玉葱騎士、六面世界に立つ 作:神聖龍 エモーショナル・ハードコア
紛争地帯を進む道は、乾いていた。
風に運ばれてくるのは血の匂い。腐臭。焼け焦げた木材の残り香。
ジークフリートは足を止めた。
道端にそびえ立つそれは、もはや人とは呼びがたい。
四肢は切り落とされ、胴体には太い杭が打ち込まれ、地面に縫い止められている。見せしめ。怒りでも殺意でもない、愉悦の痕跡。
隣に立つシャンドルも、無言のまま目を伏せた。
「……ただごとではありませんね」
わずかに残る足跡と、遠くに漂う煙。人の気配をかすかに感じる。
二人は村へと向かった。
■
村は、壊れていた。
家々は焼け落ち、畑は踏み荒らされ、井戸には死体が投げ込まれている。生き残った者たちは顔に影を落とし、声を潜めていた。
事情はすぐに知れた。
盗賊だ。
男は殺され、子供と女は攫われた。
生き残ったのは、隠れられたわずかな村人だけ。
「……どこだ」
ジークフリートの声は低かった。
義憤というより、暴力的な怒りだった。
「その盗賊たちは、どこにいる」
■
雷の如く、森を駆ける。
深緑を白銀がなぎ倒し、進み続ける。
洞窟を根城とした盗賊たちのアジトを見つける。
「誰だ――」
声は最後まで続かなかった。
顎から上が、消えた。
「て、敵――」
叫びは真っ二つに断ち切られる。
逃げようとした背中が両断され、助けを求める腕ごと、胴が消える。
泣き声は潰れ、命乞いは頭蓋ごと砕かれた。
悲鳴は長く続かなかった。
何度も、何人も、殺す。
鉄が肉を裂く音と、骨の砕ける音だけが響いた。
ジークフリートは躊躇わなかった。
慈悲も、見せしめも、加減もなかった。
全てが終わった後、白銀の鎧は真っ赤に染まっていた。
血みどろのまま、攫われた村人を探すジークフリート。
すぐに村人は見つかった。洞窟の奥の牢屋にまとめて入れられており、誰もが怯え、震えていた。
「もう大丈夫だ」
牢屋を手で軽く破壊し、歩み寄る。
小さな悲鳴とともに、村人たちが後ずさる。
そのなかでひときわ強く、震えていた少女がいた。
「や…やめ、やめて……もういや、いや…」
顔には乱雑に刻まれた生々しい傷跡が刻まれており、すぐに治療が必要な状態だった。
「大丈夫だ。すぐに治す――」
ジークフリートは手を差し伸べる。
その瞬間、彼女は悲鳴を上げた。
「来ないで!!」
盗賊の血と肉片で真っ赤な鎧、スリットから見える血よりも赤黒く、鈍い光を放つ赤い瞳。血まみれの英雄は、怪物にしか見えなかった。
恐怖は伝染し、解放された者たちの視線も硬くなる。
「ひいっ……」
「痛いのはいや、痛いのはいや、痛いのはいや…」
ジークフリートは、ただ立ち尽くした。
何も、言えない。
助けに来たはずなのに。
守ったはずなのに。
彼らは苦しんでいるままだ。
「ジークくん!」
駆けつけた瞬間、シャンドルは状況を一瞥する。
血。壊れた牢。怯える目。
――まずは呼吸だ。
彼はゆっくりと両手を広げ、視線を合わせる。
「大丈夫です。もう誰も来ません」
震える少女の前に膝をつく。
「もう敵はいません。盗賊はいない。あなたたちは、自由です」
「……じ、ゆう……?」
「ええ。帰れます。村に。もう怯えなくていい」
震える少女の肩に、そっと外套をかける。
「怖かったですね」
それだけを言う。
少女の喉から、押し殺していた嗚咽が漏れた。
ゆっくりと、ゆっくりと。
言葉は、刃物よりも慎重に。
村人たちは、次第に落ち着きを取り戻していった。
ジークフリートは自分の手を見る。
血が、まだ乾いていない。
守ったはずなのに。
救ったはずなのに。
――それでも、彼らは震えている。
ならば、自分は何をした?
