中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
火曜日の朝、恐れていたことが、現実になりました。
今朝のニュースを見て、私は朝食のトーストを落としそうになりましたよ…!
テレビの画面には、ニジガサキ大学総合病院の救急外来口の映像が映し出されていました。
回転する赤色灯の悲壮な光と、取材陣の騒々しい声、そして画面下部に踊る大きなテロップ。
【ニジガサキ大学総合病院へ、多数のポケモンが緊急搬送 全員が同一のトレーナーズスクール生徒のパートナーか】
「なっ……!?」
アナウンサーの切迫した声が、我が家のリビングに重々しく響き渡ります。
『昨日の夕方から夜にかけて、ニジガサキ大学総合病院の救急救命センターに対し、十数匹におよぶポケモンが重症を負い、相次いで緊急搬送されました。 搬送されたポケモンは、いずれもニジガサキシティ ポケモントレーナーズスクールに通う生徒たちのポケモンであり、急激な体温上昇や筋肉の異常収縮、意識障害などの症状を訴えているとのことです』
画面には、涙を流す生徒たちの姿や、怒りに震えながら病院の廊下で説明を求める保護者たちの映像が映し出されていました。
現場のレポーターがマイクを手に、混乱する病院前からの状況を捲し立てています。
「せつ菜…。あなたの通っているスクールの生徒たちじゃないの…?」
七海さんが青ざめた顔で立ち上がり、テレビ画面と私を交互に見つめてきました。
手にしていたマグカップを持つ手が、カタカタと小さく震えています。
「沢泉の娘ちゃん、やりやがったな」
ポケモンジムに行く支度をしていた誠一さんも、手にしていた上着を置き、険しい表情でニュースに見入っていました。
「はい…。スクールで配られた、あのデバイスのせいです…!」
私はテーブルの上で拳を強く握りしめました。
幸いにも、病院側の素早い対応とジョーイさんたちの迅速な処置によって、現時点で命を落としたポケモンはいないとのことです。
ですが、命が助かったからといって、それで済まされる問題ではありません!
急激な強制限界突破による細胞破壊と筋肉の異常収縮は、たとえ一筋の命を取り留めたとしても、今後のバトルどころか、日常の歩行にすら障害を残す可能性もあります。
ポケモンたちの体には、二度と癒えることのない傷跡が残ってしまうかもしれないのです。
そして何より、自分たちの手でパートナーを死の淵へと追いやるところだった生徒たちの心にも、一生消えない深いトラウマと罪悪感が刻まれたはずです。
全校生徒に申請書を出させ、欲望に負けた人間を炙り出すことで、大学病院に誤魔化しようのない「緊急搬送データ」を蓄積させる。
倉田校長の言い逃れのできない悪事の証拠を掴むためだけに、これだけのポケモンを利用した。
これが、沢泉さんが実現したかった「正義」ですか!?
「理由がどうあれ、こんなやり方が許されるはずがありません……!」
胸の底から湧き上がる激しい怒りと悔しさに、私の体は震えていました。
誰かを守るため、悪を滅ぼすためと言いながら、関係のない命を踏みにじり、地獄へ突き落とす。
そんなものは「正義」などではなく、単なる冷酷な自己満足であり、暴走した「狂気」でしかありません。
沢泉さんは、倉田校長を倒すために、自らもとうとう、倉田と同じ悪魔の域へと足を踏み入れてしまったんです。
私は立ち上がり、カバンを掴むと、リビングを飛び出しました。
足元で、イワンコとピチューが心配そうに私を見上げますが、私に続いて、力強く駆け出してくれます。
「せつ菜」
「七海さん?」
「せつ菜、今日はスクールへ行くのは危険なんじゃないの…? 登校したところで混乱しているだろうし、報道の人が集まってるかもしれないわよ…」
七海さんが心配そうに語りかけてくれましたが、私は強く首を振りました。
「ここで逃げたら…、沢泉さんを、誰も止められなくなってしまいます!」
私の言葉に、誠一さんと七海さんは、一瞬見つめ合いましたが、やがて悟ったように頷き、誠一さんが、私の肩をポンと力強く叩いてくれました。
「分かった。だが、無理は絶対するなよ。何かあったら、すぐ俺か七海に連絡しろ」
「はい!」
私は玄関のドアを開けて家を飛び出しました。
重苦しい空気の漂う登校路を駆け抜け、スクールの校門をくぐると、そこは異様な静寂に包まれていました。
