中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
ついにただの陰湿な嫌がらせの域を超えた、剥き出しの理不尽な暴力が、私たちのささやかな日常を容赦なく切り裂きました。
放課後。夕暮れの光が斜めに差し込むスクールの正面玄関は、授業を終えた生徒たちの喧騒に包まれていました。
しかし、その賑やかささえも、私にとってはどこか遠くの出来事のように感じられていました。
私は努めて明るい声を意識しながら、隣を歩く彼女へと語りかけました。
「ではしずくさん、一緒に帰りましょうか。もしよければ、今日は私の家に遊びに来ませんか? ピチューもしずくさんに会いたがってますし。 誠一さんと七海さんもぜひということですし」
「……うん。ありがとう、せつ菜ちゃん」
しずくさんは、廊下の大型液晶パネルに新しく更新されたばかりの「バトル成績」を見て、ひどく落ち込んでいた様子でしたが、私の誘いに少しだけ健気に顔を上げ、消え入りそうな声で弱々しく微笑んでくれたのです。
彼女のその一瞬の笑顔を守るためなら、私はどんな努力だって惜しまない。そう胸に誓った、まさにその時でした。
私たちの後ろから、ドタドタと床を乱暴に踏みつける騒がしい足音が近づいてきました。
振り返るまでもなく、声の主が誰であるかはすぐに分かりました。クラスでもバトルの成績が「中位」の枠にあることをこれみよがしに威張り散らし、格下の相手を見つけては優越感に浸っている、素行の悪い男子2人組でした。
彼らは卑屈で下劣な笑みを顔いっぱいに浮かべながら、まるで獲物を見つけたハイエナのように距離を詰めてきたのです。
「お~い、桜坂~! 今日もバトルで無様にボコボコに負けてたな! お前、マジで弱すぎなんだよ! クラスの平均を引っ張ってて恥ずかしくねえの?」
「本当本当! そのくせ、音楽の成績だけは俺たちより上の評価とか、いい度胸してんじゃん。 ポケモンバトルもまともにできない価値の低いお前に、こんなリコーダー、宝の持ち腐れだろ!」
下品な罵声が静かな玄関ホールに響き渡るや否や、片方の男子が信じられない行動に出ました。しずくさんの通学カバンのサイドポケットから、今日の音楽の授業で使ったばかりのリコーダーを、あざ笑いながら乱暴に力任せに抜き取ったのです。
「あ、返して! お願いだから、返してよ、私の大切な学校の道具なのに……!」
しずくさんは悲鳴のような声を上げて奪い返そうと必死に手を伸ばし、彼らの後を追いかけますが、男子生徒はそれをひらりと面白がってかわしました。自分たちの優位性を確信しきった歪んだ笑顔のまま、リコーダーを高く掲げて、正面玄関の外、薄暗い影が伸びる校舎裏のほうへと一気に走り出していきました。
「返してほしけりゃ、ここまでおいで~!」
「ノロマの桜坂ァ! ほら、追いついてみろよ!」
相変わらずです。成果主義を隠れ蓑にした、いつもの幼稚で陰湿な嫌がらせ――最初は、そう思っていました。
「あなたたち!待ちなさい!」
「せつ菜ちゃん……っ!」
「しずくさん、行きましょう!絶対に取り返します!」
私とイワンコ、そしてしずくさんの後を不安そうにトコトコと追うヨーテリーも、慌てて彼らの背中を追いかけました。
しかし、校舎裏まで走ったところで、男子2人組は急にピタッと足を止めました。
そして、最初からこれが目的だったと言わんばかりの、獲物が罠にかかるのをじっと待ち伏せていた狡猾な捕食者のような冷たい顔で、ゆっくりと振り返ったのです。そこには、先ほどまでのふざけた様子は微塵もありませんでした。
「……へへっ。まんまと引っかかったな、桜坂」
「え……?」
しずくさんが底知れない恐怖を感じてピクリと足を止めたその瞬間、2人は極めて手慣れた動作で腰のホルダーからモンスターボールを抜き取り、前方の地面へと力強く叩きつけました。
カチリ、という不吉な開放音。
眩い白光と共に現れたのは、パチパチと短い体毛に黄色い火花を帯電させたワンパチと、鋭い眼光でこちらを睨みつけるラクライでした。いずれも戦闘意欲に満ちた電気タイプのポケモンです。
その2匹の獰猛に濁った瞳を見た瞬間、私の背筋に冷たい戦慄が走りました。彼らの目的が単なる悪戯などではなく、最初からしずくさんを公式のルールの外側で、物理的に痛めつけるための「待ち伏せ」であったことを即座に察知したからです。
「「いけっ!『スパーク』だ!!」」
「っ、しずくさん、ダメです! すぐに避けて――!!」
私の裂けるような静止の叫びは、悲しいかな、小学生の貧弱な身体の身体能力では到底間に合いませんでした。
指示を受けたワンパチとラクライの身体から、凄まじい黄色い電撃が容赦なく解き放たれました。
その放電攻撃の直撃を、しずくさんと、彼女を身を挺して庇おうとしたヨーテリーが、逃げ場のない壁際で正面からまともに浴びてしまったのです。
「きゃあああああああああああああああっ!!」⚡️
「キャインッ!! ――キャン……ッ……!」⚡️
強烈な電撃の奔流が、しずくさんとヨーテリーの小さな身体を無慈悲に包み込みました。
一瞬、骨が透けるのではないかと思えるほどの閃光ののち、2人の身体は力なく地面へと崩れ落ちました。
ヨーテリーは、一撃で戦闘能力のすべてを喪失する「ひんし状態」へと追い込まれ、煤けた体毛を震わせながら、ピクリとも動かなくなってしまいました。
「しずくさん!! ヨーテリー!!」
あまりの凄惨な光景に息を呑み、地面に這いつくばる彼女たちの元へ取り乱しながら駆け寄る私を、男子2人はモンスターボールを指先で器用に弄びながら、これ以上ないほどに下劣にせせら笑いながら見下すように立っていました。
「あはははは! マジで弱いなっ! ヨーテリーのやつ、一撃で戦闘不能じゃん!
