嘘イベスト「エマージェンシー! ~カウントダウンは止まらない~」 作:さはぎん
無事、打ち上げ、軌道投入が成功して喜ばしい限りです。
本作もようやく打ち上げシーンとなりました。こちらの打ち上げ結果はどうなるのか……
なお、本作の打ち上げに関する細かいデータは、カーバルスペースプログラムで実際に飛行させたときのデータを基にしています。
現実のロケット打ち上げデータや手順とは異なりますのでご了承ください。
キヴォトス宇宙センターの慌ただしい夜明けも過ぎ、発射場に悠然とたたずむ新型ロケット「コスモス」が朝日に照らされ、長い影が落ちる。
法の空白地帯、そのタイムリミットは刻一刻と近づいている。
その中、宇宙飛行士センターの一角では真っ白な宇宙飛行士スーツに身を包んだミリが、重いヘルメットを脇に抱えて椅子に座っていた。
彼女の傍らには、これまで肌身離さず持っていたレッドウィンターの防寒帽が、丁寧に畳んで置かれている。
“ミリ、準備できたんだね。”
私の問いかけに、ミリは肩をびくっと震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
ミリ「……せ、先生。見てください。グローブをはめる手が、まだこんなにガタガタですぅ。」
彼女の指先は、確かに小刻みに震えていた。
けれど、先ほどのような絶望の涙は、もうその瞳にはない。
ミリ「でも……さっき、マヒルさんが私の肩を、痛いくらいに叩いて笑ってくれたんです。『私たちの最高傑作が、ミリを宇宙へ届ける。だから、何も心配するな』って……。」
ミリ「あんなに自信満々に言われたら、私が怖がってるのが、なんだか申し訳なくなっちゃって。」
“そうだね。マヒルだけじゃない。”
“ウルナも、チマリも、ジュネも。そしてウタハも。”
“島にいる全ての生徒たちが、君を宇宙へ送り出すために、この一晩を戦い抜いたんだ。”
私はミリの震える手の上に、自分の手をそっと重ねた。
“もちろん、私も。管制室のモニター越しになっちゃうけど、君の旅をずっと見守っているよ。”
ミリ「はいぃ……っ。……行ってきます、先生。」
ミリ「私が夢見た、あの静かな宇宙を、この目で、確かめてきますぅ!」
ミリは力強く頷くと、重いスーツの感触を確かめるように立ち上がった。
彼女は最後にもう一度だけ、大切な防寒帽を愛おしそうに撫でると、迎えに来た専用車両へと乗り込んでいった。
ジュネ「全セクション、最終実施判断の点呼を行います。本日の打ち上げを実施するか、各主任は最終報告を。」
ロケットに向かうミリを見送ってから1時間、運命の時間が刻一刻とせまる。
マヒルによるシステムチェック、ジュネとミリによる通信チェック、ウルナによる燃料充填は慌ただしくも迅速に、しかし丁寧に遂行され、打ち上げの準備は最終段階へと差し掛かっていた。
ジュネ「──
マヒル「……コスモス機体本体、および
ジュネ「発射場主任、伴ウルナ。」
ウルナ「ヒハハッ! 燃料、熱バランス、ともに完璧。点火の準備はいつでもできてるぜ。……ゴー!」
ジュネ「運行管理およびトラッキングセンター、神間ジュネ。キヴォトス全域の衛星軌道に干渉なし。……ゴー。」
ジュネ「運営本部主任、毛利チマリ。」
チマリ「連邦生徒会、各スポンサー学園、すべてへの言い訳の準備は済ませてありますわ。
ジュネに指名されたチマリ達が最終報告をし、少し緊張の糸が緩んだところに、チマリから思いがけない言葉が発せられた。
チマリ「せっかくですから、先生にも戴きましょうか。」
“……え!?”
ジュネ「──連邦捜査部、先生。」
“え、えっと……昨日ここに着いてから、ずっと圧倒されっぱなしだったよ。”
“でも、みんながこのプロジェクトに込めた思いは少しわかったつもりでいます。そして、みんなが同じ夢を目掛けて懸命に頑張った成果が今だと思う。”
“リンちゃんには怒られると思うけど、全責任は私がとるから……。”
“最高の打ち上げをしてください!”
“ミリも最高の旅をしておいで、いってらっしゃい!”