■
シャンドルに連れられ、村人たちが村に帰還する。
攫われた者と、生き残った者たちが涙ながらに再会し、抱擁し合う。
その姿を遠くでジークフリートは見つめていた。
シャンドルが近づく。
「君は正しい。だが――正しいだけです」
ジークフリートは何も言わない。
「君は、自分がどう見えるかを考えていない」
一瞬、視線が揺れる。
「正義とは、相手を倒すことではない」
「…では、なんですか」
「恐怖を終わらせることです」
沈黙。
「君は盗賊たちを殺し、恐怖を止めた。だが――君自身が、恐怖になった」
指が、わずかに震える。
「私は、間違えましたか」
「いいえ、間違いではありません。ただ、足りないだけです」
「ジークくん。強くなりなさい。
力ではなく――在り方を」
■
その後、二人は村の復興に手を貸した。
焼け落ちた家を建て直し、倒れた柵を組み直し、踏み荒らされた畑を耕す。
戦士としての力は振るわない。斧を握り、鍬を持ち、汗を流した。
「ありがとうねえ、旅の人なのにこんなに手伝ってもらっちゃって…」
「いえいえ、乗りかかった船ですよ。このシャンドル・フォン・グランドールと、その弟子ジークフリートにお任せください!」
冗談めかした声に、わずかな笑いが戻る。
最初は距離を置いていた村人たちとも、少しずつ言葉を交わすようになった。
「ミーナも、早く元気になれればいいんだけどねえ…」
その名が出ると、空気がわずかに沈む。
顔に傷を負った少女はミーナと言った。
彼女は家に閉じこもったままだった。
窓は板で打ち付けられ、昼でも灯りは漏れない。
彼女は村一番の美人だったという。
もうすぐ、祝言を挙げるはずだったとも。
盗賊は、それを壊した。
家族も、恋人も、そして――彼女の顔も。
命は残った。
だが、それだけだった。
「………」
どうすればいいのか、ジークフリートには未だにわからない。
だが、このまま放っていても何も解決しないのではないか。
自然と足は、ミーナの家へと向かっていた。
何を言えばいいのか。
ルーデウスの時は、ただ側にいればよかった。
だが今回は違う。
自分が傷つけた。恐怖を植え付けた。
それでも――少しでも、彼女が前を向けるなら。
ジークフリートは戸口の前に立つ。
中からは、物音一つしない。
ノックし、声をかける。
「……………元気か?」
沈黙。
それでも、言葉を探す。
「……生きていて、よかった」
言ってから、自分で違和感を覚える。
沈黙。
「よかった?」
乾いた笑い。
「はっ、ははっ! 良かった? これのどこが良かったの? 家族も死んで、恋人も死んで、顔はズタズタで! どう生きていけっていうの!!」
胸が締め付けられる。
「強い人はいいわよね」
静かな声。
「全部壊して、全部終わらせて、それで“助けた”って顔ができるんだから」
ジークフリートの喉が、わずかに鳴る。
言葉が、何一つ見つからない。
自分の正しさが、急に空虚に思えた。
それからジークフリートは、戸を叩かなかった。
謝罪もしない。
説得もしない。
代わりに、壊れた屋根を直し、荒れた畑を耕し、汚れた井戸を修繕し、夜のうちに薪を積んだ。
礼は必要ない。
気づかれなくてもいい。
ただ――
彼女から奪われた“明日”を、一つずつ戻すように。
■
ある夜。
崖の上に、ミーナは立っていた。
夜なら、誰にも見られない。
そう思って外に出ただけだった。
ただ歩いて、風に当たりたかった。
だが、崖の縁に立ったとき、ふと思う。
――一歩、踏み出せば。
月明かりが白い。
風が強い。
足元は、暗い。
それだけで、十分だった。
「ミーナ」
かしゃり、かしゃり、と鎧が擦れる音。
見張っていたジークフリートが、ミーナの側に近づく。
ミーナはジークフリートを一瞥すると、興味をなくしたようにしてすぐに目をそらす。
「それ以上近づいたら飛び降りるわよ」
冷たい拒絶。
飛ばれても、間に合う。
その自信はある。
だが、それでは意味がない。ここで彼女を助けても、また同じことを繰り返すだけだろう。
力を使えば、命は救える。
だが、心は救えない。
永遠のような、一瞬の逡巡。
ジークフリートは、ゆっくりと兜に手をかけた。
留め具を外す音が、夜に響く。
かしゃり。
兜を外す。
月光が、顔を照らす。
干からびた皮膚。沈んだ眼窩。焼き焦げた灰のような髪。
生者とも死者ともつかぬ貌。
「見てくれ」
風が、腐った皮膚を撫でた。
ミーナの呼吸が止まる。
