玉葱騎士、六面世界に立つ   作:プラザ合意

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第11話 「生きて」

 

 紛争地帯を進む道は、乾いていた。

 

 風に運ばれてくるのは血の匂い。腐臭。焼け焦げた木材の残り香。

 

 ジークフリートは足を止めた。

 道端にそびえ立つそれは、もはや人とは呼びがたい。

 四肢は切り落とされ、胴体には太い杭が打ち込まれ、地面に縫い止められている。見せしめ。怒りでも殺意でもない、愉悦の痕跡。

 

 隣に立つシャンドルも、無言のまま目を伏せた。

 

「……ただごとではありませんね」

 

 わずかに残る足跡と、遠くに漂う煙。人の気配をかすかに感じる。

 

 二人は村へと向かった。

 

 

 

 

 村は、壊れていた。

 家々は焼け落ち、畑は踏み荒らされ、井戸には死体が投げ込まれている。生き残った者たちは顔に影を落とし、声を潜めていた。

 

 事情はすぐに知れた。

 

 盗賊だ。

 男は殺され、子供と女は攫われた。

 生き残ったのは、隠れられたわずかな村人だけ。

 

「……どこだ」

 

 ジークフリートの声は低かった。

 義憤というより、暴力的な怒りだった。

 

「その盗賊たちは、どこにいる」

 

 

 

 

 雷の如く、森を駆ける。

 

 深緑を白銀がなぎ倒し、進み続ける。

 

 洞窟を根城とした盗賊たちのアジトを見つける。

 

「誰だ――」

 

 声は最後まで続かなかった。

 顎から上が、消えた。

 

「て、敵――」

 

 叫びは真っ二つに断ち切られる。

 

 逃げようとした背中が両断され、助けを求める腕ごと、胴が消える。

 

 泣き声は潰れ、命乞いは頭蓋ごと砕かれた。

 悲鳴は長く続かなかった。

 

 何度も、何人も、殺す。

 

 鉄が肉を裂く音と、骨の砕ける音だけが響いた。

 

 ジークフリートは躊躇わなかった。

 慈悲も、見せしめも、加減もなかった。

 

 全てが終わった後、白銀の鎧は真っ赤に染まっていた。

 

 血みどろのまま、攫われた村人を探すジークフリート。

 

 すぐに村人は見つかった。洞窟の奥の牢屋にまとめて入れられており、誰もが怯え、震えていた。

 

「もう大丈夫だ」

 

 牢屋を手で軽く破壊し、歩み寄る。

 小さな悲鳴とともに、村人たちが後ずさる。

 そのなかでひときわ強く、震えていた少女がいた。

 

「や…やめ、やめて……もういや、いや…」

 

 顔には乱雑に刻まれた生々しい傷跡が刻まれており、すぐに治療が必要な状態だった。

 

「大丈夫だ。すぐに治す――」

 

 ジークフリートは手を差し伸べる。

 その瞬間、彼女は悲鳴を上げた。

 

「来ないで!!」

 

 盗賊の血と肉片で真っ赤な鎧、スリットから見える血よりも赤黒く、鈍い光を放つ赤い瞳。血まみれの英雄は、怪物にしか見えなかった。

 

 恐怖は伝染し、解放された者たちの視線も硬くなる。

 

「ひいっ……」

「痛いのはいや、痛いのはいや、痛いのはいや…」

 

 ジークフリートは、ただ立ち尽くした。

 何も、言えない。

 助けに来たはずなのに。

 守ったはずなのに。

 

 彼らは苦しんでいるままだ。

 

「ジークくん!」

 

 駆けつけた瞬間、シャンドルは状況を一瞥する。

 血。壊れた牢。怯える目。

 

 ――まずは呼吸だ。

 彼はゆっくりと両手を広げ、視線を合わせる。

 

「大丈夫です。もう誰も来ません」

 

 震える少女の前に膝をつく。

 

「もう敵はいません。盗賊はいない。あなたたちは、自由です」

「……じ、ゆう……?」

「ええ。帰れます。村に。もう怯えなくていい」

 

 震える少女の肩に、そっと外套をかける。

 

「怖かったですね」

 

 それだけを言う。

 少女の喉から、押し殺していた嗚咽が漏れた。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 言葉は、刃物よりも慎重に。

 

 村人たちは、次第に落ち着きを取り戻していった。

 

 ジークフリートは自分の手を見る。

 血が、まだ乾いていない。

 

 守ったはずなのに。

 

 救ったはずなのに。

 

 ――それでも、彼らは震えている。

 ならば、自分は何をした?

