中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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長いけど、春休み編、これで終わる。


73章「悪魔の改変と隠された希望」

「…………愛さんを、助けて……っ!」

 

 

 

ぽつりと呟いた彼女の目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ち、抱えられたラルトスの頭を濡らしていく。

 

 

ラルトスもまた、主人である天王寺さんの不安に同期するように、小さな頭の角を微かに発光させながら、不安そうに「ラル…」と声を漏らした。

 

 

 

「『愛さんを助けて』? 愛さんって誰よ? それと天王寺カンパニーと、倉田校長はどういう関係なの!?」

 

 

 

私が身を乗り出すと、天王寺さんは震える手で次のページを開き、再び私たちにボードを見せて来た。

 

 

 

 

『( _ ;)』

 

『りなちゃんボード「限界」』

 

 

 

 

「……天王寺カンパニーは……、倉田さんに脅されてるの……。パパもママも…、会社の人たちも…、…みんな…、倉田さんの言うことを聞くしかないの……っ」

 

 

 

 

 

やっぱり天王寺カンパニーも、倉田の悪徳協力者などではなく、何らかの決定的な弱みを握られ、逆らうこともできずに、無理やり従わされている側の被害者だったのね…。

 

 

 

「どうしてそこまで言うことを聞かざるを得ないのよ? その愛さんっていう人は、天王寺カンパニーの社員さんか、研究員さんなの?」

 

 

 

 

 

「愛さんは……、宮下愛さんは、ニジガサキ大学の人…。 私の……、たった一人の、大切な友達……。そして……」

 

 

 

 

 

 

 

天王寺さんは、スケッチブックを強く胸に抱きしめ、絞り出すような悲痛な声で言葉を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンクロバンドの……、本当の開発者……!」

 

 

 

 

「「開発者!?」」

 

 

 

 

私と六花は、思わず同時に顔を見合わせた。

 

 

 

 

「ちょっと待ちなさい! あのトレーナーとポケモンを追い詰める悪魔のデバイスを作った人間が、あなたの友達だと言うの!?」

 

 

 

私がさらに強く身を乗り出すと、天王寺さんは、涙を散らしながら、ブンブンと激しく首を横に振った。

 

 

 

「違う…! 愛さんは……、悪魔なんかじゃない…! ポケモンのための、世界で一番優しくて、あたたかい発明家…!」

 

 

 

 

「どういうことよ? 詳しく説明してくれる?」

 

六花が真剣な眼差しで促すと、璃奈はポツリ、ポツリと、途切れ途切れの声で事の顛末を語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

宮下愛――。

 

 

 

彼女はニジガサキ大学で、ポケモン工学を専攻している学生で、来月から大学4年生になるという。

 

 

極度の人見知りで、誰とも打ち解けられず、大学の先端技術研究施設に閉じこもりがちだった天王寺さんにとって、太陽のような笑顔で、真っ直ぐ接してくれた彼女は、暗闇を照らす光であり、まるで本当の姉のような存在だったという。

 

 

 

 

 

「愛さんは…、人とポケモンが、言葉や種族の壁を超えて、心から通い合えるような、夢のデバイスを作ろうとしてた…。ポケモンの感情……。嬉しい、楽しい、悲しい気持ち。 お互いを深く理解し合えるようにって…。 だから『シンクロバンド』は、本来バトルで相手を打ち負かしたり、強制的に力を引き出したりするために使う物なんかじゃない…! ポケモンとトレーナーの絆を、優しく繋ぐための、対話デバイスだったの…!」

 

 

 

 

それが、何でそんな凶悪な兵器へと変貌してしまったのか?

 

 

そして、その宮下愛という人物と天王寺カンパニーには、一体どういう深い因縁と罠が張り巡らされているというのか?

 

 

 

 

天王寺さんは、膝の上のラルトスをギュッと強く抱きしめ、込み上げる怒りと悔しさに細い声を震わせた。

 

 

 

「愛さんは…、その研究を進めるための設備と資金を求めて、私のパパ……天王寺カンパニーの技術提携公募プログラムに応募してきたの。 愛さんの『人とポケモンが笑顔で心を通わせる未来』という思いに感動したパパとママは、愛さんの才能を評価して、特待研究員として全面支援することを決めた…。  私と愛さんが出会ったのも、そのカンパニーのラボだった……」

 

 

 

天王寺さんの瞳から溢れ出る涙は止まらない。

 

 

 

「でも……、その研究計画を知った倉田さんが……、トレーナーズスクールの権力と資金力を掲げて、強引に割り込んできたの。 最初は、技術協力者として、共同出資者を装っていた……」

