中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
生徒会長選挙の翌日。
昨日、体育館で沢泉さんが新生徒会長に正式に任命され、夕方にあの恐ろしい宣言を聞かされてから、校内の空気はどこか妙に浮き足立っていました。
廊下をすれ違う生徒たちの表情には、これまでにない異様な期待と興奮が滲み出ており、誰もが「例のシステム」がいつ自分の手に入るのかとソワソワと視線を泳がせていたのです。
そして――終わりの会。
担任の先生が重々しい足取りで教壇に立ち、感情の篭もらない手つきで一束のプリントを一番前の席の生徒に手渡しました。
「はい、後ろへ回せ。……全員に行き渡ったな? 今日のプリントは、非常に重要な内容だ。各自、隅々までよく読んでおくように」
ザワザワとした紙の擦れる音とともに、私の手元にも一枚の白いプリントが回されてきました。
インクの匂いがまだほのかに残るその用紙の最上部に躍っていたのは、黒く太い太字で印字された、あまりにも不吉なタイトルでした。
『強制限界突破システム・全校生徒貸与および運用管理についてのお知らせ』
「……っ!」
その文字を目にした瞬間、私の心臓がドクンと嫌な音を立てて跳ね上がりました。
隣の席へ視線を向けると、しずくさんも手元に配られたプリントを食い入るように見つめたまま、血の気が引いた顔で完全に固まっています。
あまりにも早い。
昨日、生徒会長に任命されたばかりだというのに、もう全校配布の手続きと告知が完了し、こうして公文書という形になって生徒たちの手元へ配られているなんて……!
直後、教室のあちこちから抑えきれない歓声と熱っぽいどよめきが一気に爆発しました。
「マジかよ……! 本当に全員に配られるのか!?」
「すげぇよ沢泉会長! 来年からかと思ったら、有言実行じゃないか!」
昨日沢泉さんが、公園で私たちに語った通りの仕組みが、恐ろしいほど整然とした公文書の書式で記載されていました。
『本スクールの更なる戦闘力向上と、生徒諸君の潜在能力解放を目的とし、新生徒会指導のもと「強制限界突破システム」の全校生徒への貸与事業を開始いたします。
【貸与に関する注意事項および手順】
1.本デバイスは、生徒各自の申請に基づき貸与を行います。
2.使用を希望する生徒は、生徒会室にて配布される「強制限界突破システム使用申請書」に必要事項(使用目的、使用予定日時、使用場所、パートナーポケモンの詳細情報)を明記の上、提出してください。
3.新生徒会長:沢泉ちゆによる申請内容の精査および面談を経て、承認が下りた場合のみ、デバイスの貸出を許可します。
4.無断での第三者への転貸、および申請目的外での使用は固く禁じます。』
文字として刻まれたそのルールを読み進めるにつれ、私の背筋にツンと冷たい寒気が駆け抜けていきました。
「申請書の提出」……「使用目的の明記」……「面談と精査」……。
一見すると、危険な装置を安全に運用するための厳格な管理体制のように取り繕われています。
そして用紙の最下部に記された実施開始は、明日の昼休み。
しかし、私は知っています。
これこそが、沢泉さんが冷徹な計算のもとで仕掛けた悪魔の罠なのだということを。
手軽に強さを手に入れようとする欲望に負け、自らの意思で申請書を書き、生徒会長室の扉を叩く生徒たち――。
沢泉さんはその申請書という名の踏み絵を踏ませることで、己の欲のためにパートナーポケモンを犠牲にしようとする「人間性」をテストし、同時に倉田校長を地獄へ叩き落とすための動かぬ証拠として蓄積していくつもりなのです。
「……あまいミツなんだよ……」
隣で、しずくさんが震える小さな声でぽつりと呟きました。
「え……?」
「これ……毒だって分かっていても、みんな飛びついちゃうよ……。強くなりたいから……負けたくないから……」
あのシステムが、ポケモンの命をどれほど激しく削り取る恐ろしい代物であるかを知らない哀れな生徒たちは、自分たちが底なしの沼へと足を踏み入れようとしていることに全く気づいていません。
「……以上だ。起立、礼」
担任の号令が教室に響き、ホームルームが終わりました。
しずくさんと帰るため、廊下を歩いてるとあちこちから、新生徒会長が差し出した甘い毒を、何一つ疑うことなく飲み干そうとしている生徒たちの声が聞こえてきます。
「おい、明日すぐに生徒会室に行って、申請書もらってこようぜ!」
「おう! 誰が一番乗りで限界突破できるか勝負だな!」
しずくさんがゆっくりとこちらを振り返りました。
「……せつ菜ちゃん」
不安と恐怖に固まった瞳で私を見つめてくるしずくさんに対し、私は何も言葉を返すことができませんでした。
狂気と欲望が渦巻く、地獄の扉。
それが私たちの目の前で、音を立てて開かれてしまったのです。