ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~   作:〇彪

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第2話 K・A

 ディーラーは、ガラス張りの綺麗な店舗だった。

 

 自動ドアが開く。

 

 大理石の床。

 展示車の光沢。

 整った接客用の笑顔。

 

 そして。

 

「……うそ」

 

 松下千秋が、カタログを抱えたまま固まっていた。

 

「久しぶりだな、松下」

 

「……本当に綾小路くん?」

 

「ああ」

 

「やば」

 

「やばい?」

 

「いや……なんか、やばい」

 

 松下は困ったように笑った。

 

「久しぶりに会えて嬉しいんだけど、櫛田さんと佐藤さんのテンションが高すぎて、私ちょっと置いてかれてる」

 

「俺も似たようなものだ」

 

「綾小路くんは原因側でしょ」

 

 すぐに返してくる。

 

 松下らしい。

 冷静で、距離感が上手い。

 

 だがその声には、微かに揺れがあった。

 

「それで、車だよね?」

 

「ああ」

 

「候補は櫛田さんから聞いた。けど……本当に今日乗って帰るつもり?」

 

「そのつもりだ」

 

「……ほんと変わらないね」

 

「そうか?」

 

「うん。でも、変わったところもある」

 

「どこがだ」

 

「顔」

 

「顔?」

 

「前より、人間っぽい」

 

 その言葉に、俺は少しだけ返答に迷った。

 

 ◇

 

 結局、スポーツカーとSUVを一台ずつ買うことにした。

 

「「「えっ!?」」」

 

 三人の声が揃う。

 

「何か問題があるのか?」

 

「問題しかないよ!」

 

 櫛田が叫ぶ。

 

「普通、車ってそんなノリで二台買わないから!」

 

「必要だと判断した」

 

「判断が早すぎるの!」

 

 佐藤は口元を押さえながら、呆然としている。

 

「綾小路くん、ほんとにすごくなっちゃったんだね……」

 

「すごいかどうかは分からない」

 

「すごいよ」

 

 佐藤は小さく笑う。

 

「でも、ちょっと遠くなったみたい」

 

 その声は、思ったより寂しそうだった。

 

 ◇

 

 新居に着いたのは夕方だった。

 

 ホテルのクラブラウンジをそのまま住居にしたような空間。

 広いリビング。

 複数の個室。

 書斎。

 プール。

 車で直接上がれる最上階。

 

 櫛田は早々に一つの部屋を選び、当然のようにくつろぎ始めた。

 

「私、ここ使っていい?」

 

「好きにしろ」

 

「やった」

 

 ガッツポーズを見るのは初めてだった。

 

 夕方。

 

 諸々の手続きを終え、リビングへ戻ると、佐藤がソファで眠っていた。

 

 長い髪が頬にかかっている。

 

 少し無防備だった。

 

「ん……」

 

「起こしたか」

 

「綾小路くん……」

 

 佐藤は目を開ける。

 

 寝ぼけた表情。

 それから、少し赤くなる。

 

「ごめん。勝手に寝ちゃって」

 

「疲れただろう。構わない」

 

「うん……」

 

 佐藤は身体を起こす。

 

「すごい家だね」

 

「そうか」

 

「うん。夢みたい」

 

「夢ではない」

 

「……そういうところ」

 

 佐藤は小さく笑った。

 

「ねぇ、綾小路くん」

 

「なんだ」

 

「高校の時のこと、覚えてる?」

 

「ある程度は」

 

「恵ちゃんと、平田くんと、四人で遊んだ時のこと」

 

「ああ。覚えている」

 

「本当に?」

 

「忘れる理由がない」

 

 佐藤の目が揺れた。

 

「……そっか」

 

 その声だけ、ひどく柔らかかった。

 

「じゃあ、私が最後に何言ったかも覚えてる?」

 

「それは忘れた」

 

「もう!」

 

 佐藤は怒った。

 

 だが、泣きそうにも見えた。

 

