ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~   作:〇彪

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第1話 帰国

 プロローグ

 

 俺は、愛が欲しかった。

 

 そう言えば、多くの人間は笑うだろう。

 

 金もある。

 知識もある。

 身体能力もある。

 将来の選択肢もある。

 望めば、大抵のものは手に入る。

 

 だが、それでも手に入らないものがあった。

 

 感情だ。

 

 人が誰かを好きになる理由。

 誰かのために泣く理由。

 報われないと分かっていて、それでも手を伸ばす理由。

 選ばれないかもしれない相手を、諦めきれない理由。

 

 俺には、それが分からなかった。

 

 ある本には、愛とは技術であると書かれていた。

 

 技術なら習得できる。

 習得できるなら鍛えられる。

 鍛えられるなら、いつか自分のものに出来る。

 

 そう思った。

 

 そのためなら、何でも使う。

 

 金を。

 権力を。

 知識を。

 人脈を。

 この社会そのものを。

 

 俺は必ず探し出す。

 

 俺に欠けているもの。

 俺の中に存在しないもの。

 ゼロだった感情を、一に変えるための何か。

 

 それが何なのか、今の俺にはまだ分からない。

 

 愛が与えることなら、俺は何を与えるべきなのかを知りたい。

 愛が信じることなら、俺は何を信じればいいのかを知りたい。

 愛が人間存在への答えなのだとすれば、俺はその答えを解いてみたい。

 

 たとえ、その過程で誰かを傷つけるとしても。

 

 たとえ、誰かを選べず、誰かを泣かせるとしても。

 

 そこで終わらせるつもりはない。

 

 犠牲はつきものだ。

 だが、犠牲を犠牲のまま終わらせるつもりはない。

 

 俺を選んだ者も。

 俺が選べなかった者も。

 俺の手から零れ落ちた者も。

 

 全部、守る。

 

 絶対に守ってみせる。

 

 そのために俺は、社会へ出た。

 

 ようこそ、実力至上主義の社会へ。

 

 これは、俺が最後に残された実力を手に入れるまでの物語だ。

 

 

 〇第1章 見えざる手

 

 ──人は、卒業したら終わりだと思っていた。

 

 高度育成高等学校を卒業して一年。

 綾小路清隆は、誰にも連絡を取らないまま日本から姿を消していた。

 

 そして四月。

 医師免許、投資会社、莫大な資産を手にした彼は、日本へ帰国する。

 

 再会する元同級生たち。

 動き出す会社。

 社会の裏側。

 そして、もう終わったはずの感情。

 

 学校では点数があった。

 だが社会では、点数表は配られない。

 

 かつて教室で人を動かしていた男は、今度は社会という盤面に手を伸ばす。

 

 これは、綾小路清隆が世界を支配していく物語。

 そして、感情を知らなかった男が、誰かを愛そうとする物語。

 

第1話 帰国

 

 高度育成高等学校。

 

 あの三年間は、人生の一部でしかない。

 

 卒業すれば、皆それぞれ別の道を歩く。

 もう二度と交わらない。

 

 俺は、本気でそう思っていた。

 

 だから卒業式の日、誰とも連絡先を交換しなかった。

 必要ないと思っていたからだ。

 

 だが。

 

 それは少し違ったらしい。

 

 ◇

 

 20XX年、4月1日。

 

 成田空港。

 

 アメリカから帰国した俺は、一人で東京行きの電車に乗っていた。

 

 一年間。

 

 アメリカで大学に通い、単位を取り、医師資格を取得し、会社を作った。

 ホワイトルームと高度育成高等学校で培ったものを使えば、そこまで難しいことではなかった。

 

 金。

 学歴。

 資格。

 人脈。

 会社。

 

 形あるものは、それなりに手に入った。

 

 ホワイトルームが求めていた成果としては、十分すぎるのかもしれない。

 

 だが、東京へ戻ってきた瞬間、妙な感覚を覚えた。

 

 ──皆は、元気だろうか。

 

 そんなことを考えている自分に、少し驚く。

 

 昔の俺なら、絶対に思わなかった。

 

 ◇

 

「どこに住んでも、結局変わらないな」

 

 東京を歩きながら、俺は小さく呟いた。

 

 新宿は騒がしい。

 青山は落ち着かない。

 六本木は綺麗すぎる。

 

 結局どこにいても、自分は部外者のようだった。

 

 ならば、知っている人間に聞くのが一番早い。

 

 卒業後、連絡先を交換していなかった俺が、唯一持っていた連絡先。

 いや、正確には、俺のために作らされた連絡手段。

 

 櫛田桔梗。

 

 俺は彼女に短く送った。

 

[綾小路だ。今から会えるか?]

 

 数秒後。

 

[え?]

[は??]

[え、待って無理]

[どこ???]

