中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
さてと、しずくさんは今日までヨーテリーの大事を取って、お休みですね。
登校して、スクールの昇降口にある私の下駄箱を開けると、靴の脇に一通の手紙が入ってました。
白く高級な紙質で、封筒の角は寸分の狂いもなく丁寧に折りたたまれています。差出人の名前は表には書かれておらず、ただ綺麗な文字で私の名前だけが記されていました。
周りに他の生徒がいないことを確認してから、私は静かに封を切り、中に収められていた便箋を広げます。
『拝啓、優木せつ菜さん。 初めまして。5年B組の沢泉ちゆです。』
沢泉ちゆさん…。
一昨日、浜野先生とのバトルで審判をして、あのデバイスで暴走したバンギラスをポッチャマで止めてくれたあの方ですね…。
スクール内での彼女の評価は圧倒的です。
どんな高度な実技カリキュラムも完璧にこなし、教師たちからも一目置かれ、次期生徒会長の候補としてその名を知らない者はいません。
そんな彼女からの手紙に、私の指先は自然と力が入りました。
『突然の手紙で驚かせてしまったら申し訳ありません。
先日の特別授業試合において、あなたの『ポケモントレーナーを名乗るな』という言葉、そしてあの惨状の中で示した純粋な怒りと信念、しかと見届けさせていただきました。
我がスクールに蔓延する正義に対して、あれほどまでに毅然とした態度で己の正義を貫こうとする生徒に会ったのは、私にとって初めてです。
しかし、あなたもすでにお気づきの通り、このスクールが抱える闇は、一人の教師を追い出した程度で拭い去れるほど浅いものではありません。
現に、浜野先生がクビになった直後に壇上に立った新しい担任の振る舞いを見ても明らかなように、スクールのシステムが健在である限り、形を変えて同じ悲劇が繰り返されるだけです。
倉田校長の掲げる『力こそ正義』という理念は、教師である大人も逃げ場のない恐怖として、私たち生徒に執行してきます。
あなたが抱く熱い正義感は、とても尊く、正しいです。
ですが、その情熱だけでは、やがてあなた自身やあなたの大切な人までが傷つく結果になりかねないのもまた、このスクールの現実です。
だからこそ私は、あなたという存在に確かな可能性を感じていますが、それと同時に、心配もあります。
言葉を選ばずに言えば、あなたはあまりにも目立ちすぎています。
その正義感は、光にもなれば、スクール側の警戒を極限まで引き上げる標的にもなり得る。
今のあなたには、別の視点が必要不可欠だと、この前思いました。
なので、一度会ってゆっくり話しませんか?
倉田校長が過去に犯した最大の罪を教えてあげます。
来週月曜日の放課後、桜坂しずくさんも連れて、こちらのパティスリーチュチュまで来てください。
お互いにとって有意義な時間となることを願ってます。 沢泉ちゆ』
「パティスリーチュチュ……?」
手紙と一緒に、一枚の小さな地図が同封されていました。
スクールから少し離れた、静かな街角にある有名な洋菓子店。
以前、誠一さんがジムの仕事の帰り、お土産に買ってきてくれたこともあります。
街の人々で賑わう場所ですが、なぜそのような場所を指定してきたのでしょうか?
監視の目が厳しいスクール内を避け、あえて一般の利用客が多い街中のカフェを選んだのは、外部の目をカモフラージュにするためなのか、それとも私たちが警戒を解くように仕向けられた計算された罠なのか…。
疑問は次から次へと胸の中に湧き上がってきます。
なぜ、スクールの異端児として目を付けられつつある私や、4年生の中でバトル成績最下位のしずくさんに接触を図ってきたのでしょうか?
何でしょう、この胸騒ぎ。
あの校長の手先として、私としずくさんの動向を探るための罠を仕掛けようとしているのでしょうか?
それとも、生徒会長選挙を控えた彼女が、スクールの秩序を乱す危険分子として私たちを排除するために、あらかじめ裏で接触して圧力をかけようとしているのでしょうか?
