中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
放課後、私としずくさんはスクールの門を抜け、ニジガサキシティのメインストリートへ向かいました。
私の肩の上でピチューが「ピチュ、ピチュー!」と嬉しそうに鳴き、足元ではイワンコとヨーテリーが仲良く並んで、石畳の冷たさも気にする様子もなく、楽しそうに尻尾を振り合っています。
メインストリートを抜け、住宅街の静かな小道を曲がり、やがて、絵本から飛び出してきたかのような可愛らしい建物が見えました。
淡いミントグリーンの外壁に、可憐なピンク色の窓枠。屋根からは水色、青、白のストライプ模様を描く大きな庇が波打つように張り出しており、街並みの中に鮮やかな彩りを添えています。
「わぁ~…可愛いお店!」
「そうですね。ここが『パティスリーチュチュ』です」
しずくさんの感嘆の声に頷きながら、私たちは店舗のガラス扉の前で立ち止まりました。
ガラス越しに店内を覗き込むまでもなく、扉の隙間から漏れ出てくる芳醇なバターの風味と、砂糖の甘い香りが鼻腔をくすぐります。
真っ先にイワンコとヨーテリーは反応して、鼻をクンクンとして、「ワン!」「キャン!」と待ちきれない様子で声をあげ、尻尾を千切れんばかりに振り始めました。
肩の上のピチューも「ピチュピチュ!」と期待に目を輝かせています。
「ふふっ、みんなも甘い匂いに待ちきれないみたいですね」
「キャン! キャン!」
「ふふっ、ヨーテリーも気になるの?」
しずくさんは膝を折り、愛おしそうにヨーテリーの頭を優しく撫でてから、そっと抱きかかえました。
元気を取り戻したヨーテリーの笑顔を見られるだけで、胸の奥が温かくなりますね。
私はみんなの様子に微笑みながら扉の取っ手に手をかけ、静かに押し開けました。
カラン、コロン……と、ドアの上に取り付けられた可憐なベルが涼やかな音色を響かせます。
「いらっしゃいませ!」
出迎えてくれたのは、綺麗な青髪の優しそうな女性店員さんでした。
彼女は、訪れるお客さんを一瞬で和ませるような温かい満面の笑みが浮かんでいましたが、私の視線は、彼女の両肩に釘付けでした。
店員さんの両肩には、なんとも珍しい2匹のマホイップが、ちょこんと乗っていたのです。
図鑑で目にした一般的なマホイップといえば、頭上に真っ赤ないちごのアメざいくや、ハートや星といった装飾を乗せてる姿が主流です。
ですが、彼女の肩にいる2匹のマホイップたちは、まったく異なる意匠のお菓子を頭の上に乗せていました。
左肩の子は、シュークリームのようにコロンと丸みを帯びた丸型のエクレア。
右肩の子は、香ばしい焼き色が美しい、細長い通常のエクレア。
どちらもこのお店の看板商品であるエクレアをモチーフにしているのでしょう。
店員さんに合わせて、2匹のマホイップも息ぴったりに「マホ~♪」「マホマホ~♪」と甘い鳴き声を上げ、愛らしく手を振って、私たちを歓迎してくれました。
その店員さんの顔立ちを改めて見てみると、年齢は恐らく、前世の私と同じ高校生くらいでしょうか。
こんな穏やかな場所で誇りを持って働いている彼女の姿に、私はどこか眩しさを感じずにはいられませんでした。
店内を見渡せば、そこはあのスクールを支配する殺伐とした空気とは完全に切り離された、別世界のような平穏と幸福感で満たされていました。
買い物帰りの主婦たちが楽しそうに世間話を弾ませ、放課後のお喋りに花を咲かせる女子中学生グループの楽しそうな笑い声、旅の途中で足を休めるトレーナーたちが穏やかな顔で座っています。
テーブルの傍らには、アチャモやマリル、ピカチュウといったパートナーポケモンたちが寄り添い、嬉しそうに用意されたケーキを食べていました。
ここがただのお店ではなく、訪れた人が楽しい気持ちになれる場所なのだということが伝わってきます。
本当に、ここはあのスクールと同じニジガサキシティの中なのでしょうか?
