中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
月曜日。
週明けのスクールは、今までにない異様な熱気と歪んだ緊張感に包まれていました。
朝の登校時間から、廊下を行き交う生徒たちの話題はただ一つ。
『強制限界突破システム使用申請書』について。
「おい、お前今日、申請書貰いに行く?」
「当たり前だろ! 午前の授業終わったら、速攻で行ってくる!」
「乗り遅れたら枠がなくなるかもしれないしね!」
「あれさえあれば、来週のバトルで、絶対に勝てるわ!」
「僕も、成績上位のやつをボコボコにしてやる!」
休み時間になるたび、あちこちで欲望に目を輝かせた子供たちが、手軽に手に入る絶大な力に酔いしれ、誰もその裏にある代償に目を向けようとはしていません。
その光景を、私としずくさんは見つめることしかできませんでした。
「せつ菜ちゃん……」
隣の席から、しずくさんが不安に震える声で私に囁きかけてきます。
「みんな…あのデバイスが、どれだけポケモンを傷つけるかも知らないで……」
「えぇ。 恐らく沢泉さんは申請が来たら、お構いなしに許可していくでしょうね」
一昨日、誠一さんから投げかけられた「5年生の女の子が、一人で考えた作戦か?」という言葉が、不吉な警鐘のように、頭の中で鳴り響いています。
沢泉さんは、全校生徒に申請書を出させ、欲望に負けた人間を炙り出すことで、倉田校長を追い詰めるための動かぬ証拠を掴もうとしている。
けれど、彼女自身が誰かの手によって誘導され、踊らされているのだとしたら…?
欲望に狂う生徒たちの姿は、沢泉さんの計画通りであると同時に、あまりにも綺麗に整いすぎていることこそが、誰かの仕掛けた罠のようにも思えてくるのです。
「……しずくさん。お昼休み、生徒会室の様子を見に行ってみませんか?」
「うん……! 行ってみよう!」
* * *
お昼休みを迎えると同時に、私としずくさんは、生徒会室へ足を運びました。
すると、生徒会室の廊下前には、長蛇の列ができていました。
申請書を手にした生徒たちが、まるで限定のプレミア商品でも買い求めるかのように、行儀良く、しかし獰猛な目つきで列に並んでいます。
腰のホルダーのモンスターボールに入っているであろう、パートナーポケモンの愛情より、目先のシステムにしか目がいっていません。
「順序よく並びなさい。申請書は一人一枚、記入漏れのないように。 僕が判子を押してから、沢泉次期会長のところへ行きなさい」
廊下で、列に並ぶ生徒へ指示を出している一人の男子生徒。
あの人は確か、全校集会のスピーチで見たことがあります…。
今年度の生徒会長、6年生の伊集院先輩でしたっけ。
正式な会長交代式が執り行われる卒業式当日までは、ルール上、彼がまだ現生徒会長という立場にあるのは、私も生徒手帳等で知ってますし、恐らく今、引き継ぎ期間などの理由から、沢泉さんと一緒にいることまでは、理解できます。
ですが、なぜか彼が、生徒たちへ申請書を配り、回収し、判子を押して、室内の沢泉さんへ取り次ぐ作業を淡々とこなして、あの狂気のシステム拡大を後押ししています。
システムを広めることは、倉田校長にとっても、このスクールにとっても、願ってもないことですし、彼女の公約に反対するものなど、教師も先輩も誰もいないんですよね。
もしかすると、伊集院先輩は、沢泉さんの復讐心を知っていて、彼女に接触したのでしょうか?
彼女を利用して、システムを合理的に推奨できるよう裏で狙っていて、沢泉さんは、まんまとそれに乗せられている?
誠一さんの言葉が、あまりにも現実味を帯びて胸を締め付けます。
「よっしゃ! これで放課後にはデバイスが借りれる!」
興奮気味にガッツポーズを決める男子生徒の奥。
生徒会長席に深々に腰掛けた沢泉さんの姿が、ドアの隙間から一瞬だけ見えました。
彼女は押し寄せる生徒たちの申請書を一枚一枚、完璧な動作で精査し、冷酷なまでに美しい書類処理を続けていました。
「なるほど。クラスでいじめられてるから、力をつけて見返してやりたい? 心中お察しします。 わかりました。それでは放課後取りに来てください。 健闘を祈ります。頑張って、ポケモンと強くなってくださいね」
機械的ながらも澄んだ声でそう告げる沢泉さん。
その時、列の脇で立ち尽くしていた私としずくさんの姿に気づいた伊集院先輩が、冷ややかな視線を向けて歩み寄ってきました。
「キミたち、システムが欲しければ、この申請書を書いてから、列に並びなさい」
「結構です!!」
私の強い拒絶に、伊集院先輩は一瞬だけ不快そうに眉をひそめましたが、すぐに興味を失ったように鼻で笑うと、背を向けて次の生徒に申請書を渡し始めました。
沢泉さんの手が、私の声に一瞬だけピクッと止まったように見えましたが、彼女は顔を上げることすらなく、淡々と作業してました。
「しずくさん、行きましょう。帰りの会までに、何とか考えてはみます」
「うん…」
廊下に漂う異様な熱気から逃れるように、私としずくさんは、生徒会室を後にしました。
