ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~ 作:〇彪
最初に言い出したのは、櫛田桔梗だった。
「女子会をしまーす」
その一言で、リビングの空気が少しだけ止まった。
場所は綾小路くんの家。
正確には、彼の家というより、もはや誰かの職場であり、誰かの避難所であり、誰かの休憩室であり、誰かの戦場になりつつある場所だった。
テーブルにはノートPCが数台。
コーヒーカップ。
コンビニの袋。
堀北さんが持ち込んだ法律関係の本。
軽井沢さんが置いていったファッション雑誌。
一之瀬さんの海外資料。
私の仕事用メモ。
もう誰のものか分からないペン。
そういうものが、妙に自然に混ざっていた。
「女子会って……何すんの?」
軽井沢さんが、露骨に警戒した顔をする。
「普通にお喋りだよ。恋バナとか」
「恋バナって言い方がもう怪しい」
「そんなことないよ?」
「ある」
軽井沢さんは即答した。
その隣で、堀北さんがコーヒーを飲みながら資料を読んでいる。
「私は仕事があるのだけれど」
「はいはい、そう言うと思った。堀北さんも参加ね」
「なぜ私が?」
「だって、綾小路くんの話をするから」
その瞬間、堀北さんのページをめくる手が止まった。
ほんの一瞬。
でも、止まった。
「……仕事の話なら参加するわ」
「恋バナだよ?」
「なら参加しないわ」
「でも綾小路くんの話だよ?」
「……」
堀北さんは、少しだけ眉間に皺を寄せた。
そして、資料を閉じた。
「誤解があると困るから、聞くだけ聞くわ」
「はい、参加決定」
「その言い方は不本意ね」
私は笑顔で受け流した。
それから、リビングにいる他の女子へ視線を向ける。
一之瀬帆波。
佐藤麻耶。
松下千秋。
そして、軽井沢恵と堀北鈴音。
初回としては、かなり良いメンバーだと思う。
坂柳さんはまだいない。
天沢さんもいない。
椎名さんもいない。
つまり、まだこの場はそこまで危険ではない。
……たぶん。
◇
「まず確認するけど」
私はホワイトボード代わりに、テーブルの端に置いてあったコピー用紙を一枚引き寄せた。
「綾小路くんに一番近い女子って、誰だと思う?」
「は?」
軽井沢さんが真っ先に反応した。
「何その質問」
「大事でしょ?」
「大事じゃない」
「じゃあ、軽井沢さんは興味ないんだ?」
「……ないとは言ってない」
やっぱりあるらしい。
佐藤さんは、すでに顔を赤くしている。
「あの、こういう話って、本人いないところでしていいのかな……?」
「本人がいたら話せないでしょ」
「それはそうだけど」
松下さんは、椅子に背を預けて笑っていた。
「面白いね。距離の定義によるんじゃない?」
「距離の定義?」
「物理的距離なのか、心理的距離なのか、過去の関係なのか、現在の役割なのか」
「松下さん、いきなりガチだね」
「だって、綾小路くんって普通の恋愛偏差値で測れないじゃん」
それはそう。
全員が、少しだけ納得した顔をした。
一之瀬さんが柔らかく笑う。
「私は、今だと櫛田さんが近いんじゃないかなって思うよ」
「私?」
「うん。仕事も一緒にしてるし、家の中のことも見てるし」
「まあ、そうかもね」
私はわざと軽く笑った。
内心では、少しだけ嬉しい。
綾小路くんの家に出入りしている。
仕事を任されている。
生活の近くにいる。
それは、たしかに強い。
けれど、軽井沢さんがすぐに口を挟んだ。
「でも、それって近いっていうか、便利に使われてるだけじゃない?」
「恵、言うねぇ」
「事実でしょ」
「じゃあ軽井沢さんは?」
私が聞くと、軽井沢さんは少しだけ目を逸らした。