 

 

 

倉田は、言葉巧みに天王寺カンパニーへ接近し、先端技術の共同開発という名目でプロジェクトに資金を注ぎ込んだ。

 

 

だけど、その実態は、宮下愛が考案した純粋な「感情同調理論」を歪め、トレーナーズスクールの強制限界突破システムと融合させることで、実戦用バトルデバイスへと強制改変することだった。

 

 

 

「倉田さんは…、愛さんの研究データを裏で勝手に書き換えて、精神同期による限界突破プロトコルを組み込んだ…! 愛さんがそれに気づいて反発すると、倉田さんは本性を現した……!」

 

 

「本性を現した? 一体、愛さんに何をしたというの!?」

 

 

 

私の問いかけに、天王寺さんは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、絶望に満ちた言葉を吐き出した。

 

 

 

「愛さんを……、研究施設の中に軟禁した…! そして、天王寺カンパニーが開発を拒否すれば、愛さんのこれまでの研究実績をすべて『違法なポケモン人体実験』として警察に告発して、愛さんとカンパニーを社会的に社会から抹殺すると脅してきた……! パパもママも、社員のみんな……愛さんの命と安全を盾に取られて、倉田さんの指示通りに『シンクロバンド』を作らされるしかなかったの……!」

 

 

 

なるほどね。完全に腑に落ちたわ。

 

倉田は、自分の手を一切汚さずに、天才大学生の頭脳と大企業の資本を丸ごと人質に取り、あの狂ったデバイスを量産させようとしている。

 

いざという時は、すべての罪を、天王寺カンパニーと宮下愛に擦り付ける。

 

 

 

 

 

――ここで、頭の片隅に昨日の、優木せつ菜の言葉が、蘇ってきた。

 

 

『自分が鳴り物入りで開発した最重要デバイスの初期データの偽装に気づかないと、本当にそう思っているのですか?』

 

『もしそのデータを外部から無理に偽装したら、倉田校長のことです。 システムを逆流し、トレーナー自身やポケモンの体へ、ダイレクトに危険な負荷がかかるトラップ構造になっている可能性だって、十分に考えられるんです!』

 

 

 

 

 

「天王寺さん、一つだけ確認させて。……もし、ここにいる六花が、私とそこのポッチャマのシンクロバンドの出力を偽装したり、ダミーデータを外部から流して無効化しようとしたら、一体どうなるの?」

 

 

 

天王寺さんは、蒼白な顔でスケッチブックをめくり、激しい筆致で書かれた警告を見せてきた。

 

 

 

 

『;×ロ×;』

 

『りなちゃんボード「ダメ!」』

 

 

 

「ダメ…! 絶対ダメ…!」

 

 

その突如として解き放たれた切迫した叫び声と、強い拒絶の眼差しに、私と六花は思わず息を飲んだわ。

 

 

「……やっぱり、最初から裏切り対策の罠が仕掛けられているのね?」

 

 

天王寺さんは涙で滲んだ大きな瞳で力強く、首を縦に振った。

 

 

 

まさか、優木せつ菜の推測は、単なる過剰な警戒などではなく、寸分違わず当たっていたというの……!?

 

 

 

 

「倉田さんは、愛さんに直接命令していた……。『自分を欺こうとする不届きな生徒や被験者は、容赦なく破壊すればいい』って……! もしバンドのプロトコルに不正な外部書き換えやデータ偽装を検知したら……プロテクトが解除されて、バンドから高圧の精神波フィードバックが逆流する仕組みになっているの……! 装着しているトレーナーと、ポケモンの体に……直接、ダメージを与えるトラップコードが……最初から組み込まれている……っ!」

 

 

「なっ……!?」

 

隣にいた六花が青ざめた顔で絶句し、膝を激しく震わせた。

 

 

もしあのまま、優木せつ菜たちの警告を無視して、六花の解析プログラムでダミーデータを送信するだけの計画を実行していたら……。

 

私とペギタンは、倉田の張り巡らせた罠にまんまとハマり、新学期の最初の実戦テストで、感電させられてたってわけね……。

 

 

悪寒が背筋を駆け抜け、体中の血が凍りつくような恐怖が私を襲った。

 

 

 

 

「愛さんは……、連れて行かれる前に、私にこっそり言ってくれた……」

 

 

 

 

「えっ? なにを……?」

 

 

 

部屋の空気が一瞬で氷のように冷たく張り詰め、鹿おどしのカコンという高い音が、まるで遠い異世界の出来事のように感じられる。

 

 

 

天王寺さんは、胸元で小さく震える手でスケッチブックを抱き直し、まっすぐ私に向けると、か細くも確かな強い意思の込もった声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『りなりー、ごめんね。 愛さん、せっかくの夢を、悪い人に奪われそうになっちゃった。……でもね、愛さんは絶対に諦めないよ。あの人が作らせようとしている悪魔のシステムの中に、愛さんだけの『隠し味』を、忍ばせておいたから!』

 

 

 

 

 

 

 

 

隠し味…?

