中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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7章「未知への好奇心」

シキジカの背中を揺らす午後の柔らかな光を背に受けて、私としずくさんは丁寧にブラシを片付けました。

シキジカが「キュイッ!」と短く、感謝を伝えるように鳴くのを聞き届けてから、私たちは揃って教室へと戻ります。

 

自分の席に腰を下ろした私は、机に置いていたポケモン図鑑を再び読み始めました。

 

「ねぇ……せつ菜ちゃん……」

 

しずくさんが、隣の席から遠慮がちに私の顔を覗き込んできました。

 

「はい? どうしましたか?」

 

「私も…その図鑑、一緒に見ていい…?」

 

彼女の瞳には、ほんの少しの緊張と、それ以上の深い好奇心が宿っていました。人見知りで、いつも周囲の輪から一歩引いていた彼女が、自ら見たいと言ってくれたことが、私にはとても嬉しく感じられました。

 

「もちろんです、しずくさん。一緒に見ましょう」

 

「うん…! ありがとう」

 

私は図鑑を二人の真ん中に置き、しずくさんの興味を惹きそうなページを探します。

 

「しずくさんの家には、何のポケモンがいるんですか?」

 

「私の家にはね、ヨーテリーがいるの。お父さんの仕事のお手伝いもしてるんだよ」

 

「ヨーテリーですか」

 

私は指先で素早くページを繰り、ヨーテリーの項目を開きました。

 

「ありました」

 

そこには、長い毛に覆われた愛くるしい仔犬のようなポケモンのイラストが描かれています。

 

「ノーマルタイプのポケモンですね。ヨーテリーはとても賢く、勇敢な性格だそうですよ。……成長するとハーデリア、そしてムーランドという姿に進化するみたいです」

 

「えぇっ!? すごい! あの小さなヨーテリーが、こんなに立派になっちゃうの!?」

 

ムーランドのページを見て、しずくさんは驚きに目を見開きました。威厳のある髭を蓄えたその姿は、確かに今のヨーテリーからは想像もつかないほど逞しいものです。

 

「ええ。私も、自分の家のイワンコやフシギソウ、そしてさっきのシキジカ以外のポケモンについては、実はまだこの図鑑の知識しかありません。実際に進化する瞬間を目の当たりにしたことは、まだ一度もないんです」

 

「せつ菜ちゃんの家には、イワンコとフシギソウがいるの?」

 

「はい。どちらも大切な家族です」

 

今度はイワンコのページを捲り、しずくさんに見せました。

 

「イワンコは『いわタイプ』のポケモンです。この子もまた、進化するとルガルガンという非常に凛々しいポケモンになります」

 

「あれ? せつ菜ちゃん、見て。ルガルガン、姿が三つもあるよ?」

 

しずくさんが図鑑の図解を指差しました。

 

「そうですね。『まひるの姿』、『まよなかの姿』、そして『たそがれの姿』。進化した時の時間帯や、その個体が持つ素質によって姿が決まるそうです。まるで、その子の生き様が形になるみたいで、興味深いですね」

 

「へぇ〜、面白い! せつ菜ちゃんの家のイワンコは、どんな姿になるんだろうね?」

 

「ふふっ、どうでしょうね。どんな姿になっても、私は変わらず大切にするつもりですが、楽しみです」

 

「フシギソウは? フシギソウも進化するの?」

 

「フシギソウはフシギダネの進化系で、その次はフシギバナになります」

 

私はフシギダネの進化系統のページを広げました。

 

「わあ……! 背中に、こんなに大きな花が咲くんだね! 綺麗だけど、迫力があるなぁ」

 

「ええ。生命の神秘、と言ったところでしょうか」

 

