嘘イベスト「エマージェンシー! ~カウントダウンは止まらない~」   作:さはぎん

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第7話:残り時間は……

島中に響き渡った緊急放送の余韻が、湿り気を帯びた夜風に溶けて、じっとりと肌にまとわりつく。

数時間前、実験機の帰還を祝って島全体を包み込んでいたあの輝かしい歓喜は、もうどこにもない。

運営本部の会議室へと続く廊下は、まるで深海の底のように冷たく、そして静まり返っていた。

 

私が重い扉を開けると、そこには既にプロジェクトの屋台骨を支える主任たちが集まっていた。

ロケット組み立て棟(VAB)から駆けつけたマヒルは、作業着の袖に付着した油汚れを拭うことも忘れ、椅子に深く腰掛けて、落ち着かない様子で膝を揺らしている。

その隣では、ゲヘナのウルナが巨大なレンチを弄びながら、いつもの不敵な笑みを消し、鋭い視線で天井の一点を見つめていた。

 

部屋の隅、誰よりも小さく丸まって座っていたのは、パイロットのミリだった。

彼女はレッドウィンターの厚い防寒帽を、千切れんばかりの力で握りしめている。

その指先が白く震えているのが、遠目からでもはっきりと見て取れた。

 

最後に滑り込んできたのは、ミッションコントロール主任のジュネだった。彼女は乱れた息を整える間も惜しむように、真っ直ぐに私の前まで歩み寄る。そして、規律正しい彼女らしく、深く、丁寧な一礼。

 

ジュネ「……先生。先ほどは、管制業務の真っ最中だったとはいえ、ろくにご挨拶もできず失礼いたしました。実験機の回収シーケンスに全神経を注いでおりましたので……。」

 

“気にしていないよ、ジュネ。”

“大事な仕事だったのは分かってるし、それにとっても格好良かったから。”

 

私の言葉に、ジュネの眼鏡の奥の瞳が、一瞬だけ安堵に揺れた。

しかし、彼女はすぐに室内の異常なまでの重苦しさに気づき、再び表情を鋼のように引き締めた。

彼女は周囲を見渡し、最後にチマリの前に積まれた「アールグレイ」のティーカップに目を留める。

チマリは一口も紅茶を啜っていない。立ち上る湯気だけが、空虚に空気に溶けていた。

 

ジュネ「……それで、この緊急招集は一体?各セクションは今、実験機のテレメトリ解析と、機体のオーバーホールに追われていると認識していましたが……」

 

ジュネの指摘はもっともだった。

発射場ではウルナたちが、打ち上げの熱で焼かれた配管の点検と事後整備に奔走しているはずだし、VABではマヒルたちが、帰還したばかりの機体各部を1ミリ単位で洗い直している真っ最中だろう。

 

ジュネ「有人ミッションに向けた具体的なタイムラインは、今回のデータ解析を待ってから策定する予定でした。一刻を争う事態とは、機体に異常でも見つかったのですか?」

 

私は言葉に詰まった。肺の中の空気が、鉄の塊に変わったかのように重苦しい。

それでも私は彼女たちに伝えなくてはいけない。自分を落ち着けるように一つ大きく息を吐いて、話を始める。

 

“忙しいのに集まってもらってごめんね。”

“ちょっと、急いでみんなに伝えないといけないことができて……”

 

隣に立つチマリに目線で合図すると、彼女は沈痛な面持ちでプロジェクターを起動する。そこに映されたのは、連邦生徒会の紋章が刻まれた、冷徹な電子文書だ。

 

そこには、リンが私に告げた残酷な一言が、太い文字で刻印されていた。

──『()()()()()()()()()()()()()()』。

 

“さっき、連邦生徒会のリンちゃんから聞いたんだけど……”

“現在のキヴォトスの情勢不安を理由に、この有人プロジェクトは凍結。行政の判断として、これ以上リソースを割くことはできないって……”

 

会議室を、真空のような静寂が支配した。マヒルが揺らしていた膝がピタリと止まり、ウルナが弄んでいたレンチがカチリと乾いた音を立てる。その沈黙を切り裂いたのは、マヒルの、地を這うような低い声だった。

 

マヒル「……凍結? 冗談だろう? 実験機は無事に帰還した。データも、テレメトリも、安全を示している。それはウタハ──ミレニアムのマイスターが保証してくれているんだぞ。」

 

