中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
運ばれてきたモモンのタルトとブリーの実のショートケーキを、イワンコ、ピチュー、ヨーテリーは、仲良く寄り添って夢中になって頬張ってます。
小さな口元を真っ白な生クリームでいっぱいにしながら、無邪気に尻尾を振り、果実の爽やかな甘みを全身で味わうポケモンたちの愛らしい姿。
しかし、そんな温かで平和な光景とはあまりにも対照的に、テーブルを挟んで向かい合う私たちの間には、切りつけられそうなほど尖った緊張感が張り詰めていました。
「あの……、単刀直入にお聞きしますが、私たちをここへ呼んだ目的は何ですか?」
私の問いかけに、隣に座っていたしずくさんが目を丸くし、私と沢泉さんの顔を交互に見比べました。
「呼び出した? えっ…? せつ菜ちゃん、どういうこと? たまたまここで会ったんじゃないの?」
困惑し、視線を泳がせるしずくさんの様子を見ても、沢泉さんは苛立つ素振りすら見せず…。
「まあまあまあ……、まずはそのエクレアを召し上がれ。 従姉が素材から吟味して、心を込めて作った特製のエクレアなの。温かい紅茶もサービスで頼んでおいたから、そろそろ運ばれてくるはずよ。まずは一口食べて、肩の力を抜きなさい」
「えっ……ですが……」
私がなおも食い下がろうとすると、彼女は静かで、けれど決して遮ることを許さない不思議な威厳を纏った声で、柔らかく私の言葉を受け止めました。
「突然呼び出してしまったのはこちらの都合だし、今日は私の奢りでいいわ」
「そんな! 先輩に奢っていただくなんて、申し訳ないです!」
しずくさんも慌てて両手を振って辞退しようとしましたが、沢泉さんは首を小さく横に振りました。
「気にしないで。これは私から、ヨーテリーの退院祝いでもあるのだから。遠慮せずに召し上がってちょうだい。それに……桜坂さんへのお詫びも兼ねているのだから」
「お詫び……?」
すると沢泉さんは、背筋をすっと伸ばし、しずくさんに向かって静かに深く頭を下げました。
「ごめんなさい、桜坂さん。私の同級生の男子が、あなたを無理やり第3バトルフィールドに連れて行って、あんな酷い目に遭わせたこと…。 5年生代表として、心から謝罪させてもらうわ」
その言葉が彼女の口から零れ落ちた瞬間、私の脳裏にあの日目撃した凄惨な惨劇が鮮明に蘇りました。
すべての引き金となった、あの第3バトルフィールドの『感覚同期型・通電フィールド』。
ヨーテリーが、相手のグレッグルから容赦ない攻撃を受ける度に、その苦痛と等しい電流がしずくさんの体を駆け巡り、彼女が痺れに耐えかねて悲鳴を上げたあの光景。
そして私が我を忘れ、イワンコとピチューへ命じて、力任せにフィールドのシステム装置を粉砕した、あの激しい記憶。
「いいえ、そんな…! 確かにあの時はすごく痺れて痛かったですけど、沢泉さんが悪いわけではありません! 先輩が頭を下げるようなことじゃないです…! 私がバトルに弱くて、足ばかり引っ張っているから……」
しずくさんは恐縮したように小さな手を伸ばし、深く頭を下げる上級生を慌てて止めようと身を乗り出しました。
その時、絶妙なタイミングで静かな足音が近づき、湯気の立つカップが3つ、私たちの前に優しく置かれました。
「お待たせいたしました。アールグレイの紅茶でございます」
「ありがとう、くれあ」
顔を上げた沢泉さんの表情は、あの殺伐としたスクールで見せたのとはまるで違う、従姉に向けられた温かく柔らかなものでした。
店員さんは、くれあさんってお名前なんですね…。
「ふふっ、ゆっくりお話ししていってくださいね」
くれあさんは、私たちに向かって、まるで包み込むような優しい笑顔を浮かべると、トレイを胸に抱えて再び静かな足取りで、レジへと戻っていきました。
出されたものをいつまでも放置するのも不作法でしょう。私は意を決してエクレアを手に取りました。
「「いただきます」」
私としずくさんは声を揃え、エクレアを口へと運びました。
っ……!!
美味しいです……!
