中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
翌日、私とイワンコ、ピチューは、いつもの公園で、しずくさんとヨーテリーと合流しました。
春の穏やかな陽の光が差し込む公園は、桜の蕾が今にもほころびそうな優しいピンク色に染まり始めています。
ブランコが風でかすかに揺れる音や、遠くで散歩する小さなポケモンたちの明るい鳴き声が、どこか現実離れしたのどかな空気を漂わせていました。
イワンコは芝生の上を力強く駆け回り、ピチューは、ヨーテリーの背中にちょんと乗って戯れています。
日差しを浴びながら戯れる彼らの姿は、あまりにも純粋で、無邪気そのものでした。
こんなに穏やかで優しい世界があるというのに、なぜ私たちの通うスクールは、あんな冷酷で不吉な暗雲が立ち込める場所なんでしょうね…?
ベンチに腰掛けたしずくさんは、ヨーテリーを見つめながら、意を決したように静かに口を開きました。
「ねぇ、せつ菜ちゃん。私ね、ずっと考えていたの。この間、沢泉先輩、『私たちの邪魔しないで!!』って言ってきたでしょ?」
「……えぇ…」
私は隣に座り、しずくさんの横顔を見つめました。
彼女の伏せられた長いまつ毛の奥には、不安と覚悟が入り混じった切ない揺らぎが浮かんでいました。
「あの声が、頭から離れないの…。怒っているように聞こえたけど、どこか悲しくて、自分を追いつめているようにも聞こえた。……沢泉先輩は、復讐のためにあんなことしてるけど、本当は助けを求めてるんじゃないかな?」
「助けを……?」
「うん。くれあさんの事件があって、弟くんの病気もあって、沢泉先輩は一人で全部背負い込んでる。だけど、大人を倒すために、別の大人の力に頼ってしまった。復讐を果たすためなら、自分はどうなってもいいって思っているから、私たちが邪魔で、怖いんじゃないかな?」
沢泉ちゆの「邪魔をしないで」という絶叫。
確かにあれは、自分を立ち止まらせようとする正論から目を背け、復讐という狂気のレールから降りないための、悲痛な防衛本能といえるかもしれません。
「……しずくさんの言う通りかもしれません」
私は空を見上げ、深く息を吐き出しました。
ですが、何度も言ってるように、倉田校長を失脚させても、その先に彼女たちの幸福はありません。
人が不当な目に会った時、最もしてはいけないのは、不当な方法による復讐なんですから。
誰かを激しく憎み、己の身を削ってまで果たす復讐。
そこに残るのは、焼き尽くされた荒野と絶望だけですよ…。
「せつ菜ちゃん…! 私やっぱり、沢泉先輩を放っておけないよ。あの人のやろうとしていることは絶対に間違っているし、許されないことだけど…! でも、あの人が辛そうにしてるのを、ただ見ているだけなんて、そんなの嫌だよ……!」
しずくさんの大きな瞳から、ポロポロと大きな涙がこぼれ落ち、膝の上で握りしめた小さな拳を濡らしていきます。
「しずくさん……」
「私だって怖い……。新学期になれば、あの『シンクロバンド』が配られて、スクールはもっと怖い場所になるかもしれない。 でも……、せつ菜ちゃん! 私たちが諦めたら、沢泉先輩も、苦しんでいるポケモンたちも、誰も救われないよ…!」
膝の上で震えるしずくさんの手に、私はそっと自分の手を重ねました。
芝生で遊んでいたイワンコたちが、私たちの異変に気づいたようにピタッと動きを止め、トコトコと駆け寄ってきます。
「ワン!」
「キャン!」
「ピチュ!」
三匹は私たちの脚にすり寄り、真剣な眼差しで顔を見上げてきました。
彼らの瞳には、恐怖など一切ありません。
ただ純粋に、私たちを信頼し、共に進もうとする強い意思だけが宿っていました。
「……えぇ、そうですね。しずくさん」
私は涙を拭う彼女の目を見つめ返し、頷きました。
「沢泉さんは私たちを突き放しましたが、だからこそ、私たちは、彼女の手を握り返さなければならないんです! どれほど拒絶されようと、どれほど冷たくあしらわれようと、彼女を本当の地獄へ落とさせたりしません!」
「せつ菜ちゃん……!」
「倉田校長が作ろうとしている『シンクロバンド』による支配も、沢泉さんたちが進める復讐のシナリオも、全部、私たちが壊してみせます! ポケモンたちとの本当の絆の力で!」
私の言葉に呼応するように、イワンコが「ワン!」と鳴きました。ピチューの頬からは小さなバチバチという黄金の電撃が弾け、ヨーテリーもしずくさんの足元で力強く尻尾を振ります。
「うん! 私、せつ菜ちゃんと一緒なら、どこまでも戦えるよ!」
涙を拭い、ひときわ強い笑顔を咲かせたしずくさん。
そんな時――
後ろの小道から、私たちに近づいてくる軽やかな足音が聞こえてきました。
「せつ菜ちゃん、しずくちゃん」
「…?」
振り返ると、そこには、手さげのビニール袋を手に持った、くれあさんの姿がありました。
パティスリーで使う、食材や備品の買い出しの帰りでしょうか?
