ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~   作:〇彪

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第5話 見えざる手

 堀北とのキスを終えた後、なんだか悶々としたまま、俺は自室に戻り仕事を再開した。

 

 書斎ではなく、ベッドルームのデスクでノートパソコンを広げる。

 

 調査中の会社の動向を見る。

 

 大きい会社だ。

 

 その分、決定が遅い。

 コスト削減も進まない。

 一、二か月の遅れが致命傷になる。

 

 そんなことを考えていると、アメリカ用の携帯が鳴った。

 

 短く会話を終え、証券会社のアプリを立ち上げる。

 

 とあるIT企業の株を売却した。

 

 所有株式の一部。

 利益は二十七億円ほど。

 

 数字としては悪くない。

 

 だが、重要なのは利益ではない。

 

 その企業は、もう潮時だった。

 

 五百名以上の従業員を抱える会社。

 経営陣は後に引けなくなり、粉飾決算に手を出した。

 税も払えないだろう。

 

 ──俺は指先一つで、五百名の人間を路頭に迷わせる。

 

 そして何事もなかったかのように、安くなった会社を購入する。

 

 これは悪か。

 それとも救済か。

 

 昔の俺なら考えなかった。

 

 だが今は、少しだけ考える。

 

 それでも手は止めなかった。

 

 ◇

 

 朝食の席。

 

 リビングには、一之瀬、網倉、堀北、櫛田、佐藤、恵が揃っていた。

 

 皆、和気あいあいと朝食の準備を進めている。

 

 俺も何か手伝おうかと聞いたが、いらないと言われた。

 

 少しだけ傷ついた。

 

 シャワーから戻ると、俺の分の朝食がトレーに置かれていた。

 

 堀北が作ったらしい。

 

 目は合わなかった。

 

 俺は櫛田と軽井沢の間に座る。

 

「櫛田、Sテクノロジーの株はすべて売却した」

 

「……ええええええ!?」

 

「そう驚くことでもない。まもなくあの会社は倒産する。従業員五百名を路頭に迷わせることなど出来ないからな。会社は俺が購入する」

 

「お、お、お、おっけぃ」

 

「あとは軽井沢に仕事を手伝ってもらう。お前の抱えている仕事を教えてくれ」

 

「私、出来るかな……」

 

 恵が不安そうに呟く。

 

「出来る」

 

「なんで分かるの?」

 

「お前は人の弱さを見るのが上手い」

 

「それ、褒めてる?」

 

「褒めている」

 

 恵は少し照れたように視線を逸らした。

 

「仕事の話なのに、無駄話に聞こえるわね」

 

 堀北が呟く。

 

「前途多難だわ……」

 

 網倉だけが、どこか別の場所を見ながら言った。

 

 ◇

 

 朝食後。

 

 一之瀬と網倉が声をかけてきた。

 

「綾小路くん、昨日は泊めてくれてありがとう」

 

「気にしなくていい」

 

 網倉は笑う。

 

「ここ、居心地いいね。また帆波ちゃん通して遊びに来るかも」

 

「いつでも来てくれていい」

 

 隣に座っている一之瀬は、少しもじもじしていた。

 

 網倉と会話を続ける俺を、どこか恨めしそうに見ている。

 

「一之瀬」

 

「えっ?」

 

「カラオケのアルバイトは網倉と一緒なのか?」

 

「う、うん。高校の時はクラスを引っ張らないとって思ってたけど、社会に出てから少し不安でね。麻子ちゃんが一緒だったから助かったの」

 

「そうか」

 

 一之瀬は少しだけ笑う。

 

「それにしても、綾小路くんがキャンパスに来るとは思わなかったな」

 

「軽井沢に会うためだったからな」

 

「……うん」

 

 一瞬だけ、一之瀬の笑顔が揺れた。

 

「話は変わるが、近いうちにパプアニューギニアへ行こうと思っている。英語の出来る一之瀬がいてくれるとありがたい」

 

「パプアニューギニア?」

 

「そうだ」

 

「うん。いいよ」

 

 即答だった。

 

 網倉が目を見開く。

 

「帆波ちゃん、軽すぎない?」

 

「え?」

 

「海外だよ? パプアニューギニアだよ?」

 

「でも、綾小路くんが誘ってくれたから」

 

 その言葉は、あまりにも自然だった。

 

 ◇

 

 二日後。

 

 羽田へ向かう車の中。

 

 運転しているのは櫛田だった。

 

「なんで私が……っていうか朝早すぎ……」

 

「そんなに早くない。いつも俺はこの時間には起きている」

 

「基準がおかしいんだって」

 

「櫛田さん、ありがとね!」

 

 一之瀬が後部座席から笑う。

 

