中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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35章「雨の中の誓い」

校長室の重苦しい空気から解放された私は、保健室へと走り出しました。

 

いくらなんでも、教師はともかく、あの凄惨な現場を見ていたクラスメイトや他の生徒の誰かが、形式上だけでも、彼女を保健室に連れていってくれているはずです。

 

そうであってくれなければ、非常に困ります!

 

 

廊下を曲がるたびに、しずくさんの弱り切った「しびれびれ~……!」という、痛々しく悲痛な声が耳の奥で何度もリフレインし、焦燥感が私の胸を容赦なく掻きむしります。

 

 

しずくさん、今、行きますから! すぐにあなたの隣に……!

 

 

荒い息を吐きながら、祈るような思いで保健室の扉を勢いよく開け放ちました。

 

ですが――そこに、私が求めていた彼女の姿はありませんでした。

 

白いカーテンで仕切られたベッドはすべて綺麗に整えられており、静まり返った室内には消毒液の匂いだけが虚しく漂っています。

 

 

「武田先生! 4年生の桜坂しずくさんはいませんか!?」

 

 

私のあまりの剣幕に、デスクで書類を整理していた保健教員の武田先生が驚いたように肩を揺らしました。

 

幸いなことに、この狂気的な学校において保健教員だけは、異常なまでの実力至上主義や選別思想に染まっていない、数少ない公平で理性的な大人でした。

 

先生は私の必死な形相と、今にも泣き出しそうな瞳を見て、すぐに立ち上がり、落ち着いたやわらかなトーンで答えました。

 

 

「桜坂さん? いいえ、ここには誰も来ていないわよ。……優木さん、一体何かあったの?」

 

「誰も……来ていない……?」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に、バケツ一杯の氷水を直接流し込まれたような凄まじい戦慄が走りました。

 

あの状況、あの重度の電撃を受け、身体が動くことすらできなかったはずの彼女を、誰も保健室へ運ばなかった。

 

周囲にいた何十人もの生徒が誰一人として彼女に手を差し伸べなかったというのですか…。

 

 

誰かが彼女を、私の目の届かないまたどこか別の場所へ、さらなる悪意を持って連れ去ったのか――。

 

あるいは……。

 

 

 

 

「……まさか!」

 

 

 

最悪の予測が頭をよぎり、私は先生の呼び止める声を背中で聞き流しながら、翻るようにして保健室を飛び出しました。

 

向かう先は、ただ一つ。

 

先ほどの惨劇の舞台であり、私がすべてを粉砕したあの場所――第3バトルフィールド。

 

 

雨が今にも降り出しそうなほど、重く、どす黒く垂れ込めた雲の下。

 

灰色に閉ざされたフィールドには、私がイワンコとピチューと共に叩き割った、あの忌々しい電極装置の黒い残骸が、火花を失って虚しく地面に転がっていた。

 

静寂が支配するその広い砂地の中央に、ぽつんと、たった一人の少女だけが、まるできれいに折れてしまった花のように、力なく座り込んでいました。

 

 

「しずくさん!!」

 

 

少女の小さな肩がビクッと大きく跳ねました。

 

地面を滑るようにして彼女に近づくと、そこには私の想像を遥かに超えた、あまりにも残酷で、非人道的な光景が広がっていました。

 

しずくさんは、あの忌まわしい装置の放電によって、ボロボロに焦げ付いた服を着たまま、その小さな両腕で、ぴくりとも動かないヨーテリーを必死に、必死に抱きかかえていたのです。

 

 

誰も助けなかったのではない。

 

 

大人たちも、生徒たちも、あのフィールドの破壊によってバトルが「無効」、「しずくの放棄による敗北」と処理された瞬間、彼女をただの『価値のない脱落者』としてその場に見捨て、全員が背を向けて去っていったのです。

 

 

「……………せつ菜……ちゃん……!」

 

 

私の顔を見上げたしずくさんの、煤で汚れた顔。

 

その大きく見開かれた瞳から、張り詰めていた何かが決壊したように、堰を切った激しい涙が溢れ出しました。

 

 

「…うぅ……うあぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 

 

声を上げて、幼い子供のように激しく泣きじゃくる彼女の身体を、私は両腕で強く、強く抱きしめました。

 

抱きしめた彼女の体は、装置から受けた過酷な電撃が残存する微かな痺れのせいで、今なお小刻みに、激しく震え続けていました。

 

