中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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40章「異端児に洗礼を!」

 

 

 

ニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクールの正門をくぐる私の足取りは、まるで底なしの泥を踏みしめるように重く、同時に、鋼のように鋭い決意を秘めていました。

 

見上げる灰色の巨大な校舎は、昇ったばかりの朝日を浴びて白々と輝いていましたが、その美しさの裏に潜む、どす黒い腐敗を隠しきれていないように見えました。

 

 

昨夜、誠一さんと七海さん、そしてしずくさんのお父様・お母様の前で誓った、あの言葉。

 

 

胸の奥で灯った炎は、一晩が経った今も消えるどころか、より激しく、私の背中を力強く押し続けていました。

 

もう迷いも、恐怖も、一切ありません。

 

あるのは、自分が成すべきことへの絶対的な確信だけでした。

 

 

 

4年D組の教室の扉を静かに開けた瞬間、さざ波のような囁き声と嘲笑を孕んだ視線が、四方八方から容赦なく押し寄せてきました。

 

誰も私と直接目を合わせようとはしません。

 

 

教室のやや後方、窓際の席に目をやると、そこには主を失った机がぽつんと佇んでいました。

 

ちゃんと、しずくさんの席は空席のままでした。

 

パートナーであるヨーテリーが重度の電撃ショックと精神的疲弊で入院している以上、彼女をこれ以上この悪意に満ちた場所に足を踏み入れさせるわけにはいきません。

 

しっかり由美さんは、昨夜のうちにスクール側へ連絡を入れてくれたのでしょう。

 

むしろ、今日という日が彼女にとって、あの忌まわしい恐怖から離れられる、穏やかで安らかな安息の日であることを、私は心から願っていました。

 

しずくさん、今日だけでも、安心して身体を休めていてください。あなたの居場所は、私が必ず守り抜きますから。

 

 

 

しかし、この教室に残された者たちは、その尊い不在すらも、格好の嘲笑の標的にしていました。

彼らは小声で、しかし確実に私の耳に届くような悪意に満ちたボリュームで、勝手な言葉を交わし合っています。

 

 

 

「結局、桜坂は逃げたんだ?」

 

「弱いくせにスクールにしがみついてるからあぁなるんだよ」

 

「最初から身の程を弁えていればよかったのに」

 

「それより、昨日の優木見た? 校長先生から支給された貴重な機材を勝手にぶっ壊して、昼休みに桜坂の手を引いて勝手に帰るなんてさ」

 

「いくら実技評価が学年トップクラスだからって、ちょっと調子に乗りすぎじゃない?」

 

「いつも正義、正義ってうるさいけど、結局やってることは規律を無視したただのわがままだよね」

 

「親がジムリーダーだからって、特別扱いされるとでも思ってるのかな」

 

 

 

隠そうともしない、わざとらしく鼓膜を震わせ、教室の空気を汚していく陰口の数々。

 

昨日、しずくさんがフィールドの上で流した絶望の涙や、あの過剰な負荷によってポケモンの神経を狂わせる通電フィールドの本当の恐怖に、少しでも思いを馳せる者は、この教室にはただの一人もいない。

 

彼らにとっての「正義」とは、上位の強者は常に正しく、その強者に寄り添いながら、こぼれ落ちた弱者を徹底的に叩くことで得られる、安価で薄っぺらな一体感でしかないのだと、改めて吐き気がするほど思い知らされます。

 

やがてチャイムの音が響き、始まった朝の会は、私の予想した通りの、形式ばったおぞましい展開を辿りました。

 

ガラリと扉を開けて入ってきた担任の浜野先生は、その手にいつも以上の重みを感じさせる黒いカバンを握りしめていました。

 

彼の顔は不自然に強張り、どこか怯えを隠すように虚勢を張っているのが、その充血した目から伝わってきます。

 

先生は教壇に立つと、出席を確認するよりも先に、鋭く私を指差しました。

 

 

「優木さん。前へ出なさい」

 

 

 

それは教育という名の、全生徒の前で行われる公開処刑に近い仕打ちでした。

 

クラスメイトたちの視線が一斉に私の背中に集まる中、私は教壇の前へと進み、先生の横に立ちました。

 

 

 

「優木さん。キミが昨日、第3バトルフィールドにある我が校の貴重な教育用装置を故意に破壊し、あまつさえ校長先生との厳粛な面談が終わったあと、午後の授業をすべて放棄して、校外へ脱走したことは、もはや一教員として看過できるレベルじゃない。 キミの家庭が、どれほど高名なジムリーダーであろうと、このスクールの絶対的な規律……すなわち『強きを尊び、勝利を以て正義とする』教えを乱すことは断じて許されないことだ」

