嘘イベスト「エマージェンシー! ~カウントダウンは止まらない~」 作:さはぎん
トラッキングセンターの重厚な自動ドアを抜けると、先ほどまでの歓声と熱気が、嘘のように静かな通路へと溶けていった。
私たちは案内役のチマリに導かれ、次なる目的地である
長い通路の向こうからは、多くの生徒たちが忙しなく行き交い、私たちの横を通り過ぎていった。彼女たちは皆、この島特有の潮風と作業環境に適応した、機能的で無骨なデザインの作業服に身を包んでいる。
“みんな、おそろいの作業服を着ているんだね。こうして見ると、一つの学園の組織みたいだ”
歩きながら私が率直な感想を漏らすと、隣を歩くウタハは楽しげに目を細めた。
ウタハ「いや、先生。よく見てごらん。彼女たちのアイデンティティは、その細部にこそ宿っているよ。」
ウタハに促され、すれ違う生徒たちの服装に目を凝らす。全員の胸元には、連邦生徒会とKSPのロゴマークが並んだシンボルワッペンが誇らしげに貼られていた。
一方で、彼女たちの左肩に視線を移すと、そこには全く別の景色があった。
トリニティ、ゲヘナ、ミレニアム。彼女たちが本来所属している学園のシンボルワッペンが、それぞれの誇りを示すように縫い付けられていたのだ。
本来ならば相容れないはずの異なる学園の生徒たちが、同じ服を纏い、肩を並べて一つの目的地へと歩んでいる。
その光景は、キヴォトスの日常ではまず見ることのできない、奇跡のような一体感に満ちていた。
チマリ「運営本部としては、このバラバラな個性を『予算』と『情熱』という鎖で繋ぎ止めるのが一番の苦労なんですけれど。……さて、見えてきましたわ。私たちの新しい『矢』が眠る場所です。」
案内された先には、地上の喧騒を飲み込むような静寂と、圧倒的な威圧感を放つ巨大な扉がそびえ立っている。
重厚な扉が機械音と共に左右に分かれる。その先に広がっていたのは、外の世界とは完全に隔絶された、文字通り「異空間」と呼ぶべき光景だった。
“……すごい。”
“まるで超高層ビルの中身を、そのまま空っぽにしたみたいだ。”
思わず天井を見上げたが、そこにあるはずの屋根は、強烈な作業灯の光に霞んでしまってよく見えない。視界のすべてを覆い尽くすのは、幾何学的な網目状に組まれた巨大な鉄骨の足場と、天井から無数に伸びるクレーンの腕だった。
ウタハ「おお……これは、言葉を失うな。実物を前にすると、その質量に圧倒されるよ」
ウタハが息を呑み、メガネの奥の瞳を輝かせて巨大な機体を凝視する。空間の中心に鎮座していたのは、全長35.4メートルに及ぶ、純白の巨塔──新型ロケット「コスモス」だった。
巨大な機体には力強い筆致で「COSMOS」の文字が刻まれ、その周囲では蟻のように小さく見える生徒たちが忙しなく立ち働いている。足場の上で火花を散らす溶接の光や、金属がぶつかり合う高い音が、広大な空間の中で幾重にも反響していた。
チマリ「こちらがKSPの技術的な心臓部。ロケット組み立て棟ですわ。」
ここでは各学園の垣根を超えた技術が集い、一人の少女を宇宙へ送るための「奇跡」が静かに組み立てられている。その圧倒的なスケールに、私は改めて自分が背負った監査という任務の重さを実感するのだった。
マヒル「よ〜し、お前ら!休憩は終わりだ!『コスモス』の第1段エンジンのオーバーホールに戻れ!ネジ1本、センサー端子の1つまで徹底的に洗いなおせ~!」
広大な空間に、一人の少女の鋭い号令が響き渡った。足場の上に立つ彼女は、油の混じった汗を拭いもせず、眼下に並ぶ整備士たちを見下ろしている。