ふんわりと香ばしく焼き上げられたシュー生地。
その中から溢れ出してきたのは、舌の上で滑らかにとろける濃厚なカスタードクリームと、濃厚なミルクのコクが際立つ上品なホイップクリームのWクリームでした。
表面を覆うビターチョコレートのほどよいほろ苦さが、全体の甘みを引き締め、後味には爽やかな高級バニラの甘い余韻が鼻を抜けていきます。
「美味しい…! こんなに美味しいエクレア、今まで食べたことがありません!」
しずくさんも思わず瞳を輝かせ、感嘆の声を漏らしていました。
美味しいものを口にした瞬間に訪れる、純粋で温かな幸福感。
そういえば…、前世で歩夢さんと一緒にお台場の小さなカフェへ寄った時も、こんなふうに美味しいスイーツに目を輝かせながら、放課後の他愛もないお喋りで笑い合っていたっけ……。
一瞬だけ脳裏を過った、懐かしい記憶に、胸の奥がキュッと強く締め付けられましたが、私はすぐにその感情を心の奥底へと押し殺しました。
今の私は、この歪みきったトレーナーズスクールの闇の中で、目の前の大切な仲間を守るために戦わなければならないのですから。
けれど、口いっぱいに広がる上質な甘さと、温かいアールグレイのコクのある香りが、冬の冷気で凍え切っていた身体と、重苦しい現実の重圧で張り詰めていた心を、ほんの少しだけ解きほぐしてくれるのを確かに感じました。
沢泉さんは、私たちが美味しそうにエクレアを口にする様子を、まるで妹たちを見守る姉のように優しく見つめ、自身のティーカップをそっと口元へと運んだ後、カチャリと静かな音を立ててソーサーへと戻しました。
「桜坂さんが気に入ってくれてよかったわ。……優木さんはどうかしら?」
「あ……はい。とても美味しいです」
本音を告げながらも、私の頭の中では疑念の渦が絶え間なく回転していました。
一体何を考えて、彼女はリスクを侵してまで私たちをここへ呼んだのか?
誠一さんから聞かされた話が事実なら、彼女の弟さんの命と治療の権利は、倉田校長の手によって強固な人質として握られているはずです。
ならば彼女もまた、校長という絶対的な権力に屈し、絶望と脅迫に怯えながら従わされている被害者の一人に過ぎないはず。
ですが、目の前に座る沢泉ちゆという少女からは、恐れや脅迫に屈している弱々しさなど微塵も感じられません。
それどころか、その凛とした瞳の奥には、校長の手先としても、単なる哀れな被害者としても説明がつかない、何か別の強い思惑が静かに燃え上がっているような気がしてなりませんでした。
「さてと、本題に入りましょうか。 今日あなたたちを呼び出した理由なのだけれど……」
組み合わされた細い指の上に顎を乗せ、彼女は真剣な眼差しで私としずくさんを交互に見つめました。
「ちょっと私に、協力してほしいことがあるの」
「協力…ですか?」
私の口から漏れた疑問の言葉に、沢泉さんは再び紅茶のカップにそっと口をつけ、ソーサーへ戻しました。その一連の所作には、一切の揺らぎも隙も存在しません。
「優木さん、あなた……、倉田校長に楯突いているでしょ?」
単刀直入で、飾り気もない鋭い問いかけ。
隣に座るしずくさんが、ゴクリと生唾を飲み込む気配が肌を通して伝わってきます。
「楯突いている……という言い方が正しいかは分かりません」
私は膝の上で固く握りしめた拳にぐっと力を込め、力強く、けれど静かに言葉を返しました。
「私はただ、あのトレーナーズスクールのやり方が、ポケモンたちや生徒を、ただの成果を出すための道具として扱い、苦しめるシステムが間違っていると言っているだけです。 あの日、浜野先生に向かって叫んだ言葉も、特別な改革を起こそうとしたわけではなく、目の前で理不尽に傷つけられる命を黙って見過ごせなかった!……ただそれだけです」
「……どこまでも純粋ね」
沢泉さんは小さくため息をつきながら呟き、静かに首を振りました。
「熱くて、あまりにも危ういわ」
「危うい、ですか?」
「そうよ。手紙にも書いたでしょう? あなたは目立ちすぎているの。どれほど純粋な『正義』を掲げようと、あのスクールが何年もかけて作り上げた『正義』の前では、そんな青臭い正義、ただの自己満足として簡単に押し潰されるだけよ」