ですが、先日のバトルでバンギラスの暴走を止めた時の彼女の瞳。
あの冷徹なまでの冷静さの裏にあったものは、単なる校長の忠実な手先としての動きだけではなかったような気もします。
あの時、過剰な負荷に苦しむバンギラスを、ポッチャマの技で素早く鎮めた彼女の動きには、一切の躊躇がありませんでした。
もし本当に倉田校長の忠実な下僕でしかないのなら、実験データが取れるまで放置することだってできたはずです。
手紙を丁寧に折りたたみ、制服のポケットに深く収めました。
朝の昇降口には、他の生徒たちがパラパラと登校し始めています。誰もが互いの顔色を窺い、視線を合わせないように俯きながら、自分の下駄箱へと向かっていました。
このスクールの誰もが、目に見えない強固な鎖で縛られています。
学年トップに君臨する沢泉ちゆさんであっても、その例外ではないのかもしれません。
彼女が手紙の中に綴っていた言葉。
それが何を意味しているのか、確かめないわけにはいきません。
もしこれが、スクールや校長が仕掛けた卑劣な罠だとしても、私は逃げるわけにはいきませんね。
しずくさんを守るためにも、そしてこの歪んだスクールの真実を突き止めるためにも。
* * *
放課後の鐘が校舎に鳴り響くと同時に、私は足早に家路へ。
スクールから自宅へ戻る道中、すれ違う街の人々の穏やかな笑顔や、楽しそうに歩くポケモンたちの姿を目にする度、あの息苦しいスクールとの落差に目眩を覚えるほどでした。
家に帰り、玄関で靴を揃えて自室へと上がると、私は着ていた制服を脱いで私服へと着替えを済ませました。
机の上に置いた鞄の中から、あの封筒を取り出します。
彼女の真意を少しでも掴む手がかりを得るため、私は手紙と一緒に添えられてた地図を持って、リビングへ向かいました。
リビングのテーブルでは、誠一さんがニジガサキジムの運営やトレーナー管理に関する分厚い資料を広げ、真剣な眼差しで書類を整理しているところでした。
ソファーでは、七海さんが取り込んだばかりの洗濯物を丁寧に畳んでいます。
「誠一さん、少しお話よろしいでしょうか?」
「んっ? 何だ?せつ菜。そんなに真面目な顔をして」
誠一さんは手にしていたペンを置き、分厚い資料を軽く脇へ寄せると、いつもの温かい眼差しでしっかりと私に向き合ってくれました。
私は地図を誠一さんに見せ、一番気になっている疑問を投げかけました。
「この『パティスリーチュチュ』というお店。 以前、ジムの帰りにお土産として、ケーキを買ってきてくれたお店ですよね?」
誠一さんは地図に視線を落とし、すぐに思い出したように軽く頷きました。
「あ~そうそう。あの時のオレンのショートケーキ、美味かったろ?」
「はい。とても美味しかったのは覚えているのですが、ここって、どういう場所なんですか? 普段はどんな方たちが利用されているんでしょうか?」
「どんなって…。あそこは、このニジガサキシティでも1、2を争う有名な洋菓子店だ。素材にこだわったケーキが評判。味はもちろん、店の外観も内装も落ち着いた雰囲気で、静かなテラス席もあって、普段からマダムや学生たち、それにトレーナーたちで賑わっている人気店だ。 治安も良くて落ち着いた場所だよ」
誠一さんの説明を聞けば聞くほど、私の胸の中の違和感は濃く深まっていきます。
誰もが知る有名店であり、人通りの多い開けた場所。
そんな開放的で明るい空間を、なぜ沢泉さんが、密談の場として選んだのでしょうか?
