中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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5章「3歳の哲学者」

あの日、赤ん坊としてこの世界に降り立ってから、早いもので、気がつけば3年の月日が流れました。

 

前世の中川菜々としての記憶を保持したまま、私はこの小さな体で、二度目の幼少期を歩んでいます。

言葉を操れるようになり、ある程度なら家の中を自由に動き回れるようになりました。

身体能力こそ幼児のそれですが、頭の中は依然として、虹ヶ咲学園の生徒会長であった頃の理性が支配しています。

 

「ワンワン!」

 

足元で元気に尻尾を振るのは、私の良き理解者であり、今や兄妹のような絆で結ばれたイワンコです。

この3年間、私はこの世界のあり方を必死に観察し、情報を収集してきました。

その結果、ようやく一つの結論に辿り着いたのです。

 

まず、この街の名前は、ニジガサキシティというらしいです。

どんな偶然でしょうね……。

 

そしてこの世界には、私の知る「動物」の代わりに「ポケットモンスター」――通称、ポケモンと呼ばれる不思議な生き物たちが存在しているのだということに。

 

私は自室の本棚から、分厚い1冊の書物を取り出しました。

表紙には『ポケモン大図鑑』と記されています。

 

誠一さんが「せっちゃんにはまだ早いかな?」と言いながら買ってくれたものですが、今の私にとってこれほど貴重な資料はありません。

 

「…………ポケモンの種類は、1,000種類以上もいるんですね…」

 

生息地、生態、進化のプロセス。それらが延々と記述されています。

 

いや、常識的に考えて覚えられますか!これだけの数!!

前世の定期テストの範囲が可愛く思えてくるほどの膨大な情報量です。

 

さらに読み進めると、ポケモンには「タイプ」という属性が存在することが分かりました。

 

ノーマル、ほのお、みず、くさ、でんき、どく、じめんetc.

全部で18種類。それぞれに相性があり、複雑な三竦みならぬ、十八竦みの状態になっています。

ちなみに、この家にいるイワンコは、いわタイプに分類されるそうです。

 

「技、ですか……」

 

ポケモンたちは、それぞれのタイプに基づいた不思議な技を繰り出し、時には人間と共に、時にはポケモン同士で「バトル」を行うのだといいます。

火を吹き、雷を落とし、地割れを起こす。

まるでRPGの世界を地で行くような感じですが、これがこの世界の日常らしいです。

 

最も驚くべきは、人間とポケモンの共存の深さでした。

図鑑の解説によれば、ポケモンの技を人間が直接浴びたとしても、不思議と命に関わるような重傷を負うことは稀だといいます。

炎タイプの火を浴びても「熱い」と感じる程度、電気タイプの電撃も「全身が痺れる」程度で済むのだとか。

 

とはいえ、わざわざ浴びたいとは思いませんけれど。

教育者のお母様が聞いたら、卒倒してしまいそうなレベルですね…。

 

そんな風に、前世の両親を思い出しては図鑑の内容を分析する日々。

 

熱心にページをめくっていると、背後から扉が開く音がしました。

 

「せつ菜、何をしてるの?」

 

「あ……七海さん。少し、ポケモンについて勉強をしていました」

 

現れたのは、この世界の私の母にあたる七海さん。

彼女は私の返答を聞くと、少しだけ困ったような、けれど感心したような表情で微笑みました。

 

「そう……。せつ菜は本当に勉強熱心ね。まだ3歳なのに、難しい本を読んでいてすごいわ」

 

 

 

◆七海side

 

せつ菜は、本当に不思議な子。

私と誠一さんの子供とは思えないくらい、落ち着いていて、しっかりしている…。

親バカかもしれないけれど、この子はきっと将来、すごい人物になるんじゃないかって本気で思ってしまうわ。

 

けれど、母親として、胸の奥に小さなチクりとした痛みを感じることもある。

 

