嘘イベスト「エマージェンシー! ~カウントダウンは止まらない~」 作:さはぎん
ウタハの誘いを受け、私は再び
天井が見えないほどの吹き抜け空間には、眩いばかりの作業灯が照らし出す純白の巨塔、「コスモス」が静かに、しかし力強く佇んでいる。
その頂点では、精密なクレーンによって吊り上げられたコマンドポッドが、ゆっくりと機体本体へと降ろされていた。
ウタハ「来たね、先生。今まさに、この白銀の矢に『魂』を込める最後の工程だよ。」
作業足場の上で、ウタハが誇らしげに空中のポッドを指差した。
“あれが、ミリの座る場所なんだね”
マヒル「そうだ。ミリの命を預かる、世界で一番頑丈な箱舟だ。」
マヒルは油のついた手でポッドの表面を撫で、最終的な接合ボルトの数値をモニターで確認した。
マヒル「
数分後、重厚な金属音がVAB内に響き渡り、ポッドが機体と一体化した。
その瞬間、現場の生徒たちから短い、しかし熱のこもった拍手が沸き起こった。
ついに、不眠不休で組み上げられた「コスモス」が完成したのだ。
VABの巨大な扉が左右に開き、そこからゆっくりと、文字通りの巨像が外の世界へと歩みを進める。
クローラー・トランスポーター*1が、地響きを立てて動き始めていた。
その移動速度は、時速にしてわずか3キロから4キロ程度。
大人が歩くよりも遅いスピードで、海沿いの第4発射場へと続く道を3時間かけて進んでいく。
夜の闇の中、無数のライトに照らされたロケットの影が、島全体を圧倒するように伸びていた。
“ようやく、ここまで来たんだね。”
移動を見守りながら、私は肺にある空気をすべて吐き出すように深く息をついた。
法の空白地帯、残り14時間という無茶な強行軍。
連邦生徒会からの凍結命令という話で一度は空中分解しそうになったプロジェクトが、ようやく発射場という最後の舞台へ向かおうとしている。
機体は完成し、移動も始まった。あとはミリが搭乗すれば、カウントダウンは最終局面を迎える。
これでもう、一安心だ。そう自分に言い聞かせていた、その時だった。
チマリ「先生!先生、大変ですわ!」
暗闇の中から、チマリが必死の形相でこちらへ走ってくるのが見えた。
いつもは優雅で冷静な彼女が、髪を乱し、肩を激しく上下させて私の前で立ち止まった。
“チマリ!?”
“どうしたの?そんなに慌てて……”
チマリ「ミリさんが……ミリさんが、宇宙飛行士センターのシミュレーター室に立てこもってしまいましたの!」
チマリ「あんな突貫作業で作った爆弾には絶対に乗らない、死んでも打ち上げられないって、泣き叫んで……扉を内側からロックしてしまいましたわ!」
平和で静かな場所を求めてKSPにやってきた、臆病で、けれど誰よりも宇宙に憧れていた一人の少女。
彼女の心の中で、ついに「恐怖」という名のカウントダウンがゼロを振り切ってしまったようだった。
リフトオフまで、残り8時間を切ろうとしていた。
チマリに導かれ、私は宇宙飛行士センターの奥にあるシミュレーター室へと急いだ。
重厚な金属扉の前では、ジュネがタブレットを片手に、苦渋の表情で立ち尽くしている。
ジュネ「先生……。ミリさんが内側から電子ロックを二重に掛け、一切の通信を遮断しました。今の彼女はパニック状態で、論理的な説得を受け付けません。」
彼女はいつもの沈着冷静な様子とは異なり、困惑した表情でドアの操作パネルを見つめている。
“ジュネ、状況を教えてくれるかな”
ジュネ「先ほど『コスモス』の移動が始まった地響きを聞いた直後、彼女はパニックに陥りました」
ジュネ「『あんな突貫作業で作った爆弾には絶対に乗らない』と……」
“そっか……”
“少し私に話をさせてもらえないかな?”