“ゴーだよ”
マヒル「いいね、だったらウタハも何か言っとくか?」
ウタハ「いや、私は──」
ジュネ「ミレニアムサイエンススクール、エンジニア部部長、白石ウタハ。」
ウタハ「まったく……。ふむ、そうだね……。」
ウタハ「マイスターとして、マヒルをはじめとしたエンジニアだけじゃなく、ほかのみんなの仕事ぶりにもとても刺激を受けたよ。ただの解説役のつもりだったのが、思わぬサプライズイベントに巻き込まれてしまったが……」
ウタハ「『この子』が連邦生徒会の凍結措置も振り切って、大いなる一歩の礎として華々しく刻まれるのは確信しているよ。……ゴーだ!」
ジュネ「全セクション、オール・グリーン。……打ち上げ最終実施判断、
チマリ「ふふ、連邦生徒会が島に着くのと、どちらが早いかしら?」
チマリは優雅に微笑み、私の隣にあるメインモニターに表示されたカウントダウンタイマーへと視線を向けた。
『T-minus 00:15:00』
赤いデジタル数字が、無慈悲に、そして期待に満ちて時を削っていく。
トラッキングセンター内の喧騒から少し離れた一角に、チマリが持ち込んだ小さなティーテーブルでは、センター内を支配するモニターの青白い光とは対照的に、純白の磁器の中で揺れる琥珀色の紅茶が、この場所で唯一、緩やかな時間を刻んでいた。
チマリ「ふふ、このような状況でいただく紅茶というのも、また格別ですわね。先生」
チマリは優雅な手つきでカップを口に運ぶが、それでもその鋭い視線は決してメインモニターから離れることはなかった。
ジュネ「打ち上げ 300 秒前。自動カウントダウンシーケンス開始」
『打ち上げ 300 秒前。自動カウントダウンシーケンスを開始します。……94…93…92…91…290…』
ジュネの声がセンター内に響き渡ると、それまで続いていた細かな調整の雑音がぴたりと止まった。ここからは機械による、寸分の狂いも許されない秒刻みの儀式だ。
“……いよいよだね、チマリ”
チマリ「ええ。私たちの全てが、あの鋼鉄の矢に込められましたわ。」
『12…11…210…209…208…207…206…… 』
ジュネ「各タンク、与圧開始。」
ウルナ「あいよ!与圧開始!」
『170…69…68…67…66…65…64……』
ジュネ「電源切り替え。」
マヒル「機体電源を、外部電源から機体搭載電池へ切り替え、──完了。」
ジュネたちの言葉は、もはや一つの音楽のように研ぎ澄まされていた。窓の外、数キロ先の発射場では、ウォーターカーテンの散水が開始され、巨大な水煙がロケットの足元を包み込んでいるはずだ。
ジュネ「火工品トーチ点火『12…11…』」
マヒル「全システム発射準備完了『7…6…5…』」
ウルナ「メインエンジン点火!『2…1…』」
ジュネ「リフトオフ!!『0』」
地上の鎖を焼き切るようなその咆哮は、数キロ離れたこのセンターの床をも震わせる。
私は手に持ったティーカップが微かに触れ合う音を聞きながら、ただ、天へと昇る白銀の輝きを見つめていた。
ジュネ「『3…』──高度187m。ロールオーバー開始、方位098°」
ロケットはその巨体をゆっくりと回転させ、目標とする東の海へと機首を向ける。モニターに流れるテレメトリーの数字が、凄まじい速度で更新されていった。
ジュネ「『14…』──高度1,500m。ピッチオーバー開始 5度。」
ジュネ「高度3,000……5,000……7,000通過。ピッチオーバー10度。」
ジュネが淡々と読み上げる周りでは、全員が祈るようなまなざしでメインモニターを見つめる。
全員が息をのみ、水を打ったように静かなミッションコントロールの様子とは裏腹に、機体はすでに音速の壁を突破し、薄い大気を切り裂いて加速し続けている。
しかし、リフトオフから40秒を超えた瞬間、センター内の空気が再び凍りついた。
ジュネ「『42…』──高度10,000m。……機体の微振動を検知。」
モニターの端で、機体各部の負荷を示すグラフが不吉な赤色に点滅し始める。
昨日の実験機のデータを見ながらウタハが言っていた、固体ロケットブースターの推力がわずかに非対称なために発生した小さな問題。それが大きな牙となって襲い掛かってくる。
ジュネ「『44…』──
機体にかかる空気抵抗の暴力がピークに達する。モニターの中の「コスモス」は、目に見えて激しく震え、引きちぎられそうな悲鳴を上げているようだった。隣に座るチマリの手が、ティーカップのソーサーを強く握りしめている。
マヒル「……っ、持ちこたえてくれ……!」
ジュネ「『46…』──高度12,000m。」
そして、運命の数字がモニターに突きつけられた。
ジュネ「『47…』機体振動、安全基準値を完全超過!」
マヒル「
その絶叫と同時に、自動制御システムがミリを救うための最終手順を起動した。ロケットの頂点で、爆発的な火光が散る。ミリを乗せたコマンドポッドは、火薬庫と化したロケット本体から強引に引き剥がされ、安全な空へと弾き飛ばされた。