中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
30章「私としたことが…!」
結局のところ、私はしずくさんを精神的に支え、何とか学校生活のあらゆる場面で、彼女の隣にぴったりと寄り添い続けることで、クラスメイトからこれ以上の陰湿ないじめを受けないよう必死に盾となって守ることだけで、毎日が精一杯でした。
あまりの惨状に見かねて、一度だけ放課後、いつもの公園で、小さく俯くしずくさんに対して、「……しずくさん、一度ご両親にスクールでのことをすべてお話しされてみてはいかがですか?」と、それとなく提案したこともありましたが、結果はダメでした。
「ううん……お父さんやお母さんには、絶対に言いたくないの…。心配させたくないし……私がもっと、頑張ればいいだけだから……っ!」
――いや、もう十分心配をかけていますよ。
そう喉まで出かかりましたが、瞳に涙を溜めながらも、頑なに首を振る彼女の健気な、そしてあまりにも不器用な優しさを前にしては、私はそれ以上言葉を重ねることができませんでした。
ここで私が無理に大人を介入させれば、彼女のプライドを傷つけ、さらに追い詰めることになるかもしれない。
そう自分に都合の良い言い訳をするようにして、せめて一人にしないように、常に側に寄り添いましたが、根本的な解決にならないまま、私としずくさんが小学3年生へと進級した、運命の春。
かつて私たちが心の底から憧れ、胸を高鳴らせて思い描いていた、あの温かく輝かしいスクールライフの残像は完全に崩壊しました。
学校はその内側に隠していたおぞましい本性を容赦なくむき出しにし、子供たちを冷徹に選別する弱肉強食の檻へと、本格的な変貌を遂げたのです。
3年生になり、時間割には新しく音楽、理科、社会といった、一般的な小学校でも普通に習うような一般座学の授業が組み込まれ始めました。
ノートを開き、先生の板書を写し、クラスメイトと教科書を読み上げる。
その瞬間だけを切り取れば、どこにでもあるごく普通の穏やかな小学校の風景に見えるかもしれません。
ですが、その一方でスクールのポケモン専門カリキュラムは、2年生の頃のそれとは比較にならないほどに、バトルの実戦を極端に重視したものへと進化していました。
教室の空気は、もはや教育という名の生ぬるい建前を完全にかなぐり捨て、冷酷な選別の場へと堕ちていったのです。
それもそのはずです。
来年4年生になれば、誕生日を迎えた子供から、法律上、正式に10歳として自分のモンスターボールを持てる年齢に達する子が、ついにこの教室からも出てくるのです。
この3年生という時期は、スクールの教育方針からすれば、公式なポケモントレーナーとして世に送り出す前の、実戦に耐えうる頑強な個体を選別するための、最も容赦のない、最も重要な、ふるい落としの期間に他ならなかったのでしょう。
少しだけ余談になりますが、新しく始まった理科と社会の授業について言えば、私が前世の日本の小学校で習った義務教育の内容とは、世界の理そのものが根本から異なるため、教科書に書かれている内容は、歴史も生態系も地理もまるっきり違っていました。
世界の成り立ちに深く関わるシンオウ地方の神話、野生ポケモンの生息域に応じた姿の変化――。
それらはこの世界の構造を深く知る素晴らしいきっかけになり、知的好奇心の強い私にとっては、その授業内容自体は非常に面白く、純粋に興味深いものでした。
何より救いだったのは、これらの一般科目を担当する先生たちは、スクールに常駐しているあの成果主義に染まりきった専任教員ではなく、外部の教育機関から時間制で派遣されてきている普通の先生たちだったということです。
彼らは子供たちのバトルの強弱など一切気にせず、点数の良し悪しや授業態度、提出物の丁寧さだけで、誰に対しても分け隔てなく公平に接してくれる本物の教師でした。
バトルで負けてばかりのしずくさんのノートを見ても、「桜坂さんは本当に文字が綺麗だね、素晴らしいよ」と、その人格ごと肯定してくれる優しい言葉をかけてくれたのです。
