「老若男女、誰にでも解放された道場ゆえ、入門を断る理由がないが……今どき、何ゆえに古流武術を身に付けたいなどと?」
「すげぇぞ刃牙くん!
「……ん~、意地が悪いぜ本部さん。ここにきて本部さんを訪ねる理由って……」
「……」
「あ……歴史に触れたく……しかも健康にもいいから……とか?」
「おお! 手裏剣に鎖鎌、鉄拳に……武器の見本市だ! しかし
「……ダメだ」
「えっ!? ダメなの?!」
「銃で脅してでも止めるべきだった……俺が烈海王を守れなかった」
「ワクワクするなぁ、まるで大晦日の朝の市みたいだぁ……久しぶりに餅が食いたくなってきたぞっ。刃牙くんっ、美味しい餅が食える店とかないのかい?」
「え?」
「無理だぜあんたらには。逆立ちしてもな」
「……」
「俺が守る」
「オレさぁ、この時代の道場って初めて来たんだけどさぁ……凄いね、これ。木の質がとてもいい。壁も、床も、天上も全てだ。こんなの凡百の町道場じゃ見かけられないほどだよ! 本部さんって凄いんだなぁ」
「あの 武蔵の魔手から君らを」
「……誰を? 誰を守るって? 本部さん」
「君ら現代格闘士はまるでわかってない」
「本部さん。一体誰を守るのかって聞いている。その体で、その技で」
「ハハ……“ふざけるな”と? 自分よりはるかに弱いおっさんが、何を跳ね返ってるんだと? “俺は天下の範馬刃牙だ”と。“見損なってんじゃねぇ”と……概ねそんなところか」
「ねーねー。オレ、そろそろここの武器を触ってみたいんだけど、ダメ? 久しぶりにいろんなもんに触りたいんだけど、ダメ?」
「……ちょっと違うけど、いいやそれで。誰であれ許さねぇ。俺を守ることは許さねぇ」
「あ、本部さん。ゴメン、手裏剣触っちゃった……汚れが付いちゃった……」
「……刃牙くん。彼は何故ここにいるんだい?」
「……それが、じっちゃんの紹介で俺の家に住み着いちゃって……勝手に付いてきたんです……藤木さん、そろそろ黙ってもらえませんか?」
「え、ゴメン」
二人が呆れながらオレを見ていた。ご、ごめんて。手裏剣に付いた指紋はちゃんと消すから……。
結局、オレは嫌がられながらも刃牙くんの家に住み着かせてもらった。いやー、いい家だよ、アレ。立地はいいし、内装は結構レトロに見えるがちゃんとしてる。
刃牙くんはなんだかんだと理由を付けてオレを追い返そうとしたが、徳川のジジイからの紹介だと言われると、なんか怒りながら電話してた。すげぇ久しぶりに見た、電話。感動したね。
で、通話が終わったら観念したのか、布団を用意して貰って住まわせてもらってる。家事は折半ね。
台所のコンロと洗濯機、風呂の使い方をタイムスリップ江戸時代サムライに対して苦心しながらも、ちゃんと教えてくれた。ごめん、オレの中身は江戸時代の士と現代の日本人が混ざってるんだ。
凄く聞き分けが良くて学習能力が高いみたいなフリをして、あっさりと身に付けたフリをしておいた。なんだかんだで彼、自炊は一人でしてるし優しいんだよな。
そんで本日、どこかに行くらしいので勝手に付いてきた。
家でジッとしておいて欲しい(恐らくオレが江戸時代タイムスリッパーと思ってるので何が起こるか怖いんだろうな)みたいだったが、無理矢理付いてきたのだ。
一応、車と電車、飛行機や人々の往来に驚くフリはしておいた。隣で刃牙くんがオレのリアクションに笑ってくれたので、良かったと思う。
到着したのが本部道場ってわけだ。テンション上がるな~、この武器の棚。とはしゃいでたら、二人から呆れられてるってわけ。
「大の男が着流し褌一丁でよく職質されなかったね。武蔵は散々されたのだろう? それでニュースになったが」
「彼、どうも適応能力が高くて……最初はちんぷんかんぷんみたいだったんですけど、途中から『同心みたいなものか』と思ったらしく、丁寧に応対してましたよ。自分の格好は好きでやってるものだと」
「……さすがは『鵺』、得体が知れないと言うことか」
正座する本部さんと胡座をかく刃牙くん。その隣でお菓子とお茶を与えられて大人しく正座してるオレ。扱い酷くない? と思いつつ、久しぶりに食べるどら焼きが美味いこと美味いこと。
「本部さ~ん!! これ、何!? うめぇ、凄くうめぇ!! フワフワして甘くて……なんかフワフワしてる!!!」
「刃牙くん」
「俺の家で飯を食ったときもあんなだったんでほっといてやってください。たかが焼き魚とキャベツの千切り、味噌汁とご飯であれ以上に騒いでたんで」
「何を言うんだ!!! 刃牙くんの飯はめちゃくちゃ美味しかったぞ!!!」
「刃牙くん、喜んでないかい?」
「喜んでません」
刃牙くんは顔を赤くしながらも知らんぷりしてる。照れてるね~可愛いね!
