中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
今朝の沢泉さんの衝撃的な演説から数時間が経過した、お昼休み。
教室の中は朝からずっと、休み時間の度に沢泉さんの話でもちきりでした。
「おい、マジで、『強制限界突破システム』が全員に配られるのか?」
「沢泉さんが会長になれば、僕たちも一気に成績上がるかもしれねえぞ!」
興奮気味に身を乗り出して語り合うクラスメイトたちの熱気に反し、私としずくさんは、お互いのデスクで、黙々とノートを開き、午後の授業の予習に集中しようとしていました。
ですが、この息苦しい空気から逃れられるはずもありません。
たまにしずくさんの横を通りかかるクラスメイトが、ほくそ笑むような視線を投げかけて悪態をついてきます。
「桜坂、まだこのスクールにいたのかよ?」
「座学の予習なんてやってる暇があったら、バトル練習したほうがいいんじゃねぇの?」
「どうせ桜坂は、限界突破システムを全員に配られたところで、そんな弱っちいヨーテリーじゃシステムに適合すらできねえよな」
不躾な言葉が、しずくさんに浴びせられるたび、私の胸の奥で怒りの炎が燃え上がります。
ですが、しずくさんは静かに視線をノートに落としたまま、ただじっと耐えていました。
抱えられたヨーテリーも、主人の感情を察して小さく「キャン……」と切ない声を漏らしています。
そんな殺伐とした4年生の教室に、今度は沢泉さんとは別の立候補者が選挙運動の挨拶回りにやって来ました。
腕に腕章を誇らしげに巻き付けた男子生徒が、数人の取り巻きを引き連れ、胸を張って教壇へと立ちました。
「えぇ~皆さん、この度、ニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクールの生徒会長選挙に立候補した5年C組の木村海斗です! 僕が生徒会長になった暁には、校長先生の指導方針をさらに徹底し、スクールのバトルフィールドを拡充します! 伝統あるカリキュラムに従い、全員の戦闘力向上に貢献します!」
やはりこの木村先輩も、あの倉田校長が喜びそうな「強者絶対主義」をそのままなぞったような公約を掲げていました。
ですが、周囲の生徒たちの反応は、いつものそれとは明らかに違っていました。
いつもなら、校長先生の正義に忠実な優秀な先輩として、誰もが話を聞いていたはずです。しかし、今の生徒たちが求めているものは違いました。
「木村せんぱ~い。先輩は、沢泉さんのように『手っ取り早く』貢献してくれるんですか~?」
後方の席から、嘲笑を含んだ問いかけが飛ぶと、木村先輩は一瞬言葉に詰まりました。
そんな直接的な質問が来るとは予想していなかったのでしょう。引きつった笑みを浮かべながら、あからさまに動揺を見せます。
「えっ? いや……あれは、沢泉さんが適当な公約を掲げてるだけで、実現は不可能と考えてます。 なぜならあれは、校長先生が一部の特待生にしか配らない特別な代物ですから、僕からは何とも……。ですが、皆さんが望まれるならできるだけ、ご期待に添えたいとは思ってますよ。校長先生に交渉の余地はあるかと……」
語尾が濁り、言い訳がましくなる木村先輩の言葉に、教室中の生徒たちから興ざめしたような溜息が漏れました。
ほかの生徒たちは、今朝の沢泉さんの演説以上のクオリティと、即効性のある力を求めていたのです。誰もが手軽に強くなれるような。
あまいミツに群がるむしポケモンのように、狂気的な欲望に毒されていました。
恐らく木村先輩は、生徒会長という肩書を手に入れて、内申点を伸ばしたいだけなのでしょう。
スクールの生徒やポケモンがどうなろうと、自分さえ無傷で得をすればそれでいい。
そんな透けて見える保身に、生徒たちは誰も惹かれませんでした。
「次があるから」と木村先輩は逃げるように、教室から出た直後、もう一人の立候補者の女子生徒が、入れ違いで教室に入ってきました。
「えっと……あの……、生徒会長選挙に立候補した……5年A組の二階堂さくらです……」
おどおどと教室に入ってきた彼女の演説は、こんな選挙に興味のない私から見ても、お世辞にも演説と呼べるような代物ではありませんでした。
声は小さく、語尾は途切れ途切れで、途中で消え入りそうになります。
手元のメモを握りしめたまま指先を震わせ、自分自身が何を訴えたいのかすら理解していない様子でした。
「あ、あの……皆さんが、過ごしやすいスクールになればいいなと思って……その……」
途中で言葉が詰まり、耐えきれなくなったクラスの生徒たちから、冷酷な鼻で笑う声が漏れ聞こえてきました。
むしろ恐らく、彼女は被害者なのでしょう。
やりたくもないのに、クラスの空気や担任から無理やり責任を押し付けられ、嫌々立候補させられたに違いありません。
一瞬、「もし彼女のような心優しい人が生徒会長になれば、同じようにスクールで追い詰められている弱い立場の子たちの気持ちを理解してくれるのではないか」という甘い思いが頭をよぎりました。
ですが、私はすぐにその考えを固い意思で打ち消しました。
できるわけがないのです。
嫌なことを嫌だとハッキリ言えない彼女が、もし奇跡的に当選したとしても、倉田校長から良いように使い捨てられ、利用される未来しか見えません。
あの校長に抗える強さなど、彼女には一切ないのですから。
……待ってください。もしかして……!?