校門の前には、ニュースを聞きつけた数人の報道関係者や困惑した保護者が集まり始めており、教師たちが青ざめた顔で対応に追われています。
すれ違う生徒たちの顔は、誰もが蒼白で、お互いに視線を合わせようともせず、俯いたまま歩いていました。
教室に入ると、空席の数はさらに増えていました。
休んでいるのは、デバイスを使ってポケモンを病院へ担ぎ込むことになった生徒たちだけではありません。
ショックで登校できなくなった生徒や、保護者に止められて自宅待機となった生徒も大勢いるようでした。
「せつ菜ちゃん……」
しずくさんが、今にも泣き出しそうな顔で私に駆け寄ってきました。
「しずくさん。ニュース、見ましたか?」
「うん…。本当に、あんなことになるなんて……。あの子たち、大丈夫なのかな……?」
しずくさんの身体は小さく震えていました。彼女のパートナーのヨーテリーも、心配そうにしずくさんの足元に寄り添い、弱々しく顔を寄せています。
「命に別条はないそうですが、体にどんな障害が残るか分からない状態でしょうね」
「ひどいよ…! 何でポケモンたちが、あんな目に…?」
「欲望に目を眩ませた生徒たちの自業自得…。そう切り捨てるのは簡単です。ですが、その隙につけ込んで危険な玩具をばら撒き、実験台にした沢泉さんのやり方は、あまりにも惨い…!」
私は拳を強く握り締め、校舎の奥、生徒会室がある方向へと視線を向けました。
沢泉さんは最初から、この惨状が起きることを分かっていて申請書を許可し続けたのです。
病院に運び込まれた無数のポケモンたちと、泣き叫ぶ生徒たちの姿。そのすべてが、彼女にとっては倉田校長を追い詰めるための罠に過ぎなかった。
しずくさんが涙を拭い、意を決したようにまっすぐ私を見つめ返してきました。その瞳には、恐怖を乗り越えた強い意思の光が宿っていました。
「せつ菜ちゃん、沢泉先輩のところ、行こう!」
「はい、行きましょう!」
私としずくさんは頷き合い、静まり返った廊下を走り出しました。
教室内や廊下に残っていたわずかな生徒たちも、もはや私たちを嘲笑う気力すら残っていないようで、ただ私たちの背中を見送るだけでした。
階段を駆け上がり、生徒会室へ続く廊下に差し掛かった、その時です。
バタンッ!!!!
静まり返ったフロアに、腹の底に響くような激しいドアの開放音が轟きました。
「っ!?」
私としずくさんは思わず足を止め、身を構えます。
生徒会室の扉から、弾かれたように飛び出してきたのは、6年生の伊集院先輩でした。
この間の澄ました態度は、跡形もなく消え去り、髪は乱れ、顔は激しい憤怒と狼狽で真っ赤に染まっていました。
彼は手に持っていた書類のバインダーを床に叩きつけんばかりの勢いで腕を振り回していました。
「クソッ!!!! なんだってんだあいつは……! 責任を全部僕になすりつける気か!!」
廊下に伊集院先輩の怒号が響き渡ります。
彼は壁を強く殴りつけ、乱暴に息を吐き出しながら、呪いのような言葉を吐き散らしていました。
「あの女……! 自分が『公約』だのなんだのと言って推進したくせに、嵌めやがって!! 申請書の承認スタンプを押したのは僕だとか、現場で指示を出していたのは僕だとか……! 全部僕の独断だったみたいに突きつけてきやがって…クソが…!!」
伊集院先輩の額には青筋が浮かび、目は血走っていました。
何なんですか? 仲間割れですか?
「冗談じゃないぞ! 卒業前にこんな傷をつけられてたまるか! クソッ! 覚えてやがれ!!」
伊集院先輩は狂ったように叫びながら、床に落ちたバケツを蹴り飛ばし、こちらに立つ私としずくさんの存在にすら気づかないまま、乱暴な足取りで階段のほうへと走り去っていきました。
荒々しい足音が遠ざかり、廊下には再び、重く冷たい静寂が降り積もります。
「何だったの……? あの人、この間の人だよね?」
しずくさんが引きつった声で呟きました。
「えぇ…。 ですが、これでハッキリしました。沢泉さんは、敵も、味方も、自分を手伝った者も、全員を駒として使い捨てる気でいるんですね」
私は静かに息を整えると、固く閉ざされた生徒会室の扉へと歩みを進めました。
扉の向こうには、今まさにスクール全体を地獄の渦へと巻き込み、冷徹に勝利の盤面を組み立てている少女が一人、佇んでいるはずです。