ようこそ実力至上主義の社会へ ~盤面は世界へ広がった~ 作:〇彪
──時間は金曜日の夕方に巻き戻る。
綾小路と一之瀬が飛行機に乗っている間。
日本では、彼のいない場所で世界が動き始めていた。
綾小路の家では、珍しく国営放送が流れている。
巨大なテレビには、千葉港を埋め尽くす五万台の自動運転車両。
マスメディア。
国際サミット。
各国首脳。
そして、騒然とする官僚たち。
「……あいつ、やったわ」
ダイニングで仕事をしていた櫛田が、ぽつりと呟いた。
その声に、軽井沢が反応する。
「なになに? 清隆のこと?」
「他に誰がいるのよ」
櫛田は笑っていなかった。
テレビの中では、アナウンサーが興奮気味に解説している。
『今回輸入された自動運転車両は、アメリカ企業による製造とされていますが、一部システム設計に日本企業が関与している可能性が──』
「……これ、どういうこと?」
佐藤が不安そうに首を傾げる。
松下はスマホでニュースを追いながら、静かに口を開いた。
「表向きはアメリカ企業」
「うん」
「でも中身のシステム設計は、日本側」
「え、じゃあ日本の会社ってこと?」
「利益の大部分は日本側に落ちる。でも看板はアメリカ企業」
軽井沢が眉を寄せる。
「それって……」
「総理大臣が止めにくい」
櫛田が続けた。
「国際サミットの場で、アメリカ大統領の顔を潰せない。しかも日本企業も関わっているから、完全に拒否も出来ない」
「……怖っ」
軽井沢が本気で引いた声を漏らした。
佐藤は画面を見たまま固まっている。
「じゃあ、これ全部……綾小路くんが?」
「多分ね」
櫛田は目を細める。
「しかもアイツ、多分これ……最初からここまで見えてた」
部屋の空気が少し冷えた。
綾小路清隆。
高校時代、試験の裏側で人を動かしていた男。
その男が今、企業と行政と国家を同時に動かしている。
「久しぶりの清隆って感じ」
軽井沢が小さく呟く。
「後から紐解くと、全部繋がってる感じ」
「恵ちゃん、なんか嬉しそう」
「嬉しくないし」
軽井沢は頬を膨らませる。
だが否定の声は弱かった。
「でも、清隆が何かしてるって分かると……なんか安心する」
「それ、だいぶ毒されてるよ」
松下が呆れたように言う。
「でも分かるかも」
佐藤が小さく笑った。
「綾小路くんって、何考えてるか分からないけど……何かしてる時だけは、すごく綾小路くんって感じがする」
軽井沢も、松下も、櫛田も。
否定しなかった。
◇
同じ頃。
小平市。
病院裏の駐車場に、堀北鈴音が一人で立っていた。
「……なんで私がこんなことを」
朝は法律事務所。
昼は病院。
午後は土地売却。
そして夕方は現地案内。
まだ正式な雇用契約すら結んでいない。
にもかかわらず、綾小路の仕事に完全に巻き込まれていた。
「時給三千円では割に合わないわね……」
そんなことを呟いた時だった。
静かなエンジン音と共に、黒塗りのセンチュリーが停まる。
堀北は姿勢を正す。
だが、後部座席から降りてきた人物を見て、言葉を失った。
「……あなたは」
「お久しぶりですね、堀北さん」
坂柳有栖。
その後ろから、神室真澄も姿を見せる。
「マジで堀北だったんだ」
「神室さんまで……」
「私も巻き込まれただけ」
神室は面倒そうにため息を吐いた。
「坂柳さん。買主はあなたなの?」
「正確には、私が一時的に決定権を預かっているだけです」
「どういう意味?」
「少し長くなりますが、聞きますか?」
「短くお願いするわ」
坂柳は楽しそうに笑う。
「では簡単に」
彼女は杖を軽く地面につける。
「倒産寸前の会社がありました。粉飾決算、不祥事故、経営者の病気。どうしようもなくなった会社です」
「それがSテクノロジー?」
「ええ」
「その清算人があなた?」
「はい。父の関係で、私が代理として任されました」
「清算人の役割は、会社を畳むことのはずよ」
「本来は」