せつ菜は、私のことを「ママ」とも「お母さん」とも一度も呼んでくれたことがない。

物心がついた時からずっと、彼女は私を「七海さん」、夫のことも「誠一さん」と呼んでいる。

 

まるで、私たちのことを親としてではなく、ただの同居人のように接している気がしてならない。

どうしてそんなに距離を置くのかしら。私の愛情が足りないのか、それともこの子の個性がそうさせているのか。

返ってくる丁寧すぎる敬語を聞くたびに、少しだけ寂しくなってしまう。

 

「そろそろお昼にしましょうか、せつ菜」

 

「はい、分かりました」

 

「ワンワン!」

 

イワンコが元気に私たちの間を駆け抜けていく。その明るさに救われる思いで、私はせつ菜を連れてリビングへと向かった。

 

 

 

◆菜々side

 

リビングに足を踏み入れると、そこには1匹のポケモンが待機していました。

背中に巨大な花の蕾を背負った、四足歩行の生き物。

 

「ソウッ!」

 

「フシギソウ、お待たせしました」

 

七海さんの手持ちポケモン、くさタイプの「フシギソウ」です。

私はそのザラりとした、けれど植物の生命力を感じる皮膚をそっと撫でました。

前世では犬一匹飼えなかった私が、今では背中に花を咲かせた怪獣のような生き物と食卓を囲んでいる。

 

やはり、ここは不思議な生き物、ポケモンの世界なのですね。

 

改めて自分に言い聞かせるように、私はフシギソウの蕾を優しく叩きました。

お昼ご飯を食べながら、七海さんはいつも通り、私の幼稚園での様子を尋ねてきました。

 

「せつ菜、幼稚園はどう? お友達とは楽しく遊べているかしら?」

 

「…………」

 

正直に申し上げれば、全くもって楽しくありません。

いえ、語弊がありますね。正確には、精神年齢の差が激しすぎて、娯楽をともに楽しむことができてないだけです。

 

「一緒に砂場で遊ぼう!」と誘ってくれる無邪気な子供たち。

「ポケモンの真似っこしようぜ!」とはしゃぐ男の子たち。

それに対して、私はついつい「砂の城を作るなら、水分量と粘土質の割合を計算した方が強度が上がりますよ」とか、「図鑑によると、そのポケモンの鳴き声はもう少し低い気がします」などと、身も蓋もない正論を返してしまうのです。

 

そのたびに子供たちはポカンとした顔で戸惑い、現場には微妙な空気が流れます。

生徒会長として、和を乱すようなことはしたくないのですが…。

 

「……はい、楽しいですよ。皆さん、とても活発で、勉強になります」

 

私は最大限の社交辞令を込めて微笑みました。

 

3歳児が「勉強になります」と言うのもおかしな話ですが、今の私にはこれが精一杯の譲歩でした。

 

「そう……? それならよかったわ。せつ菜はお友達を作るのが上手なのね」

 

七海さんは安心したように笑っています。

その笑顔を見るたびに、私は少しだけ罪悪感に似た感情を抱きます。

本当の両親ではないけれど、この人たちは確かに私に無償の愛を注いでくれている。

けれど、私の心の中には、まだあの前世の風景が、そして、歩夢さんの笑顔が、消えない残像として焼き付いているのです。

 

(……せつ菜、ですか……)

 

心の中で、自分の新しい名前を呟いてみます。

まだ、自分の名前だという実感は薄いままです。

けれど、この不思議なポケモンたちがいる世界で、私は、優木せつ菜として、この二度目の人生を歩んでいくしかない。

 

「ごちそうさまでした。七海さん、食器の片付け、お手伝いします」

 

「いいのよ、せつ菜。あなたは自分の時間を大切にしなさい」

 

そう言って笑う七海さんの横顔を眺めた。

 

私の人生、3歳にしてすでに、一般的な幼稚園児とはかけ離れた方向へと加速し始めているようです。

 




次回、4歳
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