「桜坂も身体中しびれで動けてねえし!ざまあみろ!」
しずくさんは地面に倒れたまま、ボロボロと大粒の涙を流しながら、掠れた震える声で「うぅ……っ、しびれる~……!」と細く喘いでいました。
その、誰よりも優しく、人を傷つけることを嫌う純粋な女の子が、ただ「バトルの成績が悪い」というだけの理不尽な理由で攻撃される無残な姿を見た瞬間――。
――私の中で、何かが、完全に切れました。
脳を直接沸騰させるような、かつてないほどの激しい怒りの炎。
それは、前世で生きていた頃の穏やかな人生においては、ただの一度だって感じたことのないほどに、あまりにも熱く、鋭く、狂おしいほどの破壊的なまでの激情の感情でした。
「いい加減にしてください!!」
私の絶叫に、男子二人の下品な笑い声がピタリと止まりました。
「しずくさんが、あなたたちに一体何をしたというんですか!? 何の恨みがあって、こんなことを! 抵抗もできない相手をよってたかって傷つけることが、あなたたちの言う、校長先生の掲げてる『正義』なのですか!?」
怒りで全身をガタガタと震わせ、瞳に激しい炎を宿して掴みかからんばかりに迫る私の剣幕に、2人は一瞬だけ顔をしかめ、すぐに「チッ」と大きく舌打ちをすると、今度はその標的を、成績優秀なはずのこの私へと明確に定めてきたのです。
「チッ、うるせぇよ優木! 成績トップのくせにクラスの規律を乱してさ! そんな弱い桜坂をいつまでも過保護に庇うこと自体が、お前もスクールの『正義』のルールに反してるんだよ!」
「そうだそうだ! 先生のやり方に逆らう奴は、いくら成績が良くたってただの反逆者だ! こうなったら、ここでどっちが本当に正しいか、徹底的に分からせてやろうじゃねえか!」
「……イワンコ、前へ」
私の極限まで低く冷え切った呼びかけに応じ、私の足元から、いつもは人懐っこいイワンコが、主人である私の激しい怒りをその身に完全に同調させるようにして、野生の獣そのものの獰猛な低いうなり声を上げながら、鋭い爪を地面に立てて前に出ました。
「一つ、勝負の世界の絶対的な『現実』というものを、その足りない頭に教えてあげましょうか。 私のパートナーであるイワンコは『いわタイプ』のポケモンです。 あなたたちの連れている『でんきタイプ』の技など――イワンコには、一ミリのダメージも通らないのですよ。 基礎的な相性の知識も、人としての礼節も、そして本当の強さの意味さえも、何一つ知らないあなたたちのような人間が………、しずくさんに価値がないと言える資格なんてありませんよ!!」
感情のままに言い放つ私に対し、男子生徒は顔を真っ赤にして怒鳴り返してきました。
「そんな相性の常識なんて、わざわざ言われなくたって、最初からわかってるよ!! スクールの1年生でも知ってる常識だろ!!」
「いわタイプに電気が効かなくたってなぁ、『たいあたり』や『かみつく』押し潰せば何とでもなるんだよ!!実戦の恐さを教えてやる! いけぇっっ!!」
……何を言っているのでしょうね、この子たちは。
本当に、心の底から滑稽で、愚かで、救いようがありません。
あなたたちが毎日、教室の後ろで見ているあの「バトル成績のグラフ」が、絶対に正しい真理であるとおっしゃられるのなら、クラスの全データにおいて、常に私よりも遥か下の順位におられるあなたたちも、私からしたら、圧倒的な「弱者」になりますね?