「私は……別に」
「元カノだもんね」
「それ言うなって」
佐藤さんが、小さく息を呑んだ。
元カノ。
その言葉は、やっぱり強い。
どれだけ今がどうであれ、一度は綾小路くんに選ばれた女。
その事実は消えない。
「付き合ってたのは事実だし」
軽井沢さんは、少しだけ強がるように言った。
「だからって、今も一番近いとか、そういう話じゃないけど」
「でも、過去を持ってるのは強いよね」
松下さんが言う。
「一度恋人だった人って、別れても特別枠に残るじゃん」
「残ってないかもしれないし」
「残ってると思うよ。少なくとも、女側には」
軽井沢さんは黙った。
その沈黙が、答えのようだった。
◇
「堀北さんは?」
私が振ると、堀北さんは本気で迷惑そうな顔をした。
「私は関係ないでしょう」
「あるでしょ。高校一年の時から一番長く隣にいたんだし」
「隣にいたというより、隣の席だっただけよ」
「それが強いんじゃない?」
松下さんが言う。
「最初に隣にいた人って、意外と最後まで残るよ」
「恋愛小説の読みすぎではないかしら」
「堀北さん、恋愛小説読むの?」
「読まないわ」
「じゃあ分からないじゃん」
「……」
堀北さんが言葉に詰まった。
珍しい。
一之瀬さんが、楽しそうに笑っている。
「でも、堀北さんは特別だと思うな」
「一之瀬さんまで何を言っているの」
「だって、綾小路くんが自然に話してる感じがするから」
「彼は誰とでも自然に話すでしょう」
「そうかな?」
一之瀬さんの笑顔は柔らかい。
でも、たまにすごく鋭い。
「綾小路くんって、相手に合わせるのは上手いけど、自然体かどうかは別だと思うよ」
「……そうかしら」
「堀北さんと話している時は、少しだけ雑になるよね」
「それは失礼ということでは?」
「ううん。安心してるんじゃないかな」
堀北さんは、コーヒーカップを持ち上げた。
口を付けるまでが、少し遅い。
あれは照れているのかもしれない。
「勝手な解釈ね」
「そうかも」
一之瀬さんは、そう言って笑った。
◇
「佐藤さんは?」
私が聞くと、佐藤さんはびくっとした。
「わ、私?」
「うん」
「私は……全然近くないよ」
「そうかな」
「そうだよ。高校の時に告白して、振られて、それで……」
佐藤さんは言葉を止める。
それ以上言うのは、少し勇気がいるのだろう。
「でも、好きなんだ?」
私が聞くと、彼女は顔を真っ赤にした。
「す、好きっていうか……いや、好きだけど……」
「素直」
軽井沢さんがぼそっと言う。
その声には、少しだけ羨ましさが混じっていた。
佐藤さんは、両手で顔を覆う。
「だって、忘れられないんだもん」
小さな声。
でも、ちゃんと聞こえた。
「一回ちゃんと振られたのに?」
松下さんが聞く。
「うん。振られたから、終わったと思ったんだけど……日本に戻ってきて会ったら、やっぱり格好良くて」
「分かりやすいね」
「うぅ……」
でも、その分かりやすさは強い。
綾小路くんの周りにいる女子たちは、みんな少し面倒だ。
私も含めて。
そんな中で、佐藤さんの真っ直ぐさは目立つ。
一之瀬さんが、優しく言う。
「麻耶ちゃんは、ちゃんと好きって言えるのが強いと思う」
「そ、そうかな」
「うん。私はそう思う」
その言葉に、佐藤さんは少しだけ嬉しそうにした。
◇
「じゃあ、一之瀬さんは?」
私が振ると、一之瀬さんは首を傾げた。
「私?」
「うん。一之瀬さんも相当近いでしょ」
「そうかな」
「そうだよ。海外の仕事とか任されてるし、部屋もあるし」
「仕事だからね」
「本当にそれだけ?」
軽井沢さんが刺す。
一之瀬さんは、少しだけ笑った。
