中川菜々から優木せつ菜 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜 作:あいライス
◆沢泉side
いよいよ新学期も始まって、作戦決行の日が来たわ。
今朝の始業式で、倉田がシンクロバンドを私に配るところまでは読めていたけど、まさか特別公開戦の対戦相手に優木せつ菜を指名してくるなんて、それはまったくの想定外だったけれど、まあいいわ。
それまでに優木さんと桜坂さんがどう動こうと、私たちのやるべきことは何一つ変わらない。
何よりもまず、宮下愛さんを救い出し、この悪魔のシステムを内側から崩壊させるための『プロトコル・アリス』を手に入れること。
そのための準備を、一切の狂いなく進めるだけよ。
始業式の重苦しい空気がようやく講堂から消え去った、静かな昼休み。
私は六花と廊下を進み、あの忌々しい校長室の重厚な扉の前に立っていた。
「天王寺さんは、もう準備できてるって?」
周囲に誰もいないことを確認してから、私は隣に立つ六花に小声で問いかけた。
「えぇ。さっき彼女から連絡が入ったわ。今夜、予定通り大学の裏口で待ち合わせることになっているわ」
「そう……」
私は、胸の奥で高鳴る緊張感をぐっと押し殺した。
これから行なうのは、倉田という病原菌を相手にした、一歩も間違えられない極限の心理戦…!
少しでも私の演技に綻びがあれば、私だけじゃなく、六花や天王寺さん、宮下さん、そして……とうじもくれあも…、すべてが一瞬で終わりを迎えることになる……。
校長室の扉を見据え、私は覚悟を決めるように視線を据えた。
「行って来るわ」
「えぇ、大丈夫よ、ちゆ」
六花がしっかりと私の肩に手を置き、力強い信頼の眼差しを向けてくれた。
その無言の励ましに頷きを返し、私はゆっくりと右手を上げ、その扉をノックした。
コン、コン、コン――。
「……入りたまえ」
中から、あの嫌な低音の声が聞こえた。
私は生徒会長として、『従順で有能な少女』の仮面を完璧に装着し直し、重い扉を押し開けて足を踏み入れた。
「失礼します、倉田校長」
私は背筋をピンと伸ばし、生徒会長として模範的な一礼を決めてみせた。
机の向こう側に座る倉田は、万年筆をくるくると指の間で遊ばせながら、ねっとりとした目を私に向けて、ふっと笑った。
「おや? 沢泉さんじゃないか。何か用かな?」
私は鞄から、今朝貰ったシンクロバンドの箱を出した。
「倉田校長、この『シンクロバンド』について、少しお伺いしたいことがあって、参りました」
私はあえて少しだけ戸惑いと好奇心が入り混じったような、新米の生徒会長らしい声色を作って見せた。
「ほぅ、何だい? 気になることがあるなら何でも聞いてくれたまえ。実際に最初に使うのは、キミなんだからね」
「はい。それでは遠慮なく。夏の特別公開戦に向けて、私たち生徒会としても、開発の背景や技術的な信頼性についてしっかりと把握しておかねばならないと考えまして。差し支えなければ、このシステムは、どちらの企業で開発されたものなのか、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
私がそう問うと、倉田は嫌らしい笑みをさらに深くし、鼻でふんと息を漏らした。
「ふっ、気にすることはないさ。隠すようなことでもないから。……このデバイスはね~、我がスクールの資金提供のもと、かの有名な『天王寺カンパニー』と共同で開発を進めてきた最高傑作なのだよ」
「……天王寺カンパニー、ですか?」
意外にもすんなり、何の警戒心も見せずに、倉田は自慢げに語り出した。
ふふっ、心理戦も何もあったものじゃないわね…。
天王寺カンパニーの名前が出たことで、天王寺さんの語っていたことが完全に真実であるという裏付けが、ここでしっかりと取れたわ。
「あそこの技術力は実に素晴らしい。我がスクールの教育理念に感銘受け、全面的に協力してくれる素晴らしいパートナーでね~。こうして真に価値のある『正義』を私と一緒に追求してくれているのさ」
「さすがは天王寺カンパニーですね。ここまでの最先端技術を結集させたデバイスを作れるなんて、さぞ優秀な開発者が設計に携わったのでしょうね? 一体、どなたが、このような素晴らしい仕組みを考案されたのですか?」
私がさも純粋な称賛の色を浮かべて問いかけると、倉田は万年筆を机に置き、不敵な笑みを浮かべたまま、さらりと答えた。