私たちが顔を寄せ合い、図鑑を指差しながら熱心に語り合う姿を、少し離れた場所から担任の先生が眩しそうに見つめていました。

その表情は、深い安堵と喜びの色に染まっています。

無理もありません。

一人は転園してきたばかりで心を閉ざしがちだった桜坂しずくさん。かたやもう一人は、4歳児とは思えない理屈っぽさと大人びた態度で周囲から浮いていた私。

孤立していた2人が、こうして共通の話題で笑い合っている光景は、先生にとって、これ以上ない成功に見えたのでしょう。

 

先生をあんなに安心させてしまうなんて。知らず知らずのうちに、ずいぶん心配をかけていたのですね。

 

そこは、反省しなくてはなりません。

 

生徒会長時代の癖でしょうか。周囲の大人を困らせていたという事実に、私は少しだけ申し訳なさを感じるのでした。

 

 

* * *

 

 

幼稚園が終わると、私は家に帰りました。

 

玄関のドアを開けるなり、出迎えてくれたイワンコが「ワン! ワン!」と私の足元にじゃれついてきます。

 

「七海さん、ただいま帰りました」

 

「あ…、おかえりなさい、せつ菜。今日の幼稚園はどうだったかしら?」

 

七海さんは、いつものように穏やかな笑顔で私を迎え入れますが、その瞳の奥には「今日も一人だったのではないか」という微かな不安が透けて見えました。

 

今日は、その心配を払拭して差し上げられそうです。

 

 

「はい…。今日は、お友達ができました」

 

 

照れくささはありましたが、報告してみました。

 

その瞬間、七海さんの顔が、ぱぁぁっと明るく輝きました。

 

 

「そう!! よかったわねぇ! せつ菜〜〜っ!」

 

「あ……っ、七海さん!?」

 

あまりの喜びに、七海さんは私の体をひょいと持ち上げ、全力で抱きしめました。

 

これです。

 

この過剰なスキンシップがあるから、あまり自分から報告したくなかったのです…!

 

精神年齢が高校生の私にとって、子供扱いされるのはやはり耐え難い羞恥心を伴います。

 

恥ずかしいですから、早く下ろしてください!

 

「本当によかった…!せつ菜がお友達のことを話してくれるなんて、お母さん嬉しいわ!」

 

七海さんは感極まった様子で私を揺らします。

 

しかし、その一方で私の心は、今日出会ったしずくさんのことを思い出していました。

 

あの控えめな言葉遣い。何かを成し遂げたいと願うひたむきな瞳。そして、どこか寂しげで守ってあげたくなるような雰囲気…。

 

不思議ですね。しずくさんと話していると、どうして歩夢さんのことを思い出してしまうのでしょうか。

 

前世の親友。私の人生において最も近くにいてくれた存在。

 

しずくさんと歩夢さんは別人なのは分かっていますが、魂の波長が似ているような、そんな奇妙な感覚を覚えずにはいられませんでした。

 

「んっ? どうしたの、せつ菜。何か考え事?」

 

「あ……いえ、なんでもありません」

 

私は慌てて思考を打ち切り、七海さんの腕の中でもがきました。

 

「七海さん、もういいですから下ろしてください。私、手を洗ってきます」

 

「あ、えぇ。ごめんなさい、つい嬉しくて。わかったわ」

 

ようやく地面に足がつくと、私はそそくさと洗面所へ向かいました。

イワンコが「ボクも行くよ!」と言わんばかりに、楽しそうに私の後を追ってきます。

 

一人取り残された廊下で、七海さんは、娘の小さな背中を見送りました。

 

 

「いつになったら、私のことを『ママ』って、呼んでくれるのかしらね……」

 

 

一方、手洗い場に到着した私は、踏み台に乗って蛇口を回しました。

流れる水の冷たさを感じながら、私は鏡に映る自分を見つめます。

 

しずくさんと、明日もまた、図鑑の続きを一緒に見られるでしょうか?

 

新しい世界での、初めての友人。

 

それは、停滞していた私の二度目の人生が、本格的に動き出す予兆のように感じられたのでした。

 

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