中川菜々から優木せつ菜へ 〜ポケモンの世界であなたと紡ぐ奇跡〜   作:あいライス

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8章「初めての約束」

数日後、朝日が差し込むニジガサキポケモン幼稚園の教室。

 

私はいつものように、自分の机で図鑑を広げていました。

 

情報の海に溺れているときだけは、自分が四歳の幼児であるという現実を忘れ、かつての中川菜々としての知的好奇心を存分に満たすことができるのです。

 

そこへ、軽やかな足音が近づいてきました。

 

「せつ菜ちゃん、おはよう! 今日はどの子を読んでるの?」

 

現れたのは、もうすっかり私のお隣さんが定位置となったしずくさんです。数日前までの彼女の表情からは硬さが消え、年相応の……4歳児らしい純粋な輝きが溢れていました。

 

「あ、しずくさん。おはようございます。今日はこのページですよ」

 

私は彼女に見えるように、今開いているページを少しずらしました。

 

そこには、黄色い体に角を持った芋虫のような「ビードル」、硬い繭のような「コクーン」、そして両腕に巨大な針を持つ蜂の姿をした「スピアー」の進化系統が描かれていました。

 

「きゃっ!?」

 

見せた瞬間、しずくさんは弾かれたように後ずさり、椅子を鳴らして怯えました。

 

「え……? どうしたんですか?そんなに驚いて」

 

「む……、むしポケモンだよ…、せつ菜ちゃん!」

 

「あぁ~…、むしタイプのポケモンは、苦手なんですか?」

 

「うんうんうんうん!」

 

しずくさんはぶんぶんと激しく首を縦に振ります。

 

確かに、むしタイプのポケモンはその名の通り、前世の世界の虫をそのまま大きくしたような外見をしているものが多く、正直に言えば、私も最初に図鑑でこのページを見たときは、心臓が跳ね上がりました。

 

このビードルは蜂の幼虫、スピアーは巨大な蜂。鋭い目つきや尖った針は、確かに幼稚園児には刺激が強すぎたかもしれません。

 

 

「うぅ……むしポケモンだけは……どうしてもダメなの……」

 

 

涙目で震えるしずくさん。

 

かつて、お台場の公園で小さな虫が飛んできただけで、私の背中に隠れて震えていた親友の姿が重なった。

 

「ごめんなさい、すぐに別のページにします」

 

「えっ? あ…ごめんね……せっかくせつ菜ちゃんが読んでたのに……」

 

申し訳なさそうにする彼女に、私は首を振って図鑑を捲ります。

 

「いいえ、いいんですよ。……あっ、このポケモンなんてどうでしょうか。とても可愛いですよ」

 

開いたのは、「ピチュー」、「ピカチュウ」、「ライチュウ」のページです。

 

「っ! ホントだ! ほっぺが丸くて、すっごく可愛い!」

 

しずくさんはようやく安心したのか、とてとてと机に近づき、身を乗り出すようにして図鑑を覗き込みました。

 

「私、ピカチュウにはすごく興味があるんですよ。このページを初めて見たとき、あまりの可愛さにびっくりしましたよ。いつか会ってみたいです」

 

「私も! ぎゅってしたら、あったかいかな?」

 

そんな他愛のない、けれどこの年齢の子供らしい会話。

その様子を、担任の先生が遠くから、どこかホッとしたような表情を浮かべて、こちらを見守っていました。

 

先生…。そんなに感動しなくても、私はただ図鑑を読んでいるだけですよ?

 

そうツッコミたい気持ちもありましたが、これが普通の4歳児の姿なのだと、自分に言い聞かせました。

 

しばらくポケモンの話で盛り上がったあと、しずくさんが少しだけ言い淀みながら、私を見つめてきました。

 

 

「ねぇ、せつ菜ちゃん。この間、ヨーテリーを実際に見たことないって言ってたよね?」

 

「はい。図鑑でしか見たことがありません」

 

「じゃ、明日、幼稚園お休みだし…、よかったら、一緒に公園で遊ばない?」

 

「えっ……?」

 

 

私の思考が一瞬、停止しました。

 

 

遊ぶ? 私が? 誰かと?

 

 

前世では、放課後に歩夢さんと帰りに寄り道したり、テスト勉強を教え合ったりすることは日常でした。

 

けれど、この世界に来てからというもの、私の休日はこの図鑑を読むか、イワンコと遊ぶか、七海さんの目を盗んで難しい学術書のようなものを読み解くかの三択でした。

 

 

「私は、おうちのヨーテリーを連れてくるから。せつ菜ちゃんはイワンコさんを連れてきて。一緒にかけっこしたり、お話ししたりしたいな~」

 

 

純粋な、一点の曇りもないお誘いの言葉。

 

私は戸惑いました。中身が高校生である私が4歳の子供と公園で遊ぶ…。

 

また変な対応をして、彼女を困らせてしまうのではないか。可愛げのない振る舞いをしてしまわないか。

 

けれど、しずくさんの期待に満ちた瞳を見ていたら、NOという選択肢はどこかへ消え去ってしまいました。

 

この子を悲しませることだけは、どうしても避けたかったのです。

 

ここはひとつ、素直な気持ちで答えてみることにしましょう。

 

 

「わ、わかりました。よろしくお願いします」

 

 

思わずまた、堅苦しい返答をしてしまいました。

遊ぶのに「よろしくお願いします」とは、我ながら呆れてしまいます。

 

けれど、しずくさんはそんな私のぎこちなさなど気にせず、向日葵が咲いたような笑顔になりました。

 

「うん! じゃ明日のお昼すぎ、ニジガサキ公園で会おうね!」

 

「はい! 楽しみにしています」

 

ヨーテリー。図鑑によれば、非常に忠実で愛らしい、犬にそっくりのポケモン。

イワンコ以外の犬に近い存在に会えるのは、私の密かな楽しみでもありました。

 

約束を交わしたあと、私の心はざわついていました。

 

明日、この人生で初めて、友人との休日が始まろうとしています。

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