だからこそ、その一般科目の時間だけは、私やしずくさんにとって、張り詰めた神経を休めることのできる唯一の息をつける穏やかなオアシスでした。
しかし――
そんな一般科目のチャイムが鳴り終わり、一歩クラスのポケモン専門科目に目を戻せば、そこには息が詰まるような本物の地獄が、平然と暗い口を開けて待っていました。
それを最も象徴していたのが、教室の後ろの壁に、まるで見せしめのように威圧的に設置された、あの大きな電子掲示板でした。
かつて前世の世界の小学校であれば、色とりどりの画用紙で作られた楽しそうな学級目標や、季節の行事表、あるいは子供たちが授業で一生懸命に書いた習字の作品、写生大会の絵などが、誇らしげに貼られていたはずのその場所。
しかし、この3年C組のその場所には、クラス全員の「週間バトル成績」の明確な数値が、ランキング形式の電子データとして大型の液晶パネルに冷たく映し出され、毎日リアルタイムで自動更新され続けていたのです。
この世界は本当に、こうしたバトルに関わるデジタル化の技術や、管理のためのインフラだけは、異常なほどに凄いのですね……。
液晶画面に冷たく明滅するグラフや、残酷に並ぶ名前の順位表を見上げながら、私はどこかもう諦めに似た、他人事のように冷めきった感情でそんな風に感じてしまうほどでした。
幸いなことに、私とパートナーであるイワンコの成績は、常にクラスの「上位」のトップ集団に不動のまま位置していました。
これまで読み込んできたポケモン図鑑の膨大な知識、誠一さんから直接習っていたバトルの基礎、自主トレーニング、そして何よりイワンコ自身が秘めている高い戦闘ポテンシャル。
それらすべてを総動員し、物理的にも精神的にも追い込み、なにより私の胸の内にあった「しずくさんの前でだけは絶対に負けられない、不甲斐ない姿は見せられない。私が強くなければ彼女を守れない」という強い意志が、辛うじてその絶対的なナンバーワンの地位を死守させていたのです。
しかし、私のすぐ隣にいるしずくさんは、全く違いました。
彼女の成績は、掲示板の最下段、常に赤字で強調されて点滅する「下の下」の領域に完全に固定されていました。
彼女の「優しさ」は、この学び舎においては、「向上心のない怠惰」「努力不足」「スクールの足を引っ張るお荷物」という名の、存在してはならない最悪の罪悪として、システムから容赦なく扱われたのです。
そして、この成績の序列というものは、そのまま教室内の人間関係における絶対的な「階級の序列」へと直結していました。
上位に君臨する者は、このスクールが掲げる「正義」を体現する偉大な勝者としてクラスの全権を握り、崇め奉られる。
一方で、下位に沈む者は、スクールの存在意義を汚す「価値のない敗者」「脱落者」として、人間以下の扱いを受けて見下される。
現にここ数日の間に、それまでしずくさんよりも、わずかに低い成績を収めていた、数人の大人しくて体の小さな子供たちが、クラスからの度重なる冷遇と、過酷なプレッシャーに精神を病み、一人、また一人と学校へ来なくなり、不登校や自主退学に追い込まれて教室から静かに姿を消していきました。
しかし、担任の先生は、その席のぽっかりと空いた寂しい光景を見ても、悲しむどころか、冷淡な声で教壇からこう言い放ったのです。
「いいですか、キミたちはあのように途中で敵前逃亡するような、志の低い敗者になってはいけません。彼らの脱落は、己の正義のなさが招いた当然の結果です。スクールにとっては、不要な不純物が淘汰されたに過ぎません」
学校そのものが、不登校すらも自己責任の不名誉な逃げであると断定し、子供たちの前で平然と切り捨てる教育を行う狂気。
一学年のうち何十人もの脱落者を、ゴミのように処分する方針。
そして、しずくさんより下の成績にいた子供たちが全員去っていってしまった結果、とうとうしずくさんが、名実ともに、クラスの最下位の座に完全に固定されてしまったのです。
彼女が最下位になったその瞬間から、周囲の彼女への嫌がらせは、これまでの陰口という間接的なものから、目に見える実害を伴う凶悪なものへと一気に加速していきました。
