中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

70 / 70
70章「胸に秘めた痛みと覚悟」

私は家に帰り、しずくさんと一緒に、誠一さんと七海さんに今日のことを話しました。

 

 

「なるほど、そうか。チュチュの店員の姉ちゃん、大変だったな」

 

「大事に至らなかったのは、不幸中の幸いね」

 

 

お二人は、くれあさんの容態を深く案じつつも、沢泉さんが進めようとしている、あまりにも危険で無謀な計画の全貌を聞くにつれ、その表情を次第に険しくさせていきました。

 

 

私としずくさんが交互に語る、病院での沢泉さんとのやり取り。

 

彼女が「ダミーデータで誤魔化せる」と信じ込んでいること、そして私が思っているシンクロバンドの狂気と危険性。

 

 

それを聞き終えた誠一さんは、いつもの大らかな父親の表情から、この街を守るプロのトレーナー……そしてジムリーダーとしての鋭く厳格な顔つきへと切り替え、私たちに向き直りました。

 

 

 

 

「なぁ、せつ菜、しずくちゃん。来月、時間見つけて、ポケモンジム委員会に行ってみないか?」

 

 

「ポケモンジム委員会ですか?」

 

 

詳しく話を聞いてみると、そこはポケモンジムの認可や運営を管轄するだけでなく、ポケモントレーナーが関わる重大な事件の調査や、ポケモンの福祉・権利を守る愛護団体としての側面も併せ持つ行政・捜査機関とのことでした。

 

 

前世の世界の感覚で例えるなら、文部科学省と教育委員会、そして動物愛護団体が融合したような、非常に強大な権限を持つ公的組織のようです。

 

 

「正式な要請をもう一度出してみる。今度こそ噂レベルじゃない、お前ら当事者の証言があるからな。俺もジムリーダーとして、これ以上、この街の子供たちが歪められるのを見て見ぬふりはできんからな」

 

 

力強く語る誠一さんの言葉に、私としずくさんの心に、パッと希望の光が差し込んだように思えました。

 

 

 

 

ですが、誠一さんはそこで一度言葉を切り、重い視線をしずくさんへと向けました。

 

 

 

 

 

「……だが、それにはまず、しずくちゃんが、これまでスクールで受けてきた仕打ちや、特別指導でされたことを、委員会の人の前で、一から話さないといけなくなるがな…」

 

 

「っ……」

 

 

誠一さんのその言葉に、しずくさんの体が、ピクッと小さく跳ね、視線を床へと落としました。

 

 

 

それはつまり、この4年間、しずくさんがスクールで強行されたあの理不尽なまでの特訓、不当な評価、そして大切なヨーテリーと共に傷つけられてきたこと。

 

そして、あの第3バトルフィールドの『感覚同期型・通電フィールド』。

 

「ポケモンの痛みを理解させる」という正当化しようのない狂った名目のもと、ポケモンがダメージを受けた瞬間、その苦痛と衝撃をトレーナーの体にもダイレクトに味わわせるため、青白い電撃を放ってくるあの忌々しい装置で痺れさせられたこと。

 

 

公的な捜査要請を出すということは、それらの辛いことを、公の場で曝け出し、大人たちの容赦ない追究や質問に、耐えなければならないということです。

 

 

 

「しずくさん……」

 

 

私は心配になり、隣に座るしずくさんの手へそっと自分の手を重ねました。彼女の手先は、氷のように冷たくなっていました。

 

 

「……無理にとは言わないわ、しずくちゃん」

 

 

七海さんも温かく優しい眼差しで、しずくさんを抱きしめるように寄り添います。

 

 

「あなたが思い出すのも辛いことなら、私たちは別の方法を探すことだってできるよ」

 

 

リビングに重い沈黙が流れました。

 

七海さんの淹れてくれた紅茶の湯気が、静かにゆらゆらと揺れています。

 

 

 

しずくさんは膝の上で両手を強く握り締め、伏せられた長いまつ毛を細かく震わせていました。

 

スクールで向けられた同級生たちからの蔑みと、教員たちの冷酷な視線。

 

全身がビリビリした青白い電撃。

 

沢泉さんたちやポケモン、スクールのみんなを助けたい葛藤。

 

 

彼女の小さな胸の中で、様々な感情が渦巻いているのが痛いほど伝わってきます。

 

 

ですが――。

 

 

 

 

 

しずくさんは、深く一度息を吸い込むと、ゆっくりと顔を上げました。

 

 

「大丈夫です。誠一さん、七海さん」

 

 

凛とした声で、しずくさんははっきりと口を開きました。

 

 

「私、話します! 私が見てきたこと、されてきたこと、全部、残さず話します!」

 

 

「しずくさん…」

 

 

