嘘イベスト「エマージェンシー! ~カウントダウンは止まらない~」 作:さはぎん
会議室を支配していたのは、絶望ではなく、発火寸前の火薬のような焦燥感だった。壁のデジタル時計が非情に刻む「13時間50分」という数字。それが、彼女たちに残された時間の全てだ。
“いいんだね……?”
“私が責任を取るとはいえ、チマリ達もリンちゃんにすごく怒られると思う。”
“それでも、宇宙を目指すんだね?”
私が静かに問いかけると、チマリは優雅に、しかし冷徹な計算を秘めた微笑を浮かべた。
チマリ「ふふ、覚悟はとうに決まっておりますわ。先生、あなたという最大の『共犯者』を得た今、私たちの矢を止めるものは何もありません。」
「話がまとまったなら、私はVABに戻るよ!」と、マヒルが勢いよく椅子を蹴って立ち上がった。その瞳には、設計主任としての凄まじい執念と、技術を侮辱されたことへの怒りの火が燃えている。
マヒル「ウタハ、悪いけど手伝ってくれ。
ウタハ「構わないとも。未知の領域へ挑む生徒たちの熱意、その仕上げに付き合うのはエンジニアとして最高の刺激になる。」
二人は視線を交わすと、弾かれたように部屋を飛び出していった。その後を追うように、ウルナが巨大なレンチを肩に担ぎ直す。
ウルナ「ヒハハッ!アタシも射点に戻るぜ!最高にイカした火を吹かせるための、極上の燃料を流し込んでやるからな!」
不敵な笑い声を残して、ウルナもまた夜の闇へと消えていく。その熱狂に耐えかねたように、隅で丸まっていたミリが、悲痛な叫び声を上げた。
ミリ「あ……ああ、もう……皆さん、本当におかしくなっちゃいましたぁぁ!!」
ミリは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、レッドウィンターの防寒帽を抱えて、逃げ出すように会議室から走り去っていった。その背中には、実際に命を懸ける者だけが抱く、逃れようのない恐怖が張り付いていた。
後に残されたのは、私とチマリ、そしてジュネ。
ジュネ「……チマリさん。行政官の到着予定から逆算し、秒単位のスケジュールを策定します。運行管理のプライドにかけて、一秒の遅延も許しません。」
チマリ「ええ、お願いしますわ。さあ、先生。キヴォトス宇宙センター史上、最も長く、最も熱い不退転のカウントダウンを始めましょう!」
会議室の外からは、早くも重機の駆動音と、生徒たちの不眠不休の戦いを告げる怒号が響き始めていた。
会議室を後にした私は、その足で天を突くようにそびえ立つ
一歩足を踏み入れれば、そこには数時間前までの静謐な作業空間は存在しなかった。重機の駆動音、溶接の火花、そして生徒たちの鋭い怒号が広大な空間に反響している。
壁面に投影された大きなタイマーは、無情にも「打ち上げまで残り12時間30分」を刻み続けている。だが、現場の職人たちを急き立てているのは、その隣に赤字で表示された別の数字だった。
『VAB作業完了・射場移動開始まで──残り4時間30分』
マイルストーンによれば、打ち上げ8時間前にはすべての組み立てを終え、この巨体を発射場へ送り出さなければならない。緊急会議の終了から与えられた時間は、わずか5時間。
作業服を煤と油で汚した生徒たちが、まるで精密機械の一部になったかのように走り回っている。その喧騒の片隅、新型ロケット「コスモス」の最上段に据えられるコマンドポッドの傍らで、二人の天才が頭を突き合わせていた。
“調子はどうかな、マヒル、ウタハ。”
私が声をかけると、マヒルは手にしていた電子ドライバーを止め、乱暴に汗を拭った。その瞳は充血しているが、技術者としての執念が宿る光は少しも衰えていない。
マヒル「……先生か。見ての通りだ。移動開始までの残り5時間弱で、この『コスモス』の全神経を繋ぎ直してみせる。」
ウタハ「やあ、先生。追われる時間と寸分の狂いも許されない作業の二重苦だ、なかなかに精神に来るよ。」
ウタハは眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、複雑に絡み合った配線とセンサーの束を指し示した。二人が作業しているのは、パイロットが乗り込む操縦席、すなわちコマンドポッドの最上部だ。
“2人がかりで、その部分を重点的に見ているみたいだけど……”
“それは……?”