その震えが、彼女の受けた心の傷の深さをそのまま私の手のひらに伝えてくるようで、胸が張り裂けそうになります。

 

 

「ごめんなさい……! 私が、あのとき一瞬でもあなたを一人にして、本当に、本当にごめんなさい……!」

 

 

私の胸に顔を埋めながら、しずくさんは腕の中の小さなパートナーを、さらに強く抱き直しました。

 

 

「ヨーテリーが……! 私のために、あんなにひどい攻撃を何度も受けたのに……! 私、怖くて……電気が、痛くて……何も、何も指示できなかった……! ヨーテリーが、このまま死んじゃったらどうしよう……! 私のせいで、私のせいで、この子が……っ!」

 

「大丈夫です! 大丈夫ですから、しずくさん!!」

 

 

私は彼女の涙に濡れた両肩を掴み、真っ直ぐにその潤んだ瞳を見つめました。

 

 

「ヨーテリーは死んでなんかいません! これはバトルの限界を迎えて『ひんし』の状態になっているだけです! 命の火は、絶対に消えていません! すぐにポケモンセンターに連れていきましょう! 私も一緒に行きますから!」

 

「せつ菜ちゃん……!」

 

「立ってください、しずくさん。前を向いて! あなたのヨーテリーは、あの理不尽な恐怖の中でも、最後まであなたを守るために戦ったんです。次は、私たちがその命がけの想いに、全力で応える番です!」

 

 

私の言葉に、しずくさんの瞳の奥に、ほんの小さな光が灯るのが見えました。

 

私はしずくさんの手を強く引き、彼女の身体を地面から引き上げるようにして立ち上がらせました。

 

ぐったりと力を失っているヨーテリーの身体を、彼女の腕から壊れないように慎重に私の腕へと預かり、私たちは、ついにポツポツと本格的に降り出し始めた冷たい雨の校庭を、正面玄関に向けて一歩一歩、力強く駆け抜けました。

 

 

背後には、勝者だけを祝福し、敗者を無慈悲にすり潰す、あの冷徹で巨大な学び舎が、灰色の雨に煙っています。

 

前方には、雨に霞みながらも、私たちを迎え入れてくれるはずの街並みが広がっていました。

 

この日、私の心に深く、深く刻み込まれたあの倉田校長への怒り、そしてこの狂った世界への憤怒は、もう二度と、生涯消えることはありません。

 

 

激しくなる雨の中、泣き腫らした目で、それでも私の手を離さないように懸命に小さな足を動かして走るしずくさんの横顔を見つめながら、私は心の中で、自分自身に、そしてこの世界の不条理なすべてのシステムに向けて、強く誓いました。

 

 

 

もう二度と、彼女にこんな涙は流させない。

 

たとえこの先、何を引き換えにすることになろうとも、どんな悪魔と契約を交わすことになろうとも、私は彼女と、彼女の愛するパートナーを、私のすべての力で守り抜いてみせる…!

 

 

 

雨脚が激しく街を叩きつける中、私たちは遠くに見える、赤と白の救いの光を灯したポケモンセンターを目指して、雨水を跳ね上げながら、一心不乱に走り続けました。

 

 

ふと、校舎の方から遠く、授業の始まりを告げる冷たいチャイムの音が響いてきました。そろそろ次の実技授業が本来なら始まる時間です。

 

 

 

私は生まれて初めて――いいえ、前世の中川菜々としての人生も含めて、一度だってしたことのなかった、授業放棄を、自らの意志で行いました。

 

規則を破り、学校のカリキュラムを無視する。

 

かつての私なら、自己嫌悪で押しつぶされそうになっていた行為です。

 

 

 

 

……歩夢さんがこの姿を見たら、『菜々ちゃん、めっ!』って、いつものように少し困った顔で怒ってくるでしょうか……?

 

 

 

雨に濡れる視界の向こうで、前世の幼馴染の優しい笑顔が不意に浮かびました。

 

ですが、すぐに私の心はその疑問を、確信を持って打ち消しました。

 

 

 

 

いいえ。絶対に歩夢さんも、もし私と同じ立場に立ったら、どんな規則を破ってでも、同じように、傷ついた友達を助けるために走るはずです!

 

そうですよね? 歩夢さん。

 

 

 

規則よりも、順位よりも、テストの100点よりも、もっと大切で、絶対に手放してはならない想いがここにある。

 

激しい雨のなか、しずくさんの手を引く私の足取りは、一歩ごとに力強さを増していきました。

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