背筋に刺さるような冷たい戦慄が走りました。
もし、沢泉さんが事前に、二階堂先輩に相談を受けていて、彼女の気の弱さや立場を最初から、すべて把握していたとしたら……?
あえて「無理しなくていいのよ」と優しい同級生を装って言葉をかけながら、わざと彼女が壇上で惨敗するように誘導し、自分自身の圧倒的な存在感を際立たせるようなアドバイスを裏で仕向けていたとしたら――?
『やりたくないなら、私と木村くんで争うから、あなたは形だけでいいわよ。大丈夫、私が守ってあげるから』
もしそこまで計算し尽くして動いているのだとしたら、沢泉ちゆという人物は、私たちが考えている以上に恐ろしい策士です。
朝の演説で全校生徒の欲望を完璧に掴み取るカリスマ性。美しくも冷徹なリーダーシップを見せつけた沢泉ちゆ。
片や、ただの内申点目当てで保身に走る木村さんと、自信なさげにあたふたして失笑を買うだけの二階堂さん。
昨日、沢泉さんが言い放った当選確実という言葉の真意が、今になって痛いほど理解できました。
最初から彼女は、他の立候補者など相手にすらしていなかったのです。
勝ち戦の盤面は、立候補が始まった瞬間に、彼女の手の中で完全に完成していたのでした。
その時でした。
「お昼休み中、失礼します。今朝は私の演説を聞いていただき、ありがとうございました」
凛とした声とともに教室の扉が静かに開き、沢泉さんが堂々とした気品ある歩調で入ってきました。
一瞬にして、教室中の生徒たちの視線が彼女に集中し、熱っぽいどよめきが湧き起こります。
「沢泉さん! 朝の公約って本当なんですか!?」
「本当に私たち全員、あのシステムを使えるようになるんですか!?」
矢継ぎ早に飛び交う質問の嵐に対し、沢泉さんは一切の動揺も見せず、老舗旅館のお嬢様としての気品ある微笑みを絶やさないまま、見事な立ち振る舞いでいなしていきます。
「ええ、もちろん本当ですよ。ただし、そのためには私が生徒会長となり、交渉権限を得る必要があります。皆さんの清き一票が、その扉を開く鍵になるのです!」
言葉巧みに生徒たちの期待を煽り、自然な流れで自らへの投票へと誘導していく見事な手腕。
「それでは、私はまだ他の教室へのご挨拶が残っていますので、これで失礼しますね。皆さん、良いお昼休みを」
沢泉さんは優雅にお辞儀をし、教室を後にしようと踵を返しました。
その去り際――
彼女の視線が、またもやほんの一瞬だけ、教室の隅の席に座る私としずくさんに向けられました。
私と視線がぶつかった瞬間、彼女の美しい唇がわずかに吊り上がり、氷のように冷たく、嘲笑うかのような不敵な笑みが浮かびました。
『無駄な抵抗はやめなさい。すべては私の思い通りになる』
そう言うかのような鋭い眼光を残し、彼女は取り巻きの生徒たちを引き連れて、優雅に去っていきました。
* * *
数日後――全校生徒による投票の日がやってきました。
体育館に設置された厳粛な投票所で、生徒たちは順に用紙を受け取り、記入台へと向かっていきます。
私の手元にも、一枚の投票用紙。
私は記入台の前でペンを握りしめますが、最初、この狂気じみた選挙に対して、無言の抵抗として、白紙で出そうと考えていました。
ですが、投票箱のすぐ横には、冷酷な眼光を光らせた指導教員たちが鋭い視線で見張っており、白紙投票や不審な動きをする生徒を即座にチェックしようと睨みを効かせています。ここで白紙を出せば、反抗的な生徒として目を付けられ、今後の活動やしずくさんへの嫌がらせが激化することは目に見えていました。
書かざるを得ないのです…。
でもだからといって、あのほかの候補者2人が、生徒会長に向いているとは、到底思えません。
木村さんになれば、校長のイエスマンとして、スクールの歪んだ実力主義が、さらに加速するだけ。
二階堂さんになれば、彼女自身が潰され、結局は校長の思い通りに操られるだけです。
この絶望的なスクールにおいて、倉田校長という悪に刃を届かせることができる圧倒的な行動力と野心、そして可能性を持っているのは、皮肉にも、あの悪夢の公約を掲げた沢泉さん、ただ一人だけなのです。
「……っ」
私は歯を食いしばりながら、ペンを強く握りしめました。
彼女のやろうとしていることは、全校生徒とポケモンを危険に晒す欺瞞に満ちています。絶対に許されることではありません。
けれど、倉田校長の手から裏の証拠を引っ張り出し、この腐りきったスクールを根底から破壊するためには、彼女が権力を握るしかないという毒を呑むしかない…。
重い沈黙の中、私は葛藤と抑えきれない憤怒に震える手で、投票用紙に「沢泉ちゆ」と名前を書き込みました。
折り畳んだ紙を投票箱へと投函した瞬間、胸の奥に後味の悪さが広がっていきました。
彼女のやり方に加担しない!と言ったのに、結局は、彼女の思い描いてるシナリオ通りに、一票を投じさせられている気がしてなりません…。
隣の記入台では、しずくさんも涙を浮かべそうな辛そうな表情で、静かに用紙を箱へと投じているところでした。
スクールの闇の深さと、自らの無力さに苛まれながら、私たちは仕組まれた選挙の出口へと向かって歩き出すしかありませんでした。