私は扉越しに、努めて穏やかな声で呼びかけた。
“ミリ、私だよ。中に入れてもらえるかな?”
ミリ「嫌ですぅ……!先生も、みんなも大嫌いですぅ!あんな一晩で作った爆弾に乗せるなんて、私を殺す気なんです!私は絶対に、一歩もここから出ませんからぁ!」
扉の向こうから返ってきたのは、悲痛な叫びと、激しいすすり泣きだった。チマリが焦燥を隠せず、扉に手をかける。
チマリ「ミリさん、落ち着いてくださいまし!機体はマヒルさんたちが完璧に仕上げましたわ。法的凍結まで時間がありませんの、今すぐ準備を始めないと……!」
ミリ「法的凍結万歳ですぅ!打ち上げなんて、なくなっちゃえばいいんですわぁぁ!」
今の彼女に何を言っても、恐怖を増幅させるだけだろう。私は一度、チマリとジュネを廊下の端へと促した。
“……今のミリに何を言っても、恐怖を増幅させるだけだとおもう。”
“少し彼女に時間をあげよう。一人で呼吸を整える時間が必要なんだ”
ジュネ「確かに落ち着いてもらう時間は必要だと思いますが……あと4時間もすれば燃料充填も始まってしまいますよ?」
“機体の移動と発射場の準備は予定通り進めておいて。”
“……パニックのまま搭乗したりしたら、それこそ最大の失敗に繋がるだろうから。”
“ミリが自分を取り戻すための時間を、私に預けてくれないかな。”
チマリとジュネは顔を見合わせ、やがて重い溜息をついて頷いた。
あれから2時間ほどが経過した。
窓の外では、時速3キロから4キロという鈍足で進む「コスモス」が、ようやく発射場の影を捉えようとしていた。
燃料充填開始までは、まだ1時間30分ほどの猶予がある。
私は再び、静まり返ったシミュレーター室の前に立った。
今度は、電子ロックの解除音が小さく響いた。
扉を開けると、ミリはシミュレーターのシートの脇で、膝を抱えて小さく丸まっていた。
トレードマークの防寒帽を、千切れんばかりの力で握りしめている。
“ミリ、少しは落ち着いたかな”
ミリ「……先生。ごめんなさい。私、分かってるんです。みんなが私のために頑張ってくれたこと。でも……怖いんですぅ。宇宙は、あんなに綺麗なのに……」
ミリは顔を上げず、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
ミリ「……レッドウィンターは、いつも凍りつくような沈黙と、それを切り裂くような怒鳴り声に満ちていました。誰かが誰かを粛清し、雪かき用のスコップが硬い氷を叩く音が響く……。私の世界は、そんな灰色の景色だけだと思っていました。」
ミリ「でも、重い防寒帽を目深に被って、誰もいない屋上で古い望遠鏡を覗き込む時だけは違ったんです。レンズの先にある蒼い世界は、吸い込まれそうなほど静かで、あそこに行けばきっと、誰も怒らなくて済む穏やかな場所があるはずだって……。いつしか、それが私のたった一つの、大切で、臆病な夢になりました。」
ミリ「逃げるように志願してやってきたこのKSPは、想像していたよりもずっと騒がしくて、大変な場所でした。目が回るような遠心分離機に、狭いシミュレーター……。何度も『私なんかがここにいていいのかな』って不安になりましたけど、マヒルさんが私の手を引いて『筋がいい』って笑ってくれるたび、自分の居場所を見つけたような気がして、少しだけ誇らしかったんです。」
ミリ「……それなのに。窓の外に見えるあの『コスモス』は、今や私を宇宙へ連れて行くロケットではなく、命を奪う『空飛ぶ火薬庫』にしか見えません。あんなに短時間で、みんなが寝ないで無理やり組み立てた爆弾に乗って、暗い空の向こう側に放り出されるなんて……。考えただけで、足がガクガク震えて、呼吸の仕方も忘れそうになりますぅ……!」