「あぁ~…、天王寺カンパニーの技術提携公募プログラムに応募してきた、ニジガサキ大学でポケモン工学を専攻しているいち学生の考案だ」
「大学生が作ったってことですか!?」
「そう、今月から大学4年になる宮下愛さんという人でね。少々頭が良すぎて我が強いところがあったが、私の指導のもと、我がスクールのために素晴らしい正義を形にしてくれたんだよ」
「宮下愛さんですか……。すごい方ですね」
怒りが喉元まで込み上げそうになるのを、私は必死の思いで押し留めた。
ここで表情を崩したらすべてが水の泡よ。
「……よく分かりました。開発の経緯と信頼性については十分に理解できましたので、安心しました」
「そうかい? それなら結構だ。期待しているよ、沢泉生徒会長」
「はい。それで早速ですが……、実戦に向けた事前の動作確認について、実際に開発者に直接お会いして、私に技術的な細部をご指導いただくことは可能でしょうか?」
私がそう切り出すと、倉田は特に怪しむ様子もなく、むしろ私の熱心さを面白がるように目を細めた。
「ほぉ~? 開発者に会いたい…と? 実践的な理解を深めようとは、実に感心な心がけだね。……あっ、しかし残念ながら、今の彼女は多忙を極めていてね、研究の総仕上げに没頭してもらっているところで、表立った面会は原則として許可していないのさ」
予想通り、すんなりと会わせてくれるわけないわよね。
でも、あなたがそんなこと言うのは最初からわかってたわよ。
私は予め六花と綿密に練り上げていた台詞を思い出し、少しだけ真剣な表情を作って、さらに言葉を重ねた。
「そうですか…、それは非常に残念です…。本当は、夏の特別公開戦に向けて、万が一にもシステムエラーや想定外の不具合が発生しては、生徒会の面目に関わりますし、何よりスクール全体の信用問題に関わります。そのためにも、生徒会長である私自身が、開発現場である大学の先端技術研究施設に直接赴き、詳細なデータを自分の目でしっかりと確認しておきたかったんです。開発は、宮下さんの大学の研究ラボとかでされてるんですよね? 万全の準備を整えたいという私の我が儘を通していただけないでしょうか?」
私のその言葉に、倉田は鼻で笑い、万年筆で軽く机に叩いた。
「そこまで熱心とはね…。だが、大学の研究施設は機密情報に包まれた場所だ。そう簡単に外部の生徒を入れるわけにはいかんよ」
「だからこそです。一般の生徒ではなく、新生徒会長であるこの私に、『特別視察および施設立入許可証』を発行していただけないでしょうか?」
私は用意していた言葉を流暢に紡ぎ、鞄からあらかじめ用意しておいた申請用紙を取り出して机の上にそっと滑らせた。
大学の研究施設への潜入に必要な、正式な許可証。
倉田は、私が自分の支配下に完璧に組み込まれた従順な生徒会長であると信じ込んでいるからこそ、私が「自発的にスクールのために最新デバイスの調整に動きたい」と言い出せば、疑うどころか手放しで褒めて受け入れるはずよ。
案の定、倉田は申請用紙に目を通すと、満足げに声を上げて笑った。
「はははっ、素晴らしい! 流石は沢泉さん、私が見込んだだけのことはある。 よろしい!今回だけキミには特別だ」
倉田は机の引き出しから専用の朱肉とハンコを取り出し、ガチャンと音を立てて、力強く書類に捺印した。
「これで、先端技術研究施設のどのフロアでも、自由に立ち入ることができる。開発スタッフにも私から通達を出しておこう」
「ありがとうございます! ご期待に添えるよう、しっかりと務めてまいります!」
私は深く一礼し、署名と捺印のされた特別視察許可証を両手で受け取った。
計画の第一段階――敵の懐へ入り込むための正当な通行証が、今、私の手に渡った。
これで表向きの理由は完璧に整ったわ!
すべては順調に進んでる!
私は許可証を折り曲げ、ポケットにしまい、校長室の扉へと歩き出した。
「あぁ~……、そういえば、沢泉さん」
背後から、ねっとりと湿った、嫌な声が投げかけられた。
私は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「はい? 何か、ほかにご指示でも?」
椅子に深く腰掛けたまま、倉田は不気味な笑みを浮かべ、私をじっと見据えていた。
「……いやね、今ふと思ったのだが……、
キミの従姉の、帆羽くれあさん、元気にしているかい?」
「…っ!!」
血の気が一瞬で引いていくのが分かった。
心臓がドクンと激しく音を立て、喉の奥がキュッと締め付けられる。
なんで今更、くれあの名前が出てくるのよ……!?