そんな彼女の「作業開始!」という言葉に、数多の生徒たちが「「「了解!」」」という返事をし、作業に戻る。
ウタハ「相変わらずの熱量だね。マヒル、元気そうで何よりだ。」
作業足場から軽やかに飛び降りてきた少女KSP──KSP主任設計者の螺子代マヒルは、不敵な笑みを浮かべて私たちを迎え入れた。
マヒル「よく来たなウタハ。それにシャーレの先生。ようこそ、私たちの聖域へ!」
マヒルは額の汗を乱暴に拭うと、誇らしげに背後の巨塔を指し示す。そこには、幾多の足場に囲まれながらも、天空を貫く矢のようにそびえ立つ純白の機体「コスモス」が鎮座していた。
マヒル「改めて歓迎しよう、先生。ここが私の城、ロケット組み立て棟──通称VABだ。見ての通り、超高層ビルをそのまま作業場にしたような空間だろう?」
“うん。外から見ても大きかったけれど、中に入ると天井の高さに圧倒されるよ。”
“ここでロケットを組み立てているんだね”
マヒル「そうだとも。ロケットは繊細な巨像だ。横にして運ぶと自重で歪む。だからここでは、各段を垂直に積み上げ、最終調整までこの立てた状態で行う。ここはただの倉庫じゃない、宇宙への垂直な滑走路なんだ。」
マヒルはそう語ると、純白の機体「コスモス」の表面を愛おしそうに撫でた。
マヒル「先生、この『コスモス』の全長は35.4mだ。」
マヒル「
マヒル「これだけの巨体を組み上げて、最終的に宇宙に届けるのは、先端のわずか7.7メートルだけだ。信じられるかい?」
マヒル「いかに私たちが、この『重力』という地面の鎖に足を引っ張られているかということを。」
ウタハ「それで4基のブースターか。相変わらずマヒルの設計思想は明快だな。推力が足りないなら、物理的に出力を足せばいいというわけだ。」
マヒル「はんッ、数字は嘘をつかねえよ。ブースターを足せば重力はねじ伏せられる、それは諸元表が示してる。それが私の、そしてKSPのやり方だ。この4本のSRBだけで、リフトオフ時には2万キロニュートン*3を超える凄まじい力が生まれる。」
マヒルは手元のタブレットを操作し、ロケットの内部構造図を映し出した。表示された透過図には、先ほど説明された巨大な燃料タンクのさらに奥、複雑に組み合わさった制御系が映し出されている。
“35m……。これだけの巨大な構造物を、パイロット一人を宇宙へ送るための『矢』にするんだね”
私が圧倒されながら呟くと、マヒルは投影図の頂点にある、小さなカプセル部分を強調して表示させた。
マヒル「……。先生、一つだけ訂正がある。これはパイロットを──ミリを飛ばすためだけの道具じゃない。」
マヒル「ミリを確実に、生きてこの大地に帰すための『箱舟』でもあるんだ。」
マヒルの視線は、図面の中の小さな搭乗部分──コマンドポッドに注がれている。
マヒル「機体の頂点にあるのは
ウタハ「構造強度と安全マージン……。マヒル、君はエンジニアとして、最も過酷な条件下での信頼性を第一に置いたんだね。実に見事な設計だ。」
マヒル「ははっ、ウタハにそう言ってもらえると、徹夜でボルトを締め直した甲斐がある。先生、私たちの『矢』は、来たる有人飛行ミッションに向けて着々と準備を整えているところだ。」
マヒル「あとは、発射場側の受け入れ整備と、パイロットの最終訓練が計画通りに進めばいい。……最後に欠かせないのは、あの子の心の準備、だな」
マヒルの言葉には、冷徹な計算と、仲間への熱い信頼が同居していた。私は改めて、この巨大な鉄の塊に込められた、重すぎるほどの想いに胸を打たれるのだった。