マヒルは立ち上がり、机に身を乗り出して私に詰め寄る。彼女の瞳には、積み上げてきた技術を侮辱されたことへの、激しい憤怒の火が灯っていた。

 

マヒル「ミリを……あの子を無事に飛ばすために、私たちはどれだけの夜を、どれだけのボルトに注ぎ込んできたと思っている!それをただの紙一枚で『なかったこと』にするなんて、そんなことが許されていいはずがない!」

 

ウルナ「ヒハハッ! さすがは連邦生徒会、最高のジョークだぜ。アタシたちがここを火葬場にする準備を整えた途端に、薪を取り上げるってか?」

 

ウルナはレンチを肩に担ぎ、ギラついた瞳で命令書を見つめる。しかし、その笑い声には、ゲヘナらしい凶暴な怒りが、今にも爆発しそうな圧力で詰まっていた。

 

ジュネ「……チマリさん。凍結、というのは具体的にどういう意味でしょうか。一時的な延期ではなく、予算と人員の完全な引き揚げを意味するのですか?」

 

ジュネの事務的な問いに対し、チマリは目を閉じ、静かに首を横に振った。

 

チマリ「……行政の言葉遊びですわ。中止と言えば責任問題になりますが、凍結と言えば『いつかやるかもしれない』という希望を餌に、無期限に棚上げできる。……つまり、実質的なプロジェクトの解体です。」

 

チマリは、かつてティーパーティーでの交渉で幾度となく見てきたであろう「政治家の論理」を、吐き捨てるように説明した。彼女は冷めきった紅茶を眺め、自嘲気味に微笑む。

 

チマリ「……連邦生徒会長は、このプロジェクトにも比較的乗り気でいらっしゃいましたわ。ようやく形になったときにはもういなくなってしまっておりましたけれども……」

チマリ「あの方が不在となった混乱の最中に、私たちはその騒動に隠れて試験機の打ち上げまで強引に漕ぎ着けましたのに……」

 

チマリ「ですが……今、連邦生徒会をかじ取りされている方々からすれば、私たちの夢など自分たちの管理責任を問われかねない『不祥事の火種』でしかないようですわね。」

 

マヒル「ふざけるな!会長が認めていたことを、勝手な都合で握りつぶそうっていうのか!」

 

チマリ「ええ、そうですわ。彼女たちにとって重要なのは、宇宙への挑戦ではなく、『自分たちの任期中に問題を起こさないこと』だけ。……私たちの情熱は、彼女たちの椅子を揺らすノイズに過ぎないのでしょう。」

 

マヒル「ふざけるな!なら、私たちはどうすればいいんだ!命令に従って、あの完成したロケットをスクラップにするのを指をくわえて見ていろと言うのか!」

 

会議室の温度が急上昇していく。だが、その熱狂の渦から逃れるように、ミリがさらに体を小さくして震え始めた。彼女は、ディスプレイに映る『凍結』の二文字を、救いを見出したかのような、同時に地獄を見たかのような複雑な表情で見つめている。

 

ミリ「……あ、あの……凍結、ってことは、打ち上げは、なくなるんですよね……?」

 

ミリの震える声。それは、パイロットとしての責任感と、死への恐怖の間で引き裂かれた、悲痛な問いかけだった。

 

“……そうだね。”

“明日の朝には正式な命令書を持って、連邦生徒会の行政官がここに到着するみたい。”

“それで、プロジェクトは凍結される……”

 

チマリ「良くも悪くもお役所ですから、ここに到着するのはおそらく今から()()()()1()4()()()()といったところでしょう。」

 

14時間。その数字が出た瞬間、私の胸が痛んだ。彼女たちが費やした時間を、たった一晩の猶予で塗りつぶそうとしている。

 

ウルナ「1()4()()()……。なあ、マヒル。VABの調子はどうだ?」

 

ウルナが、暗い喜びを瞳に宿してマヒルに問いかけた。マヒルは一瞬だけ呆然としたが、すぐにウルナの意図を察し、獰猛な職人の顔へと戻った。

 

マヒル「……洗浄は終わって、大枠の組み立てが始まってる。6……いや、本気でやれば5時間あれば移動に入れる。」

 

ジュネ「……まさか。マヒルさん、ウルナさん。あなたたちは、命令が届く前に打ち上げを強行するつもりですか!?」

 

ジュネが椅子を蹴る勢いで立ち上がった。

 