わずか数キロ離れた場所で、生徒たちが恐怖と見せしめの惨劇に怯えているなど、誰が想像できるでしょう。
「何になさいますか?」
店員さんが優しく小首を傾げ、イラストの描かれた可愛らしいメニュー表を差し出してくれました。
「あ、はい。えっと……店内で、エクレアをひとつと、イワンコとピチューにモモンのタルトをふたつお願いします」
名前を呼ばれたイワンコは「ワン!」と元気に足元で飛び跳ね、ピチューも「ピチュ!」と私の肩の上で胸を張ります。
「私はエクレアと、ヨーテリーにはブリーの実のショートケーキをお願いします」
隣でしずくさんも注文を済ませました。大好物のブリーの実という言葉を聞いたヨーテリーは「キャン!」と尻尾を振って、しずくさんの腕の中で瞳を輝かせています。
「かしこまりました。エクレアがふたつに、モモンタルトがふたつ、ブリーの実のショートケーキがおひとつですね。こちらの番号札を持ってお席でお待ちください」
受け取った木製の番号札を手に持ち、私はさりげなく店内の奥へと視線を巡らせました。
……さて、沢泉さんは、もう来ているのでしょうか。
私たちが早く着きすぎたのか、あるいはスクール側の監視を警戒して姿を隠しているのか。
見渡す限り、あの凛とした佇まいを持つ5年生の姿はどこにも見当たりません。
「せつ菜ちゃん、どうしたの?」
隣でしずくさんが不思議そうに小首を傾げ、私の顔を覗き込んできました。
何も知らずに純粋なお祝いだと思って楽しんでいる彼女の瞳を見つめると、沢泉さんからの呼び出しの手紙の存在を隠している罪悪感が胸を刺しますが、今はまだ余計な恐怖を与えて動揺させるわけにはいきません。
「あ、いえ…! なんでもありませんよ。とても素敵なお店ですから、どこに座れば一番落ち着けるかなと思いまして」
私は即座に笑顔を作り、しずくさんの視線を誘導するように窓際の明るいテーブル席を指差しました。
「あの窓際の席にしましょうか、しずくさん」
「うん、そうだね! お日様も入ってくるし、あそこならヨーテリーたちも外の景色が見えて喜ぶと思う」
しずくさんはふんわりとした笑顔を咲かせ、私の案内に従って静かに歩き出しました。
私たちは窓際の落ち着いたテーブル席に腰を下ろし、静かに先輩の登場を待つ体制を整えました。
店内に流れる穏やかなオルゴールのBGMの裏側で、これから始まる危険な密会の重みが、私の鼓動をじわじわと早めていきます。
窓際の席で待つこと数分。
テーブルの足元ではイワンコが期待に目を輝かせて尻尾を揺らし、ピチューはテーブルにちょこんと座って厨房の様子をじっと見つめています。しずくさんの膝の上のヨーテリーは、暖かな日差しと甘い香りに包まれて、心地よさそうに目を細めていました。
やがて、厨房の奥からリズミカルで軽快なペタペタという足音が近づいてきました。
ふと視線を向けると、そこには驚くべき光景がありました。
両方の翼で器用にトレイを支えてモモンタルトを運び、さらに自らの頭の上には、驚くべきバランス感覚でブリーの実のショートケーキをちょこんと乗せた、一匹のポッチャマが歩いてきたのです。
「ポチャ!」
ポッチャマは私たちのテーブルの前でピタリと足を止めると、誇らしげに胸を張り、頭の上のケーキを滑り落とさないよう慎重に首を傾けて、テーブルの端へとお皿を滑り込ませました。
「わぁ……! すごいね、落とさないで運べるなんて。ありがとう、ポッチャマさん」
しずくさんが感嘆の声を漏らし、柔らかく目を細めてポッチャマにお礼を言いました。ヨーテリーも「キャン」と低く鳴いて挨拶を交わします。
ですが、私はその完璧な立ち振る舞い、毛並みの手入れの行き届いた艶やかさ、そして何よりその瞳に宿る理知的で研ぎ澄まされた光に見覚えがありました。
このポッチャマ、あの日のバトルフィールドで暴走を鎮めた――!?