 

 

 

 

 シャンドルに連れられ、村人たちが村に帰還する。

 攫われた者と、生き残った者たちが涙ながらに再会し、抱擁し合う。

 

 その姿を遠くでジークフリートは見つめていた。

 シャンドルが近づく。

 

「君は正しい。だが――正しいだけです」

 

 ジークフリートは何も言わない。

 

「君は、自分がどう見えるかを考えていない」

 

 一瞬、視線が揺れる。

 

「正義とは、相手を倒すことではない」

「…では、なんですか」

 

「恐怖を終わらせることです」

 

沈黙。

 

「君は盗賊たちを殺し、恐怖を止めた。だが――君自身が、恐怖になった」

 

指が、わずかに震える。

 

「私は、間違えましたか」

「いいえ、間違いではありません。ただ、足りないだけです」

 

「ジークくん。強くなりなさい。

 力ではなく――在り方を」

 

 

 

 

 その後、二人は村の復興に手を貸した。

 焼け落ちた家を建て直し、倒れた柵を組み直し、踏み荒らされた畑を耕す。

 戦士としての力は振るわない。斧を握り、鍬を持ち、汗を流した。

 

「ありがとうねえ、旅の人なのにこんなに手伝ってもらっちゃって…」

「いえいえ、乗りかかった船ですよ。このシャンドル・フォン・グランドールと、その弟子ジークフリートにお任せください!」

 

 冗談めかした声に、わずかな笑いが戻る。

 最初は距離を置いていた村人たちとも、少しずつ言葉を交わすようになった。

 

「ミーナも、早く元気になれればいいんだけどねえ…」

 

 その名が出ると、空気がわずかに沈む。

 

 顔に傷を負った少女はミーナと言った。

 彼女は家に閉じこもったままだった。

 

 窓は板で打ち付けられ、昼でも灯りは漏れない。

 

 彼女は村一番の美人だったという。

 もうすぐ、祝言を挙げるはずだったとも。

 盗賊は、それを壊した。

 家族も、恋人も、そして――彼女の顔も。

 命は残った。

 だが、それだけだった。

 

「………」

 

 どうすればいいのか、ジークフリートには未だにわからない。

 

 だが、このまま放っていても何も解決しないのではないか。

 

 自然と足は、ミーナの家へと向かっていた。

 

 何を言えばいいのか。

 ルーデウスの時は、ただ側にいればよかった。

 だが今回は違う。

 自分が傷つけた。恐怖を植え付けた。

 それでも――少しでも、彼女が前を向けるなら。

 

 ジークフリートは戸口の前に立つ。

 

 中からは、物音一つしない。

 

 ノックし、声をかける。

 

「……………元気か?」

 

 沈黙。

 それでも、言葉を探す。

 

「……生きていて、よかった」

 

 言ってから、自分で違和感を覚える。

 

 沈黙。

 

「よかった?」

 

 乾いた笑い。

 

「はっ、ははっ! 良かった? これのどこが良かったの? 家族も死んで、恋人も死んで、顔はズタズタで! どう生きていけっていうの!!」

 

 胸が締め付けられる。

 

「強い人はいいわよね」

 

 静かな声。

 

「全部壊して、全部終わらせて、それで“助けた”って顔ができるんだから」

 

 ジークフリートの喉が、わずかに鳴る。

 

 言葉が、何一つ見つからない。

 自分の正しさが、急に空虚に思えた。

 

 それからジークフリートは、戸を叩かなかった。

 

 謝罪もしない。

 説得もしない。

 

 代わりに、壊れた屋根を直し、荒れた畑を耕し、汚れた井戸を修繕し、夜のうちに薪を積んだ。

 

 礼は必要ない。

 

 気づかれなくてもいい。

 

 ただ――

 彼女から奪われた“明日”を、一つずつ戻すように。

 

 

 

 

 ある夜。

 崖の上に、ミーナは立っていた。

 

 夜なら、誰にも見られない。

 そう思って外に出ただけだった。

 

 ただ歩いて、風に当たりたかった。

 

 だが、崖の縁に立ったとき、ふと思う。

 

 ――一歩、踏み出せば。

 

 月明かりが白い。

 

 風が強い。

 

 足元は、暗い。

 

 それだけで、十分だった。

 

「ミーナ」

 

 かしゃり、かしゃり、と鎧が擦れる音。

 見張っていたジークフリートが、ミーナの側に近づく。

 

 ミーナはジークフリートを一瞥すると、興味をなくしたようにしてすぐに目をそらす。

 

「それ以上近づいたら飛び降りるわよ」

 

 冷たい拒絶。

 

 飛ばれても、間に合う。

 その自信はある。

 

 だが、それでは意味がない。ここで彼女を助けても、また同じことを繰り返すだけだろう。

 

 力を使えば、命は救える。

 だが、心は救えない。

 

 永遠のような、一瞬の逡巡。

 ジークフリートは、ゆっくりと兜に手をかけた。

 

 留め具を外す音が、夜に響く。

 

 かしゃり。

 

 兜を外す。

 

 月光が、顔を照らす。

 

 干からびた皮膚。沈んだ眼窩。焼き焦げた灰のような髪。

 生者とも死者ともつかぬ貌。

 

「見てくれ」

 

 風が、腐った皮膚を撫でた。

 ミーナの呼吸が止まる。

 

「俺は、これで生きている」

 