「くれあさん、お買い物ですか?」
足元にいたイワンコたちも、顔見知りのくれあさんに気付いて、嬉しそうに尻尾を振りました。
「うん。お店で使う生クリームやフルーツを少し買い足しにね。今、春限定の新作ケーキを試作中なの」
くれあさんは柔らかい微笑みを浮かべながら、手にしたお買い物袋を軽く揺らしてみせました。
その可憐で穏やかな佇まいは、アカデミーで起きた第一の犠牲者であったとは到底思えないほどです。
ですが、私としずくさんの胸の奥には、どこか締め付けられるような痛みが走りました。
彼女の従妹である沢泉さんは、今まさに、このくれあさんの無念を晴らすために、そして弟のとうじ君を守るために、自ら悪魔の罠へと足を踏み入れようとしているのですから。
「……ふふっ、二人とも、今日は一段と真剣な顔で話し合ってたから、声をかけようか迷っちゃった…。 もしかして…、何か困ったことでもあった? スクールのほうとかで……」
私たちの様子に微かな違和感を覚えたのか、くれあさんが首をかしげ、心配そうに瞳を揺らしました。
「あ……いえ、その……!」
しずくさんが言葉を詰まらせ、私のほうへと助けを求めるような視線を送ってきます。
私は、いつものように明るい表情を作りながら口を開きました。
「大丈夫です、くれあさん。ただ…新学期からスクールで、新しい取り組みが始まるみたいなので、ちょっとその準備や心構えについて、しずくさんと相談していただけですよ」
「新しい取り組み…?」
「はい。 なので、ご心配なく」
くれあさんは、私の言葉に一瞬だけ何かを感じ取ったように目を見張りましたが、すぐにいつもの温かい表情に戻り、ふっと優しく微笑みました。
「……そう。 ちゆちゃんもね、最近すごく忙しそうにしてるの。来月から本格的に生徒会長になって、新しくスクールを生まれ変わらせるって、一生懸命頑張ろうとしてるみたいだから」
「そうですか」
くれあさんの華奢な肩の上には、あのエクレアの可愛らしいマホイップたちがちょこんと乗っていました。
マホイップたちは愛らしく「マホ~♪」と鳴きながら、くれあさんの頬にすりすりと甘えるように体を寄せています。
言葉はなくとも、深い信頼と温かな愛情が、一目でハッキリと伝わってきますね。
「あっ…、それじゃ、お店の仕込みがあるから行くわね。 またチュチュに遊びに来てね」
「はい。ぜひ伺います」
くれあさんは、私としずくさんに優しく一礼し、ゆっくりと公園の出口へと歩き出しました。
しかし、その一歩を踏み出した、まさにその時――。
「……っ!?」
唐突に、くれあさんの足取りが不自然に大きく揺らぎ、力無く膝をつき始めました。
「くれあさんっ!?」
私としずくさんは叫ぶように声をあげ、咄嗟に駆け出しました。
「マホ!? マホッ!?」
肩に乗っていたマホイップたちも焦った様子で、地面に倒れ込みそうになるくれあさんの周りを、心配そうにぐるぐると回ります。
「くれあさん! しっかりしてください! くれあさん!」
私が滑り込むようにして体を支えると、くれあさんの身体は驚くほど冷たく、そして小さく震えていました。
買い物袋から転がり出たリンゴや生クリームのパックが、芝生の上へと散らばっています。
「はぁ……っ、はぁ……っ……」
あの時、パティスリーで見た発作と同じですか…?