 

 

 

先生の口から溢れ出る言葉は、相変わらず論理の破綻した、自己保身と欺瞞に満ちた戯言ばかりでした。

 

 

「反省のいろが全く見えない」「スクールの和を乱す危険な異端者」「与えられた天賦の才能を無駄にしている」

 

 

次々と浴びせられる型に嵌まった叱責の言葉を、私はただの無機質な雑音として冷ややかに聞き流していました。

 

 

 

 

 

まったく、何を仰っているのでしょうか、この人は。

 

 

 

 

強きを尊ぶ高潔な精神を説きながら、その実、自分より遥かに若く、武器を持たない無抵抗な子供を、多人数で囲んで寄ってたかって糾弾する。

 

その行為自体がどれほど卑劣で、どれほど矛盾に満ちているか、そのことにすら気づかないほど、このスクールの教員たちは、校長の毒に深く侵されているのです。

 

己の保身と評価のために、システムに従順な人形になり下がった大人の言葉など、私の心には一ミリも響きません。

 

 

 

「……何か言い訳はあるかね? 優木さん」

 

 

腕を組み、冷酷極まりない、見下すような目で浜野先生が私に問いかけました。

 

教室中の生徒たちの、好奇と嗜虐心に満ちた視線が、一斉に私の身体に突き刺さります。

 

彼らは私が、この圧倒的な圧力に耐えかねて泣いて謝るか、あるいは子供らしく激昂して見苦しい醜態をさらすのを、極上の娯楽を、今か今かと待ち構える観客のような下劣な顔で期待していました。

 

私は逃げることなく、ゆっくりと顔を上げました。

 

そして、正面にいる担任の目を真っ直ぐに見据え、それから教室全体を、一人一人の顔を確認するようにぐるりと見渡しました。

 

 

 

「いいえ。何もありません。 機械を壊したのは、それが戦う力のない者を不当に傷つけ、追い詰めるための『悪』だったからです。 学校を無断で離れたのは、傷つけられた大切な友人を守り、支えることが、私の貫くべき『正義』だったからです。 それ以上の弁明も、これ以上あなた方に理解を乞うための言葉も、私にとっては、一切無意味です」

 

 

その瞬間、教室内が、まるで一瞬で絶対零度の氷点下まで凍りついたかのように静まり返りました。

誰もが、私がこれほど堂々とスクールの思想を真っ向から否定するとは思っていなかったのでしょう。

 

浜野先生の顔が、驚愕と、生徒に完全に論破されたことへの屈辱でみるみるうちに怒気で赤く染まり、教壇を握る拳が小刻みに震えるのが見えました。

 

ですが、私をこれ以上この場所で、言葉によって拘束する時間は、彼らには残されておらず、またその度量もありませんでした。

 

 

「……よろしい。そこまで言うのなら、キミのその傲慢極まりない『正義』とやらが、このスクールの現実においてどれほどの価値があるものか、私が直々の指導のもと、その身体と手持ちポケモンにたっぷりと味わせてやる。  1時間目は、第1バトルフィールドに全員集合っ! 規律を乱した優木せつ菜に対して、徹底的な『特別授業』を開始する! 全員、遅れずにすぐに来いっ!!」

 

 

 

浜野先生は、吐き捨てるようにそう言い放つと、逃げるように朝の会を打ち切り、教室を出て行きました。

 

私は一言も発せず、静かに自分の席へと戻り、カバンの中から、相棒であるイワンコとピチューの入った2つのモンスターボールを取り出しました。

 

手のひらに伝わる球体の冷たさが、逆に私の体温を心地よく引き締めてくれます。

 

周囲から向けられる冷笑も、教師の子供じみた恫喝も、今の私には遠くの騒音、あるいは風の音のようにしか感じられません。私の心にあるのは、ただ一つだけ。

 

 

 

しずくさんが涙の中で信じてくれた、そして「大好きだ」と言ってくれた、あの強くてかっこいい優木せつ菜として、今日、この場所で、しずくさんとヨーテリーの流した涙の仇を、その歪んだ思想ごと木っ端微塵に打ち砕かせていただきます。

 

 

 

「行きましょう、イワンコ、ピチュー」

 

 

 

私は屋外第1バトルフィールドへと向かうため、迷いのない足取りで再び歩き出しました。

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