密室や人気のない裏路地ではなく、あえて人の目が多い場所を選ぶことで、スクール側の監視の目を眩ませようとしているのか、それとも別の意図があるのか……。
「ふふっ、せつ菜、もしかしてまた食べたくなったの? あそこのケーキ、本当に美味しかったものね!」
洗濯物を畳んでいた七海さんが、私の真剣な表情を和らげようとするように、無邪気な笑顔で声をかけてきました。
「あ…、そうですね。ヨーテリーの退院祝いに、しずくさんと来週の月曜日の放課後に行こうかと思いまして、事前にお店の雰囲気を聞きたかったんです」
私は七海さんに余計な心配をかけまいと、とっさにそう笑顔を作って返しました。
しずくさんとヨーテリーの退院を祝いたいという気持ち自体は、嘘偽りのない本心ですし。
「まぁ、素敵! ヨーテリーも元気に退院できて本当によかったわね! あんな酷いことがあった後だもの…。しずくちゃんも美味しいケーキを食べたら、きっと元気を取り戻せるわよ」
七海さんは嬉しそうに微笑み、畳んだタオルを胸元に抱えました。
しかし、その会話を静かに聞いていた誠一さんの表情から、先ほどまでの穏やかさが消え去っていました。
鋭い観察眼を持つ元ジムリーダーの視線が、私の瞳の奥をじっと射抜きます。
「……なぁ、せつ菜、本当にただの退院祝いか?」
「あなた?」
七海さんが驚いたように誠一さんを見つめます。
誠一さんの声には、先日のスクールでのバンギラス暴走事件以来、常に張り詰めている重い警戒感が滲み出ていました。
「まさか……倉田から直接呼び出された、なんてことじゃねぇよな?」
やはり、誤魔化し切ることはできませんでした。
誠一さんの前で中途半端な嘘をつくことは、かえって危険を招くだけです。
私は小さく息を吸い込み、視線を真っ直ぐに誠一さんへ向けました。
「……違います。倉田校長ではありません。1つ上の先輩から、しずくさんと一緒に呼び出されまして……」
「誰だ? その先輩というのは」
誠一さんの声が低く引き締まります。
「5年B組の沢泉ちゆさんという方です。一昨日、暴走したバンギラスを止めてくださった審判の方です」
「沢泉……? あっ…!」
その名前を口にした瞬間、誠一さんの表情が劇的に変わりました。
「お知り合いですか? 誠一さん」
「あ、いや……」
誠一さんは言葉を濁し、わずかに視線を泳がせました。
滅多に取り乱すことのない彼が、これほどまでに動揺を見せるのは極めて珍しいことです。
「あなた…、沢泉さんって、あの…?」
七海さんもまた、何かを察したように表情を曇らせ、心配そうに誠一さんの横顔を見つめました。
2人の間に流れるただならぬ空気に、私はテーブルに身を乗り出しました。
スクールの闇に立ち向かうためには、どんなに小さな情報であっても、決して見逃すわけにはいきません。
沢泉さんが何を背負い、どのような思惑で私たちに近づいてきたのか、その背景を知る必要があります。
「知ってる情報は、何でもください。 彼女が一体どういう人物で、何に関わり、どんな背景を抱えているのか。 それを知らなければ、私は彼女と、どう向き合うべきか判断ができません。お願いします、誠一さん」
私の真剣な懇願を受け止めると、誠一さんは深く重いため息を吐き出し、ゆっくりと腕を組みました。そして、重い口を静かに開きました。
「……このニジガサキシティにある老舗旅館、『旅館沢泉』の長女の娘さんだ」
「旅館…ですか?」
「そうだ。代々この街で続いてきた、格式の高い温泉旅館だ。 街の顔役とも言える名家で、地元の人脈も広い。 俺もジムリーダーなる前から、当主には何かと世話になっている。 礼儀正しく、筋の通った立派な家柄だよ。 そして…、その沢泉の家には、生まれつき身体の弱い幼い弟くんがいる。確か名前は…、とうじ君と言ったかな。 その治療のために、ニジガサキシティの最新設備が整った総合病院に入院してるはずだ」
誠一さんはそこで一度言葉を切り、苦渋に満ちた表情で窓の外の薄暗い空を仰ぎました。
「その総合病院の理事会や最新医療機器、そして多額の助成金の決定権を裏で握っているのが、倉田校長らしい。 倉田がこの街のスクールに着任した際、名家である沢泉家を取り込むために、真っ先にその病院と太いパイプを繋ぎ、弟の主治医を手配したという噂を聞いたことがある」
その言葉を聞いた瞬間、私の背筋に冷たい戦慄が走りました。
頭の中で、バラバラだったピースが一気に音を立てて組み合わさっていきます。
5年生トップの特待生。
冷徹なまでに完璧な模範生としての立ち振る舞い。
そして、あの手紙に書かれていた『倉田校長の犯した最大の罪』という重い言葉――。
「弟さんの命の綱を…倉田校長が握っている、ということですか……?」
「確たる証拠があるわけじゃねぇ。だが、あの倉田という男のやり口を考えれば、優秀な生徒を自分の手足として縛り付けるために、その家庭の弱みや命を人質にするくらい朝飯前だろうな。沢泉の娘さんがどれだけ優秀で、どれだけ強かろうと、目に見えない絶対的な鎖が巻かれているのかもしれねぇな…」
誠一さんの重々しい声が、静かなリビングに重く響き渡りました。
あの完璧に見えた先輩が背負わされている、あまりにも残酷で逃れようのない現実。
彼女が私としずくさんに接触してきた理由、そしてパティスリーチュチュという公の場を指定した意味。
すべてが、ひとつの巨大な闇の渦へと繋がっていることを確信し、私はテーブルの上の地図を強く見つめ直すのでした。