「いや、一之瀬さんはいいんだけどさ……綾小路くん、そもそもなんでパプアニューギニアなの?」

 

「治安の悪い国を見ておきたい。それと、先日買収した電力会社の視察だ」

 

「さらっとインフラ会社買収したって言うな」

 

「あと、一之瀬が行くのは渡辺が交換留学生としてあっちにいるからだ」

 

「そうか、そういえばそうだったかも……」

 

 後部座席で一之瀬が呟く。

 

「一之瀬さん、本当に気を付けてね」

 

「えっと……何にかな?」

 

「コイツ。入社して一週間でいろんな会社に連れていって、丸ごとぶん投げてくるから」

 

「人聞きの悪いことを言うな」

 

「事実でしょ!」

 

「イライラするな、飴でも食べるか?」

 

「食べる!」

 

 櫛田は半ギレになりながら飴を受け取った。

 

 運転中にも関わらず、俺が差し出した手をギュっと握ってくる櫛田。

 

 疑問に思っていると、質問をされる。

 

「ねぇ綾小路くん、誰かにプレゼントってしたことある?」

 

「必要な物を渡したことはある」

 

「それ、プレゼントじゃないからね」

 

 綾小路は理解できない。

 

「必要だから渡す。それ以外に意味があるのか?」

 

 櫛田が呆れる。

 

「あるよ。むしろ、そっちが本体」

 

 プレゼント…?

 

 その本当の意味を、俺はまだ知らなかった。

 

 ◇

 

 羽田空港。

 

「一之瀬の荷物はそれだけか?」

 

「うん。三泊四日だから」

 

 一之瀬は小さなキャリーケースとハンドバッグだけだった。

 

 派手な服装ではない。

 Tシャツにジップパーカー。

 スニーカー。

 

 治安を考慮してくれたのだろう。

 

「これを渡しておく」

 

 俺は会社用の携帯を渡した。

 

「会社端末だ。設定は済んでいる」

 

「うん、ありがとう」

 

「極秘事項が含まれているから顔認証にしてある。スケジュールも送っておいた。俺とはほとんど一緒に行動するが、三日目の午後だけは別行動だ」

 

「こ、これが無茶ぶりの始まり?」

 

「基本的には車移動だ。国際免許はビザと同時に発行しているから到着したら渡す。ビジネスマナーは動画で学んだだろうから問題ない。基本的に先行してアテンドしてくれ」

 

「無茶ぶりが……まだ?」

 

「今から行く国は治安の悪い国家ランキングでも上位だ。一之瀬ほどの女子が夜歩いていたら危険だと俺は確信している。だから離れるな」

 

「無茶ぶりからの……デレ?」

 

「あとは現地の電力会社の経営についてはお前に任せる」

 

「無茶ぶりからのデレからの、やっぱり無茶ぶりだね!」

 

 一之瀬の激しい突っ込みを聞きながら、俺たちはラウンジへ向かった。

 

 一之瀬の新たな一面に、少しだけ、森下藍という女子生徒の事を思い浮かべた。

 

 ◇

 

 飛行機が日本を離れた頃。

 

 一人の少女が、俺からのメッセージを受け取った。

 

 本文は短い。

 

 たった一行。

 

 だが彼女はそれを見て、小さく笑った。

 

「……相変わらずですね」

 

 机の上には、登記簿謄本。

 

 会社印。

 

 清算人としての書類。

 

 そして、一つの社名変更届。

 

 彼女が行うことは、ただ会社名を変えるだけ。

 

 それだけだった。

 

 だが。

 

 その一手で、東京の景色が変わる。

 

 ◇

 

 四月二週目、金曜日。

 

 午前九時。

 

 千葉港では国際サミットが開催されていた。

 

 日本の総理大臣。

 アメリカ大統領。

 各国首脳。

 マスメディア。

 警備。

 官僚。

 

 港は、国家というものを象徴するように厳重だった。

 

 その一時間後。

 

 十隻の巨大な自動車運搬船が、千葉港へ入港した。

 

 積まれていたのは、五万台の自動運転車両。

 

 輸入元はアメリカ。

 輸入先は日本。

 

 書類上の名目は、農業用中型トラクター。

 

 誰も笑わなかった。

 

 誰も止められなかった。

 

 各国首脳の目の前で、五万台の車両が日本に納車された。

 

 ◇

 

 正午。

 

 総務省の一室。

 

 山内春樹は、スマホゲームの画面を見ながら欠伸をしていた。

 

 高度育成高等学校を退学した後、別の高校を卒業し、今はシステム関係の仕事に就いている。

 

 創造性がない。

 応用が利かない。

 ミスが多い。

 

 そう言われながらも、法人名変更システムの簡単な管理を任されていた。

 