ジュネ「正気ですか!有人ミッションのチェックリストは、平時でも三日は要するものです。それをわずか14時間で!?運行管理の常識を無視した、ただの自殺行為です!」

 

ジュネの叫びは正論だった。だが、チマリは優雅に椅子に背を預け、冷徹な計算を口にする。

 

チマリ「あら、ジュネさん。その『三日』というのは、あくまで行政への報告や、形式的な手順を含めての数字でしょう?手順(ルール)が私たちを縛る前に、手順を捨て去ってしまえば、物理的には可能ですわ。」

 

チマリ「……法が届くまでの14時間、この島は『法の空白地帯』になりますもの。」

 

チマリはそう言って、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳は、慈愛に満ちた生徒のものでもあり、同時に相手の逃げ道を塞ぐ冷徹な交渉者のものでもあった。

 

チマリ「先生。あなたは連邦生徒会から派遣された『監査役』です。あなたがここで私たちの暴走を記録し、報告すれば、この計画は今この瞬間に終わります。」

チマリ「ですが、もし……。あなたが明日の朝まで『何も見なかった』ことにしてくださるなら。あるいは、行政官の到着を少しでも遅らせる『盾』になってくださるなら……」

 

チマリが机越しに、私の手元へゆっくりと手を伸ばす。それは握手を求める仕草のようでもあり、奈落へ引きずり込む誘惑のようでもあった。

 

チマリ「シャーレの権限で、この14時間を私たちのために保証していただけますか?──いえ、言い換えましょう。先生、私たちと一緒に『共犯者』になってくださるかしら?」

 

彼女の視線が、私の心の奥底を射抜く。私がここで頷くことは、リンの信頼を裏切り、連邦生徒会というキヴォトスの秩序に背くことを意味していた。

リンが私に託した「視察報告書」が、プロジェクトを凍結させるための「免罪符」として用意されたものであることも、私は既に知っている。

 

“チマリ。……君は、私が断れないと分かっていて言っているね”

 

私は自嘲気味に、しかし確かな意志を込めて微笑んだ。監査役としての私の理性が「止めるべきだ」と警鐘を鳴らしていても、目の前の生徒たちの、泥臭くも純粋な情熱を前にしては、そんなものは砂上の楼閣に過ぎない。

 

“わかった。連邦生徒会への時間稼ぎと、あらゆる政治的責任は、すべて私がどうにかするよ”

“みんなの夢が、永遠に氷漬けにされるのを、私は見たくないからね”

 

私の言葉を聞いた瞬間、チマリの瞳に、策士としての計算を超えた、年相応の少女のような輝きが宿った。

 

チマリ「……ふふ。最高の結果をお約束しますわ、先生。キヴォトスで最も高価で、最も美しい『不祥事』を、あなたに捧げましょう」

 

「「──!!」」

 

主任たちの間に、戦慄にも似た高揚感が走った。 だが、その時。

 

ミリ「……正気ですかぁぁぁ!! 皆さん、どうかしていますぅ!!」

 

ミリが、椅子を弾き飛ばして叫んだ。その顔は真っ青で、大粒の涙がボロボロと溢れ出している。

 

ミリ「あんな……あんな、たった一晩で準備したロケットに乗るなんて、ただの自殺志願ですぅ!整備の人だって全員今朝の試験機のために徹夜で、誰もまともに寝てないんですよぉ!?」

 

ミリ「それなのに……!そんなの、ロケットじゃなくて、ただの()()()()()()じゃないですかぁ!!」

 

ミリの悲痛な叫びが、会議室に突き刺さった。技術者たちの「職人魂」が熱狂に浮かされる中で、実際にその頂点に座り、命を懸けてソラへ放り出されるのは、彼女一人なのだ。

 

ミリ「宇宙は、静かで平和な場所だって聞いたから……だから私、勇気を出してここに来たのに!なんで、打ち上げられる前から死にそうにならなきゃいけないんですかぁ!私は絶対に、あんな()()には乗りません!!」

 

ミリは防寒帽を顔に押し付け、声を上げて泣き崩れた。彼女の拒絶は、このプロジェクトの「核」を失うことを意味していた。時計の針は無情にも、夜明けに向けてカチカチと音を立てて進んでいく。

 

残り時間は、13時間55分。不退転の決意を固める技術者たちと、恐怖に震えるパイロット。相容れない二つの想いを抱えたまま、キヴォトス宇宙センター史上、最も長く、最も熱い「最後の一晩」が、幕を開けようとしていた。

 

 

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