しかし、二人は途中から真面目な顔をし始めた。武蔵殿の話、烈さんの話、嬉しい話をしてる。
「すげぇ褒め方だ。烈海王に圧勝して、なお全力じゃないと?」
「なるべく多くを体験しておきたかったのだろうな。現代の闘争術を」
「いや~……確かにそうだね。オレの時代であんな大陸武術を使う人っていないし」
「やはりか……」
本部さんはオレの意見に頷いていた。ゴメンよ、オレは所詮掛川暮らしの田舎士なんだ、あんまり当てにならんぞ?
「じゃあ、てこずったわけではないと?」
「実力者ではある、ただし不覚を取る相手ではないと……だからこそ、だ」
「まあだからこそ、だろうね」
オレは最後のどら焼きを口に含んで、お茶で流してから言った。
「見た中で一番“こっち側”に近いのはそこの本部さんだ。実力ではなく、戦い方ではなく、闘争の理解の仕方という面でね」
そう、もう原作知識が薄くなってしまったオレにだって、目の前にすればわかる。この本部さんは、在り方や戦い方の知識や理解においてはこっち側に近い。
ルールありきの試合や、戦う場所が決まってる格闘士、使う技という面では明らかに現代のそれとは違う。
今もねぇ……。
「だって本部さん、今だって刃牙くんに襲いかかられてもなんとかしちゃうでしょ? よーいドン、で始まる戦い方じゃ本部さんには勝てんよ」
「ハハハ……君にそう言ってもらえると、若い時からの楽しみが報われたようだ」
「謙遜が過ぎるな~」
「だからこそ、彼らを守る義務がある」
ここで唐突に、刃牙くんが正座のまま飛び上がった。凄いな、映画の中でしか見たことないぞ。
そのまま両足で立った刃牙くんは、オレと本部さんを、見下ろすようにして睨み付けてくる。
「本部さん、藤木さん。どこいらへんが“だからこそ”なんだい?」
おお、凄い覇気だ。迫力が違う。闘志に溢れてる。
ただ、遅いな。
「なるほど、範馬刃牙の徒手はいかがなものか? 100点満点中の100点、いや120点だってつけられる。一方、本部以蔵の実力はどうなんだ? 60点? 70点? どう甘めに採点しても、80点は超えねぇ」
「謙遜が過ぎるな~本当。殺そうと思えば100点でしょ。現代では絶対にダメなんだろうけど」
「そうだね藤木さん。現代で意図した殺人は絶対に許されない」
「だが、剣、槍、杖、槍、縄と全てを合わせたら300点は軽く超えるでしょ本部さん。あなたの戦い方は、あまりにも現代に合ってない。生まれる時代を間違えてるよ」
本当に惜しい。ここまで武芸百般であるなら引く手あまただったろうな、あの時代なら。
剣術が戦場の生存術から武士道を守るための心身鍛練に切り替わる時代だったあの頃なら、まだ引く手あまただ。道場を建て、いっぱしに稼げただろう。
だが現代では、その技の全てを使うことは許されない。使うとしたら、それこそ戦場だ。
本部さんはオレの言葉にちょっと嬉しそうにしながら立ち上がっていた。素晴らしい立ち姿だ、何にも対応できそうな、畏れを感じさせてくれる。
「へっ!」
バキリ、と刃牙くんは指関節を鳴らした。
「全部、使ったらいい。計算違いを思い知らせる」
二人の間で、空間が歪むほどの覇気が漂う。一触即発、いや、もう始まってる。
と、刃牙くんは思ってるのだろうがその前から、本部さんは始めていた。
刃牙くん、好戦的な顔を浮かべるのはいいが……本部さんはとうの昔から、仕掛けているんだよ。
起こりがほぼない、刃牙くんの一歩。それは遙かに遠い間合いだったはず本部さんとの距離を、一気に詰める。驚異的な運動能力だ。
だが、本部さんは何かを地面に叩き付けた。
爆音。
爆風。
爆煙。
チュド! という音と共に炸裂する。
辺り一帯が煙と火薬の匂いに包まれ、煙の向こうの刃牙くんが立ちすくんだのが見えた。
その首に、後ろから近寄った本部さんの
「御名算かな?」
呆然とする刃牙くんに、余裕綽々に告げた本部さん。
つかくせえ。煙くせえ。ここで使うなっ!