「……最近、実家のほうもいろいろありまして…、あまり連絡を取れていないので、近況については……よくわかりません……!」
必死に声を震わせないよう、私は誤魔化した。
だが、倉田のメガネの奥の瞳は、すべてを見透かすかのように冷たく冷ややかに細められていた。
「そうかい……? ならいいんだ。いやね~…、彼女は私が前任にいた『セイランアカデミー』の卒業生でね。しかも彼女は、私の作った『強制限界突破システム』を最初に使った、記念すべき最初の生徒だから。……もっとも、惜しくもパートナーポケモンのジグザグマは、君たち親族がよく知るように、あんな悲惨な結果になってしまったがね~…」
シュシュタン……!
この男の非道な実験によって、無理やり限界を突破させられ、命を奪われたくれあの最愛のパートナー……。
その忌まわしい過去の記憶が、容赦なく私の脳裏に蘇る。
「そして今度は、従妹のキミが、我がスクールのシンクロバンドを最初に使う。いや~、キミたち従姉妹同士は私の作るデバイスと、何かと縁があると思ってね~」
…………。
「まあキミのポッチャマなら、帆羽さんのジグザグマほど弱くないだろうから、心配はないがね。ははは…」
――バレてる……?
くれあがシュシュタンを失ったあと、このニジガサキシティに引っ越してきて、ひっそりとパティスリーを開いて暮らしていること……。
まさか、この男は最初からすべてお見通しだったというの……!?
いやいや……落ち着きなさい、私……!
ここで取り乱したら、それこそこいつの思う壺よ。
ただのハッタリに決まってる……!
でも……、くれあがこのニジガサキシティにいることなんて、行政や医療機関と裏で繋がってる倉田校長にとって、本気で調べようと思えば、容易なことだったはず……!
「……身内のことまでお気にかけていただき、恐縮です。夏休みにセイランシティに帰省する予定もありますので、その時久しぶりに会ってみようかと思いますが……それが何か…?」
落ち着きなさい! 私!! ここで気圧されたら終わりよ……!
「そうか、家族仲がいいのはいいことだ。とうじくんの容態も最近はいいみたいだね?」
「おかげさまで…」
「……くれぐれも、あのお姉さんのような『哀れな失敗作』にはならないようにな。君は優秀な、私の自慢の生徒なのだからね」
倉田は不気味な薄笑いを浮かべたまま、それ以上深く追求してくることはなかった。
「はい……それでは、失礼いたします」
私はこれ以上この部屋の空気を吸い続けることに耐えられず、逃げるように校長室の重い木製扉を押し開き、廊下へ出た。
ガチャン、と背後で扉が重く閉ざされる。
はぁっ……はぁっ……!
――怖かった……。
足の震えが止まらない……。
あの男の底知れぬ悪意と、私たちの行動のすべてを手のひらの上で転がされているような圧倒的な恐怖が、私の全身を凍りつかせていた。
「ちゆ…? どうしたの……!?」
廊下の曲がり角で待っていてくれた六花が、私のただならぬ異変に気づいて駆け寄ってきた。
私は震える手で、ポケットからあの特別視察の許可証を取り出し、力なく六花に差し出した。
「貰ったわ……六花。計画は、予定通り進めるわ。……だけど、絶対に失敗は許されない。あの男は……私たちが想像している以上に、すべてを見通しているかもしれないわ……!」
私の鬼気迫る言葉に、六花もただ事ではない気配を察したのか、その美しい青い瞳を鋭く光らせてしっかりと頷いた。
「分かったわ。じゃあ、今夜の計画は一層慎重に進めましょう」
「……そのことだけど、放課後、私は一度パティスリーに行って来る……。それと、天王寺さんに連絡して。今夜の待ち合わせ場所は現地集合じゃなくて、一度私の家に来させて。そこでもう一度、最終の打ち合わせをしたい……!」
「沢泉旅館に……? 分かったわ。天王寺さんには私から連絡を入れておくわね」
六花は心配そうに私の肩に手を置いたが、私はすぐに顔を上げ、冷徹な生徒会長の仮面をもう一度貼り付けた。
そうよ、ただのハッタリよ……!
バレてるわけないわ……!
大丈夫よ。
大丈夫よね……? くれあ…!