「それだけじゃないかも」
空気が少し変わった。
一之瀬帆波。
優しい。
明るい。
誰からも好かれる。
でも、最近の彼女はそれだけではない。
綾小路くんの事業の先を見ている。
彼が何をしようとしているのか、誰よりも近くで見ている。
「私は、清隆くんが何をしようとしているのか、知りたいと思ってる」
「それは恋愛?」
堀北さんが聞いた。
珍しく、かなり直球だった。
一之瀬さんは、少しだけ考える。
「恋愛でもあるし、そうじゃないものでもあるのかも」
「難しいね」
佐藤さんが呟く。
「うん。難しい」
一之瀬さんは笑った。
「でも、清隆くんが遠くへ行こうとするなら、私はついていきたいな」
「重い」
軽井沢さんが言う。
「えへへ。そうかも」
否定しないところが、一之瀬さんの怖さだった。
◇
「松下さんは?」
「私は観察枠かな」
即答だった。
「観察枠?」
「うん。みんなみたいに強い因縁があるわけじゃないし、過去があるわけでもないし。でも、面白いじゃん、綾小路くん」
「面白いで済む男かな」
「済まないから面白いんでしょ」
松下さんは余裕のある顔で笑った。
「私、結構前から気になってたよ。あの人、絶対ただの普通くんじゃないなって」
「隠れファン?」
私が聞くと、松下さんは肩をすくめる。
「そういうことにしとく」
「本当は?」
「本当は、隙間狙い」
「隙間?」
「みんなが大きな物語で取り合ってるなら、私は日常の隙間を狙おうかなって」
さらっと言う。
けれど、それは意外と危険な考えだ。
日常の隙間。
そこに入り込まれると、気付いた時にはかなり近くにいる。
「松下さん、怖いね」
「櫛田さんに言われたくないな」
「それもそう」
お互いに笑った。
◇
しばらく話して、私は紙にそれぞれの名前を書いた。
軽井沢恵:元カノ。
堀北鈴音:隣人。
一之瀬帆波:理解者候補。
佐藤麻耶:初期好意。
松下千秋:観察者。
櫛田桔梗:生活圏。
「なんか、私のだけ変じゃない?」
軽井沢さんが言う。
「元カノって強いじゃん」
「でも過去形だし」
「じゃあ元恋人」
「もっと嫌」
佐藤さんが紙を覗き込む。
「初期好意って何?」
「一番最初に好きって言った女子枠」
「それはそれで恥ずかしい……」
一之瀬さんは自分の欄を見て笑っていた。
「理解者候補かぁ」
「嫌?」
「ううん。まだ候補なんだなって思って」
堀北さんは自分の欄を見る。
「隣人、ね」
「実際そうじゃん」
「まあ、否定はしないわ」
否定しない。
それだけで十分だ。
◇
女子会①は、結論のないまま終わった。
誰が一番近いのか。
それは、決まらなかった。
元カノの軽井沢さん。
長く隣にいた堀北さん。
仕事の先を見ている一之瀬さん。
真っ直ぐ好きな佐藤さん。
隙間を狙う松下さん。
生活圏に入り込んでいる私。
誰もが近い。
でも、誰も決定的ではない。
綾小路くんという男は、近づいたと思った瞬間に遠くなる。
手が届いたと思った瞬間に、別の場所へいる。
「ねぇ」
最後に、軽井沢さんがぽつりと言った。
「まだ、私たちの知らない女の子がいたりしないよね?」
その言葉に、なぜか全員が黙った。
一之瀬さんが、少しだけ笑う。
「清隆くんって、過去に何人くらい大切な人がいたんだろうね」
「やめてよ」
軽井沢さんが本気で嫌そうな顔をした。
でも、その時はまだ誰も知らなかった。
この先、坂柳有栖が来ることも。
椎名ひよりが物語を動かすことも。
天沢一夏が家に入り込むことも。
七瀬翼が警護を名目に現れることも。
そして、白い部屋の奥から、雪という少女が細い糸を伸ばしていたことも。
私たちはまだ、彼の物