「武芸百般。警戒してはいたけど、煙幕って……」
「今朝、刃牙さんから連絡をいただいた。この展開は、その時点で予測した」
そこで忍び用の煙幕玉を用意してたってわけだ。連絡をもらった時点で準備し、場を整え、話をしながら誘導し、この有利な展開に持っていった。
だから、刃牙くんは遅いのだ。
本部さんは遙か前に闘争の準備を整えている。
そして、これを含めたものが宮本武蔵の流儀ということだ。
「殺されたんですね、俺は」
「それはどうかな? 少なくとも俺に殺す気はなかったし、殺すつもりなら君の反応も違っていたはず」
「違っていましたかね」
「気に病むな。君ら現代格闘しはこういう事に慣れてない。屈辱的かもしれんが、これは事実だ。この流儀に精通するのは俺だけなのだ」
この戦いは俺の責任なのだよ、と本部さんは告げた。
範馬刃牙でもなく範馬勇次郎でもなく渋川剛気合でもない。
流儀の精通するが故、本部さんただ一人の責任、だと。
合っている。その面で言えば、本部さんの意見は正しい。
「ちょうどいい。刃牙くん、彼からこういった流儀を習うといい」
「えぇっ」
「ん? オレ?」
本部さんの意見に、刃牙くんは驚きながらオレを見た。正座しながら脇に木刀を置き、どら焼きを食べ終えた皿を片付けながらお茶を飲むオレ。
刃牙くんはオレを指さしながら本部さんの方を見た。
「あれに?」
「あれに、だ。刃牙くん、虎眼流をご存じかな?」
「いや……江戸時代の剣術なんてそんなに……」
「そうだろう。俺も詳しくは知らないが、虎眼流は戦場闘争術と言ってもいい。剣術方面が強い印象が受けるが、あの時代の剣術はただ単に剣を振り回すだけではない。徒手、組み討ち、剣以外の武器術……あらゆる面で敵を斃すために発展するんだ。虎眼流も、そういった技が多いはず」
おや、ちょっと照れる。この時代にも虎眼流が残ってるのか。
「本部さん、虎眼流についてはどこまで?」
「藤木さん……申し訳ないが、俺が知っているのは江戸時代において最強に一角と謳われた柳生と小野を下したことと、実に戦場の理を知った刀剣の使い方をする、だけだ」
「そうか。なら、いいや」
オレは刃牙くんの方を見た。ここからの間合いは……まあギリギリか。
彼はまだオレを、疑い深い目で見ている。
「刃牙くん。オレの生まれは徳川家光公の時代だ。本部さんが思う時代より少し後になるけど、それでも戦場を経験している虎眼の親父から技を学んだ身の上、刃牙くんの力になれるなら、手を貸そう」
「ほう、あんたが俺にどんな」
ほら、そこだよ。気が緩み、肉が弛み、油断がありありと浮かぶその遙か前、口を開いて喉を動かすために、全身の戦闘態勢が解かれる直前。
オレは正座のまま宙返りを行う。側に置いてあった木刀を手に取る。
柔抜刀。
この位置だと僅かに捻りが必要になる。一回転一捻りの宙返り。
その最中、オレは木刀を振るう。
流れ。
握りを鐔元の縁から柄尻の頭まで横滑り。鋒を伸ばす技法で、刃牙くんの喉元を切る。
そのまま回転を止めず、宙空で納刀の姿勢を取り、着地。
終わったときには元の形、正座で木刀を側に置いている形となった。
「……っ!」
一連の動きが終わってから刃牙くんはようやく動きだし、己の喉元に触れた。
僅かに斬られた喉から出た血が手に付着し、それを見て青ざめた顔をしていた。
「刃牙くん。虎眼流ではね、木刀で巻き藁を斬る。それができて当たり前なんだ。木刀だから切れない、なんて甘えた考えはよしたほうがいい」
「……俺、斬られたんですね」
「ああ、斬った。君の油断に付け込んで。確かに斬った。だが」
俺は刃牙くんに向かって微笑んだ。
「次は通用しないだろう。刃牙くんなら、次はすぐに対応できるさ」
「できますかね」
「できる。現に君は、俺の柔抜刀に対して僅かに首を逸らした。もっと深く斬るつもりが、浅手に留まった。血が流れることから滲む程度に抑えただけだが、それでも大きな証だ」
オレは立ち上がりながら刃牙くんの前に立った。本当に背が低いな、この人。
「オレは元々、武蔵殿を止めるために呼ばれた男だ。だが、オレ自身が止める必要はない。君が止められるなら、君が止めるべきだ」
「でも、あんたの方が」
「うん、オレなら今の武蔵殿は止められる。だが、同じ時代の人間が止めても意味はないだろう。この時代の人間に止められることこそ、意味がある」
刃牙くんはオレの目をジッと見てくる。
「刃牙くん。存分にオレの技を盗んでくれ。君の技の体系の中に、虎眼流を組み込んでおくれ。それがきっと、オレがこの時代に来た本当の理由だと思う。伝えられなかったオレの虎眼流を、誰かに受け継いでもらうために」
「あの、本部さん」
「刃牙さん。普通、木刀で巻き藁は切れない。それはあの武蔵でもできないことだ」
「ですよね……じゃあアレって」
「だから『鵺』なのだよ。虎眼流の虎の中でも木刀で巻き藁を切るものはいた。その中に混じった化生が『鵺』、つまりは彼なのだよ。そして彼の本当の強みは、その天才的な剣技と戦闘術ではない。もっと別の、悍ましいところにある」