私の問いに、マヒルはポッドの頂点にある無骨な塔──LESを愛おしそうに見上げた。
マヒル「……『脱出シーケンス』の強制割り込み回路だ。本来なら自動制御に任せる部分だが、今回は全系統を独立した三系統に作り替えている。」
マヒル「もし、打ち上げ中にロケットが火薬庫に変わったとしても……1ミリ秒、いや、コンマ1ミリ秒でも早く、パイロットを安全な空域へ弾き飛ばすために」
ウタハ「加えて、私がバイパス回路のセンサーを二重化している。機体の構造強度が限界を超えた瞬間、誰の許可も待たずにこのポッドだけを『救い出す』。……これが、私たちの誠実さの形だ。」
“……ミリを、生きて帰すための「箱舟」としての機能を、極限まで高めているんだね”
マヒル「……当たり前だ。あいつは怖がりで、弱虫で、今もどこかで泣いているだろうが……。それでも、私の作った設計図を信じて座席に座るんだ。
マヒルの言葉には、先ほどまでの狂気的な焦燥とは異なる、静かな、しかし鋼のように固い決意が込められていた。ウタハもまた、無言で精密なハンダ付けを再開する。その手元には一点の迷いもなかった。
二人の背後では、巨大なクレーンが唸りを上げて第1段ブースターを吊り上げようとしている。残り時間は、刻一刻と削り取られていく。
タイムリミットに向けて、彼女たちは一人の少女を宇宙へ届け、そして必ず生還させるための「奇跡」を、泥臭く、しかし確かに組み上げていた。
打ち上げまであと11時間。
VABの熱気と二人の背中を後にした私は、連絡車両を島の東端へと走らせる。
目指すのは、昼にも訪れた「第4発射場」だ。だが、夜の闇に沈んでいるはずのその場所は、遠くからでもそれと分かるほどの異常な輝きを放っていた。
車が近づくにつれ、闇は完全に駆逐されていく。射場全体を包囲するように設置された数条の武骨なサーチライトと、整備塔の各所に増設された高輝度の明かりが、鉄骨の隅々までを白く焼き付けていた。
その光量は凄まじく、まるでそこだけが昼間に時間を巻き戻されたかのようだ。影すらも許さない不夜城のような輝きの中で、生徒たちが遮光ゴーグルを装着し、精密な配管の点検を続けている。
車を降りると、潮風とより強くなったケロシンの匂いが鼻を突いた。
ウルナ「ヒハハハッ! ようこそ先生! この眩しさに目がやられちまったか?」
レンチを肩に担ぎ、煤と油で汚れた顔に不敵な笑みを浮かべて、ウルナが歩み寄ってきた。昼間のような光に照らされた彼女の瞳は、爛々と肉食獣のような光を宿している。
“ウルナ、順調に進んでる?”
“VABの方は予定通り、あと数時間で移動の準備が整うみたいだよ”
ウルナ「おう、マヒルから連絡は入ってるぜ。こっちは見ての通りだ。一分の隙もなく、配管の全系統を点検し直してやった。この不自然な明るさのおかげで、ネジ一本の緩みも見逃さねえよ。」
ウルナは眩い光に縁取られた整備塔を見上げた。6時間後にはあそこに「コスモス」が据え付けられ、その1時間後には、彼女が最も愛する「火」の源たる燃料の充填が始まる。
ウルナ「アタシがこの射点を守る限り、燃料は一滴も漏らさず、あの巨体に流し込んでやる。……先生、覚悟しときな。明日の朝には、キヴォトスで一番派手な火花を拝ませてやるからな!」
“……期待しているよ!”