 

 俺は少しだけ笑った。

 

 櫛田らしい反応だった。

 

 ◇

 

「綾小路くん!!」

 

 三田の大学構内。

 

 勢いよく駆け寄ってきた櫛田桔梗は、俺の顔を見るなり固まった。

 

「……うわ」

 

「なんだ」

 

「いや……ほんとに綾小路くんだ」

 

 高校時代より、少し大人びていた。

 だが距離感は変わらない。

 

「急に連絡してくるとか反則でしょ……」

 

「そうなのか」

 

「そうなの」

 

 櫛田は深いため息を吐いた。

 

「卒業してから一回も連絡なかったのに」

 

「必要ないと思っていた」

 

「っ……」

 

 一瞬、櫛田の笑顔が止まる。

 

 だがすぐに、いつもの顔へ戻った。

 

「……綾小路くんらしいね」

 

 その声だけ、少し寂しそうだった。

 

「今日アメリカから帰ってきた」

 

「えっ」

 

「しばらく東京に住む予定だ」

 

「……へぇ」

 

「住む場所を探している」

 

「……ふーん」

 

 櫛田は俺を見る。

 じっと、何かを確かめるように。

 

「つまりさ」

 

「なんだ」

 

「これから日本にいるんだ?」

 

「ああ」

 

 その瞬間。

 

 櫛田の表情が、少しだけ変わった。

 

 本当に少しだけ。

 

 だが、嬉しそうだった。

 

「……そっか」

 

 ◇

 

「大学は卒業した」

 

「えっ?」

 

「医師資格も取得した」

 

「…………は?」

 

 櫛田が完全に固まる。

 

「待って」

 

「なんだ」

 

「今サラッと意味分かんないこと言ったよね?」

 

「そうか?」

 

「そうだよ!?」

 

 俺は少し考える。

 

 アメリカでは、そこまで珍しいことではなかった。

 だが櫛田には違ったらしい。

 

「……ほんと変わんないね」

 

「そうか」

 

「そういうところ」

 

 呆れたように笑う櫛田。

 だが、その視線はどこか熱っぽかった。

 

「それならさ」

 

 櫛田は悪戯っぽく笑った。

 

「不動産屋で働いてる元同級生のところ行かない?」

 

「誰だ?」

 

「行けば分かるって」

 

 その笑顔を見た瞬間、少しだけ嫌な予感を覚えた。

 

 ◇

 

「……え」

 

 不動産屋へ入った瞬間。

 

 カウンターの向こう側にいた女が、完全に固まった。

 

「佐藤」

 

「……綾小路くん?」

 

 右手が小さく震えている。

 

 高校時代より大人っぽくなっていた。

 だが、あの頃と同じように分かりやすかった。

 

「久しぶりだな」

 

「……うそ」

 

 佐藤麻耶は、本当に泣きそうな顔をした。

 

「なんで今さら帰ってくるの……」

 

 責める声。

 

 なのに、嬉しそうだった。

 

 俺は少しだけ黙る。

 

 高校時代の自分なら、理解出来なかった。

 どうして人は、終わった関係へこんな顔をするのか。

 

 だが今は違う。

 

 その感情を、少しだけ理解してしまう。

 

「今日帰国した」

 

「っ……」

 

「東京に住む予定だ」

 

 その瞬間。

 

 佐藤の目が揺れた。

 

 まるで、期待してしまったみたいに。

 

 ◇

 

 物件の購入は、俺が想定したより時間がかかった。

 

 不動産会社の上司は、最初こそ俺を訝しげに見ていたが、信用情報を確認した瞬間、表情を変えた。

 

 分かりやすい人間だ。

 

 嫌いではない。

 

 ただ、露骨すぎる。

 

「──こちらが鍵です。コンシェルジュには綾小路様のことを伝えておりますので」

 

「分かった」

 

 鍵を受け取る。

 

 重みはない。

 

 だが、これが俺の日本での最初の拠点になるらしい。

 

「せ、先輩」

 

 佐藤が慌てて声を上げた。

 

「私も会社の人間として、一緒について行っていいですか?」

 

「ああ、もちろん。佐藤さんも今日はもう上がっていいですよ」

 

 上司は満面の笑みで頷いた。

 

 数時間前とは別人だった。

 

 社会では、信用と金が表情を変える。

 学校とは違う。

 

「次は車を買う」

 

「く、車?」

 

 佐藤が目を丸くする。

 

「日本の電車は混む。移動手段が必要だ」

 

「いや、今日帰国して、家買って、次は車って……」

 

 櫛田が呆れたように笑った。

 

「綾小路くん、相変わらず順番おかしいよ」

 

「そうか?」

 

「そうだよ」

 

 その言い方が、妙に懐かしかった。

 

 佐藤が少し考えてから言う。

 

「車なら、松下さんがディーラーでアルバイトしてるよ」

 

「松下が?」

 

「うん。会う?」

 

 会う。

 

 その言葉を聞いた瞬間、少しだけ胸の奥が動いた。

 

 櫛田。

 佐藤。

 松下。

 

 帰国して数時間で、止まっていた名前が次々と現実になる。

 

「会えるなら助かる」

 

 すると櫛田が、満足そうに笑った。

 

「綾小路くん」

 

「なんだ」

 

「結局、何がしたいの?」

 

 俺は答えられなかった。

 

 金を使うこと。

 会社を買うこと。

 同級生を集めること。

 

 それぞれに理由はある。

 

 だが、それらを束ねる言葉を、俺はまだ持っていなかった。

 

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