「俺は、これで生きている」
恐ろしく、醜い。
だが、隠そうとしていたであろうその顔を、自分のために晒している。
月の下で、大きなはずのその身体は、ひどく小さく、弱く見えた。
「呪いによって、国を追放された。失った。全部、なくなった」
「……それでも、生きている」
ミーナは、目を逸らせない。
怖い。
だが――
そこに“強者”はいなかった。
ただ、壊れた何かが立っている。
「……なんなのよ」
声が震える。
「そんな顔で……どうして平気なのよ」
ジークは答えない。
答えられない。
そして――
「……ふ、う……」
堰を切ったように、嗚咽が溢れる。
「……なにそれ」
「なんなのよ、あんた……」
崩れるように膝をつき、泣く。
「……ふっ、ううう…うう、うあああ!!」
泣いて、泣いて、泣いて。
やがて立ち上がる。
涙を乱暴に拭う。
「……馬鹿馬鹿しくなった」
袖で涙を拭う。
「……帰る」
背を向け、歩き出す。
ジークフリートは追わない。
ただ、兜を抱えたまま、夜風の中に立っていた。
■
朝。
村は、いつも通りの音で目を覚ます。
斧の音。
鶏の声。
誰かが井戸を引く音。
ジークフリートは、昨夜と同じように薪を割っていた。
崖のことも、涙も、誰にも言わなかった。何もなかったかのように。
兜は、被っている。
足音。
ふと気配を感じるが、振り向かない。
ミーナが、水桶を抱えて井戸へ向かう。
顔の傷は、隠していない。
布も巻いていない。
月明かりではなく、朝日に晒されている。
誰も何も言わない。
すれ違う。
ほんの一瞬。
ミーナの視線が、ジークフリートの兜に止まる。
目を逸らさない。
言葉はない。
礼もない。
許しもない。
だが、拒絶もない。
ジークは、再び薪を割る。
かん、と乾いた音が、朝に響く。
ミーナは井戸の縄を引く。
きい、と軋む音が続く。
それだけで、よかった。
■
復興は進み、村に灯りが戻った。
村人たちはぎこちないながらも日常へと戻っていく。
ミーナも、外に出るようになったと聞いた。
自分はもう必要ない。
夜明け前。
ジークフリートは、誰にも告げず村を出ようとする。
足音。
「待ちなさいよ」
振り向くと、ミーナがいた。
「あんた、無責任ね」
「私はもうどうでもいいの? どっか行っちゃうんだ?」
「……君が望むなら、俺は残る」
「はっ」
小さく笑うミーナ。
「馬鹿じゃないの。冗談よ」
一歩、近づく。
「あんたに助けられなくても、私は私で勝手に立てるわよ」
「……そうか」
夜が薄れ、日が差し始める。
「……行きなさいよ。あんたの好きなとこに。もうあんたなんかに二度と会いたくない」
「…ああ」
ジークフリートは鈍く頷き、背を向ける。
「……あんたは!」
振り返る。
「あんたは怖いけど! あんたが来なかったら……もっと怖かった! だから――」
一瞬、言葉に詰まる。
そして叫ぶ。
「ちゃんと、生きなさいよ!!」
ジークフリートの指が、わずかに震える。
初めて、自分のために言われた言葉だった。
「……ああ」
短く、応える。
踵を返し、数歩進む。
ふと。
もう一度、振り返る。
ミーナは――
笑っていた。
傷を抱えたままの、不格好で、少し涙の残る、けれど確かな笑み。
「ほら、さっさと行きなさいよ」
その声は、もう震えていない。
ジークは小さく頷き、夜明けの中へ歩き出す。
背後で、朝の光が村を照らしていた。
■
村を離れてほどなく、シャンドルと合流する。
「……あの夜のこと、君の顔のこと」
彼は静かに言う。
「すべて見ていました。盗み見のようで、申し訳ありません」
ジークフリートは首を振る。
以前なら、自分の顔を見られたことを気にしただろう。
だが、不思議と何も思わなかった。
「構いません」
静かに言う。
「俺も、ちゃんと生きなければいけないので」
シャンドルは目を細める。
「……変わりましたね」
「まだ、未熟です」
ジークフリートがそう言うと、シャンドルは笑う。
「ええ。ですが――未熟なままでも、生きていけばいい」
風が吹く。
遠くで、村の朝の煙が上がる。
戦乱は終わっていない。
だが、ジークフリートの歩みは、以前よりもわずかに、重く。
そして、確かだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
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