私は短く答え、眩すぎる光の中で立ち働く彼女の背中を見つめた。
明るい太陽の下で見た時よりも、今の彼女たちはどこか研ぎ澄まされている。刻一刻と削り取られていく残り時間の中で、彼女はこの人工的な太陽の下、一人の少女を宇宙へ突き動かすための「点火」の瞬間を、静かに、しかし熱狂的に待ち構えていた。
眩いばかりの光に包まれた第4発射場を後にし、私は再び連絡車両を走らせた。
目指すのは宇宙センターの心臓部、トラッキングセンターだ。VABや発射場の「物理的な熱気」とは対照的に、ここには電子の海を泳ぐような、研ぎ澄まされた「静かな緊張感」が支配している。
重厚な自動ドアが開くと、冷房の効いた冷たい空気と共に、無数の電子音が耳に飛び込んできた。暗めな室内で、壁一面のスクリーンと各コンソールから放たれる青白い光が、生徒たちの横顔を鋭く照らし出している。
部屋の壁の大半を覆うメインモニターには、キヴォトス全域の衛星軌道図と共に、このミッションの終着点──明朝のリフトオフへ向けたカウントダウンタイマーが、鮮やかな赤色で時を刻んでいた。
『T-minus 09:12:55』
刻一刻と削り取られていくその数字は、私たちに残された「法の空白地帯」が、もはや一分一秒の猶予もない砂時計であることを無言で告げている。そのタイマーの光を背負うようにして、一睡もしていないはずのジュネが、微動だにせずコンソールを凝視していた。
“ジュネ、順調かな?”
“VABや発射場は、みんな火が付いたような勢いで作業していたよ。”
私の声に、ジュネは視線だけをこちらに向け、短く、しかし確かな信頼を感じさせる声で応えた。
ジュネ「先生。……ええ、各班の進捗はリアルタイムで把握しています。遅延はありません。むしろ、マヒルさんたちの気迫に押されて、全体で数分の『マージン』が生まれつつあります。」
彼女の手元のモニターには、複雑極まるダイヤ表のような、秒単位の軌道プロファイル*1が映し出されている。それは彼女がハイランダーで培ってきた鉄道運航のノウハウを極限まで宇宙に最適化させた、この一夜限りの「ミッションスケジュール」だった。
ジュネ「この高度の衛星軌道は、現在非常に過密です。打ち上げウィンドウ*2を秒単位で固定しなければ、他の通信衛星や観測衛星に接触しかねません。」
“でも、ジュネがしっかりコントロールしてくれるんだよね。”
“だったら安心だよ。”
ジュネ「お任せください。ミッションコントロール主任のプライドにかけて、ミリさんを乗せた『コスモス』を、定刻通りに、そして安全に目標軌道へ送り届けてみせます。……たとえ、このフライトの帰還地点が、誰にも祝福されないものであったとしても。」
コンソールの片隅、予備の椅子に腰を下ろしてタブレットを叩いていたチマリが、ふっと顔を上げた。
チマリ「ふふ、そんな寂しいことをおっしゃらないで。ジュネさん。夜明けには、連邦生徒会という名の『招かれざる客』すらも沈黙させる、最高の記録が刻まれるのですから。」
“そうだね。”
“でも、会議の後、泣きながら走って行っちゃったミリがちょっと心配だね。”
私の言葉に、チマリは視線をメインモニターの赤い数字へと移し、どこか寂しげに目を細めた。
チマリ「……ふふ。ミリさんのあの泣き顔を思い出すと、私の胸も少しだけ痛みますわ。あんなに怖がりで、静かな場所を求めていた彼女に、これほど過酷で騒がしい運命を強いてしまったのですから。」
チマリは手元のタブレットに、ミリの
チマリ「ですが、だからこそ。彼女が『ここが一番静かで安全な場所だ』と笑って帰ってこられるように、私たちは最高の
チマリの言葉には、政治的な駆け引きではない、一人の仲間としての切実な祈りが込められていた。
その時、私の手元の通信端末から、聞き慣れた落ち着いた声が響いた。
ウタハ『──先生、聞こえるかな?』
“ウタハ、そっちはどう?”
ウタハ『ああ、絶好調だとも。これから「コスモス」の最上段、コマンドポッドの搭載作業を開始するところだよ。……この天を衝く白銀の矢に「魂」を込めるこの工程、せっかくだから先生も立ち会わないかい?』
“本当!?”
“すぐに行くよ!”
私はチマリとジュネに短く目配せをして、トラッキングセンターを後にした。
メインモニターに映る赤い数字が 『T-minus 08:40:00』 を刻んでいる。「射場移動」開始まで、あとわずか。一人の少女を宇宙へ届け、そして必ず守り抜くための、「仕上げ」が始まろうとしていた。