マヒルと別れた私たちは、VABの巨大な扉を背にし、専用の連絡車両へと乗り込んだ。
目指すのは島の最東端、海に突き出すように建設された「
車が海岸線に近づくにつれ、鼻を突く独特の油の匂い──ケロシンの香りが、強い潮風に混じって車内まで漂ってくる。
前方の視界が開けると、そこには空を睨みつけるようにそびえ立つ、巨大な鉄骨の組木細工──整備塔が鎮座していた。
チマリ「到着いたしました。ここがKSPの最終工程、そして最も『熱い』場所。第4発射場ですわ。」
車を降りると、そこには不敵な笑みを浮かべ、巨大なレンチを肩に担いだ少女が待っていた。
彼女の左肩には、ゲヘナ学園の学園章が刻まれている。
ウルナ「ヒハハハッ!ようこそ先生。ここが地上の鎖を焼き切るための、最高にイカした火葬場……じゃなかった、射点だぜ。」
“ウルナ、よろしくね。”
“さっきのVABもすごかったけれど、ここはさらに空気が張り詰めている気がするよ”
ウルナ「おう!ここは一滴の燃料漏れ、火花一つがすべてを灰にする場所だからな。」
ウルナ「『コスモス』に搭載する燃料は721トン。これだけでも相当な破壊力だが、ここにはそいつを何度も満タンにできるだけの燃料があるからな。一歩間違えればこの島はどでかいクレーターに早変わりだ。」
ウルナ「点火の瞬間、ここは世界で一番危険で、新しい太陽になったみたいにブチ上がる。その快感を想像するだけでゾクゾクするだろ?」
伴ウルナ。ゲヘナ学園所属の発射場主任であり、爆薬と燃料を心から愛するマッドな職人らしい。彼女は背後にそびえる巨大な配管群を、まるで自慢のコレクションのように指し示した。
ウルナ「ヒハハッ!今はさっきの試験機を上げた後の後片付け……いや、整備点検の真っ最中だぜ。ロケットが吐き出した猛烈な熱で、射点のデッキも配管もボロボロになりやがるからな。」
ウルナ「次の本番までに、ネジの一本まで完璧に磨き直して、最高にイカした火を吹かせてやるのさ。……先生、次はモニター越しじゃなく、直接ここでロケットが空へ駆け上がるのを見に来なよな!」
ウルナは少しだけ照れ臭そうに笑いながら、高くそびえ立つ整備塔を見上げた。その視線は、今はまだそこにない「コスモス」が駆け抜けていくであろう、蒼い空の果てを捉えている。
“ああ、約束するよ。ウルナ。”
“君が守るこの場所から、彼女たちが飛び立つ瞬間を、必ずこの目で見に来るよ。”
私の返答に、ウルナは満足げに鼻を鳴らす。
鉄と油、そして極低温の冷気が混じり合うこの場所で、彼女は「次の点火」という名の奇跡を、誰よりも心待ちにしているようだった。
チマリ「ふふ、最高の特等席を用意しておきますわ。……さて先生、見学の最後を締めくくるのは、私たちのプロジェクトの象徴。空を飛ぶ一人の少女の場所です。」
案内役のチマリに促され、私たちは帰りの連絡車両に乗り込む。次に向かうのは、今回の有人ミッションで実際にロケットへと搭乗するパイロットが待つ「宇宙飛行士センター」だ。
発射場へ向かった時と同じ連絡車両に乗り込み、「宇宙飛行士センター」へ向けてしばらく揺られる。
車両が停車し、建物の分厚い防音扉を抜けると、そこにはこれまでの施設とは違う、張り詰めた静寂が支配する空間が広がっていた。無機質なシミュレーターが並ぶ広い部屋の片隅で、一人の少女が小さく丸まっているのが見える。
彼女はレッドウィンター連邦学園の厚い防寒帽を抱きしめるようにして、ガタガタと膝を震わせていた。
“……君が、今回の有人ミッションのパイロットを任されている生徒かな?”