朝、私と一緒に登校して教室に入ると、しずくさんの教科書や筆記用具、実技で使う大切な道具が、ゴミ箱の中に生ごみと一緒に捨てられていたり、ロッカーの奥底に隠されていたりする。
休み時間になると、担任の目の届かない、もしくは教師たちがわざと見ないふりをしている校舎の裏へと強引に呼び出され、「お前のせいでクラスの平均点が下がるんだよ!」「罰ゲームだ!」と、勝敗の分かりきった一方的な野良バトルを無理やり強制されるのです。
抵抗できないしずくさんの前で、彼女のヨーテリーは相手の激しい技を何度も浴びせられ、ボロボロに傷つけられて地面に倒れ伏す。
そして、嫌がらせをする子供たちにとってそれは、ただの憂さ晴らしではなく、「弱者を正義の名の下に成敗した」としか思ってなく、さらに自分たちのバトル成績の評価点に加算される一石二鳥のシステムでした。
「おやめなさい!!」
私がその現場を見つけるたびに、叫び声を上げて割り込み、イワンコを構えて彼らを激昂のままに引き離しました。
そのままボロボロのヨーテリーを抱きかかえてしずくさんを連れ、職員室にいる担任や専任講師たちに、何度も何度も必死に訴えました。
「こんなひどいいじめは絶対に間違っています! しずくさんの道具を隠したり、寄ってたかってバトルを強制するなんて、ただの暴力です! 先生たちから、彼らに厳しく注意して、やめさせてください!!」
しかし、私の訴えに対して、返ってくるのはいつも、面倒くさそうに鼻で笑うような、うんざりとした冷淡な突き放しの言葉だけでした。
「優木さん、何度も言うようだがね、我がスクールの方針は『結果で示すこと』だ。桜坂さんがもっと強くならないから、周囲からそのような不満が出るのは、トレーナーとしてごく自然な競争心だよ。君が過保護に甘やかすから、彼女はいつまでも最下位のままなんだ。いじめだ何だと騒ぎ立ててクラスの和を乱す前に、彼女の気合を叩き直したらどうだね? 強くなれば、誰も文句は言わなくなる。それがスクールのルールだ」
頭が、どうにかなりそうでした。
どんな勝負の世界であれ、統計を取れば必ず、最下位という順位の存在は、どうしたって一人、絶対に出るものです。
どれだけ全員が血の滲むような努力をしたところで、数字の計算上、誰か一人は必ず一番下に置かれる。
それなのに、その位置に落ちてしまった人間は、この学校のシステムによって必然的にいじめられ、尊厳を踏みにじられ、心も体もボロボロに破壊される運命にならなければいけないというのですか?
そんなものが、教育であるはずがない。そんなものが、正義であるはずがない!!
激しい怒りと、守りきれない悔しさで視界が激しく歪む中、私は、ここでやっと、己のあまりにも致命的な、取り返しのつかない過ちに気づかされたのです。
こんな非人道的な狂ったシステムが、学校のトップから末端の教師に至るまで何一つ疑われずにまかり通っているということは……!
あの入学式の日、校長先生が講堂で、堂々と胸を張って掲げた、あの美しい「正義」というのは……。
「互いに切磋琢磨して高め合わねばならない」という、私の魂を揺さぶったあの言葉の本質は……。
担任や専任講師たちの言う通りのまま、最初から――「強さこそが唯一の正義であり、敗者には人権などない」という意味だったということですか……!!
私としたことが……!
私は、自分が心の底から信じていた美しい学び舎のメッキが、一番醜悪な形で剥がれ落ちていく感覚を覚え、ただただ眩暈がするような絶望に叩き落されていました。
前世の記憶に囚われ、「正義」という言葉の甘い響きのせいで、大きな勘違いをしていました。
完全に騙されていました。
目の前で静かに構築されていた子供たちの地獄のシステムの本質を、私は見誤り続けていたのです。
――私は絶対に、彼女をこの地獄に置き去りにはしない!
握りしめた拳の震えを必死に止めながら、私は冷たい掲示板をもう一度強く睨みつけ、私の本当の孤独な戦いが、静かに開始するのでした。