中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
◆沢泉side
「はぁ……」
病院を出て、夕闇に包まれ始めた道を一人歩きながら、私は胸の奥に溜まっていた重く濁った息を、そっと吐き出した。
「マホ?」
「マ~ホ」
「ふふっ、大丈夫よ」
両肩の上で、くれあのマホイップたちが、心配そうに私を覗き込み、小さな体で頬をすり寄せてきてくれたから、私はその甘い香りのする小さな頭を、指先で撫でてあげる。
確かに、優木せつ菜の言うことにも、一理あるわね。
……甘かったのは認めましょう。
倉田の底なしの執念と残酷さを、心のどこかで『今まで通り』の範疇に収めて考えていた自分に、微かな甘えがあったのかもしれない。
ダミーデータ程度で誤魔化そうとすれば、最悪の場合、ペギタンの身を危険に晒すところだった…!
その可能性を突きつけられ、背筋に冷や汗が伝うのを感じた。
でも、だからといって、私たちが立ち止まる理由には絶対にならない。
あの悪魔のデバイスを完全に無力化するためのアプローチを、もう一捻り、練り直すだけの話よ。
あんな男の仕掛けた罠ごときに屈して、引き返すことなんてできない。
私は、とうじの未来とくれあの奪われた平穏のために、倉田を叩き潰すと決めたのだから。
歩いていると、ポケットの中でスマホのバイブレーションが震え、着信を知らせた。
画面に表示された『菱川六花』の名前を確認し、私は深呼吸を一つ挟んでから、通話ボタンをスライドして耳に当てた。
「もしもし?六花」
『もしもし、ちゆ。やっと見つけたわよ。 天王寺カンパニーの娘』
スマホ越しに響く六花の凛とした声には、確かな手応えと僅かな緊張感が混じっていたわ。
「ふふっ……さすがね、六花」
私は物陰へ移動し、周囲に誰もいないことを確かめてから静かに息を吐いた。
――天王寺カンパニー。
あの『強制限界突破システム』、そして今回の『シンクロバンド』の製造・開発を裏で全面支援していると、私たちが睨んでる巨大テクノロジー企業。
表向きは、最新鋭のポケモントレーナー用デバイスの開発を手掛ける一流企業として名声を馳せているけれど、その裏で、倉田の非人道的な研究に、多額の資金と最先端の技術力を提供している疑惑が極めて濃厚だった。
そして、その企業の社長の一人娘であり、自身も異常なまでに高度な情報技術と電子工学に精通しているという、天王寺璃奈。
彼女は、私と六花より2年上の、来月中学2年生になる身でありながら、その頭脳を買われ、すでにニジガサキ大学の先端技術研究施設への出入りを特別に許可されているという噂の天才少女。
彼女に接触できれば、倉田が推進する『シンクロバンド』の真の内部仕様書、回路図、そして危険な強制同調プロトコルを根底から上書きするためのマスターキーを手に入れられるかもしれない。
だからこそ私は、六花に秘密裏に探りを入れてもらっていたのだ。
倉田が提示するシステムの根幹を揺るがし、スクールのメインサーバーを完全に掌握するためには、開発元である天王寺カンパニーの内部データがどうしても不可欠だったから。
天王寺家は、倉田の悪行を知った上で自ら利益のために協力してるのか、それとも倉田の口車に乗せられて、ただ都合よく利用されているだけなのか。
はたまた、何か大きな弱みを握られて、無理やり協力させられているのか……。
いずれにせよ、天王寺璃奈をこちら側に引き込むか、あるいは直接問い詰めて、真相を聞き出す価値は十分にあるはずよ。
「彼女の居場所や行動パターンは把握できたの?」
『ええ、バッチリよ。彼女、普段はニジガサキの工学部実験棟にこもりがちみたいだけど、さっき連絡先がわかって、メールを送ったら――ちょっと、ラケル! 今ちゆと大事な話をしてるから、ちょっと待って!』
電話の向こうから、彼女のパートナーであるコリンク:ラケルの甘える鳴き声が聞こえてきた。
『リン! リンック!』
『あとで遊んであげるから! ねっ? いい子だから大人しく待ってて。 それでちゆ、明日なんだけど――って、ラケル、待ってってば!』
受話器越しに、六花の慌てふためく声と、ラケルの嬉しそうに飛び跳ねる音が響き渡る。
……ラケルったら、相変わらずの甘えん坊ぶりね。
六花も六花で普段は、スクールや人前では頭脳明晰で気が強くて、どこかインテリぶってるくせに、部屋でラケルと二人きりになると、一気に押しに弱くなって振り回されるんだから…。
「六花、遊んでないで、話の続きは? メールには何て返信が来たの?」
『あ、ごめんなさい。……でね、天王寺璃奈は明日、あなたの旅館に来てくれることになったわ。そこで直接――きゃっ!? ちょっとラケル、ダメよ! ……嫌…! スパークはダメ~~ッ!』
『リン! リンク~~~!!♪』
『きゃあああああああああああっ!!』
バリバリバリッ!! という凄まじい放電音と、六花の絶叫、そして「ツーツーツー……」という途切れた電子音が虚しく耳に届いた。
………………。
感情が高ぶると、すぐスパークする癖も相変わらずね。ラケル。
六花…、大丈夫かしら…?
まあいいわ。
思わぬハプニングはあったけれど、これは大きな一歩ね。
優木せつ菜に指摘されたリスクもリスクも全て計算に入れて、天王寺璃奈から直接システムの根幹データを引っ張り出す。
ダミーデータ程度の小細工ではなく、倉田の張り巡らせた監視システムそのものを無効化する絶対的な手段を構築してみせるわ。
明日、私は天王寺璃奈という少女と対峙する。
私たちの復讐のシナリオは、確実に次の局面へと動き始めているのよ。