私の穏やかな問いかけに、少女はビクッと肩を大きく跳ね上げた。潤んだ瞳が、不安げにこちらを見つめる。
ミリ「ひっ、はいぃ……!レッ、レッドウィンター連邦学園から派遣されてきました、星見ミリです……ぅ!」
星見ミリ。今回のプロジェクトで、実際にロケット「コスモス」の頂点に座り、前人未到の宇宙へと飛び立つパイロットだ。だが、彼女の様子はこれまでに会った自信に満ちた主任たちとは、あまりにも対照的だった。
ミリ「あの……先生。私、ただ、学園での毎日の粛清とか、終わりのない雪かきから逃げたくて……。」
ミリ「静かな宇宙ならきっと平和で、誰も怒らないかなって、そんな軽い気持ちでKSPに志願しただけで……。」
ミリは大きな瞳に涙を溜め、消え入りそうな声で本音を吐露した。彼女が握りしめる防寒帽が、その恐怖を物語るように激しく揺れている。
ミリ「あんな……あんな爆弾の塊みたいなロケットに乗せられて、空の向こうに放り出されるなんて……。本当は、怖くて、怖くてたまらないんですぅ……!」
一筋の涙が彼女の頬を伝い、床に落ちた。周囲の熱狂が大きければ大きいほど、実際に命を懸けて投げ出される彼女の孤独と恐怖は、計り知れないほど深くなっていく。
私は、震えるミリの隣にゆっくりと腰を下ろした。彼女が抱きしめている防寒帽は、レッドウィンターの厳しい寒さを耐え抜いてきた証なのだろう。まずは彼女がここでどのような時間を過ごしてきたのか、その断片を拾い集めることにした。
“ミリ、大丈夫だよ。君がどれほど怖いか、今のでよくわかった。私は君の味方だからね。”
“ミリ、これまでここではどんな訓練をしていたのかな。宇宙飛行士の訓練は、きっと大変だっただろう?”
ミリは顔を上げないまま、小さく頷いた。
ミリ「……はいぃ。毎日、目が回るような遠心分離機にかけられたり、暗くて狭いシミュレーターに閉じ込められたり……。正直、レッドウィンターでの終わりのない雪かきの方が、ずっと楽だったかもしれません。」
ミリ「でも……私、これでも訓練のスコアは悪くないんです。マヒルさんに『筋がいい』って言われるたびに、私なんかがここにいていいのかなって、ずっと不安で……。」
彼女は真面目すぎるがゆえに、自分に向けられる期待を重圧として感じていた。私は彼女の視線の先にある、古びた天体望遠鏡のポスターに目を向けた。
“それでも君は、KSPに志願した。どうして、このソラを目指そうと思ったんだい?”
ミリは膝を抱える力を少しだけ緩め、遠くを見るような瞳で呟いた。
ミリ「レッドウィンターは、いつも騒がしかったんです。毎日誰かが粛清されて、怒鳴り声が聞こえて。……でも、夜中にこっそり屋上で望遠鏡を覗いている時だけは、世界が静かでした。」
ミリ「あの澄んだ空気の先にある蒼い世界なら、きっと誰も怒らなくて、穏やかで平和な場所なんじゃないかって。そう思ったら、どうしても自分の目で確かめたくなっちゃって……。」
ミリ「それなのに、実際に打ち上げが近づくにつれて、あのロケットが命を奪う爆弾に見えてきちゃったんですぅ……。私、やっぱり向いてないんです、宇宙飛行士なんて……っ!」
再び涙をこぼすミリの肩を、私は優しく支えた。彼女の宇宙への憧れは、決して不純なものではない。過酷な日常から逃れたいという切実な願いこそが、彼女をここまで連れてきた原動力なのだ。
“ミリ、その恐怖は君が真剣に取り組んできた証拠だよ。静かな宇宙を見たいという君の夢は、何よりも尊いものだ。”
“君がこれまで積み上げてきた訓練の時間は、決して裏切らない。そして、君をひとりで宇宙に放り出すようなことは、私が絶対にさせないから。”
ミリは私の服の裾をぎゅっと握りしめたまま、泣き止もうとして何度も深く呼吸を繰り返した。彼女の小さな胸に灯った「憧れ」の火を、このまま消させてはいけない。私は改めて、この弱気なパイロットを無事に宇宙へ届け、そして帰還させる決意を固めるのだった。