その日、ジャック・ハンマーは徳川光成の屋敷の元に訪れていた。
骨延長手術が終わり、運動可能なほどに治療が終わったことで、万全の状態で戦える。
戦う相手は決まってる。光成の元に訪れた理由も明確だ。
テレビで見た男――宮本武蔵に会うためだ。
あわよくば、試合を組んでもらいたい。
そのため地下格闘技場オーナーである光成に頼みに来たのだが、光成の返答は変わったものだった。
「君が武蔵に会うことを望まぬ男がいる」
徳川邸の庭。
「本部?」
「そう、本部」
「本部って、あの?」
「あの、本部じゃ」
鯉が飼ってある池の前で対談する二人であったが、光成の言葉にジャックは困惑していた。
ジャック・ハンマーは、かの『地上最強の生物』と呼ばれる範馬勇次郎の長男にして、範馬刃牙とは腹違いの兄にあたる。その強さは疑う余地がない。
骨延長によって2メートルを超える長身と、200㎏に近い体重。それを使い熟す圧倒的な身体操作能力。
これだけの身体能力を持つ人間は、他にいないだろう。
本人自身も格闘技術に精通し、地下格闘技場のみならず路上戦闘の経験も豊富、相手が武器持ちであろうが倒してきた。
そのジャックに対して、本部以蔵がストップを掛けているのだ。
自分よりも強さが劣るはずの男が、何故? 疑問は尽きない。
「分からん……なぜ、あのイゾウ・モトベが俺を許さないと?」
「なぜあの本部が? か。」
光成がジャックと向き合う。
「あの本部以蔵と立ち会ってみよ」
なっ……とジャックは絶句していた。
「あ……あの……本部とか?」
「“あの”……あの弱い、あのさえない、あの年老いた、あのよく分からない本部以蔵。まさしく、分かっていない。このわしも、おぬしジャックも。
あの本部以蔵なる人物の正体をまるで分かっていない」
光成は悔しそうに顔を歪めた。
「不覚!」
「あ……」
「ジャックよ。対武器の心得は?」
光成の鋭い目に、ジャックもまた目線を鋭くして返した。
「ない。……が」
ジャックの脳裏に過るのは、かつて日本国外にスラム街、その路地裏で囲まれた記憶。
多人数が、ナイフだけに留まらず鉄パイプ等の武器を持ち、自分の前に立つ記憶。
「経験はある」
ジャックはそれに対して逃げることなく立ち向かい――。
「てこずったことはない」
その全てを叩きのめして勝ってきた。
軍隊格闘術でナイフの武器術を学んだものであっても、ジャックはそうそう負けることなどないだろう。それだけの経験と自負を、ジャックは持っている。
「フフッ。それはそれは本部に思い知らせてやらなきゃのお」
「いや」
ワクワクと笑った光成に、ジャックは首を横に振ってから言った。
「武蔵と会うことを許さないなら、あの地下格闘技場に現れたもう一人の男、藤木に会わせてください」
この言葉に、あからさまに不快感を露わにした光成。嫌そう、なんてレベルじゃなかった。
「……あの藤木とか?」
「その藤木と、です。範馬勇次郎と似た名を持つ、裕次郎という男に会うのなら本部も止めないでしょう」
ジャックとしては武蔵と会えれば良かった。しかし、会うことを許さずに条件を出されるのなら、まずは前菜とばかりにもう一人と会えば良いだけだ。
藤木裕次郎。
あの烈海王と武蔵の戦いに割り込んだ、もう一人の男。
異様な雰囲気を持ちながら、武蔵と似た空気を漂わせる。あっちとも会えるのなら会ってみたい。
順番が変わるだけだ。
だが、光成は凄く嫌そうな顔をしたまま悩んでいる様子だった。
「……あ~」
「藤木と会うことも、本部は許さないと?」
「いや、その、本部は『誰であっても藤木となら問題はないでしょう』とは言ってたでのぉ……しかし……」
「何か問題が?」
ジャックは不思議だった。徳川光成と言えば、強者と強者が出会い、ひたぶるに腕比べを行うのを見るのが何よりも好きな人物だ。
なのに、その光成がどうしてここまで悩むのか?