「お待たせいたしました。エクレアふたつでございます」
透き通るように凛として、それでいて涼やかな声が、頭上から聞こえました。
「あっ、ありがとうございます」
しずくさんが笑顔で顔を上げますが、その声を聞いた瞬間、私の背筋は過剰なまでにピンと張り詰めました。
あの殺伐としたスクールのバトルフィールドで、冷徹なまでに正確な判断を下し、あの浜野先生との勝負の審判を務めていたときと同じ声音。
見上げると、そこにいたのはスクールの制服ではなく、品格のある落ち着いたシックな私服に身を包んだ、沢泉ちゆさんでした。
手にした銀のトレイから、ショコラの香りを放つエクレアのお皿を、寸分の狂いもなくテーブルの真ん中へ滑り込ませます。
その指先の動きひとつひとつに一切の無駄がなく、洗練された美しい所作が宿っていました。
老舗旅館の娘という背景を聞いていたからこそ、その圧倒的な品格に納得がいきます。
「来てくれましたね、優木せつ菜さん」
沢泉さんの瞳が、まっすぐに私の視線を射抜きました。
「……やはり、あなたでしたか、沢泉さん」
隣でしずくさんが、突然現れた上級生の存在に驚いたように目を丸くさせています。
「改めまして、5年B組の沢泉ちゆです。そして、この子は私のパートナーポケモン、ポッチャマのペギタンよ」
「ポッチャマ!」
足元にいたペギタンが、主人の紹介に合わせて誇らしげに翼を広げ、凛とした短く力強い鳴き声を上げました。
「……ペギタン。ニックネームを付けていらっしゃるのですね」
あの実力至上主義に毒されたスクールにおいては、ポケモンは効率的に勝利という結果を叩き出すための戦力であり、代替可能な道具として扱われるのが常です。
名前を与えて愛情を注ぐことすら「勝負の場で判断を鈍らせる愚行」として教師たちから徹底的に蔑まれるあの環境の中で、こうして愛着を込めた名前でパートナーを呼んでいる光景は、あまりにも異質で、そして強く私の胸を打ちました。
前世で言えば、ペットに名前をつけ、大切に慈しむ感覚でしょうか。
冷徹なように見えた彼女の内側に、失われていない温かな情愛が確かに息づいているのを見た気がしました。
「先日は、まともな挨拶もできなくてごめんなさいね。あの場では立場上、余計な私情や態度を表に出すわけにはいかなかったから」
沢泉さんは静かに息を吐き、少しだけ声音の硬さを解きました。
「いいえ、こちらこそ……。あの時は、暴走したバンギラスを制止していただき、本当にありがとうございました。沢泉さんの咄嗟の判断とペギタンの『うずしお』がなければ、大惨事になっていたところでした」
私が深く頭を下げると、彼女は素気なく首を横に振りました。
「別に感謝されるようなことじゃないわ。私はただ、あのまま放置すればスクール側の設備損壊だけでなく、バンギラスの生命そのものが危険だと判断して、合理的に処理しただけに過ぎないもの」
どこまでも淡々と事実だけを並べるその物言いに、しずくさんは小首を傾げ、不思議そうに私と沢泉さんの顔を見比べています。
「あの……せつ菜ちゃん? この子は……?」
「私と浜野先生のバトルの際、審判を務めてくださっていた5年生の沢泉先輩です」
私が手短に説明すると、しずくさんはハッとしたように姿勢を正し、「あ……! 4年の桜坂しずくです」と慌ててぺこりと頭を下げました。
「丁寧なご挨拶をありがとう、桜坂さん。あなたのことも、もちろん存じ上げているわ」
沢泉さんはしずくさんに向けて一瞬だけ柔らかい笑みを浮かべると、空になった銀のトレイを胸元に抱え直しました。
「ところで、どうして沢泉さんが、直接注文を運んでいらっしゃったのですか?」
私の問いかけに、沢泉さんはふっと悪戯っぽく口元を緩めました。
「ここ、私の従姉が働いているお店なの。だから裏のバックヤードで、あなたたちが到着するのを待たせてもらっていたのよ」
「もしかして、入口のところにいた……あのマホイップを2匹連れていた店員さんですか?」
「正解。彼女に少し事情を話して、協力してもらったの」
沢泉さんはそう言うと、ごく自然で優雅な仕草で、私たちのテーブルの空いている椅子へ腰を下ろしました。
甘いバニラと焼き立てのお菓子の香りが充満する店内で、いよいよ本題――あのスクールの深淵と倉田校長の過去の罪へと踏み込むための密談の空気が、テーブルの上に静かに満ち始めていました。
https://www.pixiv.net/artworks/147369657
どんなマホイップか見たい方は、こちらをどうぞ。
ほかにもあいライスは、オリジナルのマホイップを描いてますので、ぜひ見に来てください。