 その時、部屋に備え付けられた端末が鳴る。

 

 コンシェルジュからだった。

 

 松下が到着したらしい。

 

「……タイミング悪」

 

 佐藤が小さく呟いた。

 

 その声は、俺に聞こえないようでいて、聞こえる大きさだった。

 

 ◇

 

 一週間後。

 

 仕事は動き始めていた。

 

 M&A。

 投資。

 法人設立。

 日本での基盤作り。

 

 その資料の中に、懐かしい名前を見つける。

 

 ──堀北鈴音。

 

 弁護士法人の事務員。

 

 俺はすぐにアポイントを取った。

 

 ◇

 

「失礼いたします。お客さ……ま……」

 

 個室の扉が開く。

 

 お茶を持って入ってきた堀北鈴音は、俺を見るなり動きを止めた。

 

「久しぶりだな、堀北」

 

「……あやの、こうじくん」

 

 声が震えていた。

 

 次の瞬間。

 

 堀北の足から力が抜ける。

 

 俺は立ち上がり、肩を抱きとめた。

 

 顔が近い。

 

 堀北は目を見開いたまま、俺を見ていた。

 

「……本物?」

 

「偽物に見えるか」

 

「……見えないわ」

 

 堀北は小さく息を吐く。

 

「でも、夢みたい」

 

 その言葉が、妙に耳に残った。

 

 ◇

 

 喫茶店。

 

 堀北は向かいに座るなり、真っ直ぐこちらを見た。

 

「どこにいたの?」

 

「アメリカだ」

 

「連絡もせずに?」

 

「ああ」

 

「最低ね」

 

「否定はしない」

 

 堀北はため息を吐いた。

 

「グループチャットにも入らないし、誰とも連絡を取らないし」

 

「気まずかった」

 

「貴方が?」

 

「そうだ」

 

「……意外ね」

 

 堀北は少しだけ目を細める。

 

「それで、今は?」

 

「東京に拠点を作った」

 

「一人で?」

 

「いや」

 

「誰と?」

 

「櫛田だ」

 

 堀北の表情が止まる。

 

「……え?」

 

「櫛田に秘書のような仕事を任せている」

 

「泊まっているの?」

 

「部屋はある」

 

「……付き合っているの?」

 

「いや」

 

「じゃあ、どういう関係?」

 

 鋭い声だった。

 

 怒っているだけではない。

 

 焦り。

 戸惑い。

 そして、少しの嫉妬。

 

「説明が難しいな」

 

「難しくしないで」

 

「ただ、今は一緒にいる」

 

 堀北は黙った。

 

 その沈黙が、ひどく重い。

 

「……連れて行きなさい」

 

「どこへだ」

 

「あなたの家」

 

「今からか?」

 

「今からよ」

 

 堀北は席を立つ。

 

「櫛田さんにも、あなたにも、聞きたいことが出来たわ」

 

 ◇

 

「綾小路くん、おかえり」

 

 リビングでは、櫛田がくつろいでいた。

 

 完全に自宅の顔だった。

 

「あら?」

 

 櫛田は堀北を見る。

 

「堀北、久しぶり」

 

「……あなた、ここで何をしているの?」

 

「見れば分かるでしょ?」

 

「分からないから聞いているのよ」

 

 空気が一瞬で変わる。

 

 櫛田は笑う。

 

 堀北は笑わない。

 

「綾小路くん」

 

「なんだ」

 

 堀北は俺を見る。

 

「説明してもらえるかしら」

 

 櫛田も俺を見る。

 

 その目は楽しそうだった。

 

「私も聞きたいな」

 

 二人の視線が重なる。

 

 高校時代は終わった。

 終わったはずだった。

 

 だが、どうやら俺は、まだあの三年間の続きを歩いているらしい。

 

 その時、俺の携帯が震えた。

 

 石崎からだった。

 

 折り返す。

 

 だが、繋がらない。

 

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