私が思わず声をかけると、しずくさんは私のほうを向き、まっすぐな笑みを浮かべて見せました。

 

 

「怖くないと言ったら、嘘になる。あの電気の痛さや、怒鳴られた時の恐怖は、今でも夢に見るくらい……。でも…!」

 

 

 

しずくさんは自分の胸にそっと手を当て、言葉を繋ぎました。

 

 

「ここで私が逃げちゃったら、沢泉先輩も、苦しんでいるスクールのポケモンたちも、ずっと暗闇から抜け出せない! せつ菜ちゃんが私を救い出してくれたみたいに、今度は私が、自分の言葉で戦わなきゃいけないんだと思うの!」

 

 

その瞳に宿る輝きは、かつてスクールで傷つき、怯えていた少女のそれではありませんでした。

 

 

誠一さんは深く頷き、力強くその肩を叩きました。

 

 

「そうか。立派になったな、しずくちゃん。よく言った!」

 

 

隣で話を聞いていたヨーテリーが、しずくさんの膝に前足をかけ、「キャン!」と力強い励ましの鳴き声を上げました。

 

 

 

「えぇ、本当に頼もしくなったわ。けれど、決して一人で抱え込んじゃダメよ。私たちも、せつ菜も、ずっと隣にいるからね」

 

 

七海さんが優しくしずくさんの肩を抱くと、しずくさんは照れたように「はい!」と小さな笑顔を見せました。

 

 

 

「キミが勇気を出してくれたんだ。俺たち大人も全力で背中を押す。ジム委員会には、おじさんもせつ菜も同席する。 絶対に一人で辛い思いはさせないからな」

 

 

「ありがとうございます…! 誠一さん、七海さん!」

 

 

「よし、そうと決まれば準備が必要だ。来月の委員会提出に向けて、まずはしずくちゃんがスクールで受けた被害や目撃した事実を、時系列順にメモとして書き出していこう。いつ、どのバトルフィールドで、どんな指導をされたか。日付や教員の名前も心当たりがあれば、それもできる限り詳細にな」

 

 

誠一さんは書斎からノートとペンを持ち出し、リビングのテーブルの上に広げました。

 

 

「時系列の整理、私も手伝います、しずくさん! 私がスクールで目撃した数々の異常な惨状や、あの通電フィールドを破壊した際の現場の状況も併せて記録しましょう。客観的な証拠としての精度を極限まで高めるんです。倉田校長に一切の弁明の余地を与えないために!」

 

 

「うん…! ありがとう、せつ菜ちゃん!」

 

 

しずくさんはペンを握り締め、意を決した表情でノートに向き直りました。

 

 

それから夜が更けるまで、私たちはリビングの灯りの下でペンを走らせ続けました。

 

 

しずくさんが、ぽつりぽつりと紡ぎ出す言葉を私が補足し、七海さんが整理し、誠一さんが法的・行政的な観点から精査してノートにまとめていきます。

 

 

過去の傷口を開く作業は、しずくさんにとって間違いなく苦痛を伴うものでした。

 

 

途中で手が震え、ペンが止まることもありました。

 

 

しかし、その度に寄り添うヨーテリーが彼女の手にすり寄せ、私がその肩を抱きしめると、しずくさんは再びしっかりと前を向き、言葉を紡ぎ出しました。

 

 

書き上げられたメモは、スクールがいかに教育という名のもとに児童虐待とポケモン虐待を繰り返してきたかを示す、決定的な告発文書となっていきました。

 

 

 

「よし…! これで第一段階の資料としては十分だ。明日俺のほうでも、ジムリーダーのネットワークを使って、委員会の信頼できる捜査官へ面談してもらえるよう進めておく」

 

 

誠一さんがノートを閉じ、力強く宣言しました。

 

 

「倉田校長が『シンクロバンド』を本格導入し、新生徒会を始動させる新学期…。それが奴の野望の頂点であり、同時に最大の崩壊の引き金になる。絶対に、沢泉ちゃんも、ほかのスクールの子供たちも犠牲にはさせないぞ」

 

 

「はい…!」

 

 

私は力強く頷き、窓の外を見上げました。

 

静まり返った夜空には、雲の隙間からかすかな月明かりが差し込んでいました。

 

 

冷酷な野心を燃やす倉田校長、復讐の修羅道へ突き進む沢泉ちゆさん、そして、沢泉さんの後ろで糸を引く親友さんと共犯者の存在。

 

 

 

新学期に向け、運命の歯車は加速しながら狂気の狂想曲を奏で始めています。

 

 

 

 

 

ですが、私たちにはもう迷いはありませんでした。

 

 

 

 

時に正義とは残酷なものです。

 

でも、だからこそ、誰かを守るための本当の覚悟が必要なんですね――。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。