 

 

 

 

 

 

 

『りなりー、もしスクールの子たちがこの悪魔のデバイスに縛られそうになったら、「プロトコル・アリス」を使って』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そう言ってた……」

 

 

 

 

「『プロトコル・アリス』……?」

 

 

 

六花が眉をひそめ、その聞き慣れない神秘的な単語を反芻した。

 

 

 

「うん。愛さんは、倉田さんの脅迫に従うフリをしながら、システムの最深部に、自分にしか解除できない隠しコードと、過剰負荷を無効化して、本来の『対話機能』だけを強制起動させる裏コマンドを仕込んでいたの。それが『プロトコル・アリス』…!」

 

 

 

「本当なの…? 倉田の張り巡らせたあの恐ろしい罠を完全に迂回して、システムそのものを内側から上書きできるというの!?」

 

 

 

「愛さんは言ってた。『どれだけ強力な罠を張ろうと、この装置の根幹を作ったのは、私だ』って。『上っ面だけ凶悪に書き換えられたって、本当の心臓部は、私が握ってる』って…! 外部からのデータ偽装や解析攻撃はトラップが作動して自滅するけれど、内部のルート権限からこの『プロトコル・アリス』を実行すれば、倉田さんの仕込んだトラップコードごと、強制限界突破システムを安全に完全停止できると思う…!」

 

 

隣で六花が息を呑み、心底からの感嘆の声を漏らした。

 

 

「すごい人ね…! 倉田が構築させたあの厳重なプロテクトの裏を予めかいて、最初から解毒剤をシステムの中に仕込んでるなんて……!? 宮下愛さん、ホント恐ろしいほどの天才なのね…!」

 

 

 

 

倉田という絶対的な権力者からの脅迫と軟禁という極限状態に置かれながら、ただ怯えて従うのではなく、土壇場で反撃の楔をシステムそのものに打ち込んでいた…。

 

 

宮下愛。

 

 

彼女は、ただの天才研究者というだけでなく、計り知れない強さと優しさを持った人物だったのね。

 

 

 

 

 

 

 

「でも……」

 

 

天王寺さんがボードを下ろし、再びポツリと悲しげな声を落とした。

 

 

「プロトコル・アリスを起動させるためのマスターキーは、愛さんの端末に保管したままなの…」

 

 

 

 

「えっ……? 今、教えてくれたって言ってたでしょう!?」

 

 

思わず大声を上げてしまった私に、天王寺さんはビクッと肩を跳ねさせ、消え入るような声で言葉を繋いだ。

 

 

 

「愛さんが教えてくれたのは、『プロトコル・アリス』というプログラムの存在と、起動条件だけ…。実際の認証キーと解除データは、ニジガサキ大学の先端技術研究施設にある愛さんのメイン端末の中にしかないの…。そして、その施設は今、倉田さんの手下に監視されてて、誰も近づけない……っ」

 

 

 

「……宮下さんのメイン端末の中にしかない、ですって……?」

 

 

 

せっかく見えた絶望の闇の中の微かな光。

 

 

倉田の張り巡らせた悪魔のような罠を完全に無力化し、スクールの生徒たちやポケモンを救い出すための絶対的な唯一の切り札――『プロトコル・アリス』。

 

 

その存在が証明された矢先に突きつけられた、あまりにも高く強大な壁。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ニジガサキ大学の先端技術研究施設。倉田の息がかかった監視の目が厳重に光っている場所に、直接乗り込んでデータを奪取しろというわけね」

 

 

隣で六花が指を顎に当て、鋭い瞳でめまぐるしく思考を巡らせ始める。

 

 

「甘くはないわね。大学の施設というだけでも、セキュリティは強固でしょうし、倉田の監視までついているとなれば、外部からの遠隔ハッキングはおろか、正面からの強行侵入なんて論外よ。監視カメラ、動体センサー、そして電子ロック……力ずくで破ろうとすれば、即座にアラートが鳴り響いて倉田の耳に届き、宮下さん自身にも危険が及ぶわ」

 

 

六花の冷徹で現実的な言葉に、璃奈はスケッチブックをぎゅっと胸元で抱きしめ、小さな肩をすくませて身を縮めた。

 

 

 

 

 

『>_<』

 

