中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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61章「無知の代償」

◆沢泉side

 

 

月曜日の放課後。

 

生徒会室の前に続く廊下には、今日も今日とて、強制限界突破システムを借りに来てる生徒たちの長い列が、途切れることなく伸びていたわ。

 

並んでいる生徒たちの顔を、私は受付の机の後ろから一人ずつ観察する。

 

彼らにあるのは、パートナーポケモンへの愛でも、優しさでもない。

 

ただ己の成績と、努力もせずに手軽に手に入る強さが欲しいという、あまりにも浅ましい欲望。

 

パートナーの命を預かっているという重みなど微塵も感じられない。

 

 

 

 

「……はぁ。沢泉、いい加減独り立ちしてくれよ。もう僕たち6年生は、今週の金曜日に、このスクールを卒業するんだぞ? 中学からは、ポケモントレーナーとして本格的に旅に出るんだから、その準備や手続きで、これでも僕は、忙しい身なのだよ? 引き継ぎも1週間前にようやくすべて終わったんだから、これくらいは一人で裁かないとダメじゃないか! 元はと言えば、キミが掲げた公約なんだから」

 

 

眉間に不機嫌そうな深いシワを寄せ、書類の挟まった重厚なバインダーを抱えた現生徒会長の6年生、伊集院が嫌味っぽく吐き捨ててくる。

 

その態度は一見、下級生の手際の悪さに苛立つ先輩のようだけれど、その目の奥に透けて見えるのは、保身と優越感。

 

 

「すみません。今日だけは、どうしても外せない大切な用事があるんです。 あと今日だけ私に付き合っていただけませんか? いつものように、申請書の記載漏れがないか確認して承認の判子を押し、デバイスを渡すだけで結構ですから」

 

 

私は感情を一切乗せない、完璧に計算された次期生徒会長としての淑やかな笑みを浮かべ、淡々と頭を下げた。

 

 

 

今日は、本当に大切な用事があるんだから、これ以上、こんな無価値な事務作業に、時間を割くわけにはいかないわ。

 

 

 

伊集院先輩は露骨に不満そうな溜息をついたものの、これ以上私を追及して自分の作業が増えるのも面倒になったのか、「ちっ…、これだから下級生は…!」と吐き捨て、机の上に積まれた申請書の束を雑に引き取った。

 

 

「今日までだからな。放課後の当番が終わったら、鍵は事務室に返しておく。これ以上僕の手を煩わせないでくれ」

 

「助かります、伊集院先輩」

 

 

背を向けて作業に戻る彼の後頭部を見つめながら、私は心の中で冷ややかに嘲笑った。

 

 

 

 

ホント、彼のような上昇志向と功名心だけで動いている人間は、扱いやすくて助かるわね。

 

 

 

彼自身は、自分が倉田校長のシステム拡大に貢献し、その功績を盾にして、卒業後のキャリアや推薦ルートを有利に運ぼうとでも画策しているのかしら?

 

自分の浅はかな欲望と無能さが、私の計画の歯車として、利用されていることにも気づかずに。

 

 

彼がせっせと認印を押し、無知な生徒たちに危険なデバイスを渡せば渡すほど、私が背負う表面上の責任は、絶対的な狂気のデータと犠牲として、積み上がっていくというのに。

 

 

 

「では、失礼します」

 

 

私は鞄を手に取り、欲望の熱気しかない廊下を後にして、静かに生徒会室を出た。

 

 

 

 

その足で向かったのは、くれあが待っている『パティスリーチュチュ』。

 

 

今日は久しぶりに、とうじのお見舞いに、付き添いたいと彼女が言ってくれたから、二人で病院へ向かう約束になっていたの。

 

 

* * *

 

 

街灯がぽつぽつと橙色の光を灯し始める夕暮れの街並みを、私はくれあと並んで歩いた。

 

冷たい風が頬を刺すが、隣を歩く彼女の醸し出す穏やかな雰囲気が、わずかに私の刺々しく研ぎ澄まされた心を和らげてくれる。

 

 

「プリン、ありがとうね、くれあ。 とうじ、くれあが来たら絶対に喜ぶわ」

 

「そうかしら? でもとうじくん、このカスタードプリン好きだったよね?マホイップたちと一緒に作ったから、お口に合うといいんだけど」

 

 

くれあは手に持った可愛らしいリボン付きの紙袋を大切そうに抱え、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