「いや……わしにとって、いや、徳川にとって『藤木裕次郎』という男は……うーむ」
「ダメですか?」
「……わかった! 彼奴は今、刃牙の元で下宿しておる。連絡は取ってみるが、断ったら諦めよ!」
何故、裕次郎が刃牙の元で下宿を? とジャックは不思議でならなかったが、光成は持ってこさせた携帯電話で刃牙と連絡を取り始めた。
とにかく、これで裕次郎と会える。あわよくば戦える。裕次郎と対剣術家との経験を積み、武蔵と戦う。道筋は整ったも同然。
だが光成が電話を切ると、溜め息を吐いた。
「あー、ジャックよ」
「なんでしょうか」
「藤木裕次郎からなのじゃが……『今は刃牙くんと家事の割り振りをしてて忙しいし、高卒認定試験を受けるための勉強をしてるから無理! あとロールキャベルを作るから時間がない!』だそうじゃ」
「は?」
ジャックは今日、何度目かもわからない困惑に襲われていた。
「……たく、しつこいなあのジジィわよぉ……!」
「裕次郎さーん、次に風呂入ってくれよ」
「あいあーい」
オレはスマホの着信を切断すると、悪態を吐きながら立ち上がる。
晩飯のロールキャベツを食べ終わった後にも徳川のジジィが電話を掛けて来やがるもんだから、困ったもんだぜ。
オレは帰ってきた(?)現代で戸籍と一緒に学歴も手に入れないといけないのによぉ……高卒の学歴を得てから大学に入学しないといけないんだよなぁ。
そうしないと就職もできないんだよ。
世知辛いぜ現代は。刀を振ってりゃどうにかなるって話じゃないし。
「どうしたんだい?」
「刃牙くーん……それがねぇ、徳川のジジィから試合の電話が来たのよ。こっちは勉強しないといけないのによぉ……忙しいから損なことしてる暇、あるかぃってんだ」
「俺との鍛錬もあるしね」
そうそう、とオレは笑った。
俺と刃牙くんは、この家の地下にある鍛錬場で、組み手を行っている。
素手だと無理だわ。この人に勝てない。強すぎるわ。
だがこっちが木刀を持てば、なんとかなる。
虎眼流の技をあますことなく使い、刃牙くんの練習相手になってるわけだ。何度も打ち据えたり、叩きのめされたり、良い関係を築けていると思う。思いたい。
こっちも現代の格闘術というか刃牙世界の戦い方が学べていい。
あと互いに料理当番とか家事当番とか決めて暮らす男のシェアハウスが楽しかったりする。刃牙くんと一緒に飯を作ると、なんか、こう、癒やされるのよ。飯は美味しいし。
「で? なんだって?」
「なんか……ジャック? という人と試合をせぇ、みたいなことを言ってきてねぇ……」
どうせジャック・ハンマーのことだろうと思ってる。一応知らない人ですね、と惚けてはいるが。
嫌だよ、あんなバックマンサイボーグと戦うの。噛み千切られるとか怖いがな。
「裕次郎さん」
「何よ?」
「闘ってみればいいじゃん」
「何言ってんよ?」
さっきまで反対してくれてたじゃん? 君?
困惑するオレを余所に、刃牙くんは風呂上がりの体でオレの前に座った。
胡座を掻き、好戦的な目つきをオレに向けていた。
「あの虎眼流の技をジャック兄がどう捌くのか、見てみたいじゃん」
「いやぁ……でも」
「家事は俺がやっとくからさ。受けてよ、裕次郎さん」
これは刃牙くんの悪いクセというか範馬一族の闘争心が出てるんだろうなぁ、とオレは困った顔を刃牙くんに向けていた。歯をむき出しにして闘争心バリバリの笑みを浮かべてる辺り、怖い。
「あとさ。やるときは刀でね」
「オレに殺人鬼になれと!?」
「裕次郎さんなら武蔵と違って、殺さない範囲で収めるでしょ?」
「そらまぁね。懲役喰らいたくないもん」
お前はオレをなんだと思ってるんだ。
「だからさ、やってよ裕次郎さん」
「えー……」
尚も引かない刃牙くんを相手に、オレ腕を組んで改めて考えてみる。
ジャックと試合をする。オレのメリットを。
一つもねぇ。
いや、一つもねぇんだけどさ、とりあえず考えよう。
金は得られねぇんだよな。あそこは金稼ぎではなく、純粋に強さを証明したい男たちが戦う場所だから。
しかも死ぬ危険もあるんだよなぁ。戦闘不能……失神、死亡、選手の降参宣言がないと試合の結着のコールがない。
あと他の闘士たちにも見られる。いや技を見られるのは問題はないんだ、ただ興味本位で試合の申し込みが増えるのが面倒臭ぇ。
結論、やりたくない。
やりたくないけど、刃牙くんは引かないんだろうなぁ。
「……はぁ……一回だけよ? ジャックとかいう人とやるだけね?」
「マジで? それでいいよ」
「絶対にそれで終わらないのはわかってるんだよなぁ……でもここでごねて逃げたら、そのジャックって人が来そうだし……仕方が無い、やるか」
滅茶苦茶やりたくないけど、やるかぁ。
オレは諦めてジジィに電話を掛けて、試合の了承を伝えた。
ジジィは断ってくれた方が嬉しいらしく、「あまり試合に来るなよ」とか言われた。
ふざけんな。