 恐ろしく、醜い。

 だが、隠そうとしていたであろうその顔を、自分のために晒している。

 月の下で、大きなはずのその身体は、ひどく小さく、弱く見えた。

 

「呪いによって、国を追放された。失った。全部、なくなった」

「……それでも、生きている」

 

 ミーナは、目を逸らせない。

 

 怖い。

 だが――

 

 そこに“強者”はいなかった。

 ただ、壊れた何かが立っている。

 

「……なんなのよ」

 

 声が震える。

 

「そんな顔で……どうして平気なのよ」

 

 ジークは答えない。

 答えられない。

 

 そして――

 

「……ふ、う……」

 

 堰を切ったように、嗚咽が溢れる。

 

「……なにそれ」

「なんなのよ、あんた……」

 

 崩れるように膝をつき、泣く。

 

「……ふっ、ううう…うう、うあああ!!」

 

 泣いて、泣いて、泣いて。

 

 やがて立ち上がる。

 

 涙を乱暴に拭う。

 

「……馬鹿馬鹿しくなった」

 

 袖で涙を拭う。

 

「……帰る」

 

 背を向け、歩き出す。

 ジークフリートは追わない。

 

 ただ、兜を抱えたまま、夜風の中に立っていた。

 

 

 

 

 朝。

 村は、いつも通りの音で目を覚ます。

 

 斧の音。

 鶏の声。

 誰かが井戸を引く音。

 

 ジークフリートは、昨夜と同じように薪を割っていた。

 

 崖のことも、涙も、誰にも言わなかった。何もなかったかのように。

 

 兜は、被っている。

 

 足音。

 

 ふと気配を感じるが、振り向かない。

 

 ミーナが、水桶を抱えて井戸へ向かう。

 

 顔の傷は、隠していない。

 布も巻いていない。

 

 月明かりではなく、朝日に晒されている。

 

 誰も何も言わない。

 

 すれ違う。

 ほんの一瞬。

 ミーナの視線が、ジークフリートの兜に止まる。

 

 目を逸らさない。

 

 言葉はない。

 礼もない。

 許しもない。

 

 だが、拒絶もない。

 

 ジークは、再び薪を割る。

 かん、と乾いた音が、朝に響く。

 

 ミーナは井戸の縄を引く。

 きい、と軋む音が続く。

 

 それだけで、よかった。

 

 

 

 

 復興は進み、村に灯りが戻った。

 村人たちはぎこちないながらも日常へと戻っていく。

 ミーナも、外に出るようになったと聞いた。

 

 自分はもう必要ない。

 

 夜明け前。

 ジークフリートは、誰にも告げず村を出ようとする。

 

 足音。

 

「待ちなさいよ」

 

 振り向くと、ミーナがいた。

 

「あんた、無責任ね」

 

「私はもうどうでもいいの? どっか行っちゃうんだ?」

「……君が望むなら、俺は残る」

「はっ」

 

 小さく笑うミーナ。

 

「馬鹿じゃないの。冗談よ」

 

 一歩、近づく。

 

「あんたに助けられなくても、私は私で勝手に立てるわよ」

「……そうか」

 

 夜が薄れ、日が差し始める。

 

「……行きなさいよ。あんたの好きなとこに。もうあんたなんかに二度と会いたくない」

「…ああ」

 

 ジークフリートは鈍く頷き、背を向ける。

 

「……あんたは!」

 

 振り返る。

 

「あんたは怖いけど! あんたが来なかったら……もっと怖かった! だから――」

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 そして叫ぶ。

 

「ちゃんと、生きなさいよ!!」

 

 ジークフリートの指が、わずかに震える。

 初めて、自分のために言われた言葉だった。

 

「……ああ」

 

 短く、応える。

 

 踵を返し、数歩進む。

 

 ふと。

 もう一度、振り返る。

 

 ミーナは――

 笑っていた。

 

 傷を抱えたままの、不格好で、少し涙の残る、けれど確かな笑み。

 

「ほら、さっさと行きなさいよ」

 

 その声は、もう震えていない。

 

 ジークは小さく頷き、夜明けの中へ歩き出す。

 背後で、朝の光が村を照らしていた。

 

 

 

 

 村を離れてほどなく、シャンドルと合流する。

 

「……あの夜のこと、君の顔のこと」

 

 彼は静かに言う。

 

「すべて見ていました。盗み見のようで、申し訳ありません」

 

 ジークフリートは首を振る。

 

 以前なら、自分の顔を見られたことを気にしただろう。

 だが、不思議と何も思わなかった。

 

「構いません」

 

 静かに言う。

 

「俺も、ちゃんと生きなければいけないので」

 

 シャンドルは目を細める。

 

「……変わりましたね」

「まだ、未熟です」

 

 ジークフリートがそう言うと、シャンドルは笑う。

 

「ええ。ですが――未熟なままでも、生きていけばいい」

 

 

 風が吹く。

 

 遠くで、村の朝の煙が上がる。

 戦乱は終わっていない。

 

 だが、ジークフリートの歩みは、以前よりもわずかに、重く。

 そして、確かだった。

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