 

その肩の上では、二匹のマホイップが嬉しそうに体を揺らしている。

 

 

「マホ〜」

 

「マホマホ!」

 

 

私の腕の中に収まったペギタンも、くれあの特製プリンの甘く香ばしい匂いに、瞳を細めて鳴いた。

 

 

「ポッチャマ♪」

 

 

 

 

私の弟、とうじは、生まれつき体が弱く、このニジガサキ大学総合病院の小児病棟で長期間の闘病生活を送っている。

 

そんな幼い弟が入院している病院と、太いパイプと絶大な影響力を持っているのが、忌々しいあの倉田校長だった。

 

 

とうじの治療に必要な特殊な先進医療機器や優先枠のすべてを、あの男は己の握りつぶせる掌の上に置いているのだ。

 

 

 

『我がスクールの理事会は、あの病院の理事長とも深い繋がりがあってね。病院への助成金や医療機器の優先配備……私の一言で、どうとでも動くのだよ。とうじ君が今後も最先端の治療を快適に受け続けられるかどうかはそう、キミが我がスクールで、優秀であり続けてくれるかにかかっているね』

 

 

 

いつぞや、重厚な校長室で吐き捨てられた倉田のねっとりとした濁った声と、獲物を品定めするアーボックのようなねめまわす視線。思い出すだけで、胃の底からドロリとした濃密な吐き気がこみ上げてくる。

 

 

しかも、あの男が前任のアカデミーにいた頃、無知で優しかったくれあを、言葉巧みに騙し、彼女の大切なパートナーのシュシュタンを、強制限界突破システムの実験台にして殺したと知った時、私は激しい怒りで正気を失いそうになった。

 

 

私の家族の命を人質に取り、従姉の人生を狂わせ、ポケモンを兵器のように扱う悪魔。

 

 

必ず私の手で、あなたを地獄の底へ葬ってあげるわ。

 

 

 

 

胸の奥で黒く渦巻く情念を力任せに押し殺し、私は病院の個室の前で静かにドアを叩いた。

 

 

「とうじ」

 

「あ! お姉ちゃん、やっほ! ……あっ! くれあお姉ちゃんも来てくれたの!?」

 

 

病室のドアを静かに開けると、ベッドの上で絵本を広げていた小さな少年が、パッと表情を輝かせた。

 

 

「とうじくん、調子はどう?」

 

 

くれあが従弟に向ける、心からの優しい笑顔。

 

 

「うん! 今日はすごくいい感じだよ!」

 

「ふふ、良かった。これ、くれあお姉ちゃんが作ってくれたプリンよ」

 

「わっ! やりぃ! くれあお姉ちゃんのプリン、大好きなんだ!」

 

 

病室が温かな雰囲気に包まれたその時、静かにドアが開き、白い衣を纏った女性が入ってきた。

 

 

「とうじくん、血圧と体温を測るわね。……あら、ちゆちゃん、いらっしゃい」

 

「こんにちは、菱川先生」

 

 

私の親友である六花の母親、菱川亮子先生だった。

 

小児科の担当医として、とうじの複雑な病状を常に自分のことのように親身になって診てくれている、私たち家族にとっての命の恩人でもある。

 

 

 

「あら? 何かすごくいい匂いがするわね?」

 

「えへへ、くれあお姉ちゃんの手作りプリンだよ! すごいんだよ、くれあお姉ちゃんはケーキ屋さんなんだから!」

 

 

 

「帆羽くれあです。いつも従弟がお世話になっております」

 

 

くれあが深々と頭を下げると、亮子先生は「いいのよ」と温かく微笑み、聴診器を当ててとうじの問診を始めた。

 

 

手際よく検査を進める亮子先生の温かな眼差しと、嬉しそうにプリンを食べるとうじの無垢な笑顔。

 

 

このささやかな平穏を守るためなら、私はどんな悪魔にでもなってやると決めたんだ。

 

どれほど冷徹で、どれほど汚い手であろうと、躊躇なく使ってみせる。

 

 

 

しばらく病室で穏やかな時間を過ごしていたけれど、やがて院内に面会時間の終了を知らせるアナウンスが静かに響き渡った。

 

 

「それじゃ、とうじ。また明日はお母さんと一緒に来るけど、何か必要なものとかある? 着替えは足りてる?」

 

 

「うん。まだ大丈夫。お姉ちゃん、スクールのお勉強がんばってね」

 

「えぇ、任せておきなさい」

 

 

とうじの柔らかい髪を愛おしく撫で、私はくれあとともに病室をあとにした。

 

そのままくれあは、自身の定期検診を受けるために、別階の診療科へと向かい、私たちは別れた。

 

 

* * *

 

 

私が一人で、病院の広々としたガラス張りのエントランスを出た、まさにその瞬間だった。

 

 

 

ピーポー! ピーポー! ピーポー! ピーポー!

