ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~ 作:〇彪
ディーラーは、ガラス張りの綺麗な店舗だった。
自動ドアが開く。
大理石の床。
展示車の光沢。
整った接客用の笑顔。
そして。
「……うそ」
松下千秋が、カタログを抱えたまま固まっていた。
「久しぶりだな、松下」
「……本当に綾小路くん?」
「ああ」
「やば」
「やばい?」
「いや……なんか、やばい」
松下は困ったように笑った。
「久しぶりに会えて嬉しいんだけど、櫛田さんと佐藤さんのテンションが高すぎて、私ちょっと置いてかれてる」
「俺も似たようなものだ」
「綾小路くんは原因側でしょ」
すぐに返してくる。
松下らしい。
冷静で、距離感が上手い。
だがその声には、微かに揺れがあった。
「それで、車だよね?」
「ああ」
「候補は櫛田さんから聞いた。けど……本当に今日乗って帰るつもり?」
「そのつもりだ」
「……ほんと変わらないね」
「そうか?」
「うん。でも、変わったところもある」
「どこがだ」
「顔」
「顔?」
「前より、人間っぽい」
その言葉に、俺は少しだけ返答に迷った。
◇
結局、スポーツカーとSUVを一台ずつ買うことにした。
「「「えっ!?」」」
三人の声が揃う。
「何か問題があるのか?」
「問題しかないよ!」
櫛田が叫ぶ。
「普通、車ってそんなノリで二台買わないから!」
「必要だと判断した」
「判断が早すぎるの!」
佐藤は口元を押さえながら、呆然としている。
「綾小路くん、ほんとにすごくなっちゃったんだね……」
「すごいかどうかは分からない」
「すごいよ」
佐藤は小さく笑う。
「でも、ちょっと遠くなったみたい」
その声は、思ったより寂しそうだった。
◇
新居に着いたのは夕方だった。
ホテルのクラブラウンジをそのまま住居にしたような空間。
広いリビング。
複数の個室。
書斎。
プール。
車で直接上がれる最上階。
櫛田は早々に一つの部屋を選び、当然のようにくつろぎ始めた。
「私、ここ使っていい?」
「好きにしろ」
「やった」
ガッツポーズを見るのは初めてだった。
夕方。
諸々の手続きを終え、リビングへ戻ると、佐藤がソファで眠っていた。
長い髪が頬にかかっている。
少し無防備だった。
「ん……」
「起こしたか」
「綾小路くん……」
佐藤は目を開ける。
寝ぼけた表情。
それから、少し赤くなる。
「ごめん。勝手に寝ちゃって」
「疲れただろう。構わない」
「うん……」
佐藤は身体を起こす。
「すごい家だね」
「そうか」
「うん。夢みたい」
「夢ではない」
「……そういうところ」
佐藤は小さく笑った。
「ねぇ、綾小路くん」
「なんだ」
「高校の時のこと、覚えてる?」
「ある程度は」
「恵ちゃんと、平田くんと、四人で遊んだ時のこと」
「ああ。覚えている」
「本当に?」
「忘れる理由がない」
佐藤の目が揺れた。
「……そっか」
その声だけ、ひどく柔らかかった。
「じゃあ、私が最後に何言ったかも覚えてる?」
「それは忘れた」
「もう!」
佐藤は怒った。
だが、泣きそうにも見えた。
その時、部屋に備え付けられた端末が鳴る。
コンシェルジュからだった。
松下が到着したらしい。
「……タイミング悪」
佐藤が小さく呟いた。
その声は、俺に聞こえないようでいて、聞こえる大きさだった。
◇
一週間後。
仕事は動き始めていた。
M&A。
投資。
法人設立。
日本での基盤作り。
その資料の中に、懐かしい名前を見つける。
──堀北鈴音。
弁護士法人の事務員。
俺はすぐにアポイントを取った。
◇
「失礼いたします。お客さ……ま……」
個室の扉が開く。
お茶を持って入ってきた堀北鈴音は、俺を見るなり動きを止めた。
「久しぶりだな、堀北」
「……あやの、こうじくん」
声が震えていた。
次の瞬間。
堀北の足から力が抜ける。
俺は立ち上がり、肩を抱きとめた。
顔が近い。
堀北は目を見開いたまま、俺を見ていた。
「……本物?」
「偽物に見えるか」
「……見えないわ」
堀北は小さく息を吐く。
「でも、夢みたい」
その言葉が、妙に耳に残った。
◇
喫茶店。
堀北は向かいに座るなり、真っ直ぐこちらを見た。
「どこにいたの?」
「アメリカだ」
「連絡もせずに?」
「ああ」
「最低ね」
「否定はしない」
堀北はため息を吐いた。
「グループチャットにも入らないし、誰とも連絡を取らないし」
「気まずかった」
「貴方が?」
「そうだ」
「……意外ね」
堀北は少しだけ目を細める。
「それで、今は?」
「東京に拠点を作った」
「一人で?」
「いや」
「誰と?」
「櫛田だ」
堀北の表情が止まる。
「……え?」
「櫛田に秘書のような仕事を任せている」
「泊まっているの?」
「部屋はある」
「……付き合っているの?」
「いや」
「じゃあ、どういう関係?」
鋭い声だった。
怒っているだけではない。
焦り。
戸惑い。
そして、少しの嫉妬。
「説明が難しいな」
「難しくしないで」
「ただ、今は一緒にいる」
堀北は黙った。
その沈黙が、ひどく重い。
「……連れて行きなさい」
「どこへだ」
「あなたの家」
「今からか?」
「今からよ」
堀北は席を立つ。
「櫛田さんにも、あなたにも、聞きたいことが出来たわ」
◇
「綾小路くん、おかえり」
リビングでは、櫛田がくつろいでいた。
完全に自宅の顔だった。
「あら?」
櫛田は堀北を見る。
「堀北、久しぶり」
「……あなた、ここで何をしているの?」
「見れば分かるでしょ?」
「分からないから聞いているのよ」
空気が一瞬で変わる。
櫛田は笑う。
堀北は笑わない。
「綾小路くん」
「なんだ」
堀北は俺を見る。
「説明してもらえるかしら」
櫛田も俺を見る。
その目は楽しそうだった。
「私も聞きたいな」
二人の視線が重なる。
高校時代は終わった。
終わったはずだった。
だが、どうやら俺は、まだあの三年間の続きを歩いているらしい。
その時、俺の携帯が震えた。
石崎からだった。
折り返す。
だが、繋がらない。