沢泉さんはゆっくりと顔を上げ、氷のように研ぎ澄まされた瞳で、私をまっすぐに射抜きました。
「あのスクールにおける『正義』とは何なのか、あなたには分かっているの?」
「わかっていますよ。勝利すること、結果を出すこと。弱者を徹底的に踏み台にしてでも、でしょ?」
「そして倉田校長の絶対的な権力に従い続けること。 それがあのスクールの揺るぎない正義よ。 あなたが叫んだ『ポケモントレーナーを名乗るな』という怒りは、道理としては正論かもしれない。けれど、正面からぶつかって打ち砕けるほど、あの男が張り巡らせた根は浅くないのよ」
「だからと言って……、黙ってあの理不尽を見てろと言うんですか!?」
スクールで虐げられ、恐怖に怯える生徒たちや、悲鳴を上げるポケモンたちの姿が脳裏を焼き尽くし、私は思わず身を乗り出して声を荒立てていました。
しかし、沢泉さんは微動だにせず、冷ややかな視線で私の激情を受け止めました。
「静かにしなさい、優木さん。周りのお客さんに迷惑でしょう?」
「っ……」
「せつ菜ちゃん……」
しずくさんが心配そうに私の制服の袖をそっと引っ張ります。私は深く息を吸い込み、どうにか沸騰しそうな感情を押し殺してゆっくりと身体を戻しました。
「怒りに任せて声を張り上げるのは簡単なことよ」
沢泉さんはトレイの上のスプーンを指先で整えながら、静かな語り口を崩しません。
「けれど、スクール側はそんなあなたの熱量を、すでに計算に入れているわ。倉田校長はあなたを『絶好のサンプル』として観察し、教師たちはあなたを『排除すべき異端児』として監視を急激に強めている。あなたが正義感で暴れれば暴れるほど、周囲の生徒やポケモン……桜坂さんの立場まで、より悲惨な危険に晒されることになるのよ」
沢泉さんは冷めていくカップを指先で丁寧になぞりながら、静かに、そして恐ろしいほど冷徹なトーンで続けました。
「……手紙にも書いたはずよ。今のあなたには、闇雲に力を振りかざすこととは異なる、別の視点と戦略が必要不可欠だって」
「沢泉さん…、あなたは、一体何をしようとしているのですか?」
「……明日から生徒会選挙が始まるでしょう? 私はそこで、あのトレーナーズスクールの生徒会長になって、根本からあのスクールを変えたいと思ってるの」
それまで静かに話を聞いていたしずくさんが、身を乗り出すように尋ねました。
「どのように変えるんですか?」
「そうね~…」
沢泉さんは窓の外、薄暗くなり始めた街並みに一瞬だけ視線を投げました。
「まずは当然、生徒とポケモン双方に無意味な恐怖と暴力を強いられる現状の実技カリキュラムを即座に撤廃させて、スクールを正常な教育機関へと戻すこと。そして、あの首輪……『強制限界突破システム』のような悪魔の発明品を二度と使わせないよう、校長の権限の奥底に隠された開発ルートと資金源のデータを、すべて白日の下に晒し出す……!」
「開発ルート……」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸の中に苦い重圧が広がりました。
先日の第3バトルフィールドで悪魔の装置を粉砕した後、校長室で対峙したあの男が、嘲笑を浮かべながら誇らしげに語っていた狂気の言葉が鮮明に思い出されたからです。
――「ところで、渉という男は、通常のカイリューでは覚えることができない『バリアー』を、カイリューに習得させることができた唯一の人物でもあった。 なぜそれが可能だったか考えてみたんだ。考えた結果、私はある一つの可能性を見出して、前任のアカデミーで採用したところ、実験は成功した!」
――「何をしたんですか……?」
――「ポケモンに、ある機械を付けただけだ…! 簡単に言えば、あの装置と同じ機能のものだがね…」
デスクの引き出しから、彼が取り出した銀色に光る金属製のポケモンの首輪。
――「この装置を装着したポケモンは、敵から攻撃のダメージを受けたその瞬間、その苦痛が二倍のダメージとなってフィードバックされる。 すると何が起こるか? ポケモンは生き残るため、野生の本能を思い出し、限界を超えて爆発させ、通常の数倍の出力を乗せた技を相手へ撃ち返すことができる! これこそが、私が開発した『強制限界突破システム』。渉が、命がけの戦場の中でカイリューと死線を潜り抜け、奇跡的にリミッターを外して、バリアーを習得させたプロセスを、科学の力で効率的に、かつ確実に再現した最高傑作だ!」