一体どの口を使って、この学年首席の私に対して、大真面目に楯突くことができるのでしょうか?
あなたたちが、その弱肉強食の歪んだ序列こそ、このスクールの絶対的な正義なのだと言い張るのなら、いいでしょう。
ならば私も、今この瞬間だけは、あなたたちの愛してやまないその大好きな「弱肉強食の暴力のルール」にあえて乗ってあげた上で、徹底的に、手加減なしに叩きのめして差し上げます。
――言うまでもなく、結果はわかりますよね?
相性など関係ないと無策に突っ込んできたワンパチとラクライに対し、私は的確に、イワンコへ「いわおとし」と「たいあたり」の連続指示を至近距離で叩き込ませました。
バトルの「実戦の技術」において、私と彼らとでは、あの授業のおかげで、天と地ほどの開きがあったのです。
ワンパチの無謀な突撃をかわしたイワンコは、無防備な側面に強烈な「たいあたり」を食らわせ、怯んだラクライの頭上へ正確に「いわおとし」の岩塊を降らせました。
2人のポケモンは、まともな反撃すら叶わぬまま、一瞬で目を回して地面に突っ伏し、完全に戦闘不能となりました。あまりにも圧倒的な幕切れでした。
「くそっ! 覚えてろ!」
「戻れ!」
情けない悲鳴を上げながら、気絶したポケモンを大慌てでボールに回収し、2人はリコーダーを放り出して、校門へと一目散に逃げ去っていきました。その背中には、先ほどまでの威勢の良さは欠片も残っていませんでした。
「しずくさん、もう大丈夫ですよ。 痛い思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。 私が、これから先も、何があっても絶対にあなたを守りますから!」
「うん……! ありがとう、せつ菜ちゃん……っ」
私は地面に落ちたリコーダーを拾い上げて汚れを拭き取ると、まだ電撃の細かな痺れが残るしずくさんの手を、力強く、ぎゅっと握り締めました。その手は小さく、まだ小刻みに震えていました。
――そして、この最悪の一件を経て、私は確信したのです。
このスクールが、倉田校長があの日堂々と使った「正義」という言葉の正体は、強者が弱者を合法的に排除し、虐げることを全肯定するための、ただの薄汚い「傲慢のシステム」に過ぎなかったのだと。
この日を境に、私のスクールでの立場は、3年C組、ひいてはスクール全体の組織的ないじめの標的へと明確に指定されました。
「最下位のゴミである桜坂しずくの味方をする、生意気な思い上がった異端者」。
バトルの成績がどれだけ優秀であろうとも、私はクラスの規律を乱す不快な存在として、しずくさんと同列のゴミのように扱われるようになりました。
朝、登校すれば机に酷い落書きをされていたり、廊下ですれ違いざまにわざと強く肩をぶつけられたり、実技の道具を隠されたりするような、毎日下らない幼稚な嫌がらせを受ける日々が、ここから本格的に始まったのです。
ですが、そんな周囲からの嫌がらせなど、私にとっては本当にどうでもよく、これっぽっちも、一ミリたりとも興味もありません。
一度は前世で、高校2年生まで生き、志半ばで命を落として、この世界に転生してきた私にとって、たった8歳・9歳の小学3年生の子供たちから向けられる幼稚な嫌がらせなど、痛くも痒くもありません。
ですが――。
私の、この世界でたった一人の親友であるしずくさんと、その大切なパートナーであるヨーテリーの心と身体を傷つけることだけは、断じて、絶対に許すわけにはいきません!
あの日、入学式の講堂で、倉田校長が朗々と響かせたあの言葉が、皮肉にも私の脳裏に蘇ります。
『自分にとっての本当の正義とは一体何なのか、大切なポケモンと共にこれから歩むべき正しい道とはどうあるべきなのか。キミたちはこれからのスクール生活のすべての時間の中で、その答えを妥協することなく己の魂に問い続けねばならない――』
ええ、ええ、そうですね、倉田校長先生。
あなたが投げかけたその問いに対して、この狂気の3年生の教室で毎日毎日、地獄のような光景を見ながら問い続けた結果――私の中で、ようやく、絶対に揺るがない一筋の真実の答えが出ましたよ。
私の掲げる本当の正義とは、たとえクラスの全員に後ろ指を指されようとも、たとえこのスクールの教育システムのすべて、そしてスクールという巨大な組織全体を敵に回すことになろうとも、私の目の前にいる、大切なしずくさんとヨーテリーの笑顔を、何があっても最期まで絶対に守り抜くことです。
ニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクール。
教育という名の狂気が支配するこの歪みきった学び舎の片隅で、私の「正義」を世界に証明するために――今日、本当の意味で、この巨大な組織と生涯をかけて戦い抜くという血の滲むような決意を、夕闇の底で静かに固めたのです。
4年生編からがちょっと長くなるかな。
次回、やっと正式にポケモントレーナーになれる年齢だね。