ミリ「憧れていたはずの静かな宇宙が、今は牙を剥いた怪物みたいに怖いです……っ。私はただ、綺麗な星を近くで見たかっただけなのに。どうして、こんなに死ぬほど怖い思いをしなきゃいけないんですかぁ……!私、やっぱり……やっぱり無理です、宇宙飛行士なんて……!」
そう言ってミリは防寒帽を顔に押し付け、震える肩をさらに小さくして泣き崩れた。シミュレーター室には、彼女の嗚咽と、電子機器の微かな駆動音だけが虚しく響いている。
私は、彼女の隣に静かに腰を下ろした。今の彼女を動かすのは、技術的な安全性の証明でも、組織の責任論でもない。
“……ミリ。話してくれてありがとう。”
“君がレッドウィンターの屋上で、どれほど大切にその夢を温めてきたか……そして今、どれほどの恐怖と戦っているか。よく分かったよ。”
ミリ「……っ、うぅ……。わ、私……やっぱり、ダメですぅ……。宇宙は、あんなに綺麗なのに……なんで、こんなに怖いんですかぁ……!」
“そうだね。宇宙はあまりに広くて、私たちはあまりに小さい。その入り口に立つ者が恐怖を感じないなんて、ありえないよ。”
“でも、ミリ。……1つだけ、私に教えてほしいんだ。”
私は、彼女の潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめた。
“君が望遠鏡のレンズ越しに恋をした、あの『静かな世界』。”
“あそこに行けば誰も怒っていなくて、誰も悲鳴を上げていない……そう信じて手を伸ばし続けてきた、君の、たった一つの素敵な夢。”
“……それを、叶えられなくてもいいの?”
ミリは、息を呑んで顔を上げた。
“ここで扉を閉めたまま、外にある『コスモス』がスクラップになるのを待てば、確かにミリの命は安全だ。”
“でも、君が一生をかけて憧れ続けたあの蒼い景色を、自分の目で見られないまま終わってしまっても……本当に、後悔しない?”
ミリ「それは……っ、そんなの……嫌ですぅ……。でも、でもぉ……!」
“怖くてもいい。足がすくんでもいい。でも、マヒルやみんなのことも信じてあげてほしいな。”
“彼女は、ミリが今こうして震えることを、最初から分かっていたんだと思う。”
“マヒルが整備で一番気にかけていた場所、どこだと思う?”
ミリ「え……? 一番大きな、エンジン……ですか……?」
“違うよ。”
“マヒルがウタハと一緒に、何度も、それこそ血の滲むような思いでチェックし直していたのは、君が座る『コマンドポッド』と、その上の『緊急脱出システム』だよ。”
私は、窓の外で投光器に照らされる純白の機体──みんなの情熱が結集した「コスモス」を指差した。
“マヒルは言っていたよ。自分の設計図を信じて座る子を、危険に晒すような真似はさせないって。”
“あの装置は、マヒルの、そしてここにいるみんなの、ミリに対する『誠実さ』の形なんだよ。”
“君は一人じゃない。”
“この島にいる全員が、君が夢見たあの『静かな世界』へ君を届け、そして必ず、この大地に笑顔で帰すために戦っている。”
ミリは袖で乱暴に涙を拭うと、ガタガタと震える足で、それでも自らの意志で立ち上がった。
ミリ「……ひぅ、はぁ……っ。……先生。私、やっぱり怖いです。今すぐ逃げ出したいですぅ。でも……」
ミリ「私が、あの望遠鏡の先にあったものを……この目で見届けないと。……私を信じてくれた、みんなに合わせる顔がありませんから!」
“……いってらっしゃい、ミリ。”
“一番高い場所で、誰よりも静かな時間を過ごしておいで。”
ミリ「はいぃ……っ!星見ミリ、行きます!みんなの『誠実さ』に乗って……空の向こう側を、確かめてきますぅ!」
リフトオフまで、残り時間は5時間を切っていた。