 

 

 

 

遠くの幹線道路から、夜空を切り裂くようなけたたましいサイレンが響き渡ってきた。

 

音は重なり合い、反響し、増幅しながら、大学病院のロータリーへと猛スピードで滑り込んできた。

 

 

 

1台、2台――いや、5台、10台……!

 

 

 

赤色灯を狂ったように回転させた救急車両が、怒涛の勢いで救急外来のスペースへとなだれ込んでくる。

 

タイヤがアスファルトを激しく擦る甲高い悲鳴とともに車体が止まり、開かれた救急車の後部ドアから、血相を変えた隊員たちによって慌ただしくストレッチャーが引き出される。

 

 

そこに横たわっているのは、人間ではない。

 

 

 

「ハァ……ハァ……ガハッ……!」

 

「キャモ……ッ!」

 

 

 

苦しそうに激しく全身を痙攣させ、口から白い泡を吹き、激痛に顔を歪ませる無数のポケモンたち。

 

全身の毛並みは荒れ果て、不可逆の筋肉破壊と異常高熱によって、まるで内側から発火するかのように荒い息を吐き出している。

 

 

 

そして、そのストレッチャーの後ろを、顔面を蒼白にした生徒たちが泣き叫びながら追いかけてきていた。

 

 

 

見覚えのある、ニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクールの制服。

 

そして、その後ろには、事態の異常さに追いつけず、混乱して狼狽する保護者たちの姿。

 

 

 

「キャモメ! しっかりして!!」

 

「嫌だよガーディ! どうして急にこんな……! 呼吸が……息をしてないよ父さん!」

 

「先生! 助けてください! 急に動かなくなって……!」

 

 

救急外来の自動ドアが勢いよく開き、お医者さんや看護師さんたちが、怒号を交わしながら飛び出してきた。

 

 

 

「レベルは!? バイタルはどうなっている!?」

 

「処置室、全部開けろ! 重症個体から優先的に処置に当たれ!」

 

「近くのポケモンセンターに連絡を取れ! 手が空いてるジョーイさんたち、片っ端から緊急要請をかけろ!!」

 

 

 

地獄絵図のような叫び声と悲鳴が、病院前に響く。

 

 

生徒たちは、自分の浅はかな欲望が招いた最悪の末路に腰を抜かし、泣きじゃくりながらパートナーの名を呼び続けている。

 

その惨状を、私は植え込みの影から冷ややかに見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

……ゲームオーバー。

 

 

 

 

まずは一部の癌細胞、排除完了。

 

 

 

お疲れ様。

 

 

目先の手軽な強さに飛びつき、己の承認欲求と欲望のためにパートナーの命を差し出した、バトルの弱い弱者さんたち。

 

 

これで、この大学病院に「スクール指定のデバイスによる不可解な緊急搬送」という動かぬ証拠とデータが、誤魔化しようのない膨大な量として蓄積される。

 

倉田を言い逃れのできない重罪人へと仕立て上げるための状態が整ったわ。

 

 

今までは、特待生の1匹や2匹が倒れたところで、倉田の権力と圧力を使えば、簡単に個人の不注意による事故として処理し、揉み消すことができたでしょうけれど、これだけ大量の重症個体が一度に押し寄せ、第三者機関である医療機関に公的な記録が残ってしまえば、もうどんな言い訳も通用しない。

 

 

 

さて次は、こんな彼らを日頃から能力でいじめ抜き、システムに手を伸ばさざるを得ないほど心理的に追い詰めた、システムに頼らずとも上位層で勝ち誇って、威張ってる優秀な生徒たちね。

 

 

一人残らず、私の仕掛けた地獄の罠に嵌めてあげるわ。

 

 

 

優木せつ菜…、桜坂しずく…。見ていなさい。

 

 

 

このポケモントレーナーズスクールは、来年で完全に終わるわ。

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