沢泉さんが推し進める冷徹な選別。
そして、その背後にいる伊集院先輩や倉田校長の影。
嵐が本格的に吹き荒れる前に、私たちは、何としてもこの狂気の連鎖を止める手立てを見つけ出さなければなりませんね。
* * *
午後の社会の授業中も、教室内には重苦しさと、どこか浮足立った空気が交錯していました。
黒板に向かってチョークを走らせる、外部の社会担当の教師の背中を背景に、私はこれまでの状況整理のため、これまでの私が聞いた時系列を、ノートへ書くことにしました。
まず、
・5年前2月:倉田校長が、前任のアカデミー就業中、『強制限界突破システム第1号』を開発。
・そこで行われた実験の過程で、くれあさんのパートナーであったジグザグマが、システムに耐え切れず、死亡。
・しかし、同時にシステムを使用した他のトレーナーたちが、リーグ戦で圧倒的な成果を収めたため、倉田校長は、シュシュタンくんの犠牲を、不運の事故として処理して隠蔽。
・システムの成果のみが評価され、倉田校長は、優秀な指導者として、現在のニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクールへ着任。
そして…、
・去年:沢泉さんの親友のパートナーのコリンクが、デバイスの過剰負荷により軽傷。
・くれあさんの話を聞いていたその人は、取り返しがつかなくなる前に、異変に気づいたため、逃げて事なきを得ました。
・同時期、沢泉さんの弟くんの入院先である病院の理事会と、倉田の間に太いパイプが繋がっていることが発覚。
・倉田校長は、弟の治療環境と命の保障を人質同然の盾にし、沢泉さんを支配・服従させようと企んでます。
・それにより沢泉さんは、倉田校長とシステムに対して、復讐心を抱き始めました。
現時点の状況…。
・倉田校長は、沢泉さんに新生徒会長の地位を与え、システムの現場管理・生徒へシステムの浸透・実証実験データの回収を押し付け、自身は裏で、新装置開発や外部組織との取引に専念しようと計画しているのだと、沢泉さんは推察。
・そして沢泉さんは、その要求を逆手に取り、校長の忠実な手先を演じつつ、全校生徒へシステムを完全解禁して、欲望に狂う生徒たちを炙り出し、膨大な被害と事故の動かぬ証拠を敢えて作成することで、外部の監査機関や警察を動かし、倉田校長を、スクールごと引きずり降ろそうとする作戦を展開中。
ここまでノートに書き出してみて、私は強烈な違和感に襲われ、ペンを握る手にぐっと力を込めました。
やはりどう考えてもおかしいんです。
沢泉さんの作戦は、一見すると綿密で、相手の退路を断つ完璧な罠のように思えます。
しかし、数々の過酷な実験や制度を隠蔽して、陰湿で周到で、この6年もの間、数々の事故の真相を揉み消し、教育者という仮面を被って、スクールの頂点に君臨し続けてきた男が、倉田校長です。
本当に、そんな単純な罠にかかるでしょうか…?
自分の立場を脅かすような動きに対して、何の警戒も抱かずに、小学生一人の思い通りに権限を譲り渡し、自分を追い詰めるための証拠を易々と揃えさせるなんてあり得るでしょうか?
それどころか、昼間見たあの伊集院先輩の淡々とした手際。
まるで沢泉さんが、全校生徒へシステム解禁を言い出すのを最初から知っていたかのように、完璧に申請書を回収し、判子を捺していく手慣れた動き。
もし、沢泉さんが、「自分の意志で校長を嵌めるための罠を仕掛けた」と思い込まされているだけで、実際はその動きすらも、倉田校長や伊集院先輩の計算通りなのだとしたら?
全校生徒にシステムを行き渡らせ、膨大な臨床データを集めさせた上で、すべての責任を、暴走した新生徒会長・沢泉ちゆ1人に擦り付けて切り捨てる。
誠一さんの言っていた言葉が、ノートの上に落ちた黒いインクの染みのように、じわじわと私の心を恐怖で侵食していきます。
沢泉さんは、弟くんやくれあさんの無念を晴らすために、自分の人生すら投げ出す覚悟で戦っている。
けれど、その覚悟そのものが、さらに大きな悪意の手の平の上で踊らされているのだとしたら、あまりにも救いがありません。
そして、私はもう一つ気になることがあります。
よくよく考えたら、そのコリンクのトレーナーである親友さんは、今どこにいるんです?
まだこのスクールにいるんでしょうか?
去年の事故のあと、その親友さんは無事だったのでしょうか?
もしまだこのスクールに残っているとしたら、なぜ沢泉さん一人だけが、ここまで過激な復讐に走っているのか…?
気になることが多すぎます。
しかし、今確かなのは、このまま放置すれば、全校生徒のパートナーポケモンたちが、次々と実験台にされ、沢泉さん自身も破滅へ向かって転がり落ちていくことは確実です。
「……絶対に、そのまま終わらせるわけにはいきませんね」
授業終了を告げるチャイムが鳴り響くまでの時間が、まるで刻一刻と迫るカウントダウンのように、私の胸を激しく締め付けていました。
4年生編、今日で終わるってこの間書いたけど、あともう少し…。
もう少しで、エマちゃん、彼方ちゃん、来るよ。