 普段なら上長がチェックする。

 

 だがその日は、たまたま上長が有休だった。

 

 たまたま。

 

 仲の良い行政書士から電話が来た。

 

『山内くん、さっき送った社名変更、急ぎで通せる?』

 

「任せといてくださいよ」

 

 たまたま。

 

 彼は上長のパスワードを知っていた。

 

 たまたま。

 

 ソーシャルゲームのイベント開始時間が迫っていた。

 

 たまたま。

 

 彼はダブルチェックを飛ばした。

 

 そして。

 

 一つの会社名が変わった。

 

 Sテクノロジー。

 

 その名は消え、新しい名前が登録される。

 

 ニコラ・ジャパン。

 

 山内は気づかない。

 

 自分の軽いクリックが、国家の物流と予算と産業構造を動かしたことに。

 

 ◇

 

 午後五時三十分。

 

 五万台の車両が一斉に動き始めた。

 

 運転手はいない。

 

 ハンドルを握る人間もいない。

 

 それらは静かに、千葉港から東京都内へ散っていく。

 

 そのうち十台は、各国首脳の移動車として使われた。

 

 マスメディアは沸いた。

 SNSは爆発した。

 

 次世代都市交通。

 日米共同プロジェクト。

 日本復活の象徴。

 

 そんな言葉が、勝手に独り歩きしていく。

 

 誰も知らない。

 

 その中心にいる男が、今まさに日本を離れていることを。

 

 ◇

 

 午後八時。

 

 俺たちはパプアニューギニアへ到着した。

 

 十二時間のフライト。

 

 ビジネスクラスとはいえ、腰は少し痛い。

 

「長かったね……」

 

 一之瀬帆波が隣で小さく息を吐く。

 

「全然眠れなかった」

 

「俺もだ」

 

「ねぇ、知ってる?」

 

「何をだ」

 

「日本、今すごいことになってるよ」

 

「すごいこと?」

 

「ニュースサイト、数分ごとに更新されてた」

 

「そうか」

 

 俺は淡々と答える。

 

 一之瀬はその横顔を見る。

 

 まるで、最初から全部知っていたみたいな顔だったからだろう。

 

 空港の外は、日本とは違う空気だった。

 

 湿った熱。

 赤い口元の男たち。

 薄暗い駐車場。

 遠くで鳴るクラクション。

 

 一之瀬は少し身を固くしたが、すぐにJICA職員へ笑顔で挨拶をしていた。

 

 その時、俺の携帯が震えた。

 

 表示された名前を見て、少しだけ間を置く。

 

「一之瀬、少し外す」

 

「うん」

 

 電話に出る。

 

『綾小路くん、お久しぶりです』

 

「よく分かったな、坂柳」

 

『社名変更の直前に、あんな名前を送ってくる人なんて一人しかいません』

 

「仕事は早かったな」

 

『誰でも出来る簡単なお仕事でしたよ』

 

「五万台の車両が手に入ったと聞いた」

 

『ええ。Sテクノロジーではなく、ニコラ・ジャパンですけれど』

 

 坂柳は楽しそうに笑う。

 

『それにしても、国を動かすなんて。相変わらずですね』

 

「俺は何もしていない」

 

『ふふ。そういうことにしておきましょう』

 

 電話を切る。

 

 一之瀬が車の前で待っていた。

 

「大丈夫?」

 

「ああ」

 

「坂柳さん?」

 

「なぜ分かった」

 

「なんとなく」

 

 一之瀬は笑った。

 

 だが目だけは、少しだけ揺れていた。

 

「行こう」

 

「うん」

 

 二人は車に乗り込む。

 

 外では、見知らぬ国の夜が広がっている。

 

 東京では五万台の車両が動き始めていた。

 

 政府は理由を探していた。

 企業は恐れ始めていた。

 交通業界は、まだ自分たちの終わりに気づいていない。

 

 かつて俺は、人を動かしていた。

 

 教室の中で。

 試験の中で。

 誰にも見えない場所で。

 

 だが今、動かしているのは人だけではない。

 

 会社。

 市場。

 行政。

 国家。

 

 そして、やがて世界そのもの。

 

 学校では点数があった。

 

 だが社会では、点数表は配られない。

 

 誰が勝っているのか。

 誰が負けているのか。

 何を失えば退学なのか。

 

 誰も教えてはくれない。

 

 だから俺は、自分で盤面を作る。

 

 一之瀬帆波が、静かに呟いた。

 

「綾小路くんって、本当にどこまで行くの?」

 

 俺は答えなかった。

 

 答えを持っていなかったからだ。

 

 ただ一つだけ、分かっていることがある。

 

 これはまだ、最初の一手にすぎない。

 

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