を白々と照らし出していました。

 

私はシャープペンの先を小刻みに動かしながら、明日行われる「天候が技に与える影響とその持続時間」についての高度な座学の予習を、一心不乱に進めていました。

 

その時、静まり返った部屋のドアが「コンコン」と小さくノックされ、ゆっくりと開きました。

 

「ねぇ、せつ菜。ちょっといいかしら?」

 

入ってきたのは、七海さんでした。

 

その穏やかなお顔には、いつもの明るい笑顔はなく、どこか言い出しにくそうな、曇った色が生真面目に浮かんでいます。

 

 

「……? 七海さん、何ですか? 明日の予習なら、もうすぐ区切りがつきますけれど……」

 

 

私が椅子をくるりと回転させると、七海さんは私のベッドの端に腰掛け、小さくため息を漏らしました。

 

 

「勉強の邪魔をしてごめんね。……あのね、しずくちゃんのこと、何か学校での様子で知らないかしら?」

 

 

その唐突な問いかけに、私の心臓が「ドクン」と嫌な音を立てて跳ね上がりました。

 

 

「はい? しずくさんが……どうしたんですか?」

 

「最近、学校から帰ってきたら、ずっと部屋に閉じこもりがちで全然元気がないって、今日、由美さんから電話があったのよ。夕食の時も残しちゃったり、ヨーテリーを抱きしめたまま、時々悲しそうな顔でぼーっとしているみたいで……。せつ菜、同じクラスのあなたなら、何か理由を知っているんじゃないかと思って」

 

「それは……」

 

私は思わず言葉を詰まらせ、机の上のノートの端をギュッと指先で巻き込んでしまいました。

 

脳裏に、昼間の教室でのあの男の子たちの冷酷な嘲笑と、それを見て見ぬふりをした担任教師の、凍りつくような冷淡な眼差しが鮮烈に蘇ります。

 

 

――あぁ、しずくさんは……。お父さんやお母さんには、スクールでのあの過酷ないじめや、バトルの連敗のことを、まだ何一つ話していないのですね。

 

 

言うまでもなく、それは由美さんと信一さんを余計に心配させたくないという、彼女なりの健気で不器用な優しさゆえの沈黙なのでしょう。

 

自分が「価値の低い弱者」として扱われているというあまりにも惨めな現実を、一番愛している両親に言うのが怖くて、一人で痛みを抱え込んでいるに違いありません。

 

今ここで、私がスクールで起きている残酷な事実をすべて七海さんと誠一さんに打ち明ければ、大人の力で何かが変わるかもしれない。

 

一瞬、そんな考えが頭をよぎりました。……ですが、今のスクールで行われていることは、殴ったり教科書を隠したりするような、分かりやすい暴力を伴うものではありません。

 

グループから外す、すれ違いざまに聞こえるように陰口を言う、技を外した時に小さく嘲笑する――。そうした、客観的に相手を裏付けるような決定的な証拠の残らない、極めて陰湿で精神的なものばかりなのです。

 

それに、何よりもあの学校のルールは「結果がすべて」です。

 

大人が中途半端に介入して、注意したところで、周囲の子供たちは「弱いくせに親に言いつけた」と、さらにしずくさんを冷遇するでしょう。今の担任や先生の態度を見れば、それは火を見るより明らかでした。

 

 

「……せつ菜? どう? 何か知らない?」

 

 

怪訝そうに私の顔を覗き込んでくる七海さんに対して、私は胸を抉られるような罪悪感を覚えながらも、グッと奥歯を噛み締め、精一杯の平静を装って首を横に振りました。

 

 

「……いえ。スクールでのしずくさんは、毎日一生懸命に授業を受けていますよ。バトルで少し上手くいかなくて悔しがっているところはありますけれど…。私からも、明日学校でそれとなく様子を見て、お話を聞いてみますね」

 

「そう……? あなたがそう言うならいいのだけれど。本当に何かあったら、すぐに言うのよ?」

 

「はい。ありがとうございます、七海さん」

 

七海さんはまだ少し納得がいかない様子でしたが、「夜更かしはほどほどにね」と言い残して、静かに部屋を出ていきました。

 

パタン、とドアが閉まり、再び訪れた静寂。

私はスタンドライトの白い光に照らされた自分の小さな掌を、じっと見つめました。

 

 

しずくさん……。あなたは一人で、どれだけの涙を隠しているのですか……。

 

 

客観的な証拠がないからと、大人の介入を拒み、一人で決意を固める私。

 




次回、3年生
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