『りなちゃんボード「無理…?」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボードに描かれた弱気な顔文字を見つめながら、私はフッと唇の端を不敵に吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……無理? 冗談言わないでちょうだい。ここまで手がかりが揃って、やるべきことが明確になったのよ。ここで指をくわえて諦めるなんて選択肢、最初から私の辞書には存在しないわ」

 

 

 

手にしていた湯呑みをテーブルに静かに置き、逃げ場をなくすように璃奈を正面から見据える。

 

 

 

「天王寺さん。あなた、ニジガサキ大学の先端技術研究施設への出入りを特別に許可されているのよね?」

 

 

「う、うん……。特別IDパスは持ってる……。でも、愛さんの研究室のフロアは今、さっきも言ったけど、天王寺カンパニーの関係者であっても、倉田さん直属の警備員の許可がないと絶対に入れないようになってるの……。私一人が近づけば、すぐに理由を問い詰められて警戒される……」

 

 

 

「当然ね。あなたが一人で行けば、怪しまれて身柄を拘束されるか、追い返されるのが目に見えているわ。……だからこそ、私が一緒に行くのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

『(・_・) ?』

 

『りなちゃんボード「?」』

 

 

 

 

 

 

「っ! なるほどね、ちゆ……!」

 

 

隣で六花がハッと目を見開き、私の意図を即座に察してくれた。

 

 

「えぇ、倉田に従順な新生徒会長。この沢泉ちゆが行けばね!」

 

 

私は腕を組み、冷ややかな微笑を浮かべた。

 

 

「倉田に対して『新生徒会長として、スクールの未来を担う次世代デバイスの試作機と、その開発状況をこの目で直々に視察し、次期運用のためのデータ確認を行いたい』とでも申し出ればいいわ。私がそう言えば、倉田は疑うどころか、上機嫌で特別視察の許可証を発行するはずよ」

 

 

 

「倉田の権力そのものを利用して、堂々と正面玄関から潜入するってわけね。そこに『開発元の天王寺カンパニーの令嬢であり、案内役の技術者』として、天王寺さんを同行させれば、不自然さは一切なくなるわ!」

 

 

 

六花が興奮を抑えきれない様子で身を乗り出す。

 

 

「そうよ。倉田の手下である警備員たちも、生徒会長の私と天王寺カンパニーの令嬢が揃って正当な許可証を持って現れれば、おいそれと突っぱねることはできないわ。……そして、研究室の内部にさえ入ってしまえば、あとは天王寺さん、あなたの領域よ」

 

 

私は天王寺さんの目を見つめ、静かに、けれど強く語りかけた。

 

 

「監視の目を私が逸らしている隙に、あなたが宮下さんのメイン端末から『プロトコル・アリス』のマスターキーと解除コードを抽出して。……できるわね?」

 

 

 

天王寺さんは涙を袖で拭ったあと、胸の中のラルトスをギュッと抱きしめ、力強い瞳でまっすぐ私を見返した。

 

 

 

サッサッサッ……!

 

素早くペンを走らせ、提示されたスケッチブックには、これまでで最も力強い表情が描かれていた。

 

 

 

『`・ω・´』

 

『りなちゃんボード「やる!」』

 

 

 

 

「愛さんの端末のセキュリティなら……私なら破れる。愛さんと二人で作った暗号解除キーがあるから……! 私に任せて……!」

 

 

「頼もしいわね。決まりよ」

 

 

私たちの復讐は、奪還のための潜入作戦にひとまず変更ね。

 

 

 

「いつ……行くの……?」

 

 

天王寺さんは、重いスケッチブックを小さく膝の上に置き、上目遣いで不安そうに私を見つめてきた。

 

その瞳には、今すぐにでも宮下さんを救い出したいという切実な焦りと、強大な闇にたった一人で立ち向かうことへの拭いきれない恐怖が複雑に入り混じっていた。

 

 

 

「宮下さんには本当に申し訳ないけれど、もう少しだけ耐えてもらいたいわ。決行は最低でも、春休みが明けて、新学期が始まってからになるわね。……具体的には、倉田が『シンクロバンド』の正式な実戦配備を開始し、私に最初のプロトタイプが手渡される、まさにその最高のタイミングまでよ」

 

 

「春休み明けまで…? あと何日もあるよ? 愛さんは今も、あの研究室で軟禁されて、ずっと倉田さんの手下に監視されてるのに……!」

 

 

 

「気持ちは痛いほど分かるわ、天王寺さん。でも、今ここで焦って動くのが一番危険なのよ」

 

 

六花が、静かに、けれど毅然とした落ち着いた口調で補足を入れた。

 