――「……狂っています…! そんなものを付けられたら、ポケモンたちの心はどうなるのですか!? 技の威力と引き換えに、彼らはただの壊れた戦闘兵器にされてしまいます! それを、あなたが誇る実績だというのですかっ!? 立派なポケモン虐待ですよっ!!」
――「虐待、か。実につまらない言葉を使う。 これは『進化への投資』だよ、優木さん。 現に私が、前任のアカデミーでこの首輪を試作し、選ばれたエリートたちのポケモンに装着させた結果、彼らの勝率は跳ね上がり、リーグの歴史を塗り替えるだけの実績を残した。 傷つき、怯え、限界を迎えた魂だけが、真の力を解放する。 私はその扉を、科学という鍵で開けてやったに過ぎない。 もちろん、科学に犠牲はつきものだ。 前任のスクールでも、このスクールでも何匹かに試してみたが、脱落するものも少なくない。 だが、大抵は甘やかしてるトレーナーが途中でリタイアさせてるだけなんだがね。 根性なしのポケモンばかりで近頃は困る。 心が壊れた? 技が出せなくなった? それは元々の素質がその程度だったという証明にすぎない」
思い出すだけで、猛烈な吐き気と激しい憤怒が腹の底からドロドロと突き上げてきます。
自分の手が微かに震えているのを隠すように、私は太ももの上で固く拳を握り直しました。
「倉田校長の話では、あの強制限界突破システムは、彼が以前赴任していた前任のアカデミーの時点で、すでに実用化されて使われていたと言っていました」
私は当時の胸糞悪い会話を思い返しながら、重い口を開きました。
「渉さんのカイリューのように、本来覚えることのできない技や、極限を超えた出力を強制的に引き出すための、画期的な教育アイテムだと……。けれど確かに、あれほどの精密機器や複雑なシステムを、校長個人がたった一人で開発・製造できるわけがありませんよね?」
「ええ、その通りよ」
沢泉さんは同意するように小さく頷き、冷たい目をさらに細めました。
「当然、裏には巨額の資金源と、密かに技術を提供する闇の企業や組織の存在があるはず」
「ねぇ、せつ菜ちゃん…、何なの? その…、何とかシステムって…?」
事態の深刻さに青ざめるしずくさんに、私は極力落ち着いた声で説明を補足しました。
「強制限界突破システムです。あの第3フィールドの装置を壊した後、私は先生たちに職員室に連れて行かれましたよね?」
「うん……」
「その時、倉田校長と校長室で2人きりで話したんです。 そうしたら彼は私に対し、自慢げに過去の前任のアカデミーで成し遂げた惨劇の成果を話してきました。 そしてデスクの引き出しから、銀色に光るポケモン用の首輪を取り出したんです」
「首輪?」
私の言葉を引き継ぐように、沢泉さんが冷徹で重々しい声で付け加えました。
「その首輪は、ポケモンバトルの最中、相手から攻撃ダメージを受けると、その苦痛が倍の電流となって自身の肉体へ跳ね返ってくる…。あなたが体感したあのフィールドの、ポケモン版といえば、伝わるかしら?」
しずくさんは息を飲み、自身の腕の中で小さくなっているヨーテリーを一層強く抱き締めました。
その時、私は沢泉さんから受け取った手紙に書かれていた一節を思い出しました。
『倉田校長が過去に犯した最大の罪を教えてあげます。』
「あの……手紙にあった、倉田校長の最大の罪とは何ですか?」
「前任のアカデミーで、最初の『強制限界突破システム 第1号』の犠牲となったトレーナーと、そのパートナーが、どうなったか知ってるかしら?」
「あなたは知ってるような口ぶりですね…?」
「知っているもなにも…、その犠牲になったのが……」
沢泉さんはそこで言葉を切り、店の奥――カウンターのほうを指さしました。
まさか……!?
私としずくさんは思わず息を飲み、彼女の指し示す先を弾かれたように追いました。
そこには、
先ほど私達を温かい笑顔で迎え入れ、両肩に2匹のマホイップを乗せた
店員のくれあさんが、柔らかな手つきでグラスを布巾で優しく拭いている姿がありました。