中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
昨日の「パティスリーチュチュ」での決裂から明けた、凍てつくような冬の早朝。
吐く息が白く漂う冷気が容赦なく頬を刺す道中、私としずくさんは重苦しい沈黙を抱えたまま、冷ややかなアスファルトを踏みしめてスクールへの道を歩いていました。
私の隣では、いつもなら元気に前を歩くイワンコも、抱っこされているしずくさんのヨーテリーも、どこか周囲の刺々しく冷え切った空気を察したように身を縮め、静かに息を潜めています。
やがて、重々しい鉄製の正門が見えてきた、その時でした。
「……? 何でしょう、あれは……」
「どうしたの? せつ菜ちゃん」
しずくさんが不安そうに視線を巡らせ、私の隣で足を止めました。
校門の前に、数人の生徒たちがきっちりとした姿勢で一列に並び、通りかかる生徒たちへ次々と爽やかな声をかけていたのです。
腕に紺色の生徒会の腕章を巻き付けたその生徒たちは、まるで名門校の風紀委員かのように整然とお辞儀を繰り返していました。
「おはようございます。規律ある登校を心掛けましょう」
「今日もスクールの誇りを胸に、研鑽に励むように」
「おはようございます。素晴らしい一日にしましょう」
……あいさつ運動……?
この過酷なスクールに通い始めてもう4年目になりますが、今までこんな光景、一度でもありましたでしょうか?
「強さこそがすべて」であり、たとえ同じクラスの仲間であろうと、弱者への関心など弱さの証だと切って捨てるようなこのスクールにおいて、こんな「学校らしい」ことをするなんて…。
その光景は、あまりにも異様で、不気味極まりないものでした。
周囲を歩くほかの生徒たちですら、あまり見慣れない光景に戸惑いと警戒の色を隠せず、視線を泳がせながら、挨拶を返して校内へと入っていきます。
私としずくさんも、校門をくぐり、形だけのお辞儀を返して校庭へと足を踏み入れた――まさにその瞬間でした。
「あーあー、オホンッ……! 皆さん、おはようございます!」
――っ!?
ノイズが交じるスピーカーからの音声が、広大な校庭全体に大きく響き渡りました。
校庭の中央に設置された朝礼台の上へと視線を向けると、そこには冬の朝日を浴びて凛とした立ち姿でマイクを握る、沢泉さんの姿がありました。
「この度、ニジガサキシティ ポケモントレーナーズ生徒会長選挙に立候補いたしました、5年B組の沢泉ちゆです!」
沢泉さんっ……!
生徒会長選挙の選挙運動が、今朝から解禁していいのは知っていましたが、まさか初日の朝早くからこれほど大掛かりな演説を仕掛けてくるとは思いませんでした。
私たちは足を止め、大勢の生徒たちが人垣を作り始めている朝礼台の遠巻から、彼女の演説に耳を傾けることにしました。
「皆さんも知っての通り、今のこのトレーナーズスクールは、正義を守らない一部の生徒によって歪められています。 ここ毎年、過酷なカリキュラムについていけなくなった反対派や、敗北に耐えかねて自主退学して逃げる者が後を絶ちません! このスクールが本来掲げるべき誇り高き正義と伝統は、そうした脱落者たちの甘えによって、薄まりつつあるのです!」
朝礼台の上から聞こえる彼女の声は、どこまでも通りやすく、知性と格調にあふれていました。
しかし、その口から紡ぎ出される言葉の冷酷さに、私は胸がむかつくような不快感を覚えます。
過酷なカリキュラムや悪魔の実験に耐えかねて追い詰められていった生徒たちを、彼女は「脱落者」「甘え」という一言で容赦なく片付けてみせたのです。
「ですが皆さんも、本当は喉から手が出るほど早く強くなりたいはずです! 他の誰よりも秀でて勝ち上がりたい! 先生たちに評価されたい! そんな切実な願いを持っていますよね!?」
演説を聞く周囲の生徒たちが、ゴクリと唾を飲み込みました。
バトルの成績一つで人間の価値が決められ、落ちこぼれれば見せしめのような扱いを受けるこのスクールにおいて、強さと評価への思いは、すべての生徒が抱える根深い病気のようなものです。
沢泉さんは、生徒たちのその弱みと欲望の渦を、正確に見抜き、巧みに煽り立てていきます。
「そんな皆さんは、ご安心ください。この私、沢泉ちゆが生徒会長になった暁には、今まで選ばれた者しか配られなかった、あの『強制限界突破システム』を、全校生徒全員、誰でも・いつでも・どこでも使用可能にすることを約束します!」
「――っ!?」
その言葉が響き渡った瞬間、私の全身の血が凍りつきました。
正気ですか!?
あのシステムのせいで、従姉のパートナーポケモンであるシュシュタンくんが命を落とし、くれあさん自身も心身を壊されたと、昨日ご自分の口で言っていたじゃないですか!
二度と同じ犠牲者を出さないために、あの悪魔のシステムを撤廃させるための動かぬ証拠を、生徒会長になってその権限を使って裏から掴むと言っていたのは、一体どこの誰だったのですか!!
たとえそれが、校長を油断させて権限を手に入れるための単なる建前や出来レースのパフォーマンスだったとしても……!
全校生徒にあの悪魔のデバイスを無制限に開放するなどという狂気的な公約を掲げ、生徒たちの欲望を煽るなんて、正気の沙汰ではありません!
「強制限界突破システムを……全校生徒に……!?」
「あれ、一部の上位陣だけに試作品が配られてるっていう、ただの噂じゃなかったのね!?」
「マジかよ……!? あれを使えば、俺たちみたいな下位の奴らでも一気に上位になれるのか!?」
「本当なら……絶対に沢泉さんに投票するぞ!」
朝礼台を取り囲む生徒たちから、どよめきと興奮の声が爆発的に湧き起こりました。
あの悪魔のシステムが、ポケモンにどれほどの致命的な負荷を与え、命を蝕む危険極まりない代物であるかを知らない哀れな生徒たちは、一瞬にして自らの能力を飛躍させられるという甘い毒蜜に目を輝かせています。
「沢泉さん……! 沢泉さんが生徒会長になれば、俺たちは救われるんだ!」
「そうだ! 沢泉生徒会長!」
湧き立つ大歓声と支持のコールが、冬の冷たい校庭に激しく響き渡ります。
朝礼台の上で優雅にたたずむ沢泉さんは、その熱狂の渦を冷徹な瞳で見下ろしていました。
そして人だかりの後方で、立ち尽くす私としずくさんの姿を見つけると、氷のように美しく不敵な笑みをその唇に浮かべてみせたのです。
「皆さん、この沢泉ちゆに清き一票をよろしくお願いいたします」
凛とした声で締めくくられた演説に、生徒たちから大きな拍手が巻き起こりました。
「そんな…! こんなの、間違ってるよ…!」
隣でしずくさんが、震える声で小さく呟きました。抱えられたヨーテリーも、熱狂する周囲の異様な熱気に怯えるように、くぅんと悲痛な声を漏らしています。
権力を握るため、校長を倒すための手段として、彼女は、全校生徒とパートナーポケモンたちを危険な実験台の渦へと投げ込もうとしている。
その笑顔の裏にある冷酷な計算と欺瞞に、私は胸の奥底から激しい憤怒が湧き上がるのを抑えきれませんでした。
生徒会長選挙という舞台の上で、彼女の暴走をこのまま指をくわえて見過ごすわけにはいきません。
スクールの闇は、私たちが想像していた以上に深く、狂気に満ちて校内を侵食し始めていました。