 

「生徒会長に就任したばかりのちゆが、この春休み中の唐突で不自然なタイミングで『ニジガサキ大学の先端技術研究施設を視察したい』なんて倉田校長に申し出たら、一体どうなると思う?」

 

 

六花はテーブルに指先を立て、冷徹に事態を分析していく。

 

 

「どこでその極密施設の情報を知ったのか、誰から宮下愛さんの存在を聞き出したのか……勘の鋭い倉田は当然、徹底的に疑いの目を向けるわ。私たちがあなたから真実を聞いたのはたった今なんだから。 今すぐ動き出せば『天王寺璃奈が沢泉ちゆに情報を洩らした』と自ら倉田に自白するようなものよ。そうなれば、あなたも天王寺カンパニーも、そして捕らわれている宮下愛さん自身も、一瞬で退路を断たれて完全に終わるわ」

 

 

 

「でも……! もし私たちが待っている間に、愛さんが……っ」

 

 

 

「宮下愛さんは強い人よ」

 

 

私は天王寺さんの揺れる言葉を遮り、逃げ場を与えないほど真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。

 

 

「倉田の卑劣な脅迫に屈したフリをしながら、システムの最深部に『プロトコル・アリス』という命がけの隠しコードを忍ばせ、たった一人で反撃の機会を狙い続けているほどの天才で、信念を持った強い女性なんでしょう? ならば、彼女は絶対に折れないわ。私たちが助けに行く瞬間まで、絶対に耐え抜いてくれるはずよ」

 

 

天王寺さんは唇をぎゅっと噛み締め、ペンを走らせ、力強い顔文字とともに、新しいページを私たちに提示した。

 

 

 

『>_<』

 

『りなちゃんボード「がまん」』

 

 

 

「……わかった。愛さんを信じる。……愛さんは絶対に負けない。だから……私も、いつまでも泣いてばかりいられない……!」

 

 

「ええ、その意気よ」

 

 

 

私は口元に不敵で確信に満ちた笑みを浮かべた。

 

 

 

「春休みが明けるまでの間、私たちは完璧な準備を整えるわ。六花、あなたは天王寺さんと連携して、ニジガサキ大学の施設構造とセキュリティプロトコルの解析を極密裏に進めてちょうだい。倉田の目を完全に欺き、手も足も出させない完璧なシナリオを作り上げるのよ」

 

 

「任せて。私の持つ解析デバイスと、天王寺さんの持つ天王寺カンパニーの特別なアクセス権限を掛け合わせれば、どんなセキュリティ回路でも完全に突破してみせるわ」

 

 

六花が頼もしく頷き、眼鏡の奥の瞳に知的な光を宿らせる。

 

 

「リン!」

 

「ポチャ!」

 

 

部屋の隅に控えていたラケルとペギタンも、私たちの熱い決意に呼応するように、胸を張って力強く短い鳴き声をあげた。

 

 

「ラル~」

 

 

璃奈の膝の上でラルトスもまた、安心したように安堵の息を漏らし、小さな頭の角をあたたかく照らした。

 

 

 

 

つい先ほどまで特別応接室に立ち込めていた凍りつくような絶望的な緊張感は、いつしか確固たる固い絆と、緻密な反撃計画の熱気へと変わっていたわ。

 

 

「……天王寺さん。一つだけ、私から固く約束してほしいことがあるの」

 

 

私は真剣な表情に戻り、静かに問いかけた。

 

 

「これから新学期が始まるまでの間、あなたは今まで通り、倉田校長の言いなりになっている大人しい令嬢を完璧に演じ切って。私たちと接触したことも、この沢泉旅館に来たことも、全ては何事もなかったかのように振る舞うのよ。倉田の手下や、カンパニー内部の監視の目には、絶対に悟られてはならないわ」

 

 

「うん……! わかった……!」

 

 

力強く頷き、スケッチブックをしっかりと抱え直した。

 

 

 

 

「さてと、とりあえず六花。あとは任せたわ。 私は、くれあを迎えに行ってくるから」

 

「ええ、いってらっしゃい、ちゆ。くれあによろしく。こっちは天王寺さんと一緒に、潜入ルートの精査を始めておく」

 

「頼んだわよ。 天王寺さん、もし何か進展があれば、また六花を通してメールするから」

 

 

 

 

 

私はペギタンを抱えて、廊下へ踏み出した。

 

 

 

 

外の庭園では、相変わらず鹿おどしの竹が石を打ち、カコンと澄んだ音を響かせていたけれど、もうその音に、さっきまでの虚しさはなかった。




次回、5年生編、スタート!
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