坂柳の笑みが深くなる。
「ですが、会社を買いたいという人が現れました」
「……綾小路くん?」
「そこはご想像にお任せします」
「濁すのね」
「答えを言うと面白くありませんから」
堀北は眉を寄せる。
「それで、土地購入と何が関係あるの?」
「社名変更です」
「社名変更?」
「その会社は、今日名前を変えました」
「会社の買収ではよくあることね」
「ええ。ですがその名前が、本日輸入された五万台の車両所有者と一致してしまったのです」
「……待って」
堀北は眉を寄せた。
「あなた、今……会社一つの社名変更で、日本中が巻き込まれたって言ったの?」
「結果的には、そうなりますね」
「そんな偶然、あるわけないでしょう」
「ですが、書類上は偶然です」
坂柳は穏やかに笑う。
「前経営者の中期計画。農林水産省の予算。国土交通省の管轄。アメリカ企業との契約。社名変更。土地取得。すべて別々の線です」
「……別々の線に見えるようにした」
「さすがですね」
堀北は背筋が冷えるのを感じた。
これは綾小路のやり方だ。
誰にも一つの絵を見せない。
全員が、自分の見えている範囲だけで正しい判断をする。
そして気づいた時には、盤面が完成している。
「それで、この土地は?」
「五万台の一部を管理する拠点になります。充電設備、管制システム、整備場。もうすぐ工事が始まります」
その言葉と同時に、何十台ものトラックが駐車場へ入ってきた。
堀北は思わず息を飲む。
「……早すぎる」
「今日中に動かさなければ、土日は止まってしまいますから」
「あなたたち、何を始めるつもりなの」
「私ではありません」
坂柳は静かに言った。
「始めたのは、綾小路くんです」
◇
「それで?」
堀北は深く息を吐く。
「あなたがここに来た理由は、土地を見るため?」
「いいえ」
坂柳は微笑む。
「私も、綾小路くんの家に連れて行ってもらおうかと思いまして」
「……は?」
「マジだったんだ……」
神室が呟く。
堀北は頭を押さえたくなった。
「なぜ私が彼の家を知っていると思ったの?」
「あなたがここにいるからです」
「理由になっていないわ」
「私の直感は、よく当たります」
堀北は少し考える。
坂柳を連れて帰るべきか。
勝手に判断していいのか。
だが、今の綾小路なら恐らく拒まない。
むしろ。
この出会いすら、どこかで想定していた可能性がある。
「確認するわ」
堀北は電話をかけた。
相手は軽井沢。
綾小路の連絡先は知らない。
『堀北さん? まだ帰ってこないの?』
「思ったより仕事が進んでしまって。今から帰るのだけれど、一つ確認したいことがあるわ」
『なに?』
「坂柳さんを連れて帰ってもいいかしら」
『坂柳さんって……あの坂柳さん?』
「そう。あの」
少しの沈黙。
『んー……清隆ならOKするんじゃない?』
「助かるわ」
『後で言っておくね』
電話を切る。
坂柳は目を細めた。
「今の電話、綾小路くんではありませんね」
「……」
「もしかして堀北さん、彼の連絡先を知らないんですか?」
「詮索しないで」
「ふふ。なるほど」
「何がおかしいの」
「いえ。私は知っていますので」
「まさか。彼が日本に帰ってきてまだ二週間しか──」
言いかけて、堀北は止まった。
坂柳が嬉しそうに笑う。
「そうですか。二週間前なのですね」
「……私もまだまだね」
「いいえ。十分です」
その一言が、妙に悔しかった。
◇
綾小路のマンションへ向かう車内。
堀北の運転は、まだ少し危なっかしい。
「今のブレーキ、首持っていかれるかと思った」
神室が後部座席で文句を言う。
「慣れていないだけよ」
「慣れてから人乗せてよ」
「あなたとは仲良く出来なさそうね」
「私もそのつもりないし」
「まあまあ」
坂柳が楽しそうに仲裁する。
「久しぶりの同級生です。世間話くらい楽しみましょう」
「あなた、今も神室さんと一緒なのね」