顔色は瞬く間に土気色へ変わり、呼吸は浅く激しく途切れ途切れになっていきます。
「しずくさん! 誰かに救急車を呼んでもらってください!」
「うん! すぐ行ってくる!」
しずくさんは顔を蒼白にさせながら、走り出していきました。
ヨーテリーたちも心配そうに、くれあさんの周りに集まってきます。
「くれあさん、失礼します」
気道を少しでも確保するため、私は手早くくれあさんの首元のリボンを外し、ブラウスのボタンを上から二つほど外しました。
「はぁ……はぁ……シュシュ……タン……っ! ごめん、ね……シュシュタン……っ!」
うわ言のように繰り返される、あの亡きパートナーの名と謝罪の言葉。
意識が遠のく恐怖と過呼吸の激しい苦しみの中で、彼女の心は今もなお、アカデミーの残酷な惨劇の記憶へ引き戻されているんですね…。
「大丈夫です、くれあさん! 今、救急車が来ますから! しっかりしてください! 息をゆっくり吐いて……!」
私は必死に彼女の背中を優しく擦り、呼びかけ続けました。
足元で控えていたイワンコとピチューも、しずくさんのヨーテリーと一緒に心配そうな表情を浮かべてますが、今は何よりも速やかな救急搬送と精密な医療処置が必要です。
「みんな、すみません! 心配かもしれませんが、一旦ボールに戻ってください!」
私は腰のモンスターボールを取り出し、イワンコとピチューを素早く赤い光の中に回収しました。
「せつ菜ちゃん! 公衆電話から119番通報してくれた! すぐ救急車が到着するよ!」
しずくさんのヨーテリーも、駆け戻ってきたしずくさんのボールへと一旦収まります。
「ありがとうございます、しずくさん! くれあさんのお買い物袋もまとめていただけますか!?」
「うんっ!」
しずくさんは、芝生の上に散らばったリンゴや生クリームのパックを手早く拾い上げ、ビニール袋に入れなおしました。
そして、取り残されて不安そうにオロオロしてる2匹のマホイップたちへ、優しく手を差し伸べます。
「大丈夫だよ、一緒に行こうね」
しずくさんが声をかけると、2匹のマホイップはすがるようにして、彼女の両肩へと飛び乗りました。
遠くから、ピーポーピーポーというけたたましいサイレンの音が近づいてきます。
公園の広場前に滑り込んできた救急車から、救急隊員の方々がストレッチャーを押し出しながら迅速に駆け寄ってきました。
「傷病者はこの方ですね! 意識レベルとバイタルを確認します!」
「はぁっ……はぁっ……っ!」
「16才女性、過呼吸を起こしています!」
隊員の方々の手際よい処置によって、くれあさんは手早くストレッチャーへと乗せられ、救急車の後部へと搬入されていきます。
私はくれあさんの手を握りしめたまま、ステップを駆け上がって車内へ乗り込みました。しずくさんも、お買い物袋を腕に抱え、両肩に2匹のマホイップを乗せた状態で私の後に続いて乗り込んできます。
「マホ……」
「マホマホ……」
肩の上で小さく震えるマホイップたちの頭を、しずくさんは自分の頬を寄せながら必死になだめていました。
バタンと重い後部ドアが閉められ、救急車はサイレンを響かせながら、春の公園を後にして、最寄りのニジガサキ大学総合病院へ発進しました。