「真澄さんには仕事を手伝っていただいています」
「半強制だけどね」
「頼りにしていますよ」
「便利に使ってるだけでしょ」
神室の普通すぎる反応に、堀北は少しだけ肩の力が抜けた。
坂柳一人なら、空気が張り詰めすぎる。
神室がいることで、彼女の異質さが少しだけ和らいでいた。
「ところで坂柳さん」
「はい」
「あなたは、綾小路くんが今どこにいるか知っているの?」
「いいえ」
即答だった。
「知りません」
「意外ね」
「連絡は今朝受けましたが、まだ声も聞けておりません。家に着いたら、一度電話してみようかと思っています」
堀北は黙った。
坂柳有栖ですら、綾小路の現在地を知らない。
その事実が、妙に引っかかった。
◇
「お邪魔させていただきます」
「なによここ……ヤバすぎるでしょ」
車が自動で車庫へ入っていく。
神室が呆然と周囲を見る。
最上階。
ホテルのラウンジのようなリビング。
大きな窓。
プール。
バーカウンター。
そこでは、軽井沢、佐藤、松下が酒を飲みながら寛いでいた。
「おかえり、堀北さん」
軽井沢が振り返る。
「坂柳さんと神室さん? だよね」
「お久しぶりです」
「さ、坂柳さん!? お久しぶりです!」
佐藤が慌てて立ち上がる。
「こんばんは」
松下は冷静に会釈した。
「櫛田さんもいるのね」
「いるよー。ここの管理人みたいなものだから」
櫛田が奥から顔を出す。
その姿を見て、神室が眉を寄せた。
「なんで櫛田まで住んでるの」
「色々あって」
「色々で済むんだ、ここ」
「済ませないと話が進まないんだよね」
櫛田はにっこり笑った。
「夕食まだ? 何か作るよ。堀北が」
「私なの?」
「料理得意でしょ?」
「そういう問題ではないわ」
文句を言いながらも、堀北はキッチンへ向かう。
その様子を坂柳は静かに見ていた。
「随分と、面白い場所になっていますね」
「清隆が誰呼んでもいいって言ってるから」
軽井沢が当然のように答える。
「清隆、ですか」
坂柳の声が少しだけ変わった。
軽井沢はそれに気づかないふりをした。
「そう。清隆」
空気が一瞬だけ静かになる。
その沈黙を破ったのは、神室だった。
「……すごい家なのに、空気だけ女子校みたい」
「それは言えてる」
松下が頷いた。
◇
夜。
七人はバーカウンターとリビングを囲むように座っていた。
櫛田。
軽井沢。
佐藤。
松下。
堀北。
坂柳。
神室。
堀北の作ったカクテルが、それぞれの前に置かれている。
「それで」
坂柳が口を開いた。
「皆さんは、綾小路くんが何をしようとしていると思いますか?」
誰もすぐには答えなかった。
「会社を買う」
松下が言う。
「人を集める」
櫛田が続ける。
「助けようとしてる……のかな」
佐藤が不安そうに呟く。
「でも、壊してもいる」
堀北が静かに言った。
軽井沢はグラスを握る。
「清隆は……多分、近くにいる人を守ろうとしてる」
「では」
坂柳は微笑む。
「その“近く”は、どこまで広がるのでしょうね」
空気が止まる。
誰も答えられなかった。
坂柳はグラスを置く。
「教室」
小さく言う。
「会社」
続ける。
「都市」
そして。
「国家」
神室ですら黙った。
坂柳有栖は、楽しそうに目を細める。
「綾小路くんは、きっと自覚していません」
「何を?」
堀北が問う。
「自分が誰かを救おうとするたびに、支配する範囲が広がっていることです」
テレビの画面には、無人車両が夜の東京を走る映像が映っていた。
坂柳はその画面を見つめる。
「ところで皆さん」
何気ない声だった。
だが、その一言で全員の視線が集まる。
「綾小路くんが、今どこの国にいるか……本当に把握していますか?」
誰も答えなかった。
その沈黙の中で。
坂柳のスマホが震えた。
画面には、たった一行。
『非通知着信』
坂柳はゆっくりと笑った。
「……来ましたね」
戦略的女子会は。
この瞬間から、ただの女子会ではなくなった。